三大企業のソヴィエト

 カッシーニ・ソヴィエトと傘下企業が行う交渉は、可能な限りフェアにセッティングされる。

 今回も例に漏れず、落ち合う水域は回遊岩石が密集する地帯だった。これなら戦力に劣る傘下企業側も、不意をついて戦艦を一隻くらいは落とせるだろう。それは同時に、その程度の被害なら許容するという余裕の表れでもある。

 水層世界を貫く黒線に沿って形成された「地表」の一つを独占するソヴィエトは、独立する中小企業を上手く使って発展してきた。服従を強要するネプチュニアン・ユニオンや閉鎖気質のセフィロトとは対照的だ。

 元々回遊する岩石が多いソヴィエトの水域では、岩石内の資源を採取するだけでも無視できないレベルの生産量になる。しかし、大企業特有の大雑把なローラー作戦で量の一定しない回遊岩石を掘ると、コストの無駄によって十分な採算を取ることができない。

だから、一部の経済水域を根城にする採掘企業と契約して、回遊岩石から採れる資源を買い取っている。

無論、この水域にいるのは真っ当な採掘企業だけではない。輸送船を襲って資源を強奪する海賊や、武力で脅して経済水域を乗っ取ったり買収したりする企業もいる。そうした輩ともソヴィエトは交渉を行い、時に襲撃をしかけてきた傭兵を勧誘し、今日の複雑怪奇な経済構造に一役買っている。経済規模だけなら三大勢力随一と言われるソヴィエトの屋台骨だった。

『こちらヘルメスⅠ、エリアCでの自走機雷設置を完了』

『こちらファットマウス。引き続き通信網と照会しつつ、機雷の設置を急げ』

『ヘルメスⅠ、了解』

 リュドミラは岩石に偽装した通信装置の位置をモニタしつつ、数機のダイヴスーツと共に工作を行っていた。既に護衛艦は展開済みで、合戦でも始まりそうな布陣だ。

 企業間での交渉を単なる通信や密会では済ませず、こうして戦力を並べるのにはいくつか理由がある。

 一つは、通信手段の限界だ。水層世界を満たす重金属を含んだ高圧溶液は、電波による通信を著しく妨げる。日頃の採掘業でも、本部との通信にはいくつかの通信装置をリレーさせなければならない。それを遠ければ遠いほど手間がかかり、なにより盗聴の元だ。だから通信が明瞭にできる距離まで近づいて、利害をぶつけ合う。

もう一つは、戦力の確認だ。海賊や買収が多いこのご時世、契約が履行されるその日まで企業が存続できるか、それは現実的な問題だ。

「お、奴さん、来たようだな」

 リュドミラのチームで作業を行っていたユーリがそう知らせる。

「ユーリ、今更だがお前は戦闘担当ではないだろう。そろそろ引っこんだらどうだ」

 リュドミラたちの企業「ドラウプニル」の商売関連の実質的なトップはユーリのはずだ。その彼がこうして前線で作業をしているというのは明らかにおかしいのだが。

「作業は部下に置いてきたさ。マニュアルと残業手当付きでな。だいたい、トップが仕事をするってのは効率が悪いんだ。こうして知見を広げねえと」

 まったく筋金入りである。その発言の自己矛盾に気が付いているのだろうか。

「足手まといにはなるなよ」

「あたぼうよ」

 実際、ユーリは下手なダイヴスーツ乗りよりもよほど正確に仕事をこなす。直接的な戦闘は厳しいだろうが、工兵としての仕事は期待していいだろう。

 カッシーニ・ソヴィエト側の戦力は、なるほど大規模だった。魚雷をたらふく溜め込んでいるであろう潜水戦艦が五隻並び、数えるのも億劫な数のダイヴスーツがその護衛にあたっている。対してこちらは中型の護衛艦が五隻とダイヴスーツが一個大隊程度。間違っても契約不履行など考えさせない、圧倒的な戦力差だ。

 やがて、ベテランと老成の間にいるような男の声が通信に乗って来る。

『こちらカッシーニ・ソヴィエト水軍中佐、アレクセイ・ヤクボクだ。御足労、痛み入る』

『ドラウプニル社社長、セイン・ブラッコだ』

『結構、貴君も忙しいだろう。さっさと交渉を始めようではないか』

 実にカッシーニ・ソヴィエトらしい軍人だ。現地の採掘業者たちを上手く使えなければ、出世など到底望めない。荒れくれ者の多いソヴィエトの水域では、時に高慢さが仇となる。あくまで建前として、彼らとリュドミラたちは対等な関係なのだから。

『こちらの要求は、先日落下した小天体が滞留している水域での活動停止、及びあの小天体の接収と秘匿だ。熱心な採掘工のことだ、既に中を調べているのだろう?』

『メタトロンに覆われた隕石の内部の調べる、というのは弊社にはいささか厳しいものがあった。同時に、あれが尋常のものではないと察したが』

『実に賢明なことだ。情報というのは万能の妙薬だが、時として身を滅ぼす毒ともなる』

 モナドとあの機体を回収したことを言う義理などない。セインは声音一つ変えずに対応した。

『では、賠償金の話に移ろう。こちらには、三十億コームを賠償にあてる準備がある。異議はあるかね』

 事前情報とは異なる金額を聞いて、リュドミラたちの間に静かな衝撃が走る。三十億コームもあれば、今リュドミラたちが相対している戦艦五隻を買えてしまうだろう。立ち退きと口止め料にしては、あまりにも高すぎる。

 リュドミラは以前オレグが言っていた傭兵の不文律を思い出した。曰く、報酬が気前の良すぎる依頼には気を付けろ。

『異議を挟む理由がないな。よく手を出さなかったものだと、部下を労いたい』

 リュドミラたちの驚きをよそに、全く感情を表に出さないセイン。対してアレクセイは何がおかしいのか、愉快そうに含み笑いだ。

『ところで、こんな噂を知っているかな。先日、水層世界の衛星軌道上にあったセフィロトの実験施設が、事故で落下したという話だ。彼らは慌てて実験施設を無害化したが……、一つ、重要な兵器が持ち出されていたらしい』

 アレクセイはもう笑いを隠す気がないようだ。

『それは自在に重力を操作できるダイヴスーツだ。セフィロトが外の暴力に対抗するために作ったものだよ。その力を引き出すソフトウェアも消えていた』

『ほう、そんなものがあったのなら、回収しておけばよかったか』

『ふっ、貴君ならそう言うと思った。だが分かっているのだろう? 貴君らもまた、セフィロトの実験兵器を回収した被疑者候補であると』

 今度はセインも言葉を返さない。それが無駄であると知っているからだ。

『よって、これより貴君らの本拠にて強制捜査を行う。まずはその戦力を無力化させてもらおう』

「やはり、そうきたか」

 リュドミラはひとりごちる。ソヴィエト側はこちらがモナドを回収した証拠など持ち合わせていないが、しかし、彼らにとってそんなことはどうでもいいのだ。

『まあ、精々気張ると良い。貴君らがどこまでやれるのか、見物だな。全艦、雷撃戦用意!』

 水層世界は法治国家ではない。ここでは企業こそが法であり、摂理だ。リュドミラたちのような小さな企業が一つ潰れたところで、ソヴィエトは意に介さない。例えそれが、不確かな証拠による制裁であったとしても。

『聞いたな? 全機、機動戦闘用意!』

 だが、同時にこれはチャンスでもあった。ソヴィエトは体面を気にして攻撃してきているわけではない。これはモナドを入手するという純粋に利益を追求した行為だ。もし、それに見合わないリスクや損害を払うことになると知れば、彼らは交渉の方向に舵を切るだろう。

 速やかに、ソヴィエトの潜水戦艦から魚雷が発射された。一応のマナーとして、交渉の場に使う直線上はあらかた岩石を片づけてある。リュドミラは障害物の無い水中を進む魚雷をレーダー越しに睨みつけた。

『残り距離五百六十……五百十……放て!』

 こちらの旗艦に向けて飛んでくる魚雷をみすみす通すつもりはない。工兵の指揮を担当する男の号令で、四方から自走機雷が集まり始める。

そして自走機雷がその役割を果たす。爆発による振動が機体の装甲を軋ませ、リュドミラはいよいよ自分たちの出番が来ると身構えた。

 魚雷の進路上で爆発した自走機雷はその欠片をばらまくと同時に、ごく狭い範囲に強烈な電磁パルスを発生させる。電子部品を灼かれ欠片に衝突した魚雷は、ターゲットにたどり着く前に爆発する。再びの重い衝撃波。

 自走機雷の残骸が旗艦への攻撃を防いでいる今が、リュドミラたちが自由に攻撃できる数少ないチャンスだった。リュドミラを始めとした、ダイヴスーツ部隊が岩石を盾に接近を開始した。

 推力の制御が困難な水蒸気エンジンに背中を押されながら岩石群を進むのは至難の業だ。リュドミラたちは各分隊で操縦技術に優れるものを先頭にし、行進の要領で侵攻する。

 レーダーが使い物にならない岩石群の中からの、複数のダイヴスーツ分隊による奇襲攻撃。その初動は完璧だった。リュドミラは分隊の先頭で、潜水戦艦の一つに突撃をかける。戦艦を護衛するソヴィエトのダイヴスーツが行く手を阻むが、左腕に装着したシールドで跳ね除ける。強引に開けた防衛網の穴に、分隊の後続が続く。

 水中の戦闘において、最も破壊力を持つ攻撃手段は魚雷だ。高圧の水という媒体は、魚雷の爆発によるエネルギーを存分に伝達する。高圧溶液に耐えうる装甲を持つダイヴスーツといえど、爆発の近くにいれば容易く粉砕されるだろう、

 リュドミラたちにもそれが使えれば良いのだが、電子部品の塊といっていい魚雷は高級品だ。小さな企業では、魚雷数発を買うより輸送船一隻を買う方が優先される。

 だから魚雷に当たらないようダイヴスーツの機動力に物を言わせて接近し、銛やハンマーを使って戦艦の周囲の防衛戦力を減らしていくのが、よくあるソヴィエトと弱小企業の小競り合いの形だった。リュドミラも何度かそのような戦闘を経験している。

 だが、これほどの額を提示されるような紛争では、ダイヴスーツを減らした程度でソヴィエトが首を振るとは思えない。リュドミラたちはもっと大きな戦果を挙げる必要があった。

 リュドミラは潜水戦艦の船底にとりつき、右手に装着した電磁削岩機マグパイルを起動。ドラウプニルの専属変態技師ソール・ベリンスキー渾身の削岩技術が、対魚雷を想定された戦艦の装甲に放たれる。

 リュドミラは、相応の開発費がかけられているはずの装甲が陥没するのを見た。電磁削岩機マグパイルの破砕能力によって周囲の水圧を抑えきれなくなった船底の一部が、内側にひっこんでいく。

 リュドミラは分隊の仲間の一人に合図を送る。彼は破壊箇所に接近し、ダイヴスーツの右腕を切り離パージして、開いた穴に吸い込ませた。

 それを確認したリュドミラたちは、すぐに戦艦から離れ始める。行きと違い、帰りは最短距離を突っ走る必要はない。護衛のダイヴスーツ部隊が少ない方向を選び、直線速度にまかせて突破する。

 そして再び岩石群に入る直前、右腕をパージした隊員が仕込んでいた起爆装置を点火した。ダイヴスーツの椀部に偽装した高性能爆薬が、潜水戦艦という閉鎖空間のなかで爆発する。ほとんど暗闇の空間を、金属か何かがプラズマ化した光が鮮やかに照らし出した。

 戦果の確認もそこそこに、リュドミラたちは岩石群を縫って本陣に帰還する。

『こちらヘルメスⅠ。爆発物のターゲット内部での起爆を確認した。ターゲットの撃破状況は?』

 通信が回復すると共に聞く。

『こちらファットマウス。五機のうち三機の戦闘能力の喪失を確認した。現在帰還した機体の照合を継続中』

『ヘルメスⅠ、了解……』

『ヴァルナⅣより報告! 緊急だ!』

 リュドミラが一応の戦果を確認して安堵した直後、切羽詰まった隊員の声が通信回線に響く。

『想定A地点のターゲット付近に不明機体を確認! ヴァルナ分隊がやられた! あいつは新型だ! 姐さんが拾ってきたみたいなやつだ!』

『こちらファットマウス。ヴァルナⅣ、よく帰還した。だがまずは引っこめ、そのダメージで戦闘行動は不可能だ』

『……ヴァルナⅣ、了解』

 彼の声は忸怩たる思いに溢れていた。

『ファットマウスより全機に通達。、プランDの作戦行動を開始する。各機、再度配置につけ』

 情報にない、新型機体の投入。普段のリュドミラたちなら間違いなく尻尾を巻いて逃げるイレギュラーな事態だが、それは想定済みだ。既にリュドミラたちは重力を操って超合金でも切断できる、常識の埒外の機体を目の当たりにしている。

 とにかくにも、まずはその不明機体の位置の特定だ。各ダイヴスーツ分隊は再度岩石群へと入っていき、索敵網を広げていく。

 リュドミラがヴァルナⅣの報告した地点に差し掛かった時、それは起こった。

 最初に、機体の計器が周囲の水圧が増大したことを知らせた。続いて、リュドミラは機体が押し流されていることを感覚で知る。

 それは、ほとんど反射のようなものだった。リュドミラは機体制動用のスラスターを吹かし、左足を跳ね上げる。同時に足に付いているシールドを展開した。

 直後、戦艦のエンジンにでも巻き込まれたかのような衝撃が機体を襲った。リュドミラは機体の右腕からワイヤーを射出し、なんとか近くの岩石を捕えることに成功する。そのまま岩石を足掛かりに、その場から離脱する。

「ほう、これを避けるか。これはなかなか楽しめそうだ」

 その声には聞き覚えがあった。直前に代表として交渉していた、アレクセイ・ヤクボク中佐。なぜこの回線に割り込めたのかとか、なぜ司令官が直接戦っているのかとか、疑問は浮かんだがリュドミラは驚かなかった。

「その機体……メタトロンか」

「その通り、やはり知っていたか。どうやら貴君は一廉の人物のようだ。名を聞こうか」

 やはりこちらの短距離通信も拾うか。そう確認し、リュドミラは名乗りを挙げた。

「ドラウプニル社、ダイヴスーツ機動部隊隊長、リュドミラ・パスカヴィルだ」

「素晴らしい。それでこそ戦い甲斐があるというもの。存分に叩き潰してくれよう!」

 リュドミラはアレクセイの狂喜が混じった言葉を聞き終える前に、岩石に隠した通信機を利用して通達する。

『こちらヘルメスⅠ、全ダイバーに通達。当該座標にターゲットを発見した。作戦行動を開始せよ。また、傍受を受けている可能性が高いため、今後、ダイバー間の長距離通信を無効とせよ』

 言いながら、リュドミラは岩石に突き刺したワイヤーを利用して岩石群内を飛び回る。

 離脱する瞬間に見えたアレクセイのものと思しき機体は、妙に大きな両腕を持っていた。

 リュドミラは機体の左脚部が失われていることをダメージレポートで確認し、さきほど受けた攻撃に関して考える。

 あれは、液体が何かに押しのけられて起こる現象だった。隕石が水層世界に落ちた時のような、流体力学を考慮されていない物体が水中を高速で移動した時に発生する乱流。

 だが、それ自体が機体の足を奪ったわけではないだろう。それだけではダイヴスーツの足は千切れ飛んだりしない。

――情報が必要だ。

 リュドミラは手近な岩石にワイヤーを射出し、ハンマー投げの要領で岩石を飛ばした。すると、岩石が割れる時特有の轟音が放たれる。

 その音は、電磁削岩機パグパイルで岩石を割った時の音とは大分違った。長年の勘で、リュドミラはそれが岩石が圧潰する際の音だと当たりをつける。圧力が狭い範囲に集中してかかり、不規則に割れるような。

「斥力ブレードか? いや、それにしては音が大きすぎる……」

 再度岩石にワイヤーを放ち、投擲しながら反動で移動する。直後、リュドミラは機体が押し流される感覚を再度味わう。今度はハンマー投げに使ったワイヤーが千切れ飛んだようだ。

「小癪な!」

 アレクセイの罵倒を背に、その場を離脱する。ついでに千切れたワイヤーを巻き取り、その先端を見分した。出力を絞った光源と暗視カメラで映し出されたされたそれは、繊維が斜め方向に強引に曲げられ、捻じ切られていた。

 ソールとオレグによるあの機体の調査によると、ガラクタを容易く切断したあのブレードは普通の刃物と同様に摩擦を利用しているらしい。どういう理屈かは知らないが、切断する瞬間に刃周囲の流体を空間ごと圧縮し、流体と対象の摩擦を無限大に増大させ、発生する熱量で焼き切っているようだ。発想のゴリ押しに頭が痛くなってくる。

 アレクセイの機体が同じような設計思想で作られているなら、そこまで複雑な原理を用いているわけではなさそうだ。そう考えて、戦闘行動を続けようとした次の瞬間、リュドミラは不意に水圧のメーターが上がったのを見た。

 これ以上の損害を被るわけにはいかない。リュドミラはとっさに、最初に括り付けた岩石を盾にした。さらにもう一本ワイヤーを射出し、別の岩石を拾う。

 リュドミラは目の前で岩石が破壊されるのを見た。潰れる、というよりも、目に見えない鮫の咢に砕かれるような光景。左足を盾にした時点でコックピットまで衝撃が来なかった経験から岩を盾にしてみたが、正解だったようだ。

「これを防ぐか、なるほど」

 岩石が砕かれた先で、リュドミラは今度こそアレクセイの機体の全貌を見た。

 リュドミラの乗っているダイヴスーツと比べて等身が高く、人間に近いシルエット。それはオレグの拾ってきた機体と共通するが、やはり、不自然に大きな両腕が異彩を放っていた。

 その右腕が、格闘家の構えのごとく引き絞られる。リュドミラはさらに確保しておいた岩石を身代りにする。

 岩石が再び破壊されると同時に、リュドミラは機体の全身とスラスターを使い、一気にアレクセイに肉薄した。

「ぬうっ!」

 アレクセイが驚きの声を上げる。リュドミラは電力を食うのもかまわず、右手の電磁削岩機(マグパイル)を起動、アレクセイの機体に叩き込む。

 だが、その瞬間、機体の右腕が不自然に軌道を変える。アレクセイの機体の中心に放たれるはずだった電磁削岩機マグパイルの衝撃波は、機体を逸れて何もない空間に放出された。

「外しただと」

「無駄な機能だ。司令官機だからと言って聞かなくてな」

 リュドミラの言葉は聞こえていないはずだが、アレクセイはこちらの通信回線に捻じ込んできた。

「反重力による斥力装甲だ。貴君がこれをどう突破するのか、見物だな」

 リュドミラはあらかじめ張っておいたワイヤーを頼りにその場から離脱する。余裕なのか、アレクセイは追撃を仕掛けてこなかった。

 と、リュドミラは味方機が集結しつつあることを通信で悟る。それを確認すると、リュドミラは岩石群を隠れ蓑にさっさとアレクセイから遠ざかった。

 不意打ちで仕留め切れなかった残念だが、もとより簡単に倒せるとは思っていない。最低限の目的が達されただけでよしとしよう。

 リュドミラがアレクセイを撒いたと確信したころ、傍受覚悟で全軍通達が流される。

『全ダイヴスーツ部隊に通達。指定座標への攻撃を開始せよ!』

 不明機体を発見したら、ダイヴスーツ部隊によって包囲。不明機体と接敵した隊員は戦闘をせず、岩石群を逃げながら敵の位置情報を伝えるという算段だ。

 そして、各ダイヴスーツ分隊が管理する自走機雷を、全方位からアレクセイにぶつける。それが、リュドミラたちが出した不明機体への対処だった。

 潜水戦艦すら沈めかねない量の自走機雷が、次々に爆発する。機動力に優れると目される不明機体を確実に沈めるために、リュドミラたちは面による攻撃を放つことにした。

 絶え間のない爆発による衝撃波で、射程範囲外にいるリュドミラの機体の装甲が軋む。油断はできないが、これで沈めることのできない存在をリュドミラは知らなかった。

 ひとしきり包囲網の外を捜索して、アレクセイの機体が発見できないことを確認する。次の作戦行動のために本陣に帰投したリュドミラたちは、合流したダイヴスーツ部隊が一つ足りないことに気が付いた。

「アグニ分隊が行方不明か。魚雷を撃ち込まれたか、ダイヴスーツ守備隊に補足されたか。今確かめている暇はないが……」

「ああ、そこは事後処理になりそうだ。まったく、手間をかけさせる」

 リュドミラとユーリが苦い表情で確認する。戦場で死は常とはいえ、あまり気持ちのいい話題ではない。

『その必要はない』

 だからこそ、その場にふさわしくない声音が通信に割り込んできたとき、リュドミラはノータイムで臨戦態勢に移行した。

『貴君らの探しているものはここにある』

 位置が分かっていたわけではない。だが、リュドミラは迷いなく敵陣の方向を向き、そこに歪なシルエットのダイヴスーツを認めた。

「アレクセイ……っ!」

 両腕が不自然に大きなその機体は、ダイヴスーツの残骸と思しき鉄塊を抱えていた。見せつけるように両手を合わせ、その鉄塊をさらに粉砕する。

『不明機体を確認! 本陣まで乗り込まれた! 各機、迎撃態勢を!』

 見張りのダイヴスーツ乗りが悲鳴のような通達を発する。姿を隠す気もないアレクセイの機体を、ダイヴスーツ部隊が包囲する。あの爆発から抜け出しきたその機体に誰もが尻込みする中、リュドミラが一人接近する。

「ずいぶんと丈夫な機体のようなだな」

「貴君らにはしてやられたよ。包囲されたあげく集中砲火を喰らっては、戦術的には負けたようなものだ。私個人としては、負けでもよかったのだがね」

「それはあんたの立場が許さないだろう」

「その通りだ。実践テストとネゴシエーションを兼ねるとは、いささか大雑把な作戦だとは思うのだが。それも仕方あるまい」

「端的に言おう。降伏を申し込みたい。現状、私たちの戦力ではあんたの機体を破壊することはできない」

「そんなっ、姐さん!」

「ここが潮時だ。私がそう判断した」

 ヴァルナⅣのダイバーが異論を挟もうとするが、リュドミラは聞かなかった。

「そちらは戦艦三機と新型ダイヴスーツの性能の暴露。こちらは貴重なダイヴスーツ戦力の減少。妥協点としては悪くないと思うが、どうだ」

 戦艦への被害はいわずもがな。アレクセイの新型ダイヴスーツとの戦いでは撃破こそできていないが、こちらも壊滅的な損害を受けているわけではない。やろうと思えば、残り二つの戦艦を鎮めることも不可能ではない。リュドミラは言外にそう恫喝した。

「ふむ、確かにこれ以上の被害は少々蛇足だ」

 アレクセイも慣れたものだ。交渉のモードへと話を切り替えようとしている。

「その必要はないよ、姐さん」

 だが、それに水を差す声があった。

 いつのまに現れたのだろう。リュドミラをアレクセイの機体からかばうように、細身のダイヴスーツが立ちふさがる。リュドミラたちが不明施設からネコババした、試作機体だった。

 水を差す声は、オレグのものだった。

「馬鹿者! どうしてここまで出てきた!」

「こいつら、この海域の周囲にものすごい数の戦艦を待機させてるっす。最初から交渉なんてするつもりなんてなかったんだ!」

真意を確かめるように、オレグの機体はアレクセイの機体と睨みあう。やがて、アレクセイがさぞ愉快そうに哄笑をした。

「その通りだ。我々はもとより交渉するつもりなどない。このミッションは必ず成功させなくてはならないものだからだ。オレグ君といったか、君のその機体だ」

「ああ、わかっている。お前たちの狙いはこの機体の奪取だろう」

「それが分かっているのなら、何故のこのこと出てきた!」

 当然のように話すオレグにリュドミラが一喝するが、それに答えたのはアレクセイだった。

「怒ってやるなよ、リュドミラ・パスカヴィル。我々は君たちとは違う通信装置を全軍に配備している。貴君らの中でオレグ君だけが可能な通信だ。私が彼を呼んだのだ」

「重力波通信……!」

「そうだ。我々は一声で、この海域に塵一つ残さぬ飽和攻撃を加えることができる。戦艦三つを沈められたのがよほど癇に障ったようでね、今すぐにでも撃ちこみたい輩が我が邦にはいるようだ」

 アレクセイは余裕を見せつけるように、持っていた鉄塊を投げつける。これは君たちの資源だ、と挑発しながら。

 オレグが激昂する。

「……だったら! この機体でお前たちの戦艦を全部沈めてやる。こいつなら」

「確かにそれは可能だろう。だが、その間に全艦による砲撃を行われる。光速よりも早い重力波だ、さぞ綺麗な撃ち方ができるだろうな」

 オレグは言葉に詰まる。

水層世界での戦闘は極めて局所的だ。通信距離が極端に制限される重金属溶液の中では、広域での足並みを合わせた戦闘行為は不可能に近い。だが、アレクセイの言う重力波通信装置が本当に実用化されているのなら、それは可能だろう。

「まあ、貴君と私の機体なら生き残れるだろう。貴君の背後にいる者たちは分からないが」

「……お前たちの目的はこの機体だったな」

「話が早いな。我々としては、その機体と『モナド』さえ手に入ればよい」

「だったら確約しろ。これ以上、皆に攻撃をするな。その代わり、この機体を渡そう……モナドもだ」

「当然だ。これ以上の出費はこちらとしても惜しいのでね。魚雷は素晴らしく強力だが、いかんせん値が張る」

 再びオレグとアレクセイが睨みあう。永遠に続くかと思われたが、オレグは背を向けると、ブレードを腕の鞘に納めた。

「我々に付いてきてもらおうか」

「ああ」

 リュドミラはその様子を忸怩たる思いで見ていたが、しかし、この状況が最善であることを理解していた。この状況では、相手が自分から戦力を引く以外こちらが助かる道は無い。

「姐さん」

「なんだ」

「俺は元々ただの傭兵っすから。どこでも生きていけるっす。だから、気にしないでください」

「……そうか」

 リュドミラは絞り出すように答えた。

 そして、オレグとアレクセイはリュドミラの乗っているダイヴスーツでは及びもつかない速度で去っていく。

『展開中の全部隊に告ぐ。撤収だ』

 ソヴィエト側の戦力が撤退したのを確認し、セインが撤収を告げる。リュドミラは悔恨を振り払うと、機体を帰路へと向けた。

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