第五章 五日目・三重の防壁(二)
正宗は体勢を立て直すべく、奔走し始めた。まず手始めに、これ以上の〝人災〟を防ぐべく、惑星開発事業部の社内見学パスを発行する総務二係に電話した。
「G67担当の正宗ですけど、秀吉さんをお願いします」
電話の向こうから知らない、覇気のない若い男の声で応答があった。
「秀吉さんは異動になりました。後任は私、観介です」
「え、そうなの?」
まるでサイコロでも振って決めたかのような、季節外れの突然の人事異動だった。
「じゃあ、悪いけど、創造者の二宮七穂の社内見学パスの期限を、今日で切ってください」
「調べますので、少々お待ちください」
ジャジャジャジャーン! 保留音でベートーベンの『運命』が流れ出した。
何か、今の俺にとっては嫌な保留音だな。いきなり悪運に襲い掛かられるような気がする。
「はー、秀吉の奴が、異動か。あいつなら一言で即座に処理してくれたんだがなー」
保留音が解除されて、観介が至って普通に回答した。
「期限を切る変更は、できません」
予想だにしない返事だった。
「できないって、どういう意味?」
「発行時に無期限で届出がされています」
そうか、秀吉の奴に期限を言わなかったから、気を利かせて無期限にしたのか。
秀吉の気持ちはありがたい。ありがたいが、その気の回しが、今こうして俺を苦しめている。
「無期限は誤り。もう終わったから」
観介は当然というように口にする。
「確認できません」
おいおい、何を言いたいんだ?
「確認できないって、担当の俺が言うんだから、間違いないよ」
観介は即座に言い放つ。
「いったん発行したパスに対しての権限は、貴方にはありません」
融通の利かない観介の対応に、正宗は腹の底が火が着いたように熱くなり、ムッとした。
「じゃあ、創造者に確認すればいいのか?」
観介は感情のこもらない声で、すっとぼけた。
「さあ?」
正宗は怒りを抑えながら訊く。
「さあ、って、どういう意味だよ!」
観介は、事もなげに答えた。
「担当が違います」
怒りの炎は正宗の腹に広がった。
「お前の仕事だろうー」
と、正宗は叫びたかった。が、正宗の使っている電話は経費削減のため、音声をやりとりするだけの機能を持つワンコイン・ショップ(百円均一のような店)で二個セットで売っているような格安の電話機なので、相手が見えない。また、名前から人物が想像できない。
万一、先輩ということもあるかもしれないので、正宗は会社人として、言葉を飲み込み、怒りを押しこめた。
それでも、言葉に棘が出る。
「じゃあ、誰に訊けばいいんだ?」
観介はまるで関心のないクロスワード・パズルの答でも聞かれたように、
「誰でしょうね?」
正宗はついに怒鳴った。
「俺が訊いてるんだー!」
だが、こちらの怒りなぞ全然なかったの如く、観介は至って普通に言ってのけた。
「わかりません。ただ、私の担当は、パスの発行と回収です。期限に関するお問い合わせは、私の係ではありません」
何だ、こいつは!
「もういい! 武田係長と替わってくれ」
「武田係長は病気休職中です」
正宗はイライラしながら尋ねる。
「いつ出てくる?」
「さあ? たぶん良くなったらじゃないですか」
こ、こいつしかいないだとー、人事は何を考えているんだ。
「じゃあ、パスの回収は担当なんだろう? パスを回収してくれ」
観介は正宗の怒りなぞ気にも留めず、とおり一辺倒の答をした。
「期限内の回収は自主返納になります。こちらまで持ってきてください」
「秀吉はちゃんとやってくれてたぞ」
観介はマニュアルを読むように、平然と答えた。
「引継ぎ書には、記載されておりませんでした」
つ、使えん! 何だ、こいつは?
「じゃあ、こっちから持っていけばいいんだな?」
その瞬間、退社時刻を知らせる鐘が鳴った。
「退社時刻なので、それでは、また明日、電話してください」
電話はブツリと切れた。
何なんだ、あいつは。結局は話にならなかった。正宗はすぐに秀吉の異動先を調べ、電話した。
聞きなれた、感じのいい声がした。
「あ、正宗先輩。ご無沙汰しております」
「ちょっと、聞きたいことがあるんだが、お前の後任の――」
受話器の向こうから、大きな溜息が聞こえてきた
「観介の奴、またやったんですか?」
また、だと? するってぇと被害者は、俺だけじゃないのか?
「パスの回収を頼んだら、担当じゃない、係じゃない、引継ぎしていないと言ったぞ」
「聞いてくだいよ、正宗先輩。あいつ、ほんとに言われたことしかしないんですよ。担当じゃない、係じゃない、引継ぎしていない。通称が〝三無いの観介〟ってんです。俺は今、本業の他には、あいつの苦情係までやらされているんですよー、上司でもないのに、ですよー」
そこから延々と、秀吉のグチが始まった。そうすると、正宗は可愛い後輩の聞き役に廻らざるを得なかった。
秀吉は懇々と観介のことを嘆く。そうなると、正宗は慰めねばならなくなり、親しい後輩であるがゆえに、自分の苦情は言えなくなった。
結局は正宗が「あいつのことは忘れて、新しい仕事に励め」と慰めるしかなく、電話を切った。
結局、観介に対して燃え上がった怒りは、腹の底で、ドデカい結石にでも固まりそうなストレスとなって、沈澱した。
「うーん。秀吉の話を聞いた限り、奴に任せていてはダメだ」
パスを回収したければ、機能しなくなった係の代わりに動かねばならん、ということか。
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