第1話 粘着系魔術師の願い 二頁


「あ、おはようございます、教授」


 しつこく付いてくる友人が覚悟を決めている私の脇で間の抜けた声を上げた。誰か教授と会ったみたい。

 私も挨拶しようと顔を上げた。

 瞬間、嫌なものが目に突き刺さって来た。


「あんたは…」

「おはよう、二人共。これから『私』の講義に向かっているのかな?」


 謎の風になびく銀色の細い髪、うなじで一括りにされたそれはどう見ても日本人では無い。優しさと慈悲に満ち溢れた青い瞳は私達を悠々と見下ろし、首を傾げる様に訪ねて来る。整った顔に浮かんだ笑みに、私の背中を冷や汗が滝の様に流れ始めた。

 立っていたのは、きっちりとスーツを着込んだ…昨日出逢った魔術師。


「あんた何してんの」


 思わずドスの利いた威嚇の声が出てしまった。隣で友人が驚いた様に目を瞠る。


「何言ってんの?あんたの一番好きな講義の教授じゃん」

「申し訳ないが、今日の講義は休講にさせてもらっている。『私』は彼女に用事があってね」

「そうなんですか?この子、教授の大ファンなんですよー、やったじゃん!」

「なにもかもやってねぇよ」


 そう来たか。私の住んでいる場所を特定するのでは無く、通っている大学を調べ上げたか。この都会でも田舎でも無い一流でも三流でも無い大学で、私を見つける方が容易かったに違いない。

 しかも魔術を使ってやがる。


「さて、行こうか。えーと…なんとかくん」

「どこへなりと連行しろよ。あと名前くらい覚えて来いよ」

「いってらっしゃーい、がんばれ美月!」


 がんばって全力でこいつの口を塞ぐわ。たぶん次の講義、休講じゃないけれど。私の憩いのキャンパスライフを早速削りやがったこの魔術師。どうしてくれようか。次の講義は文化人類学。私の一番お気に入りの講義。何処に連れて行って何をする気か知らないけど、私の心は今、殺意に近い炎に燃えている。魔術師一人くらいならぶち殺せる気もする。人間の激情とはかくも激しい物なのか。まぁ、私結構気が短い方だからこのくらい当たり前の様に抱く感情だけど。丙午ひのえうまの女を舐めるなよ。


 のしのしと大学の中を闊歩する私と、それを先導する魔術師。

 私は不機嫌丸出しの声で英語を放った。


「で?私に何の用事?」

「ほう?英語が話せるのか」

「ちょっとだけどね。日常会話には困らないくらいよ。それで?質問に答えなさいよ」


 本当は魔術に使われるラテン語とかの方がいいんだろうけど、学内でラテン語話してる変人なんてそうは居ない。てか、居ない、はず。

 なんで話せるって?そんなの魔術書が読めれば大体話せるわよ。伊達にじいちゃんのヘブライ語の子守歌聞きながら育ったわけじゃない。じいちゃんはめちゃくちゃ変人だったけど、おかげで私は今の生活を送れているし、他の宗教や民俗学に興味を抱くようになった。

 だからこうして苦労して大学に通っているっていうのに。

 押し込めたはずの怒りがふつふつと再来するのを感じた。今まで何人か下っ端魔術師なら再起不能にしたことはある。でも目の前の男はどうやら今まで見て来た中でもトップクラスの魔術師、だと思う。私の勘がそう告げている。

 昨日、私の召喚に応じて現れた雷の精霊・ゲルフォルト。マイナーな精霊ではあるけれども、彼が出て来る神話では、かなりの力を要する精霊だった。それを単なる大根精霊へと変えてしまう程のこの男…。ただ者のはずがない。


「なんだ、つまらない」

「何がつまらないのよ」

「俺がどうしてこの大学に侵入できたか、疑問に思わんのか」

「さっきの『私』はどこへ行ったのかしら?…そんなもの、あんたが錯覚の魔術を使ったからでしょ」


 この大学全体に。張り巡らされているだろうこの男が、自分を何かしらの『教授』と思い込ませる一種の洗脳術。

 それくらいの魔術が使えなかったら、昨日の時点でバーニングしてやってたわよ。そうじゃないから貧相だの非道な言葉に走り去るしかできなかったんじゃないの。


「ほう、やはり魔術に造詣が深いと見た」

「私自身は魔術師じゃないけどね」

「セドリ、とか言っていたな」

「ああ、ずっと気にしてたわね、あんた。セドリってのは希少価値のある本を見つけて、転売する職業」

「そんなものが職業として成り立つのか?」

「他のセドリは知らない。でも私は魔術書専門だから」

「魔術書専門?ますます不可思議だ。確かに魔術書の単価は普通の書籍よりも高価だろう。だがそれで食っていける程数があるとは思えん」

「それがあるのよねー。何故かこの街には魔術書がたくさんあるの。私の生活費と大学の費用を賄えるくらいに」

「なんと」


 さっきの愛想の良さはどこへやら。男は平坦な声で私に説明を促してくる。

 たぶん今も魔術を使っている。二人の存在を極力まで低くする、つまり誰よりも目立たない状態にする魔術。息をするように、魔術書の詠唱も無しに魔術を使うこの男。本当に何者なの?

 先導される先は恐らく私がこの男より知っている教授棟。目前に見えて来た校舎とは違う建物への渡り廊下を歩きながら、私は文句を垂れた。


「ちょっと、あんた。人の歩幅に合わせなさいよ。さっきから私、小走りなんだけど」

「そうか、貴様は貧相な体躯故、足が短いのか」

「あんたの足が長すぎるだけだろうが!私の体を引き合いに出すな!」


 誰も通らない渡り廊下に私の怒声が響く。男は知らん顔で、歩幅を緩める気配も無い。やだ。疲れた。私はいつも自分が歩くペースに切り替えて、どんどん遠ざかって行く背中を睨み付けていた。


「おい、貴様、ちゃんと付いてこい」

「貧相な私は体力が無いのよ。そこはあんたが妥協すべきところでしょうが」

「口の減らん娘だ…」

「仰る通りです。マイロードに妥協せよとは、失礼にも程がある」


 長い渡り廊下を抜けた先に、一人の男が立っていた。ん?なんか見覚えのあるフォルムしてるな?とくに髪形…


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