碧さんのお願いごと

『部活で少し遅くなりますので先にガチャを回してください』


 とアプリを通じてメールが入っていたのは四月の下旬。

 公園へ向かうため学校の玄関を出たところで気がついた。

 ガチャを回すのはいつも公園でと決めていた。だけど碧さんが遅れるのならここで回しても構わないわけだ。

 他の奴に見られないよう周りを確認しながら自分のスマホを取りだし、ハート形の『さぁ、恋』ボタンを押す。

 ピロリーン。と結果が出る。


『相手をワッと驚かしたほうが願いを叶えてもらえる』


 ……なにこの可愛いらしいアクション。

 碧さんはどんな気持ちでこのアクションを入力したんだろう。

 もしふたり一緒のときにこれを見ていたらと思うと、なかなか大変なことになる。お互いが驚かされる前提で行動するのはつらいだろう。

 しかしこれはチャンスだ。彼女はいま部活中。おれが驚かせたら願いを叶えてもらえる。

 碧さんはたしか美術部だ。文化祭に向けて絵画を描いているのだろう。

 おれは再び学校に戻り、美術室がある棟に向かった。遠くで運動部の掛け声が聞こえる他は静かで薄暗い廊下をゆっくり進む。

 三階の突き当たりの美術室には電気がついていて、運のいいことに扉も開いていた。

 中にいるのが碧さんひとりとは限らない。図々しく入って顰蹙を買うのはイヤなので開いた扉からそっと中を確認した。

 胸像が一体置いてあり、像の後ろ側にスケッチ用の画板が広げてあるものの椅子にはだれもおらず、室内に人の気配はない。


「――……鴇田くんッ」


「うわっああああっ」


 完全に油断していたおれは背中を叩かれて絶叫してしまった。情けなく床に転がったところで笑い声が降ってくる。


「まさか、そんなに驚くとは思わなかった」


 だれかと思えば碧さんだ。驚いたおれがあまりにも間抜けだったからか、眼鏡を押し上げて目元を拭っている。


「ひでぇ」


「ごめんなさい。窓から鴇田くんの姿が見えたし、ガチャの結果も見たから」


 と言って自分のスマホを見せてくれる。

 そうだった、回したガチャの結果はお互いに見られるようになっているのだ。


「わかったよ。驚かされたんだから仕方ない。願いを聞く」


「いいの? なにをお願いするかわからないんだよ?」


 後ろ手を組み、なにかを企んでいる様子の碧さん。

 しかし男に二言はない。


「お互いそのつもりだったんだからいいよ」


「うん――……」


 碧さんは考え込むように目を細めている。長い睫毛が細かく上下するだけでドキドキしてきた。


「じつは考えていなかったの。だから、鴇田くんはなにをお願いするつもりだったのか教えて欲しい」


「それがお願いごと?」


「うん。今回はね」


 ガチャのルールに従っている限り言うことを聞くしかないのに、碧さんは無欲だ。

 一方、いきなり願いごとを聞かれたおれは先ほどまで胸にうずいていた想いを自覚して恥ずかしくなってくる。


「どうしたの、顔が赤いよ? まさかえっちなこと?」


 笑いながら問いかけてくる。


「ちがうよ。おれは……その、ふたりでいるときは下の名前で呼び合いたいって思ったんだ」


 言いながらどんどん恥ずかしくなってくる。碧さんがあまりにも笑顔だから尚のこと。


「わかった。じゃあ、このアクションの内容を変えるね。驚かせあうのは怖いもんね」


 そう告げてクリアしたアクションの内容を変更して見せてくれる。


『次のガチャまで互いの名前を呼び捨てにする。ただし土日に当たったときは「あおちゃん」と「はるくん」の仇名で呼ぶ』


「これでどうかな?」


 同意を求めつつもすでに決定ボタンに指をかけている。

 まったく。これでは「わかった」と言う以外にないじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る