元傭兵のオレグ

 コックピットのシートに背中が押し付けられる感覚で、リュドミラはいつのまにか自分が眠っていたことを知った。

「指定地点に到着……。姐さん、起きてくださいよ」

「ああ、悪いな」

 作戦が決定してから、リュドミラたちにはやるべきことが山ほどあった。自分が思っていた以上に疲労が溜まっていたらしい。作戦行動中に居眠りするなど、普段のリュドミラからしたら考えられないことだった。

 怪我の功名というべきか、居眠りにしては目覚めが良く、思考もクリアになっていた。子供の頃からリュドミラはどんな場所でも眠ることができたが、窮屈なダイヴスーツの中で眠れるまでとは思わなかった。子供のようだと自分に呆れる。

「ここから先はソヴィエトの経済水域っすから、自分が運べるのはここまでです。本当はお供したいのですが……」

「わかっているさ」

 リュドミラは機体を起こし、いつもの癖で壁を蹴り勢いよく飛び出そうとするが、アイゼンを起動していないそのつま先は、ぬるりと滑って水を蹴る。リュドミラはいつもと勝手が違うことを思い出し、大人しく機体を泳がせた。

 リュドミラの機体は、吸水性ポリマーが主原料のぬるぬるとした流体に覆われている。ソールが言うにはこれが主要なレーダーやソナーを吸収し、高い隠密性を実現するとのことだ。耐衝撃性にも優れているらしい。

準備段階でますます半漁人らしさを増したダイヴスーツを見せられて思わず顔をしかめたが、しかし、リュドミラはこれの性能を信頼していた。ソールは前の社長の代から、これまでずっとダイヴスーツの調整を担当してきた熟練の技術者だ。

そういえばと、リュドミラは輸送船を運転してきたガニーに声をかける。

「ガニー、お前は先代の時からずっと輸送船を運転していたな。一応私よりも年上のはずだが」

「そういやそうですね。あの頃みたいに、姫さん、って呼んだ方がいいですか?」

「よしてくれ。部下達に示しがつかん」

「それなら今迄通りですね。うちの若い連中からも、姐さんは人気があるんですよ。輸送船にとっちゃ、ダイヴスーツは守護神みたいなものですから。慕える存在があるって、案外救われるものです」

「そうだな、そうかもしれん」

 リュドミラは先代の爺さんたちを思い出す。あの頃のリュドミラは、ただ爺さんたちの背中を追いかける子供だった。少しでも早く追いつきたくて、無断でダイヴスーツに乗り込んだりもした。

「作戦を開始する。ガニー、あとは頼んだ」

「任せてください」

 リュドミラは感傷を振り払い、水蒸気エンジンを起動した。







 経済水域への潜入は順調だった。高圧の溶液で満たされた星雲である水層世界では、目視と電波による索敵手段はひどく制限される。音波ならば機能するが、ソナーは元々有効距離が短い。それに加え、リュドミラの機体を覆う流体装甲は十分以上に装甲艦の索敵手段を無効化できた。

 無論、ダイヴスーツ部隊による哨戒網は無視できない。地表付近では漂流岩石も少ないため、姿を晒さず目的の施設に侵入するのは困難だった。

 リュドミラは流体装甲のもう一つの機能を活用することにした。予定の距離まで接近すると、水蒸気エンジンを完全に停止させ、電力を流体装甲に回す。流体装甲の中に含まれるコロイドが、電気信号を受けて色を変化させる。液晶テレビのようなものだと、ソールは説明していた。試しに頭部のカメラで腕を照らしてみると、確かに輪郭がはっきりしなくなり、岩石が液体に作る陰のように見えた。流体装甲が周囲の溶液と屈折率を合わせ、溶け込ませているのだ。正面からサーチライトを浴びたらすぐに見破られるだろうが、気休めにはなるだろう。

 情報が確かならば、現在位置は目的の研究所から地表五百キロメートルのはずだ。リュドミラは水蒸気エンジンやスラスターを使わず、努めて抵抗が少ない挙動で泳ぎ始める。

 地表付近は外周部と比べて随分と水流が少ない。高さ四メートルほどもあるダイヴスーツの起こす波は、時にソナー以上の索敵手段となりうる。研究所に近づくにつれ密度を増していく哨戒網を見ながら、リュドミラはこの方法での潜入が困難であることを悟った。

 現在のリュドミラはモナドから発される微弱な重力波を感知することができるが、それが可能な距離はそう長くない。位置を特定するため、可能な限り近づきたかった。

 リュドミラは近くを通ろうとする輸送艦と護衛艦の群をやりすごそうとして、ユーリから提示された潜入の方法の一つを思い出した。説明されたときは半信半疑だったが、なるほど今の流体装甲とは相性が良いだろう。

 意を決して船団の脇から軌道上に入り込む。ダイヴスーツの発する水流は、護衛艦の巨大なエンジンによる波によって、流体装甲による不自然なシルエットの歪みごと掻き消えた。

 リュドミラは神経を尖らせ、船団の尾に位置する護衛艦から付かず離れずの距離を保ち泳ぎ続ける。もしこの船団が自分の部隊だったら隊員を叱りつけたくなるほど迂闊だが、同時に、自分のやっていることの酔狂さと比べて考えを打ち消す。ここで見つかったらリュドミラは逃げる間もなく魚雷を喰らって藻屑と化すだろう。

 いつ見つかるとも知れない緊張下ではあるが、長時間の潜水活動ならばお手の物だ。トレーニングで鍛えられるのは何も筋力だけではない。体中にエネルギーを送り届ける血管や心臓、血液を作る脊髄の機能も発達していく。そしてそれは、人間の長期間の活動に必要不可欠なものだった。リュドミラにそれを教えてくれたのは、ダイヴスーツ機動部隊の訓練官を務めていた爺さんだったか。

 そんな感傷が頭の隅をよぎったとき、リュドミラは唐突にモナドの存在を感じ取った。モナドがマスター権限を持つ人物に位置を特定させるため、出力を極めて絞った重力波を絶えず発しているのだ。

 既に地上はソナーでも認識できそうな距離まで迫っているようで、船団は緩やかに進行方向を変え始める。

 リュドミラは機体を丸め、護衛艦のエンジンが産む水流に任せて船団から離脱する。しばらく流され続け、船団の索敵範囲から抜けたところを見計らって行動を開始した。

 モナドからの通信がから発されていることは分かっていた。欺瞞である可能性はゼロではないが、オレグとあの機体が別々の場所にあり、それぞれが重力波を発していると考えられた。想定済みの事態だ。

 リュドミラはダイヴスーツの演算領域を間借りし、どちらがあの新型機のものであるか割り出そうとする。一種の賭けだったが、たちどころにどちらが本体(オレグ)かわかる。モナドは機体とパイロットの識別信号を明確に区別していた。

 位置さえわかってしまえば、あとはプラン通りだ。リュドミラは新型機体の方角へとダイヴスーツを泳がせ始める。

見つからずに泳ぎ続けなければならない距離は、もう僅かだった。







 オレグは落ち着かないほど柔らかいソファに座りながら、果物らしきものを齧っていた。見た目からしていかにも高級品らしいが、酸味が強すぎてそれ以上食べられたものではない。

「なあモナド、聞こえるか」

『肯定する』

 モナドと話すのは初めてではない。むしろユーリと共に情報を引き出す過程で何度も語りかけているが、自分の頭の中にいる何かに話しかける感覚はいつまでたっても慣れなかった。

「この部屋は一体何で出来てるんだ?」

『メタトロン装甲の一種である。魚雷や爆破での破壊は困難であると推測する』

「なるほどなあ、見張りは?」

『二人存在する。三時間ごとの交代が確認されている。入口は二重の水圧扉になっており、脱出は困難である』

「だよなあ」

 いつのまにか調に戻っていたことに気が付き、口を曲げる。

 今のところ、オレグは丁寧にもてなされていた。高級居住区の一角を与えられたような恰好だ。オレグは自分の状況を食べる前に太らされる豚のようだと自嘲した。

 傭兵とは、いつでも使い捨てられる存在だ。採掘業者間の交渉の数合わせとして集められ、ダイヴスーツを与えられ、潜水戦艦の盾として藻屑となる。そのためだけの職業。

まともな教養を持つ人間ならば、どこかの採掘業者に身を寄せるか、三大企業の傘下でライン工にでもなるのだろう。だが物心ついたときから海賊団に所属していたオレグには、そんな選択は許されなかった。

いままでと同じだ、とオレグは思った。モナドの調査が終わったら、恐らく自分は処分されるのだろう。軍隊に必要なのは一人の天才ではない。高性能な装備を持った百人の凡人だからだ。モナドはスペックが高すぎる。

その未来がわかったところで、オレグにできることは少ない。ユーリがモナドから聞き出した情報によれば、モナドは来たるべき外からの暴力に対応するため、あの小天体内で研究されていたという。三大企業の技術力が向上すれば、リュドミラたちの使うダイヴスーツにもある程度還元されるだろうか。だがになって、三大企業が小さな企業を潰しにかかることもありうるだろう。大事の前の小事として理由はなんとでも付けられる。

オレグに政治は分からないが、三大企業の計画の前に、さしたる理由もなく海賊団が潰されていくことを良く知っていた。

だから突然正面の壁に亀裂が入り、そこから勢いよく水が入り込んできてもオレグは驚かなかった。高圧環境下で絶対は無い。そこに政治という圧力が加わればなおさらだ。

激しい水流に弾き飛ばされながら恐らく自分は溺れ死ぬことはないだろうと思い、少し安堵する。高圧溶液下では、人間程度の生物ならばすぐに圧潰してしまうだろう。

オレグは一瞬で息ができなくなり、肺が圧縮されるような痛みを覚えた。ああこれは思ったよりロクな死に方じゃないな。そう思った直後、いよいよその感覚もなくなり、オレグは努めて意識を手放そうとした。

だが、それを許さない声が瞬時にオレグを覚醒させた。

「おい、起きろ。こんな部屋で居眠りとは、いい御身分だな」

「姐さん」

 目を開けると、視界に入ってきたのは水の壁。オレグは泡の中に入っているような恰好になっていた。

「喋るな。その空気球の残り酸素を気にしろ。今からお前を新型機体に搭乗させる。あとの説明はモナドに聞け」

 リュドミラの声がそう指示した後、モナドの機体が腹部のコックピットを開けて迫ってくる。なんだか捕食される気分だな、と能天気に思いながらオレグは身を任せる。オレグの体がコックピットに収まると同時に、モナドを通して情報が流れ込んできた。

オレグは唐突に、リュドミラがこの部屋を破壊するに至った経緯を知った。

 リュドミラは、以前オレグがこの機体に閉じ込められた際に使った新型機体の遠隔操作プログラムを利用したのだ。まさか重力ブレードまで遠隔操作できるとは思わなかったが、そのおかげで現在の状況がある。

 さきほどの空気球もこの機体の機能のようだ。空気を一時的にメタトロン化し周囲の水を反重力で押しのけ、パイロットを高圧環境下で搭乗させるための代物。

「これは……重力波通信っすか」

「ああ、研究所の格納庫から拝借してきた。これでノイズに悩まされることは無い」

「そいつは朗報っす」

 ダイヴスーツに乗ってしまえば、あとはだ。オレグはテンションをダイヴスーツ操縦のためのものに合わせ、情報の把握に努める。

「姐さん、この機体が格納されてた場所を電磁削岩機マグパイルでぶちぬいたんすか? ずいぶんと無茶をするっすね」

「それが最も効率が良かった。お前を先に確保しても、帰り道が保障されるわけじゃない。遠隔操作プログラムがあったのが幸いだったな」

 リュドミラは云いながら、機体の水蒸気エンジンを起動した。オレグも新型機体の挙動をチェックする。

「これより脱出を開始する。付いて来い」

「了解っす」

 既にリュドミラたちは二つのブロックを破壊していた。発見されていない今のうちに直線速度で突破する腹積もりだった。

 それはオレグたちにとって最善の行動だったが、しかし、誤りであった。リュドミラのダイヴスーツを上回る機動力を持つ機体が相手にいた場合、正面突破が妨害されるのは時間の問題だった。

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