人工知能のモナド

 どうにかオレグを閉じこめた機体と共に帰投して、機体を技術担当のソールに預けてから、リュドミラはダイバーの常としてシャワーを浴びていた。

 1G環境下にも関わらず無駄に無重力用の密閉室の四方から吹き付ける温水が、リュドミラの筋骨隆々な体から汗を流す。ダイヴスーツを操縦すること自体にそこまで筋力は必要ないのだが、長期間の活動はとにかく体力勝負だ。十代の初めにダイヴスーツ乗りになったリュドミラにとって体力作りは急務だったし、人間という個体としての力を洗練させることが、この半人型作業機械を使いこなす近道だと信じていた。二十九歳になった今も、リュドミラはそのジンクスを疑っていない。

 脱衣所に出た直後、リュドミラは人の気配を感じて、その足音が奇妙なことに感づく。音の間隔と質が整いすぎているのだ。リュドミラはこの基地においてそういう歩き方をする人物を知っていたが、彼がここに来る理由がわからないし、そもそも用があるならナノマシンによる通信を使う。

 リュドミラはとっさに、脱衣所に据え付けてある――というかリュドミラが勝手に据え付けた――ケースからサブマシンガンを引っ張り出し、入り口に向けて構えた。

 果たして、姿を表したのは鮮やかな金髪と碧眼の青年、さっきまで人型の機体に閉じこめられていたオレグだった。

 だが、リュドミラは「それ」がオレグではないと直感的に悟った。厳しい声音で問う。

「お前、何者だ」

 オレグの顔をした何者かは、低い声で答えた。

「私は共鳴型戦術支援ユニット『モナド』」

 骨董品の合成音声のような、ひどく堅い声だった。

「戦術支援ユニット? それがどうして、人間の真似事をしている」

 リュドミラの問いに対する回答は速やかだった。

「私はパイロットのナノマシンネットワークと同調し、『副脳』を形成する。人間の第二の演算装置として振る舞い、その戦術行動を支援することで、存在意義を達成する」

 リュドミラは鼻を鳴らした。

「そうか、ならさっさとそいつの頭から出ていけ」

「その行動を実行するために、私は提案をしなければならない」

「何?」

 本来オレグのものである碧眼は、ぴくりとも動かずリュドミラに向けられている。

「メインスクリプトが休眠状態であった私は、当該人物のネットワークにイントールされることで覚醒したが、その際にマスター登録を行っていない。現状この人物との接触が不可能であり、第三者による命令がなければ自らの消去も不可能である」

「それはつまり、私に飼い主になれということか?」

「肯定する。マスター権限を持つ人物からの命令があれば、当該人物の人格の速やかな覚醒が可能だ」

「ほう……」

 リュドミラは額に手をやる。この何者かの話を信じるのならば、このおかしな状況はつまり、オレグが不用意に不明機体に乗り込み、そこに住んでいたよくわからないプログラムに頭を乗っ取られたことから起こっている。

 大方、あの機体は試作機か何かだろう。人間の脳を乗っ取れるレベルのAIというのは驚きだが、開発中とか、運び込まれてすぐの物だと仮定すれば一応の筋は通る。リュドミラは、そういう危険物を嬉々として研究する勢力がこの水層世界にあることを知っていた。

 問題はこのAIがオレグと同じようにリュドミラを乗っ取ろうとしている場合だ。リュドミラは慎重に言葉を選んで答えた。

「具体的に、私はどうすればいい?」

「マスター登録には宿主の上官に当たる人物からの、口頭による認証が必要だ」

「口頭か。それでお前は飼い主を変えられるわけだな」

「条件付きで肯定する。マスター登録を行った人物が生存している場合、変更には現マスターによる命令が必要となる。現状、該当する人物は死亡が確認されており、マスター死亡時の例外的な処置として上官によるマスター登録が適用される」

「回りくどいやつだな」

 リュドミラは鼻を鳴らした。とはいえ、オレグの人格を元に戻す手段がそれだけというなら、特に問題はない。

「いいだろう。モナドとやら。私が……ドラウプニル社、ダイヴスーツ機動部隊隊長、リュドミラ・パスカヴィルがお前の飼い主になってやる」

 オレグの顔をしたAIは肯首した。

「了解した。規約に則り、貴方をマスターとして登録する。ご命令を、我が主」

 リュドミラは表情を堅くしたまま、最初の命令を下した。

「ではオレグの人格を元に戻せ。今後、私が許可するまでは勝手に体を乗っ取ることを禁止する」

「了解。代理コミュニケートモードを終了する」

 モナドが速やかに返事をすると、ぴんと張っていた背筋が急に曲がった。

「あれ、俺はいったい何を……ってうわ! 姐さん! なんすかその格好!」

 オレグの人格が戻ったことに安堵した直後、オレグの言葉で、リュドミラは自分が一糸纏わぬ姿でサブマシンガンを構えていることに気がついた。

 リュドミラは表情を消し、狼狽しているオレグにつかつかと近寄ると、サブマシンガンを向けながら大外狩りを仕掛けてオレグの頭を扉に叩きつける。一発で意識を失ったオレグを扉の外に放り投げると、リュドミラは服を着るべく脱衣所に引っ込んだ。






 オレグが目覚めてから最初にしたことは、部屋を漂う消毒液の臭いを確かめることだった。頑丈なダイヴスーツに守られているとはいえ、魚雷を食らったら瞬間的にかかる衝撃で内蔵が潰れてもおかしくはないし、装甲が破壊され、水圧で機体が圧壊すれば助かる術は無い。消毒液の臭いは、少なくとも自分が人間の集団が常駐する場所にいることを示唆していた。その陣営が敵か味方かはともかく。

 まずは味方との通信状況をチェック。オールグリーンだ。現在位置は採掘業者「ドラウプニル」のコロニー。つまりオレグたちのねぐらだった。

「よう、目が覚めたか」

 声を発した方向を向いて、オレグはげんなりした表情になる。禿げ上がった頭でツナギ姿の中年男性がいたからだ。

「目を覚まして最初に見るのが変態技術者のおっさんとか、超萎えるんっすけど……」

 オレグの反応に、そのおっさんはガハハと豪快に笑った。

「まあそう言うなって。姐さんのハダカ見たんだろ? 生きてるだけでも儲けもんじゃねえか」

 そういえばと、オレグは一瞬だけ記憶に残っているリュドミラの裸体を思い出した。どうしてこんな記憶があるのかはわからないが、とにかく一生ものだ。大事に仕舞っておこう。

「で、ソールさん。どうしてあんたがこんなところにいるんっすか。ダイヴスーツが恋人なんでしょ?」

「ああ、もちろんだぜ。おまいさん、例の人型の機体に乗ったんだろ? そのことで話があるんだよ」

「だったら勝手にすればいいっすよ。俺まで巻き込まないでくださいって」

「それがよ、あの機体はガードが堅てえんだ」

「我らが誇る変態技術士、ソール・ベリンスキーがなんとかできないって、そりゃ大変っすね」

 オレグが他人事のように言っても、ソールは意に介さなかった。

「まあな、それでさっきおまいさんが運び込まれた時に姐さんに聞いたら、たぶんオレグならなんとかできるってんでよ。なんでも、変なAIに頭乗っ取られたんだって?」

「AI……? ああ、まさかそういう」

 オレグは自分があの機体に乗り込んでからの前後不覚を、無理矢理それに理由づけた。まさかAIに頭を乗っ取られるなどということが現実にあるとは思えないが、戦場では往々にして現実が認識を越えることを、オレグは経験的に知っていた。

「俺、けが人なんすけど」

「軽い脳震盪だ。気にすんなって」

「へいへい」

 オレグはベッドから起きあがると、調子を確かめるように首を鳴らした。少々こわばっているが、作戦行動をするのでなければ特に問題はなさそうだ。







「ああ、こいつが。明るいところで見ると、ますます実用性からほど遠いフォルムっすね」

 ソールに連れられてダイヴスーツの格納庫まで来たオレグは、自分が発見した機体を見るなりそう評した。

「そうでもねえよ。この美しい流線型は、水の中での機動戦闘を想定してんのさ。装甲を優先した普及型はよく半魚人って言われるが、こいつは人魚だな」

「二本足の人魚とか聞いたことないっすけどね」

 確かに水中抵抗の少なそうな見た目だが、あの程度の装甲では魚雷一発でお陀仏だろう。

「で、俺はどうすればいいんすか?」

「とりあえずコックピットに乗ってくれ」

「うへえ、人体実験っすか。俺、あれに乗って頭乗っ取られたんすけど」

「姐さんが言うには、その辺の問題は解決したってことらしいが。何だ、何も聞いてないのか」

「生憎、さっきまで意識不明だったもんで」

「姐さんも詳しくは話さなかったが、乗っ取ったAIと話をつけたらしいぜ。乗っけとけば何かわかるだろうってよ」

「ああ、まあ、姐さんが言うなら間違いないっすね」

 ソールは珍しく呆れた表情になった。

「お前なあ、ほんと姐さんのことになると盲目だよな」

 オレグは聞こえない振りをして、不明機体に乗り込んだ。脳内にネットワークを構築しているナノマシン群が機体内のハードウェアに反応し、ダイヴスール操縦用のソフトウェアを起動する。

「お?」

 すぐに見慣れた反応が返ってきて、オレグはダイヴスーツの操縦のために頭を切り替えた。

 現在主流のダイヴスーツ操縦プログラムは、拡張現実ARを利用したものだ。衝撃等による骨折を防ぐために腕と足をがっちりと固定した状態で、機体から送られてくる腕と足の情報を、ナノマシンから視野に投影する。すると、不思議なことに人間はその映し出された腕と足を自分のものだと錯覚し、「第三の腕」として動かしている感覚になる。この「第三の腕」を操作する感覚をナノマシンが拾い、機体にフィードバックすることで、あたかも自分の体のようにダイヴスーツの手足を動かすことができる。とはいえ細かい制御が難しく、指の動きは操縦桿を握って伝えるのが一般的だ。

 本来は何らかの事故で四肢を欠損し、幻肢痛を訴える患者に対するセラピーとして利用されてきた手法だ。逆を言えば、ダイヴスーツを操作している状態で機体の腕を欠損すると、訓練が十分でないダイバーは「第三の腕」が発する痛みにしばらく悩まされることになる。

「おお、動いたか。武装のリストとかはあるか? 外からじゃ全く分からなくてな」

「後で送るっすよ。まずは動かさないと」

「それもそうだな。それじゃ、一通り頼むぜ」

 オレグはダイヴスーツの点検時に行う一通りの挙動をこなす。いつも使っているダイヴスーツは着ぐるみを着ているような挙動の圧迫感があるが、この機体は挙動が軽快で、生身の体を動かす感覚に近かった。

「大分、軽いっすね。何でできてるんすか、これ」

「恐らく、あの隕石を覆っていた低密度メタトロンと同じものだろう。ユーリが調べているが、最近発表さればばかりの新素材ってことしかわかっていないな」

「新素材ねえ。軽くて丈夫ならそりゃ万々歳っすけど」

 次にオレグは言われていた武装の調査を始めた。メタトロンブレードという名称のものを見つけ、おもむろに起動する。

 ブレードは左腕に格納されており、オレグの意志に従って腕の延長線上に展開された。艶消しされたような黒い刃物で、暗殺者か何かが使う獲物を連想させる。

「白兵戦闘用の武装か。やはりそいつは機動戦闘を想定されたもののようだな。どれ」

 ソールは持っていた携帯端末でガレージのクレーンを操作すると、どこかから鉄くずを固めたスクラップを運んできた。

「何事もテストだ。一発かましてやれ」

「はあ、どうなっても知らないっすよ」

 言いながら、オレグは多少の勢いをつけてスクラップに向けて刃をなぐ。次の瞬間に見えたのは、明らかに刃が貫通していないのにも関わらず綺麗に真っ二つになった鉄の塊だった。

「ふむ、刃には傷一つ無いか」

「なんすかそれ。俺、ファンタジーの世界に足突っ込んだ覚えはないんすけど」

「安心しろ、俺もだ。メタトロン絡みなら、やはり反重力を利用しているのだろう」

「反重力? そんなもの実在するんっすか?」

「おまえなあ、水槽世界にいて反重力も知らないって流石にまずいぞ」

「あいにく、長年の傭兵家業でダイヴスーツのこと以外はからっきしなんで」

 まずいと言われても、知らないのだからどうしようもない。オレグは開き直った。

 ソールは渋い顔をしながらも、確認するように説明を始めた。

「宇宙開拓時代における、三種の神器は知っているな?」

「代謝性金属繊維、ワープ航法、超小型核融合炉のことっすよね」

「そうだ、ワープ航法のおかげで人類は外宇宙に一世代で進出することができるようになり、代謝性金属繊維のおかげで宇宙船の寿命は爆発的に伸びた。で、超小型核融合炉だが……」

「ダイヴスーツのパーツだからわかりますよ。本来不可能な反応を、超重力物質ダークマターの発生させる局所重力で無理矢理起こしてるっす。コンパクトかつ少ない燃料で長時間の発電を可能とする、宇宙開拓に不可欠な機関……」

「そいつは知ってるんだな……。で、そいつに使われている暗黒物質ダークマターだがな、本来は別の意味を持つ言葉だったのさ。観測技術が未熟だった時代、銀河を観測していた人類は、観測できる物質の量と、それらが発生させる重力の大きさが合わないことに気が付いた。試算によりゃもっと物質があるはずだが、どういうわけか見つからない。こいつを便宜上、暗黒物質と名付けることにしたのさ。超小型核融合炉に使われているのはその一種だな。重量の割に強い重力を発生させる物質だ」

 ちなみに、今でも暗黒物質の正体はほぼ解明されていない。ソールがそう補足したが、オレグは聞いていなかった。

「それと、反重力が何か関係があるんすか?」

 退屈になってきたので茶々を入れると、ソールは呆れた顔になった。

「大アリだぜ、当時の観測技術で判明した宇宙全体の質量から試算すれば、この宇宙は自分の重力で収縮し続けるはずだ。収縮しきった時が、宇宙の終焉だな」

「そいつはご愁傷様っす」

「だが、何故かこの宇宙は膨張し続けている。宇宙を膨張させている謎のエネルギーを、ダークエネルギーと呼ぶ」

「分からないものにはとりあえずダークを付けるんっすね」

「よくわからんモンに人の名前付けるよかマシだろ。で、そのダークエネルギーってのが、俺たちが反重力と呼ぶものの正体なのさ。ダークエネルギーは空間が一様に持つ外向きの力らしくてな、本来は収縮するはずの宇宙は、こいつによって膨張を続けているって寸法さ」

「で、そのダークエネルギーってのがどうして水槽世界の常識なんすか」

 軽いデジャヴを感じながら、オレグは馬鹿正直に質問する。ソールはやれやれと云うように鼻から息を吐く。

「メタトロンだよ。こいつは元々、空間が圧縮されてなきゃ存在できない物質なのさ。そしてメタトロンは、周囲の空間を圧縮するという性質を持つ」

「卵が先か、鶏が先かって感じっすね」

「天文学じゃよくあることさ。それでだ、メタトロンが空間を圧縮すると、その周囲に反重力が発生する。そうだな、風船を思い浮かべてみろ。あれが膨らむのは、風船内部の空気の圧力が、風船の膜を押し退けているからだ」

「つまり、その反重力ってのは、空間が持つ『内圧』みたいなもんすか」

「おまいさんにしては的を射ている。圧縮されれば圧力が増える、熱力学の初歩だな」

「で、その仕組みがこのブレードに使われていると」

 オレグは機体の右腕を挙げて、展開されたブレードをまじまじと見た。

「それによ、おまいさん、水層世界の『地上』と外周部の重力がほとんど変わらないことを、疑問に思ったことはねえか?」

 直径が地球の三倍ほどもある水層世界では、重力を発生させている「地上」部から水面までの距離も相応に長い。

「いや、特に思ったことはないっすけど」

「うわ、まじか、実在したのか。おまいさん、まさか豆腐がとか思ってるタイプか?」

「なんすかそれ。豆腐は大豆の加工食品っすよ」

 ソールは明らかに安心した様子でため息を吐く。オレグは微妙にイラっと来た。

「で、何で水層世界の外周部の重力が同じなんすか」

「水層世界を貫く三本の『黒線』が、超重力物質ダークマターでできたメタトロンだから、ってのが、主流の仮説だ。重力も反重力も、距離の二乗で減衰するからな」

 オレグは高圧溶液で満たされた水層世界が、三本の黒線に貫かれている様子をイメージした。その黒線に纏わりつくように岩石が集まり、水層世界の「地上」ができあがる。その岩石は大量のレアメタルを含んでおり、水層世界を牛耳る三大勢力の財源となっている。

 黒線の上に構成された水層世界アクアリウム・オン・ザ・ライン。そのオレグの認識に、黒線から発される重力の様子が追加される。

「おい。医務室にいないと思ったらここか。何をしている」

 と、よく通る女性の声が格納庫に響き、オレグが機体のカメラアイを向ける。そこにいたのはくすんだ赤毛の筋骨隆々な女性、リュドミラだった。

「おお、ミラ。良いところに。丁度こいつの装備を調べていてな。おまいさん、オレグに住んでるAIのこと知ってるだろ?」

 リュドミラは呆れのため息を吐いた。

「緊急召集だ。AIのことは上で話す。おいオレグ、さっさとその玩具を降りろ。ブリーフィングルームに集合だ」

 ソールが不満げな顔をし、オレグは即座に機体をサスペンドモードにした。

「一戦やるんっすか?」

「どうだかな、それはこれからの交渉次第だ」

 リュドミラの声音に緊張の色が見られないことから、オレグはいつも通りかと察した。

 交渉とは、戦いが終わった後にするか、戦いを起こさないようにするためのものだ。







 水層世界は、主に三つの巨大産業複合体によって支配されている。その起源は定かではないが、水層世界を貫く三つの黒線に形成された「地上」を元にしてそれぞれの企業が成長していったらしい。

 秩序を重んじ、傘下の者に絶対の服従を求めるネプチュニアン・ユニオン。

 技術の発展を至上命題とし、それ以外に興味の無いセフィロト。

 荒れくれ者たちを取りまとめ、賢い暴力を掲げるカッシーニ・ソヴィエト。

 リュドミラたちは、そのソヴィエトが支配する海域で活動する採掘業者だった。

「それで、ソヴィエトからの要求は?」

 リュドミラはブリーフィングルームに集まった面々を見回しながら、そう確認する。

退屈そうなオレグ、ついでに来たくせに当然とばかりに腕を組むソール、いつもと変わらず軽薄な笑みを浮かべているユーリ、そして、何をしてもその表情を変えないのではと思わせるほど冷たく硬い表情をした、リュドミラたちのボス、セイン・ブラッコ。

「該当水域からの立ち退き要求、及び侵入した小天体の接収だ。対価として、いくつかの便宜と賠償金が支払われる」

「なんだ、いつも通りじゃないっすか」

 オレグの呑気な発言に、リュドミラはため息を吐いた。

「いつも通りではない原因が何を言う。あの隕石の中で見たことを忘れたのか」

「ああ、そういやそっすね」

 オレグが頭をかく。

セインはその呑気さを咎めることもなく、話を続ける

「そうだ。賠償金の額も、相場よりも大分大きい。口止め料のようなものだな。そして、その口止めされているはずの何かを、我々は横流ししたというわけだ」

 セインはリュドミラのように筋骨隆々というわけではない。だが、その整いすぎている姿勢や怜悧にすぎる眼光から、決して無視することのできない存在感を放つ男だ。その人も射殺せるのではないかという視線を向けられ、オレグが珍しくたじろいでいた。

「お、俺のせいじゃないっすよ」

「お前の慎重さの不足によるものだろう」

 助けを求めるように向けられた視線を、リュドミラは切り捨てる。オレグは大げさに肩を落として見せた。

「そのことを咎めるつもりはない。我々が知りたいのは、オレグの持ち帰ったモナドとやらだ。リュドミラ、彼が会話できるというのは本当だな」

「ああ、そうだ。おいモナド、この場での発言を許可する」

「え、なんすか、姐さん。俺の名前は……」

 オレグの言葉を、その遮る。呑気な表情筋の緩みが一瞬で是正され、硬い無表情が代わりに張り付いた。

「了解。なんなりと、我が主」

 発現が終わると同時に、オレグの表情が驚きに満ちたものになる。

「うわ、なんすかこれ。俺が喋ってる。気持ち悪いっすね」

 リュドミラは眉をしかめた。

「そうだな、確かに気持ち悪い。おいモナド、次はオレグの通信回線を介して発言しろ。こちらが混乱する」

『了解。以後、発現を行う際はこの回線を用いて行う』

 通信回線を介して行われたモナドの発言は、電子的なノイズの入った、わかりやすい合成音声によるものであった。

「それでいい。よし、モナド。セインの質問に答えてやってくれ」

『了解』

 リュドミラがセインを視線で促す。

「なるほど、よく飼いならしたものだ。それではモナド。まず、君は何者なのかね」

『私は共鳴型戦術支援ユニット、モナド。私はパイロットのナノマシンネットワークと同調し、副脳を形成する。人間の第二の演算装置として振る舞い、その戦術行動を支援することで、存在意義を達成する』

「戦術支援か。つまり君は、リュドミラとオレグの持ち帰ったあの機体での戦術行動を支援するために作られたのだな」

『否定する。私が当該機体に搭載されたのは当該機体の操縦者の支援を目的とするものだが、製造された目的は別である』

「その目的は」

『貴方にはその情報を通知される権限がない。情報の通知には前マスターの承認が必要である』

 好奇心を抑えきれなくなったのか、次に質問したのはソールだった。

「ようは、元々別の兵器に搭載されていたAIを、コピって試作機にぶちこんだだけってことだろ。そうなのかい、モナドさんよ」

『概ね、その通りである』

 大したリサイクル精神だ、俺たちも見習わなねえと、とソールが皮肉をこぼす。

「では質問を変えよう。君には、何ができるのかね」

 モナドが出自を明かさないとわかるや、セインは興味を失ったように次の質問を投げかける。曖昧な質問だったが、モナドは間を開けずに答えた。

『ナノマシンネットワークに形成した副脳を用いて、使用者の演算領域を拡張することが可能である』

「具体的には」

『使用者は超重力物質、及びメタトロンを介した重力制御を意識的に行えるようになる。また、私は使用者から独立して他の演算装置を利用し、情報的な作業を行うことができる』

「他の演算装置も使えるのか。君は自己増殖ができるAIということかね」

『条件付きで肯定する。使用者との通信が十二時間途絶えた場合、分体は自己破壊を行う。また、使用者が死亡した場合、重力波通信によって分体に通達され、同様に自己破壊を行う』

「なるほど。手綱は付けられているというわけか」

 その後セインは二、三と質問を重ねると、珍しく不快なように眉をひそめた。

「どうやら我々は、思った以上の大物に手を出してしまったようだ。ふむ……」

「大物って、そんなにっすか?」

 今頃オレグが危機感を覚えたように聞く、セインは頷いた。

「恐らく、モナドが作られた場所は地球おかだ。試作品どころではなく、明確な意図を持って作られたオーダーメイドだろう」

「オーダーメイドって、つまり、こいつは誰かに合わせて作られたってこそっすか?」

「恐らくな。聞けば、モナドは個人で高度に完成された戦術行動を行うことを目的としている。一騎当千、それが設計思想だな」

「おいおい、地球(おか)でそれって言ったらよ……」

 思わずといった風に口を出したのは、ソールだった。

「ああ、ほぼ確実にあの機動兵器だろう」

 それは、鉱物資源等の特産品で明確に競争力の劣る地球が、今なお人類の文明圏で覇権を握り続けている原動力だった。触れるものすべてを破壊しつくす暴力の権化であり、高度に完成された個体戦力。

――反物質動力型巨大人型兵器。

 リュドミラたちが対岸の火事のように話題にできるのは、単にそれが水層世界の中では活動できないからだ。触れるものすべてを分解する反物質の膜も、高密度の液体に囲まれていては意味を為さない。

 水層世界から出たことがないリュドミラにとって、その脅威は実感できるものではなかったが、とにかく致命的な暴力であることは容易に想像がついた。

「憶測に過ぎないが、不安要素が多すぎる。我々、「ドラウプニル」社はこれより、第一種戦闘配備につく。リュドミラとソールはダイヴスーツ戦力の準備をしろ。ユーリとオレグは、モナドについて可能な限り情報を引き出しておけ」

 リュドミラたちは頷首する。

「あいよ、重力波通信なんて魅力的な単語を聞いちまったからな、ウズウズしてたんだぜ」

 いつもは饒舌なユーリが黙っていたのはそれか、とリュドミラは内心呆れる。新たな技術、新たな価値について、ユーリはあの変態技師ソール並みの執着を見せる。

 リュドミラたちは動き出す。そこに、確認のような言葉は必要ない。有事の際、歯車のようにシステムに則った行動をするのは彼らの――というよりはセインの流儀だった。

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