第五章 五日目・三重の防壁(一)
正宗はオフィスにある、クリーム色の受話器に、丁寧な挨拶を述べながら置いた。
指をパチンと鳴らした。指を鳴らすと、正宗の事務机の上に表示されている立体映像のリストの一番上が赤く塗り潰された。
リストの次の欄の企業に電話を掛け、少し話し込むと、また丁寧な挨拶をして切る。次の指を鳴らして、リストを塗り潰す。
そんな作業を、もう五十回は繰り返していた。
次の五十一回目の電話が終わると、コンコンという電子音がして、ルクレール姿の源五郎が入ってきた。正宗は大きく一度うーっと伸びをして、作業を中断し、休憩にした。
源五郎は、さっそくヒトノツラを脱ぐと、机の上の塗り潰されたリストに目を留めた。
「何やら忙しそうだな」
正宗はお茶の準備をするべく、久々に気分転換に買い物に行った先で買って来た、ちょっと高めの香りのいい白茶の缶を開けた。
「まあね。朝からずっとさ。今、電子情報生命体を作ってくれる企業を探している」
源五郎が怪訝そうに尋ねる。
「何だ。そりゃ?」
正宗は茶葉の良い香りを嗅ぎながら教える。
「自らは電子情報の集合体なんだが、知性を持って生きているかの如く振舞うものだよ」
「そんなの、できるのか?」
もちろん正宗自身も、依頼した業者が、こちらの納期と予定価格でできるとは思っていなかった。正宗の予想どおり、現在のところ仕事を引き受ける企業は全然なかった。
正宗は鼻歌まじりに、お湯を沸かしながら答える。
「さあね。でも、これだけやってもできませんでした、っていう証拠を積み重ねるのも、仕事なんだ」
「不毛な仕事だな」
とにかく負債を抱え込んで博打するよりは、随分ましだ。
「でも、やらないわけにはいきませんから」
「それで、見つかったのか?」
正宗は気分良く、茶葉を適度に蒸らして、白茶を透明な椀に注いだ。正宗は自分の思い通りに進む現状に、心が浮き弾むものがあった。
「今のところ、手を上げる企業は一社もなし。まあ、素人考えで考えても、そんなプログラムの需要がないから、作ろうって会社もないしな」
正宗は壁に掛けてある『来い来い屋』から貰った、何の変哲もない二色のカレンダーに目を向ける。月が替わると自動切り替えになるだけの機能しかない、安物だ。
「まあ、無理に開発しようとしても、納期が難しすぎるって」
源五郎は皮肉っぽく発言する。
「それで、楽しそうなのか?」
「いやーあ、そんなことはないよ、そんなことは」
だが、思わず笑みが漏れるのが自分でもわかる。今度こそ、七穂の無体な要求は通らない。そうなれば、今度こそプランの変更だ。
プランの変更で緑の星にすれば、安くても売れる。最悪、ロボの星でも、捨て値で放出し、出世コースから少しだけ外れるのも覚悟した。
どうせ、人より小惑星の開発を一回か二回、余分に行うだけだ。もう腹は決まっている。それでも、さらにリスクが膨らみ、破滅に向かう借り入れよりはマシだ。
そんな正宗の腹を見透かしてか、源五郎が目線をそらし、不吉なセリフを述べた。
「だが、お前の思いどおりに行くかな?」
今回ばかりは上手くいくだろう。何せ、予算、時間的制約、ソフト開発という三重の防壁があるのだ。
正宗は余裕たっぷりに答えた。
「流石に今回は無理だろう。今度は設計図が出てくることもないし。僅かにやってくれそうな可能性のある、技術力を持った大手のソフト会社も、全て断ってきたんだ。もう、どうしようもないさ」
正宗はいい香りのする白茶の入ったティーポットから、透明な椀に源五郎の分を注ぎ渡した。
次に自分の椀に入れようとした、まさにその時。
プルルルル、プルルルル。正宗の机の上の電話が鳴った。正宗が電話を取ると、相手は財務部融資課の女性で、楽市と名乗った。
「惑星開発事業部の正宗さんですね。ご融資の件ですが。決済が下りましたので、必要書類を早く提出してください」
全く身に覚えがない。ぎょっとなる。いやーな予感が働く。
「何かの間違いでは? 融資は申し込んでいませんよ」
「創造者の七穂さんから依頼がありまして。審査しておりました」
どうやって、財務部に話を持っていったんだ? それに借り入れ許可なんて、あの締まり屋の財務部が、どうしてOKを出したんだ?
「待ってください。借り入れを行うにも、まだ発注する仕事を引き受ける相手方がいなくて、困っているんです。今ここで借りても、使い道がないんです」
楽市は「うーん」と唸る。
「そうなんですか。困りましたね。取り敢えず、保留にしときます。ですが、あまり待てないので、三日以内に返事をください」
正宗が電話を切ると源五郎がポツリと納得顔をする。
「なーるほど、そういうことか……」
源五郎は事情を知っていそうだった。が、源五郎はそれっきり何も行ってくれない。これは自分だけが何か重大な告知をされていないのではという不安に襲われる。
「何か知っているのか、源五郎?」
源五郎はゆっくりと口を開いた。
「惑星開発日の三日目のことを憶えているか? あの日、お嬢ちゃんが立ち直ったあと、色々と惑星開発のことを聞かれてな、融資のことを喋っちまったんだ。そしたら、その後、財務部の場所を聞いていたからな」
正宗は七穂の行動に大いに驚いた。なんだと、そんなに早く予算のことに気が付いていたのか。まさか、先日の大丈夫は既に裏打ちされた自信から来てたのか。
「何だって? それなら、もっと早く教えてくれよ」
源五郎は顔を微かに顰め、正宗の言葉に心外そうに話す。
「おいおい、噛み付くなよ。俺も、組織のことを話しながら、だったからな。七穂お嬢ちゃんが直接、出かけて行くとは思わなかったし。それに、最近になって知ったんだが、お嬢ちゃん、社内を歩き回って、四日目にも財務部の融資課に顔を出したらしいぜ」
事態がここに至って、正宗が発行させた社内見学パスは確かに抜群の治療薬となったが、思わないところで強烈な副作用が出た事実を知った。
しまった。社内パスの有効期限の設定と、受付での回収を頼むのを忘れていた。痛恨のミスだが、それはもう、過ぎてしまったことである。
それよりも納得できないことがある。
「おいおい、だからって、あのしまり屋の財務部の連中がOKを出すか? 俺なんて、今回の件だって、十万ピースの巨大なジグソーパズルを組み立てるようにして、やっと予算化したんだぞ」
「創造者といえば、ウチらでいえば課長クラスに匹敵するだろ? だから、窓口も対応は親切丁寧に教えてくれるんだよ。それに、あの七穂お嬢ちゃんのプニプニほっぺは、柏木融資課長のツボだからな」
どうでもいい、衝撃の事実だった。
(あの、堅物の柏木融資課長に、そんなツボがあっただとー)
俺が知らない箇所に鉄壁と思った防壁に隙があった。防壁の隙間から敵が入って門を開けられた。
「でも、そんなこと、初めて聞いたぞ」
源五郎は意外そうに口にする。
「そうか。けっこう有名な話だぞ。それに融資課としては、お前に責任を負わせればいい話だ」
そういえば、柏木融資課長の携帯の待ち受け画面は、顔に似合わず子犬だったな。よりによって、小動物好きかよー。クッ、七穂の背があと二十センチ高ければー。
しかし、拙い。知らない間に連帯保証人にされた並に拙いぞ。いや、違う。七穂は責任を連帯して負うことなぞない。いわば、こちらを保証人にして逃げたも同然だ。
プルルルル、プルルルル。再び正宗の机の上の電話が鳴った。正宗は呼び出し音に、さっき以上に嫌な予感を覚えた。
電話に出ないわけにもいかず、ゆっくりと受話器を取た。相手は惑星事業部の管理課だった。
電話の向こうの人物は銀三郎と名乗った。銀三郎は露骨に嫌そうに伝える。
「正宗さん、困りますねー。期間の延長なんて。そんなことされると、ウチが困るんですよー、ウチが」
またも知らない話だ。正宗は唾を飲みこんだ。落ち着け、管理課はそう簡単にOKを出さないはずだ。これは断りの電話だ。いや、違う。間違いだ。頼む、間違いであってくれ。
「期間の延長なんて、頼んでいませんよ」
「何を言ってはります。お宅の創造者さんが直接やってきて、直談判していかれたじゃないですかー」
おいおい、七穂は期間を管理している管理課にも行ったのか。
「あの、すいません。知らなかったもので」
銀三郎は正宗の落ち度を実に嫌そうに指摘してくる。
「ちゃんと連携とってくれないとね、こっちが困るんですよ。お宅の話じゃないですか。ええ、違いますか?」
「その件なんですが――」
正宗が断ろうとしたが、それより先に嫌味男が口を開いた。
「今さら、なしにはできませんよ。まあ、期間が長くても、品質の良いのができれば、問題ないんですけどね」
正宗は適当に謝って電話を切った。二段目の防壁が突破された。三ノ丸も二ノ丸も呆気なく落ちた。天守閣から眼下を見下ろす正宗の元に、七穂の旗印が近付いてくるような圧迫を受ける。
「どうなっているんだ?」
源五郎はお茶を飲みながら、正宗に視線を合わせず、思い出したように、
「そういえば、お嬢ちゃんが自分のせいで惑星の開発が遅れたことを悪いと思っていたな。ああ、そういえば『納期を管理しているのはどこですかって』訊いてきたから、管理課のことを教えたな」
金村管理課長にとっては、七穂の容姿のどこをとっても、ツボには填まらないだろう。
さらに、管理課の奴らは全般にタイム・スケジュールの管理には厳格で、遅れると今のように間髪いれず嫌味を言ってくる。
そのため内輪の惑星開発事業部でも嫌われているほどだ。意外だ。意外すぎる。いったい七穂は、どんな狡猾な策略を駆使したというのだ。
「でも、あの管理課がOKを出すか」
源五郎は息を一つ吐いた。
「いや、さっき、ここに来る前に裏話を聞いたんだが、最初は頼みに来たお嬢ちゃんに直接ダメって言ったらしい。だが、そこにたまたま、惑星開発事業部の部長が通りかかってな。話を聞いた事業部長は一日だけ延ばそうって言ったら、調子のいい金村管理課長は、その場でOKしたそうだ。まあ、金村管理課長は上には、とことん弱いからな」
信じられん。七穂と事業部長の遭遇は、まさに悪事の始まりに天下の副将軍が居合わせるような偶然だ。
「なぜ、部長がそこに。いや、それよりも、なぜ部長が口ぞえを?」
源五郎は「おそらくは」と前置きして、自分の推理を語った。
「あまり知られてはいないが、部長はメカマニアだ。自分が責任を持ってメカの星は創りたくはないが、他の奴がやるなら見てみたいと思ったんじゃないのか? 責任は、自分の派閥とは無縁のお前にあるしな」
正宗は七穂と部長の連携攻撃に絶叫した。
「そんなの、責任の丸投げだー」
二段目の防壁は内側からの内応によって、またしても呆気なく開いた。だが、まだ、最後の防壁がある。防壁が俺を守ってくれるはずだ。
ピロリンという澄んだ音がした。メールの着信を教える音だが、今の正宗は不幸のゾロ目が揃おうとしている時のリーチ音に聞こえた。
まさか。悪夢のトリプルかよ。
思いながら、痙攣したみたいに震える手で、キーボードに触れた。メールの発信元は、聞いた記憶のない会社だった。
正宗は祈ってもどうにもならないのはわかっていたが、それでも祈らずにはいられなかった。
「頼む! こんな時こそ、くだらない広告メールであってくれ」
そう願ってメールを開けてみた。
『惑星開発事業部、正宗様。私はギャラクシー・リスク・チャレンジ(GRC)の社長で、グッドマンと申します。納期を少し延長していただければ、わが社で電子情報生命体の作成を是非とも受注したいと思います。詳しい見積もりと予定表を添付しますので、ご参考ください。発注の件、心よりお待ちしています』
鉄壁と思った三重の防壁が、予期しない敵の援軍によって力押しされ、轟音と共に決壊した瞬間だった。正宗はこのタイミングで来たメールを見て、思わず叫んだ。
「何だ、このメールは? GRCなんて会社、聞いたこと全然ないぞー」
GRCは正宗がピックアップしたソフト開発会社のリストには載っていない会社だった。
源五郎がGRCのメールを横から見て、手を叩いた。
「おお、GRCか! そういえば、先週の昼休みに見た経済誌に載っていたな。確か、シミュレーション・プログラムを研究している大学院の学生連中が立ち上げた、ベンチャー企業だ」
なんだと、全く知らないぞ。そんな弱小ベンチャーが仕事をできるのか。
正宗は頭を振って悪い考えを追い出した。いや、待て待て、ベンチャーといってもピンキリだ。
もしかしたら、俺が知らないだけで、今は急成長中で、創業十年くらいで、中堅規模クラスになろうとしている実力のある会社かもしれん。
「そっ、そいつらの実力は?」
源五郎は首を傾げ、過去の記憶を手繰るようにしながら答える。
「さあ、雑誌によると、できて半年くらいの会社だからな。何とも」
「そんな、実績も何もない会社に発注しろというのかー。冗談じゃねえー。しかも、半年前まで学生の集まりだとー? そいつらに俺の将来が賭けられるか。え、賭けなきゃならないのかー! グッドマンじゃなくて、バッドマンだーっ! いや、ワーストマンだっ!」
どうする。このメールを捨てて、財務に断りを入れるか?
だが、そうすれば創造者に対する誠実義務違反だ。確実に規則に引っ掛かる。もちろん懲戒ものだ。
「バレる確率は低いか。いや、七穂が直に動いているなら、融資がダメだと聞いたら直接、理由を訊きに行くだろう。すると、確率は低くはないのか?」
正宗の頭の中で様々な駆け引きが、暴走するジェット・コースターのように駆け巡った。
葛藤を抱えた正宗を尻目に、お茶を飲み干した源五郎は席を立った。
源五郎は他愛も無い世間話を終えたかのように、気軽に発言する。
「まあ、そういうことだ。頑張れよ」
正宗は半ばキレ気味に叫んだ。
「どう頑張れっていうんだ? 俺は頑張っているさ。ああ、頑張っているとも。それでも、ドンドン悪くなっていくわい。俺は無力なのか? あの七穂の前では、激流に飲み込まれる笹舟なのか?」
「じゃあ、頑張るな」
源五郎はリボンの付いたルクレールのヒトノツラを着ると、手を上げて部屋から出て行った。
椅子にがっくりと腰を下ろした正宗は、落ち着こうと、ティーポットに入れっぱなしになっている白茶をカップに注ぎ、口にした。
白茶はぬるく、鼻につく強すぎる甘い香りと、舌に残るほどの苦味が出ていた。
正宗は自分を小心者だと思った。結局、自分は七穂に嘘をつき、不正に対してシラを切るという決断ができなかった。そのため、後には引けない多額の借り入れをしてしまった。
また、実態のわからないベンチャー会社とも付き合おうとしている。それで、売れるかどうか怪しい星を作っている。
いっそ、七穂が投げ出した時に自分も逃げ出せば良かったんじゃないか――と思いながらも、GRC社に渡す要求を盛りこんだ仕様書を書いていた。
こうなると、断った大手の連中を呪いたくなる。だが、それも、もうできない。何せ、自分は小心者だ。
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