四
「そのままでも、良いかもしれない」
「え?」
不思議に思って彼を見上げた瞬間、私は固まってしまった。
「美雨、綺麗だ」
アマネが私を見つめて、そう言った。
あの眼差しで。
身体中の熱が一瞬にして顔へと集まる。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる感覚に、呼吸が苦しくなって倒れてしまいそうだった。
「……好き」
「何だ?」
「好きだよ、アマネ」
今伝えてしまわなければ、胸が
それなのに――。
「〝すき〟とは何だ」
え――?
「〝すき〟とは、どんなものだ?」
「あ、……ごめん。……今の忘れて」
今までに感じた事のない衝撃が胸の中を走り、私はその場から逃げ出すように駆け出していた。
〝好き〟が伝わらない。
そうだよね。アマネは人間じゃない。梅雨の妖精だ。雨を降らせるためだけに生きる存在なんだ。
きっと恋なんて知らないし、しない。
「馬鹿みたい」
人間と妖精が一緒になれるわけないのに。そんな事は、考えなくたって分かる事なのに!
制服に泥が跳ね上がることも気にせずに、私は傘を閉じて、力いっぱい走った。
「小川さん、最近ぼーっとしてるけど、どうしたの?」
片付ける本を持ったまま本棚の前で突っ立っていた私に、青空先輩が声をかけてきた。
「あ、すみません……」
あれから数日が経った。
私は雨が降ってもアマネに会いに行かなくなってしまった。
今は紫陽花通りを通らずに、
「梅雨が明けたら夏休みだね。夏休みはどこか行くの?」
青空先輩が私の手から本を取ると、棚に並べながら
梅雨が明ける。
梅雨が明けたら、アマネはどうなってしまうのだろう。また来年になれば会えるのだろうか。
それとも――。
「小川さん……」
「あ、ごめんなさい! 夏休みですか? 夏休みは、特別何もないです。昔は家族旅行で海とか山とか行きましたけど、最近は家族の休みが合わなくなってきたので、どこにも行かなくなっちゃいました。お盆に祖父母の家に行くくらいですよ」
そう言って笑いかけた時、隣の本棚から話し声が聞こえてきた。
「もうほんと、早く梅雨明けしてほしいよね~。薄暗くて気分が下がる~」
「あ、さっき職員室に用事があって行ったんだけどさ、テレビがついてて、今年の梅雨は短いって聞こえてきたよ」
「え、マジ~? めっちゃ嬉しいんだけど~」
「なんか、あと二、三日くらいで明けそうだってさ」
え? あと二、三日で……?
「うそ……」
「小川さん、本当に大丈夫?」
どうしよう。もうアマネに会えないの?
ちょっと待って、お別れなんて、まだ心の準備が出来てないのに。
「そろそろ閉める時間だね。小川さん、座って休んでていいよ。あとは僕がやるから」
「いえ、やります。大丈夫です」
私は本を片付けながら、残っている生徒たちに声をかけていく。そうしている間も、頭の中はアマネのことで一杯だった。
でも、どんな顔して会えばいいのか分からない。アマネは何も気にしていないかもしれないけれど、でも、私は彼の顔を見るのがつらい。
つらいと思うけれど、でも、やっぱり、
逢いたい――。
「迷ってる時間はないよね……」
私は鞄からスマートフォンを取り出して、週間天気予報を検索した。
「うそ、そんな……」
今週の天気は、曇りや晴れマークが並んでいる。そしてどの日も降水確率が低かった。
「小川さん、お疲れ様。どうしたの? 僕でよかったら話を聞くよ?」
「先輩、私……」
気がつけば涙が頬を伝っていた。
「好きな人に、もう会えないかもしれないんです」
「好きな人……」
言葉に出したら、それが現実になりそうな気がして怖くなった。
「アマネ……」
私はよろよろと立ち上がると、紫陽花通りへと足を向けた。後ろで青空先輩の声が聞こえたけれど、何を言っていたのか、耳に入ってはこなかった。
空は薄明かるかった。雨が降りそうで降らないような微妙な空模様。今日の天気は曇りだ。
アマネには会えないかもしれない。
曲がり角の手前で立ち止まる。
「アマネに会わせて。お願い」
アマネから受け取った傘を強く抱き締め、私は一歩踏み出した。
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