振り出しに戻る
「――……ない」
目的の駅の構内でおれは唖然としていた。
碧さんとともに改札を出ようとしたところでポケットに入れていた財布がないことに気づいたのだ。
改札前でワタワタしているおれを他の客たちが迷惑そうに睨んでいく。
どうしよう。切符も全財産も財布に入っていたのに。
「鴇田くんどうしたの?」
まだ改札を抜けていなかった碧さんがおれに気づいて客の波を逆走してくる。
「もしかしてお財布がないの? 最初に乗った駅でトイレに寄っていなかったっけ?」
「……そこかも」
碧さんとのデートだから濡れた手ではいけないと慣れないハンカチ取り出そうとして財布を出した記憶がある。
「駅員さんに連絡して確認してもらおう。わたしの切符があれば無賃乗車じゃないってわかってもらえるはずだし」
項垂れているおれを尻目に、碧さんはテキパキと行動に移す。駅員に話をして、最初に乗車した駅に連絡をとってもらえることになった。
構内から出ることは叶わず、待合室で連絡を待つしかなかった。ちょうど目の前にプラネタリウムの企画展のポスターが貼ってあり、いまごろはそこで楽しく星空を見上げていたのかと思うと待合室の薄汚れた天井が恨めしく思えた。
「はい、元気出して」
目の前に差し出された紙コップ。碧さんだ。焙煎されたコーヒーのいい匂いが鼻腔をくすぐる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
にこりと微笑んでおれの隣に腰かける。薄水色のワンピースの裾が揺れた。
「このポスターでしょう、鴇田くんが誘ってくれたプラネタリウムって」
「うん。ここに行きたかったんだ。今日はもう無理かもしれないけど」
土曜日で客足が多いため駅の構内はごった返している。必然的にトラブルも多発し、おれの財布探しは後回しにされているようだ。だからといって自力で探しに行って見つかったとしてもこの駅に戻ってくるには時間がかかりすぎる。
「……本当にごめん。こんなつもりじゃなかったのに」
「大丈夫、わかっているから。ほんの少し運が悪かっただけだよ」
碧さんが優しいから余計に情けなくなってくる。
「企画展はしばらくやっているみたいだし、また来ればいいよ」
ポスターを見られた以上、今日しかやっていない企画展と告げたのもガチャを引きたくない口実だと見抜かれているだろう。
「はっきり言うと本当は企画展じゃなくてもいいんだ。公園をブラブラするだけでも何も買わずに商店街を歩くだけでも良かった。ガチャ頼みじゃなく、自分の考えたプランで楽しんでほしかったんだよ。厚かましいかもしれないけど」
無言でおれの言葉を聞いていた碧さんは長い睫毛を伏せた。
「……鴇田くんにとってガチャは負担だった?」
「負担じゃないよ。最初は何が出るかわからないからハラハラしたし、ドキドキもした。だけどいまは」
胸の奥で熱風が吹いたみたいに急に熱くなった。
「おれ自身が頑張って、そんで、碧さんを笑顔にしてあげたい」
「――……」
おおきく見開かれる瞳。
ぷるぷるの唇が花びらのように開く。
「鴇田く……」
「お客さん」
突然肩を叩かれて「ひゃいっ」と飛び上がってしまった。
振り向いた先で駅員さんが困ったような笑みを浮かべる。
「取り込み中にすいません。いま連絡が入って、最初の駅で見つかったそうだよ。戻って確認してもらえるかな」
こうしておれたちは振りだしに戻る。
だけどおれたちの関係までは振りだし――じゃないよな? 碧さん、不安になるくらいずっと黙っているけど。
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