第5話 さらば愛しのブラックパンサー

 3月のある日、あたしは聖マリエル女学園の寮の前で、木のかげに隠れてそわそわしながらある人を待っていた。

 あっ、やっときた。

 なつかしいおだんご頭、紫色のチャイナ服。レイだ。下級生とおぼしき数名の生徒を連れて、寮から出てくる。

「はーい、久しぶりね」と木のかげからレイの前に飛び出る。

「あら、ジュリー」

 ちょっと驚いた様子のレイの腰に腕を回し抱きよせる。あごに手をそえてキスする。

 あー、生き返るわー。

 ついでに舌を入れる。くちゅくちゅって舌をからめるディープキス。

 レイはされるがままで無反応。あら、これってチャンスかも。

 ついでに小振りだけど形のいい胸をもみもみ。

 レイがやっと反応する。

 あたしの腰に両手を回して抱きしめてくれる。

「いたーい! やめて! ギブギブ」

 レイの腕を叩いて必死で抗議する。

 それ以上しめられたら腰が砕ける~。

 レイがやっと腕を離してくれたので、あたしは腰をさすりながら涙目になる。

「ひどいよー、あんたのサバ折りは、しゃれになんないって」

 レイは冷ややかにあたしを見て、

「5ヶ月ぶりに戻ってきたら、いきなりそれ? 少し様子を見ようとしたら、どんどんエスカレートして……わたしは必要以上のボディタッチは苦手だと、何度も言ったはずだけど?」

 ああ~、レイだ。

 前と全然変わんないわあ。

 あたしはなつかしさに涙がこぼれた。

「だって、ほんとなつかしかったんだよ。この5ヶ月、もう、色んなことがあってさあ」

「そうですね。今、サルビアでは大変な状況になっているみたいね」

 あっ、そうだった。すっかり当初の目的を忘れてた。

「知ってるんなら話は早いわ。ちょっと一緒に来て」

 あたしはレイの手を握って、走り出した。

「えっ? 一緒にってどこへ?」

「だからサルビアよ。あんたの助けが必要なの。お願いよ」

 レイはあたしに引きずられるように走りながら、

「……しばらく休校しますって、学園長先生に伝えておいて下さい……」

 後ろの下級生達に伝える。彼女らはぽかんとした表情であたし達を見送っていた。


 この辺で自己紹介するね。

あたしの名前はジュリエット・シエナ・スカイフォーク。ジュリーって呼んでね。年は17才と8ヶ月。髪はちょっと赤っぽいブロンド、ストロベリーブロンドってやつかな。瞳の色はダークブルー。猫みたいな顔だっていわれるけど自分じゃ美人だと思ってる。身長は175cm、体重は……これはヒ・ミ・ツ。スタイルはいいのよ。ボン・キュッ・ボンのナイスバディのはず。

 聖マリエル女学園(カトリック系よ)の8年生だったんだけど、色々あって地球の裏側のサルビア共和国って所で、革命軍の女兵士になってた。ブランカってコードネームで呼ばれて、最後には大統領暗殺までやってのけた。ほんと大変な5ヶ月間だったわ。

 あたしに引きずられるように走っているのは麗花 (レイホウ)・林 ( リン)。レイって呼ばれてる。あたしと同じ17才。中国からの留学生であたしの同級生。身長はあたしと同じくらいだけど、すごくほっそりしてる(胸はあたしのほうが勝ってるね)。長い黒髪を両耳の上でおだんごにして、切りそろえた前髪の下の切れ長の黒い瞳がすずしげ。かなりの美少女だ。紫色のチャイナ服(何枚持ってるんだろ?)の胸には赤い花のししゅうがあって、黙って立ってたら誰もがみとれるチャイナドールだ。でも本当はカンフーの達人で、すごい怪力の持ち主。あたしの部屋のバズーカ砲でも壊れないはずの、超合金の扉を叩き壊したこともあるのよ。レイとあたしは最初すごい殴り合いをやらかして(よく死ななかったもんだわ)その後、友達になった。あたしはレイが大好きになって、キスしたいとか、髪をほどいたとこを見たいとか、陶器みたいな肌をなで回したいとか色々妄想したけど、レイのガードは固かった。さっきキスできたのはラッキー。胸もちょっともみもみできたしね。

 5ヶ月前、初恋のレイから風のようにあたしをさらって行ったのがゲイリー、あたしの愛しいブラックパンサーだ。本名はゲイリー・サラザン、コードネームはクーガ(絶対ブラックパンサーの方が合ってると思うんだけどなあ)、サルビアの革命軍の女兵士でリーダーの一人。身長は185cm、すらりとしてしなやかな身体つき。チョコレート色の肌で(白人とのハーフなんだって)黒いちぢれた髪で、光に当たると金色に光る琥珀色の瞳がすごく魅力的。クールでミステリアスな雰囲気で、男前なんだけど、実は女性。年は18才であたしより1才年上なだけなのに、壮絶な経歴なせいか、ずっと年上に見える。ゲイリーは女なのに女たらしで、白人の女性を何人も夢中にさせて、貢がせてた。あたしもゲイリーのテクニックで身も心もトロトロにされて、さらわれたっていうより、ついていったってのが本当。

 ゲイリーは今、大統領暗殺事件の主犯格として政府軍(元政府軍?)につかまってる。戦争は終わって、ゲイリーはその功労者のはずなのに、死刑になるのは間違いないとか、わけわかんない。ゲイリーをつかまえてるのはタイガー大佐とかいう、ゲイリーに恨みをもってるのは陰湿なサディスト。どんなひどい目に遭ってるか、想像するだけで辛い。あの日(大統領暗殺の日ね)から1日目、あたしと仲間はあちこち連絡をとり、ゲイリーを助けてって頼んで回ったんだけど、ラチがあかなかった。「クーガはもう用済み」とか「どうせ助からない」とか言われて、切れそうになったわ。2日目、会いたくない奴に会って、やっと情報を手に入れて、作戦をねったんだけど、実行するまで48時間待たなきゃいけなくて……一分でも時間がおしいのに48時間なんて気が狂いそうよ。で、レイのことを思いだしたってわけ。あいつはカンフーの達人、きっと助けてくれる。何よりあたしの精神安定剤になってくれるはず……

 あたしは革命軍のリーダーの人に「もうあきらめて国へ帰ることにした」ってウソをついて、ジェット機を手配してもらって、(さっさと追い払いたかったのか、ものすごい早さで準備してくれた)、今はパイロットの人を「5千ドルあげるから」って買収して空港で待ってもらってる。ほら、どうせサルビアへ帰る予定だから、2人乗せて帰っても手間は一緒でしょ? 我ながらナイスなアイデアだったわ。

 あっ、説明が長くなっちゃったね。

 あたしは絶対にあきらめない。必ずゲイリーを助けだす!


「ブランカって、あなたの事だと思ってたわ。大活躍だったんでしょ?」ってレイが言う。

「うん。実は大統領暗殺の実行犯もあたしなのよ」

「えっ!」と目を丸くしてる。

「だからゲイリーを死刑にするんなら、あたしも死刑にしなきゃおかしいよね?」

「……そうかもね……その事はあまり口外しない方が良いと思うわ」

「うん。まあ、あまり言いふらすつもりはないんだけど、革命軍の人は全員知ってると思うわ」

「それは問題ね……」って考え込んでる。

 空港を飛び立って、途中2ヶ所で給油して、サルビアまで片道12時間の長旅だったから、あたしはレイに、この5ヶ月の事を色々話して聞かせた。

 レイは興味深そうに聞いてくれて、時々何か考え込んでた。

 あたしとレイは隣同士のシートに腰かけ、リクライニングさせて、毛布を肩までかけてた。本当は少し眠った方がいいんだろうけど、目がさえて眠れない。

 小型のジェット機は高度一万メートルの高さを滑空する。ほんの少しだけエンジンの振動を感じるけど、ほとんど揺れない。

 窓の外は星空、下は真っ黒な海だった。

「ねえ、手を握ってもいい?」とあたし。

「……そのくらいなら、いいわよ」とレイ。

 あたしは毛布の下でゴソゴソ探して、レイの手を握った。

 レイの手はほんのりあたたかくて、あたしはほっとした。

「あー、いやされるー」

「それ以上はダメよ。胸やお尻に触ったり、上にのしかかってきたら投げ飛ばすわよ」

 ぎくっ。

「や、やだなあ……そんなこと考えてないって……多分……」

「よこしまなオーラを感じたので……」

「き、気のせいだよ……」

 でも、手をつないでるだけでも、うれしい。

「……あたしね、すごく恐いの。ゲイリーがひどい目に遭ってるんじゃないか、もう死にかけてるんじゃないかって……恐くてたまんなかったの……」

 泣かないって決めてたのに、涙が流れ出すと止まらなくなった。

「そうね。ゴーモンって、爪をはいだり、皮をはいだりするんでしょ? 最悪、四肢が切断されて、目も鼻も耳もつぶされて、死んだ方がましって状態にされるんでしょ?」

「はあ!? なんであんたはそういうひどいこと言うのよ!」

「事実を言ったまでよ。もしそんな状態だったら、あなたはクーガに生きててほしい?」

 あたしは考え込んだ。

 恐い……身体がふるえる……

「自分がそんな状態だったら、あたしなら耐えられない。死んだ方がましよ。だから……殺してあげるわ……」胸が苦しくなる。

「そうね。わたしも同じ考えよ」

「どうして、『大丈夫よ、きっと助け出せるわ』って言ってくれないの?」

「あなたはただの気休めを言ってほしいの?」

「うん、言ってほしい」

「ダメよ。最悪を想定して、それから動き出さなきゃ」

 レイの手は相変わらずあたたかくて、あたしの手をしっかり握り返してくれる。

「……わかった。そうする。……あんたすごいね。どうやったらそんな冷静でいられるの?」

「あなたこそ、そんな泣き虫で、よく革命軍の女兵士なんてやってたわね? ……人を沢山殺したんでしょ? 後悔してない?」

「戦争だったから仕方ないと思う」

「それだけ?」

「うん」

「夜中に、あなたが生命をうばった人が、そのままの姿で夢にでてきたりしない?」

「それはないかな」

「……そういう所は鈍感なのね。うらやましいわ」

「あんたはあるの? そんな夢を見ることが?」

「ええ……夜明けにうなされて目がさめる。汗びっしょりで」

 レイは瞳を閉じて、ふうっとため息をつく。

「今なら、わたしの過去を話せると思う……今までは話せなかったけど……」

 あたしの愛しいチャイナドール。やっと昔の話をしてくれるのは、あたしにその資格ができたってこと?

 あんたが他の人と違うのは、何となく感じてた。

 だから、ひかれたのかも知れないね。


『わたしが生まれたのは香港。父はカンフーの道場を開いていて、母はわたしを生んですぐ亡くなった。兄弟がいなかったから、父は私を跡継ぎに決めたの。

 あなたもわたしとほとんど同じ境遇ね。違うのは、あなたのお父様は仕事が忙しくて、年に数回しか会えなかったらしいけど、わたしはずっと父と一緒だったってところ。

 物心つく前から、わたしはカンフーを教え込まれたわ。父は厳しくて、わたしは毎日泣きながら練習した。木人を相手に何時間も手刀やけりの練習をして、手も足もはれ上がってとても痛かった。それでも続けさせられた。

 強くなれ! ただひたすら強くなれ! って。

 道を極めろとか、俺の娘だから、できるはずだとか。おかしいわよね? 小さな女の子相手に。

 母が生きてたら違ったかもしれない。兄や弟がいれば違ったかもしれない。でも父にはわたししかいなかった。

 もしかしたら、わたしを生んだせいで母が死んだって、父は、本当はわたしを憎んでいたのかもしれない。

 本当に嫌だったけど、父には逆らえず、わたしは練習を続けたわ。鍛えていると次第に手も足も硬くなってゴツゴツしてくるものだけど、わたしは違った。はれがひくと元のふっくらした女の子の手にもどった。父はそれが許せなくて、わたしが怠けてるんだって決めつけた。

 時間のムダだからって、学校にも満足に通わせてもらえなかった。だから今、勉強できるのが、とてもうれしいのよ。

 話がそれたわね。

 父の期待に応えようと一生けん命頑張ったけど、わたしは弱かった。不思議でしょ? そんなに練習したのに、子供向けの大会に出ても一回も勝てなかった。

 父は怒って、ますますわたしを厳しく鍛えたわ。

 そんな父だったけど、いえ、そんなカンフー一筋の父だからこそかも知れないけど、門下生はとても多かった。外から通ってくる人も多かったけど、内弟子といって家に住み込んでいる人達も5~6人いた。

 わたしは一応師匠のお嬢さんで、それなりの対応を受けていたけど、みんな内心ではバカにしていたわ。弱かったから。

 カンフーの世界では強い者が尊敬される。弱かったら、虫ケラ以下よ。

 14才の時に、わたしは突然強くなった。ある事件をきっかけに。それはもう、サナギが蝶になるように、そう一瞬で覚醒したのよ。

 その日は雨が降ってた。あなたとやり合ったあの時みたいに。

 道場で父はいつものように上座にすわってみんなを眺めていて、わたし達は二人一組で組み手の練習をしていた。

 わたしの相手は内弟子の一人で、父の弟子の中でも一番強い人だった。わたしは父の意向でその人と組まされる事が多かった。

 身体も、腕も足も、わたしより二回りも大きくて、わたしは一生けん命むかっていったけど軽くあしらわれていた。

 その時、彼がつぶやいたの「こんなの相手にしても練習にもなりゃしない」って。

 わたしの中で何かが切れた。身体が爆発したみたいだった。

 わたしは飛んで彼の顔面の正中という部分を力一杯叩いた。

 彼は受身もとれずに、後ろにどさっと倒れた。

 わたしは身体中から歓喜があふれだしたわ。

 わたしは本当は強い! 14年間の鍛錬はムダじゃなかった!

 わたしの身体や腕や足は細いけど、それは力や瞬発力が外側でなく内側に蓄積されていたから。それがわかった。

 子供の大会で勝てなかったのは、相手がはるかに格下だったから。無意識に力をセーブしていたからだった。

 お父さん、見て! わたしは本当は、こんなに強いのよ!

 でも父はまるで奇妙な表情をしていた。

 皆がざわついて、倒れた彼を見ていた。

 彼は顔面が砕けて、血がごぼごぼと吹き出していた。

 身体がけいれんして動かなくなった。

「死んでる」って彼の側にしゃがみこんでいた人が言った。

 わたしは目の前が真っ暗になって、足元に黒い穴が開いたみたいだった。

 死んでる? わたしが殺した?

 わたしは道場から逃げた。雨の中を走って走って、どこまでも走った。

 どうして? わたしは本当は強かったんだよ。どうしてそんな目で見るの?

 自分が何から逃げているのかもわからなかった。どこへ行こうとしているのかもわからなかった。

 気がつくと、上海の町の裏通りに行き倒れていた。3日くらいたっていた。その間の記憶はないの。

 誰かがわたしを見つけて、ご飯を食べさせてくれた。仕事を紹介してあげると言われて、ついていった。

 そこは売春宿で、わたしは店の主人に「味見だ」とか言って、レイプされそうになって、2度目の殺人を犯した。両方のこめかみを指でちょっと突いただけ。こめかみから血と脳漿が吹き出して、その人は死んだ。

 それからよ、わたしが身体を触られると拒否反応が出るようになったのは。

 また話がそれちゃったわね。

 店の用心棒が何人もやってきて、わたしは全員返り討ちにしてやった。外へ出ると、高級そうな黒い車が止まっていて、中から数人の黒い服の男達が、手にピストルや機関銃を持って襲ってきた。

 わたしはどう動けばいいか本能的にわかった。

 全員倒して、中の一人の身体をその車に投げつけたら、助手席の窓がするすると開いた。初老の男がわたしに言った。

「すごい腕だ。気に入った。わしの手下にならんかね?」

 わたしはもう何もかもどうでもいいような気になっていて、そのマフィアのボスの手下になった。

 言われた通りに何でもやった。ボスのボディガードとして襲ってきた相手を殺したり、反対に暗殺者として送り込まれたり……

 1ヶ月もたたないうちに、わたしは上海ドールって呼ばれるようになった。

 人を殺す時も、無表情で、人形のようだからって。

 この服はそのマフィアのボスが特注して作ってくれた。あれでも娘みたいに可愛がってくれてたみたい。

 この服のソデとスソの部分には、セラミックでできたナイフが片ソデに12本ずつ、片足に16本ずつ仕込んであるの。金属探知機にもひっかからないし、空港で紫外線で調べられても飾りの模様にしか見えない。

 ピストルを持った敵の銃口に投げ込んで暴発させたり、利き手を傷つけて発砲できなくさせるために。

 銃を持つのは性に合わなかったけど、投げナイフはカンフーの腕の一部みたいに使えたわ。

 そのままマフィアの手下でいても良かったんだけど、このままじゃいけないって言ってくれる人が現れて、わたしは足を洗った。

 マフィアのボスはそれまでの貢献に免じて、わたしを無条件で自由にしてくれた。この服は気に入ったので、ずっと着ているの。10着位あるのよ。

 わたしはもう何人殺したか知れない。

 本当は死刑になってもおかしくない人間なのよ。

 でも、やり直せない人間なんかいないってその人に言われた。

 上海ではわたしは知られすぎてる。香港の父の所にも戻りたくない。

 それでその人にすすめられて、この国へ留学することになったの。半年くらい、猛勉強したわ。家庭教師をつけてもらって。ほら、小学校もろくに行ってなかったから。

 さいわい、香港は公用語が英語だったから、話すのはできたわ。

 それから聖マリエル女学園に来たの。

 裏の世界にいた頃は全然平気だったんだけど、足を洗った頃から夢を見るようになったの。死んだ人が血だらけで出てきて、俺達はお前を許さないって、追いかけてくるの。とても恐ろしい夢よ。

 夜明けに汗びっしょりで目が覚めた時、わたしは母の写真に向かってお祈りするの。家出する時に胸ポケットに入っていて、それからずっと大事にしてたのよ。

「お母さん、わたしは数え切れない程の罪を犯しました。でもこれからは人を助けるために生きていきます。だから許して下さい。わたしを助けて、導いて下さい」って。』


「マフィアのボスのボディガードねえ。革命軍の女兵士より危なそうだわ」あたしが言うと、

「わたし達、似た者同士ってことね」とレイ。

「いやいや、あたしのはたった5ヶ月、いや実質は4ヶ月だし、レイにはその前に辛く苦しい14年間の修行時代があったわけでしょ? ……今は足を洗って、まじめに留学生をやってるわけだし、あたしとは比べ物にならないくらいすごいわ」

 レイは少し首をかしげて、

「……ほめられてるのか、けなされてるのか、微妙ね?」

「もちろんほめてるのよ。今度うなされそうな時には、うちに泊まっていいのよ。何だったら、あんたの接触恐怖症の治療のお手伝いをするわ。あたしには、ゲイリー仕込みのテクニックがあるから、期待してもらっていいわよ」

「そういうことなら、本人に治療してもらおうかしら」

「ええーっ、ここにきて、まさかのライバル宣言?」

 あたし達はうふふ、あはは、と笑い合い、レイは、

「……話せて良かった。わたし達親友ね?」

「もちろんだよ、レイ」

 そして仲良く手をつないで眠りの中へ入って行った。

 窓の外は星空、下は暗い海。

 目ざめたら、きっと忙しい一日になるだろう。


 サルビアの空港についた。もちろん革命軍が非正規に利用している空港だ。

 あたしはパイロットに約束の5000ドルを渡した。

「あたしがレイをつれて戻ってきたことは秘密よ」って念を押す。

「もちろんでさあ」ってお金を受け取って言う。

 レイは受け渡される現金を見て、

「そのお金どうしたの?」ってあたしにきく。

「あんたに会いに行く前に家に寄って、これを持ってきたのよ」

 じゃーんとあたしのキャッシュカードを見せる。

「余分に1万ドルほど下ろしてきたわ」

「それって、利用限度額無制限のブラックカードよね?」

「うん」

「使用停止になってなかったの?」

「うん、使えたよ」

 レイはなぜか不思議そうな表情をし、

「……落とさないように気をつけなさいよ」と言った。

「そうね」あたしはカードを大事に胸ポケットにしまった。


 仲間が数人出迎えに来ていた。

 レイを紹介すると、お互いに「よろしくお願いします」と頭を下げ合っている。

「それで準備はできてるの?」

「ばっちりでさあ、ボス」いい返事。

「じゃあ行こうか」

 あたしはヒジャブと手袋で肌の色をかくした。

「あたしはここじゃ有名人だからね」

「わたしはこのままでいいの?」

「うん。中国人は、たまにいるから」

「へえ、そうなんだ」

 ジープに便乗して目的地へ向かう。

「それで選挙の結果は?」

「予想通り、ドクター・オルソンが次の大統領に選ばれたぜ」

「選挙にこだわるのが不思議よね? おかげで48時間も待たされて」

「これからはサルビアも民主主義の国だって、世界に向けてのアピールさ。投票率も80%こえてたし、まあ対立候補なしで○か×か書いて投票箱に入れるだけってやり方もよかった。信任率は90%ごえでめでたく新大統領の誕生ってわけさ」

「全員○じゃないんだ?」

「元政府軍の奴らとかは×なんじゃないか? 何にしろ100%はありえないだろ?」

「それで予定通り、最初に暴動の起こった町で大統領就任演説をするのね?」

「あそこはドクター・オルソンが生まれて育った町だからな」

 ガタガタ道を走り続けて、目的の場所についた。

 街道ぞいの、今は廃墟になってるドライブイン。

 あたしはヒジャブと手袋を取って、兵士の服に着がえた。

 テーブルの上に地図を広げて作戦を確認する。

「現在地はここで、ゲイリーがつかまってるのがここ……まだ殺されたって情報は入ってない?」

「その辺の情報は不明だ。タイガー大佐は陰湿なサディストだ。殺さねえ程度にいたぶってると思うがな」

 あたしは身ぶるいする。

「ドクター・オルソンの演説会場がここで、移動経路はこのルート」

 あたしは地図上で指を動かす。

「襲撃地点はここよ」

 レイがびっくりした声を出す。

「ドクター・オルソンを襲撃するの?」

「そうよ。まだ言ってなかったっけ? ドクター・オルソンが町に移動する途中を襲って誘拐するの。それでゲイリーと交換するってわけ」

「人質の交換……?」

「そうよ。ドクター・オルソンは今やサルビアいちの最重要人物。指揮系統がどうなってるかわかんないけど、上の方から言われたら、タイガー大佐も動かないわけにはいかないはずよ」

「よくそんな荒っぽい手段を思いついたわね?」

「タイガー大佐がたてこもってる場所は元大統領の邸宅で、まだ一個師団の半分、約1500人があそこに残ってる。正面から取り返すのはムリ。もうこれしか方法がないのよ。あんたの腕と度胸を頼りにしてるわ」

「仕方ないわね……やってみるわ」

 レイはゆっくりうなずいた。

「この作戦のキモは、ブランカならドクター・オルソンを殺すかもしれない、そう連中に思い込ませること。そうすればクーガを解放するくらい安いもんでしょ?」

 あたしはにっこりと笑いかけた。


 双眼鏡で道を観察していると、予定通りに車の列があらわれた。装甲車を前後につれて、全部で7台だ。

 あたし達は岩のかげに隠していたジープ3台に分乗する。1台目は車の列の前に停め、進行をとめる。2台目は後ろに停めてバックをふさぐ。3台目は横から威嚇射撃する。

 あたし達の姿を見て、敵はさぞ驚いただろう。全員がガスマスクを装着してたから。

 今回の作戦では主に催涙弾を使う予定だ。ドクター・オルソンに流れ弾が当たったら目も当てられないからね。

 結論から言うと、あたし達は当たらないように、弾をあさっての方向に向けて撃ってるだけでよかった。

 1台目の車から飛び下りてきたレイがほとんど一人で全部やってのけたからだ。

 前方の装甲車の窓ガラスを割って催涙弾を投げ込む。5台の車の上をぴょんぴょんと飛び移っていき、後方の装甲車の窓ガラスを割って催涙弾を投げ込む。

 防弾ガラスを素手で叩き割るなんて、誰もまねできない。

 ガスマスクをつけたおだんご頭の少女が紫色のチャイナ服をひるがえして車の上を飛び移っていくのはシュールな光景だった。

 装甲車のふたがあいて、人が出てくる。催涙弾の煙があたりに充満する。

 下りてきた敵には投げナイフで銃を撃てないようにする。

 2度と銃を撃てないように人差し指をそぎ落とすこともあるけど、今回は手の甲を狙ったって後で言ってた。

 恐いわ。敵に回したら、こんな恐ろしい相手はないわね。

 中央の車から、げほげほと咳き込むドクター・オルソンをエスコートしてきて、レイがあたしの横に立つ。

 あたしは連中の司令官らしき人物に、ガスマスクをはずして話しかけた。

「はーい。あたしはブランカ、ドクター・オルソンの身柄はあずかったわ」

 そいつは右手をおさえ、目をしばたたかせながら、

「な……なぜこんなマネを?」ってきく。

「決まってるじゃない。クーガのためよ。あたしはね、サルビアの未来より、クーガが大事なの。1時間後に、この先のガソリンスタンドの廃墟までクーガをつれてきて。そこで人質交換といきましょう。さあ急いで! へんなまねをしても、1分でも遅れても、人質の生命はないわよ!」

「ま……まってくれ!」

 って何か言ってるけど聞く耳もたない。

 こっちの言いたいことだけ言って、さっさと逃げ出した。


「久しぶりだねレイ。ところでいつ革命軍に入ったのかね?」

「お久しぶりですドクター。今回はただのお手伝いです」

 アジトについて驚いたのが、2人がとても親しそうに話していること。

「あんた達、知り合いだったの?」

 ってあたしが聞くと、レイはけげんそうに、

「わたしがドクターと面識があるから連れに来たんでしょ?」

 って聞き返された。

「ああ……そういえば、そうだったわね……」

 確か最初の頃、ゲイリーとレイがそんな話をしてた。すっかり忘れてたわ。上海にいた頃、レイがドクターの生命を助けたとか何とか。

「忘れてたんでしょ?」ってレイににらまれる。

「そんなことないよ。ちゃんと覚えてたもん」

 本当はたった今思い出したんだけど。

「とにかくドクターは人質ではなくて、お客様です。失礼のないようにしてね」

 あたし以外の他のメンバーにとってはドクターは神様みたいな人だ。

 みんな目をキラキラさせてうなずいた。

 ドクターにイスに腰かけてもらって、レイがその前にひざまずく。

「お願いですドクター。クーガとブランカに、大統領権限で特赦を与えてください」

 ドクターはあたしの顔をじっと見た。

「君がブランカか?」

「そうよ」

「君が前大統領を狙撃した実行犯なのはわかっている。残されたライフルには君の指紋があったし、ブランケットには髪の毛がついていた」

「だから何?」

「君は自分がした事を理解しているのか? 前大統領を暗殺したんだぞ」

 底冷えするような目で見つめられて、あたしはびびりそうになるのを必死でこらえた。

「わが国の輝かしい未来に、永遠に消えない汚点が残された。君は取り返しのつかない事をしてしまったんだ」

「だ、だから何よ……」

 何だか足元がフラつく。取り返しのつかない事?

 そんなはずは……

 みんなしーんとしている。

 ドクターはため息をついて視線をレイに戻した。

「だが、結果的には革命を10年早めた。ブランカは引き金を引いただけに過ぎない。特赦を与えよう」

「ありがとうございます」とレイ。

「だがクーガは……」とドクターは続ける。「大統領暗殺を計画し、準備し、指揮した主犯格だ。特赦を与えることはできない」

 ドクターは50がらみの体格のいいおじさんだった。髪はほとんど白くなりかかっているが、瞳には強い光がある。威厳があって言葉にも重みがあった。

 みんな無念そうに口唇をかみしめている。

 でも……

「ちょっと待って!」あたしは納得なんてしない。

「あんたねえ、偉そうに講釈たれてるけど、ゲイリーがどんだけ頑張ってたか知ってるの? 身体中傷だらけになって、一番危険な任務を一番に志願して……仲間が死ぬたびに心にも傷を負って、それでも革命を成功させたんだ。特赦なんていらないわ。そんなの知ったこっちゃない。あたしはゲイリーを連れて逃げる。誰にも殺させない!」

 ハアハアと息を荒げて言う。

 ドクターは、

「なるほど、まっすぐないい娘さんだ。だが、話は最後まで聞きなさい。クーガに特赦を与えることはできないが、まだ考慮中ということにはできる。クーガを追わないように命令しよう。少なくともわたしが生きている間は」

 みんながわあっと歓声を上げて、あたしはヘナヘナとその場にくず折れた。

「……なによ……それならそうと、早く言いなさいよ、まったく……」

 ぶつぶつと文句を言う。

「ありがとうございます」とレイがドクターの両手を包むように握ってお礼を言っている。

 ドクターはにこにこしながら、

「わたしは昔、町医者をしていてね。それでいまだにドクターと呼ばれているんだが、子供達が飢えと病気で死んでいくのを見て、それはもう、心を痛めたものだ。このままではいけない、世の中を変えなければいけない。そう思って……」

 ……なんだか話が長くなりそうだ。

 レイはにこにこしながら傾聴している。

 よし、ここはレイにまかせよう。

 あたしは屋上に登って見張りを交代した。

「ここはあたしにまかせて。下でドクター・オルソンの昔話が始まってるから、行って聞いてくるといいよ」

 あたしは双眼鏡を受け取って、周囲を眺めた。

 道路を通り過ぎて行く車が時々見えるけど、こっちを気にしている風でもない。空を飛んでくる飛行機もない。

 向こうもおいそれとは手を出せないとは思うが、力ずくで取り返しにくる恐れもある。そうなったらどうするか……

 人質交換がうまく行ったとして、その後どう逃げるか……

 不安材料は山程あるが、やっぱり一番はこれ。

 あれから5日目、ゲイリーはどうなっているのか……


 あたしが指定した1時間の2分前に連中の車がやってきた。

 装甲車もなし、ヘリコプターもなしだ。普通の車が3台だけ。

 大統領の身の安全を最優先させるだろうという、あたしのヨミは当たっている。今のところは。

 あたし達はすぐ発進できるように3台のジープを待機させて、待っていた。運転手はすでにエンジンをかけてすぐ発進できるようにしている。あとは飛び乗って逃げるだけだ。

「そこで止まって!」

 あたしは大声を出し、止まれというジェスチャーを見せる。

 3台の車は100m程向こうで停車した。

 何人か出てくる。

「大統領は無事なんだろうな!」

 そいつも大声を出す。

「今の所はね。でもあたしの腕は知ってるでしょ? 少しでも変なマネしたら、すぐ撃ち殺すからね!」

「わかった。大統領には手を出さないでくれ」

「ゲイリーを出して。ちゃんとつれてきたんでしょうね?」

 そいつが車の方に合図すると、兵士がまず下りてきた。それから民服を着た人影が、ゆらりと車から下り立った。

 緊張の瞬間だった。

 生きてる! よかった! 生きてる!

 右側の頭に包帯を巻いてるけど、ちゃんと自分の足で立ってる。

 喜びが胸の奥から湧いてくる。

「どうやって交換するんだ?」大声で聞いてくる。

「大統領をこっちから歩かせるから、そっちもゲイリーを歩かせて、真ん中ですれ違わせて! あたしがスコープ付きの小銃を構えてるの、忘れないでよ!」

 大統領はゆっくりと歩き出した。

 向こうもゲイリーだけがゆっくりと歩き出す。

 小銃を構えているのはあたしだけ。

 レイがあたしのすぐ横に立っていて、ささやいた。

「良かったわね。少なくとも自分で立って歩けるんだから」

 本当にそうだ。うれしくて涙が出そう。

 でも、まだ気をゆるめるのは早い。

 2人は道の中央ですれ違う時、立ち止まった。

 ゲイリーが何か言う。大統領がそれに答える。でも声が小さくて聞き取れない。

「『申し訳ありませんでした』『いいや、君が無事でよかった』」

「え? 何それ?」

「読唇術よ。『君はいい仲間を持っているね』『あいつらはバカですよ。バカばっかりだ』『握手をしてくれないか』」

 2人は道の真ん中で握手を交わした。

 そして、また歩き出した。

 ゲイリーはこちらへ、大統領は向こうへ。


 ゲイリーは歩きつく寸前にフラついて倒れそうになった。仲間がさっとかけよってささえ、抱え上げてジープに乗せる。

 やっぱり相当無理してたんだ。

 あたしは3台目のジープの後部座席に飛び乗って、小銃は大統領の方に向けたままにした。

 レイがあたしの横に乗り、あたしが首から提げてた双眼鏡を取って目に当てる。

「『追え。逃がすな』『待て、追わなくていい』『しかし』『大統領権限で、ブランカには特赦を出す。クーガのほうは目下検討中だ』『しかし、逃げられてしまいます』『君もわからん奴だねえ。演説がすでに1時間も遅れている。聴衆をこれ以上待たせるわけにはいかん』これ以上は無理。離れすぎて見えないわ」

 彼らは車に乗って去って行った。演説会場のある大統領の故郷の町の方へ。

「……何ていうか……やっぱすごい人だねえ……」

「そうね。こんな目に遭ったのに怒りもしないで……あなたも聞けば良かったのに。ドクターの昔話。面白かったわよ」

 あたしは肩をふるわせて泣いた。

 レイがポンポンと肩を叩いてくれた。

「よく頑張ったわね」とほめてくれた。


 次のアジトへついて、お医者さんに待機してもらっていたので、すぐゲイリーを診察してもらった。

 ベッドに寝かせて服を脱がせると、身体中はれ上がって、傷だらけ、内出血していない所がないくらいだった。

 気になっていた右目の包帯の下には眼球がなく、右腕も手首から先がなかった。ひどいのは肛門と性器で、どうやったらこうなるのか、ズタズタになっていた。

 あたしは腹の底からドス黒い怒りが湧いていた。

「……ゲイリーをこんな目に遭わせて……タイガー大佐、殺す! 撃ち殺す……」

 気絶したとばかり思っていたゲイリーが言った。

「もう殺してきた」って。

「あんなゲスは生きてちゃいけない……この傷のせいじゃない。こんなの大したことないさ……あいつは黒人のメイドを連れてきて、お前が内通してたんだろうって、あたしの目の前で撃ち殺した。何人も。可哀そうに、そんなはずないのに……泣いて、違うっていって、生命ごいするのを……あたしを苦しめるためだけに……だから弱ってるふりして、あいつが顔を近づけてきた時、首筋にかみついてやった……いつもナイフでやってたことを、歯でやっただけさ……あいつは、まずあたしの歯を抜いとくべきだったな……あたしが泣いて、助けてくれって言うのを聞きたくて……しゃべれなくなるのがいやだったんだろ……血が飛び散って……血の味がして……あいつが死ぬまで放さなかったよ……」

 お医者さんは傷を消毒し、きれいなガーゼを当て包帯を巻いた。

 ゲイリーはまた気絶したみたいだった。

「腎臓と脾臓が破裂しているかもしれん。この状態で歩いたとか信じられん。とにかく至急大きな病院で治療を受けさせんと……」

 お医者さんは痛み止めと化膿止めの注射をうって帰っていった。

 あたしはゲイリーのベッドの足元に頭をもたせかけた。

 みんなはこれからどうするか相談するって部屋を出ていった。

 もしかすると、ゲイリーとあたしを2人きりで、そっとしといてあげようって思ったのかもしれない。

 あたしは涙もかれ果てて、うれしいのか、悲しいのか、よくわからなかった。


「……水が飲みたい……」ってゲイリーが言った。

「すぐ取ってくるね」ってあたしは言って、部屋を出た。

 みんなの所へ行くと、レイが「どうしたの?」って聞く。

「ゲイリーが水が飲みたいって言うから。冷たいお水を取りにきたの」

 って言うと、レイはみるみる表情を変えて、「このバカ!」って言った。

 飛ぶように部屋を出て、ゲイリーの所へ向かう。

 あたしもあわててあとを追った。みんなも一斉に席を立つ。

 レイがドアを開ける。

 ゲイリーはお医者さんが忘れていったのか、スリ取っていたのか光るメスを左手に持ってて、上半身を起こして、それを自分の首に当ててた。

 レイの投げナイフが、間一髪でそのメスをはじき飛ばした。

「どうして!?」

 あたしはゲイリーにしがみつく。

「どうして? せっかく助けたのに……助かったのに……どうして死のうとするの……?」

 ゲイリーは苦しそうに言った。

「……ジュリー、もう死なせてくれ。生きていたくないんだ……」

 その絶望があたしの体に染み込んでくる。

 みんなも声もなく、その場に立ち尽くしていた。


 レイが言う。

「あなたのポケットに入っている、その魔法のカードを使うべきじゃないかしら?」

「魔法のカードって……これのこと?」

 あたしの限度額無制限のブラックカードを取り出す。

「世の中にはね、お金でできないことはほとんどないのよ? いつ思い出すのか待ってたけど、全然思い出さないみたいだから……あなたってほんとにバカね」

 言われて思い出した。

 あたしはスカイフォークグループの会長の一人娘。

 総力を挙げてゲイリーを治療すればいいじゃない。

 あたしの足元がグラリと揺れた。世界が180度回転する。

「あんたの言うとおりよ」

 そしてみんなに宣言した。

「ブランカはもう終わり。ここからは、あたしのやり方でゲイリーを救うわ!」


 そこからトントン拍子に事は運んだ。

 パパに電話して、受話器の前で土下座せんばかりに謝って、お願いをして、医療用の大型ジェットヘリをチャーターしてもらった。アジトの近くにあった広場を臨時のヘリポートにして、1時間後にはそのヘリが到着する。

 担架を作ってみんなでそっとゲイリーを乗せて、そのヘリに移した。ゲイリーはまた気絶してるふうだったけど、もうだまされない。これからは絶対に側を離れないわ。

 近くの住民が珍しそうにヘリを眺めていた。

 あたしとレイも一緒に乗る予定だ。

 あたしは仲間のみんなに一人ずつ別れを告げた。

「ありがとう。お世話になったわね。みんなのこと、忘れないよ」

「クーガの事、頼んだぜ!」

「あんたいい隊長だったよ」

「俺は村に帰って彼女を結婚するんだ」

「お前、彼女とかいたのか?」

「俺達はサルビアの未来のために頑張るから、あんたも頑張れよ!」

「レイちゃん、もう行っちゃうのか……」

「ありがとな!」

 口々に言って、ヘリが飛び立つ時はみんなで手を振ってくれた。

「ありがとうみんな。さよならサルビア!」

 あたしもヘリの窓からみんなに手を振った。


 ここから一番近い大都市(何と石油王達が海の上に作った近未来的な感じの都市)へ飛んで、そこで一番設備の整った大病院の、一番値段の高い病室をキープした。ホテルのスイートルームみたいに調度品が整っている。一泊一万ドルだ。

 ゲイリーはすぐ緊急手術になって、2時間かけて手術した。例のお医者さん(メスを忘れてったのは、この際許してあげるけど、本当に危ない所だったわ)の見立て通り、腎臓と脾臓が破裂していて、放っといたら死ぬとこだったらしい。

 縫える傷は全部縫って、足りない所は豚の皮膚で作った人工皮膚を貼って(時間が経つと溶けてなくなって、自分の肌が戻ってくるんだって。不思議だわ)全身ミイラになって病室に戻ってきた。

 まだ何も食べちゃいけないって言われて、輸血と点滴だけなのに、随分と顔色が良くなってるのがわかる。

「水が飲みたい」って言われたら、備えつけの冷蔵庫に入っている水飲みで一口だけ飲ませてあげる。

 あたしが嬉々としてゲイリーの世話をするのを、苦笑しながら見ていたレイが言う。

「わたしはそろそろマリエルへ戻るわ」

「えーっ、もう帰っちゃうの?」

「ええ、わたしの出番はもうないみたいだから」

「あんたには本当に世話になったわね」

「いいのよ。わたし達親友なんだもの。当然の事をしただけよ」

 大使館に連絡して、レイの分のパスポートとビザはもう発行してもらった。あたしとゲイリーの分も。ゲイリーは本名のゲイリー・サラザンで。

 あたしとゲイリーがクーガとブランカだってことは、内緒なんだけど、このお金が総てみたいな空間では、ばれても問題ないような気さえする。

「何かお礼がしたいわ。何でも言って」

 とあたしが言うと、レイは、

「ひとつだけお願いがあるの」って言う。

「なあに?」

「あのね。クーガの傷が良くなったら、あなたにマリエルへ戻ってきてほしいの」

「はあ!? あたしにまた女学生に戻れと?」

「ええ。多分休学中になってるだけで、籍はまだ残ってるはずよ。もっとも出席日数が足りなくて、一年下になるかも知れないけど」

「……あんなすごい体験したあとで、あたしに普通の女学生がつとまるかしら……?」

「大丈夫よ。やり直せない人生はない……それに普通の女学生だなんて、元からそうじゃないでしょ? ジュリーはいつもジュリーだったじゃない?」

 あたしは考え込む。

「あんたにやり直せない人生はないって教えたのは、やっぱりドクター・オルソンなの?」

「違うわ。まだわからないの? あなたのお父様よ」

「はあ!?」

 驚いた。目が点になったわ。

「あたしが革命軍に入ったもんで、あきれてあたしを見捨てた、あのパパ?」

「見捨てたんじゃないわ。これはきっといい経験になるから、見守った方がいいって説得したの。じゃなかったら、訓練キャンプにいた頃に、特殊部隊が落下傘で救出に行ったはずよ」

「でもあたし、何度も死ぬような目に遭ってるのよ」

「そこはジュリーの悪運の強さに期待して」

「悪運てねえ、あんた……」

「上海で、あなたのお父様と初めてお会いした時、自分にも同い年の娘がいて、それもとてもお転婆だから心配だって言ってらしたわ。良かったら娘の友達になってくれないかって頼まれて、わたしは友達になるかどうかは本人に会って決めたいって言ったの。裏社会からスムーズに抜けられたのも、マリエルに転入できたのも、全部あなたのお父様のおかげよ」

「し、知らなかった……あんたがパパのスパイだったなんて……」

「あら、スパイだなんてひどいわ。親友だって言ったじゃない?」

 もう何も信じられない……

「だから約束してね。クーガが良くなったら、マリエルに戻ってきてね」

 あたしはあんまり驚いてたんでどうかしてたんだと思う。

「うん、わかった」って返事しちゃったのよねえ。

「それじゃまたね」ってレイは去っていき、あたしは頭を抱えて考え込んだ。

 レイが……あのレイが……あたしの初恋のチャイナドール。

 それがパパのスパイだったなんて~。

 マリエルに戻ったら、みてらっしゃい。今度こそ、叩きのめして、はいつくばらせて、それから……

 でもゲイリー救出作戦がうまくいったのも全部レイのおかげ。あたし達だけじゃ、ドクター・オルソンはこちら側についてくれなかったろう。

 感謝すればいいのか、裏切られたって思えばいいのか……


 あたしが浮かない顔をしてるのでゲイリーが「何かあった?」って聞く。

 あたしは枕元に丸イスを持っていって腰を下ろす。

「レイがね、帰っちゃったの」

「それで寂しがってるの?」

「ううん。レイがパパのスパイだったのがわかって、ショックなの」

「え? 今頃? ……大金持ちのお嬢様のスゴ腕のボディガード。どう見たってそうだろ?」

「はあ!?」

 ますますショック。気がついてなかったのは、あたしだけ?

 ゲイリーは左手であたしの髪をなでる。

「本当に素直でいい子だね」って言う。

 あたしはゲイリーに確認する。

「ねえ、もう死のうなんて思わないでね」

「うん……また死にそこなったから、もう少し生きてみるよ」

「死にそこなったんじゃない。あたしが助けたの。だからあんたの生命はもう、あたしのものなんだからね」

「それはちょっと……」

「もう」

 あたしはゲイリーにキスした。ふれるだけの優しいキス。

「もう革命も終わって、仲間じゃないんだし、キスしたっていいでしょ?」

「おいおい、勘弁してくれよ。こっちは絶対安静の怪我人なんだから」

 とか言いながらもう一回キスする。今度は舌をからめるちょっと強めのディープキス。

 ゲイリーのキスは甘くて蜜の味がする。

「右手がなくなっちゃったから、もうあんたにサービスしてやれないな」

「まだ左手があるでしょ。それに、超精巧な技手を頼んであるの。肩とか肘とか前腕のひねりとかで指が動かせるんだって。あとはリハビリ次第だって……リハビリ、つきあうよ」

「えー、それはちょっと……」

 とか言いながら、あたしの服のボタンをはずして胸にさわる。

「あんたの胸は大きくて、もみごたえあるんだよな」

「絶対安静のはずでしょ?」

「だから、ほんのちょっとだけ。これはお礼」

 片方の乳房をもまれて、もう片方の乳首をなめられて、あんあん言ってたら、ドアがノックされた。

 ちぇっ、いい所だったのに。

 あたしはズレたブラの位置を直し、服のボタンを急いで留めた。

「どうぞー」って言うと、入ってきたのは宝石屋さん。

 ゲイリーの左目と同じ色のコハクを持ってきてもらうように頼んでたのよ。

「これなんかいかがでしょう?」

 ひとつづつ取り出して眺める。

 でも、どれも今ひとつピンとこない。

 いくつかある中で大きさや形や色合いなんかをチェックしていると、ひとつ見つけた。

「でも、これ中にクモが入ってるよ?」

「はい。コハクは数万年前から数十万年前の太古の樹脂が、200℃以上の熱で加熱されてできた天然の宝石なので、まれに虫や木の葉などが混入しているのです。これはクモの形が非常に美しく完璧な形で入っているので、とても高価なものになります」

 手に取って光にすかしてみると、金色に光った。

「うん、気に入ったわ。これにしよう」って言うと、

「……悪趣味……」ぼそっと後ろで何か言ってるけど気にしない。

「これで義眼を作ってちょうだい」

「かしこまりました」

 宝石屋さんはうやうやしくおじぎをして帰って行った。


 ナースさんに見つかると叱られるのであんまりいちゃつけなかったけど、とっても楽しい1ヶ月が過ぎ、ゲイリーはすっかり元気になった。

 義手は表面が人工樹脂でおおわれてて、ちょっと冷たいけど質感は皮膚とかわらない。指もちゃんと動く。義眼は左目と同じ色で、光が当たると金色に光るのも一緒。中央にクモが入ってるけど、それもカッコいいと思う。

 あたしはゲイリーをあたしの家につれて行って、一緒に住もうと思っていた。

 ゲイリーと一緒にお食事して、お風呂に入って、それからベッドで……うふふ。

 なのに、あいつってば、途中でドロンした。

 飛行機で空港について税関を出る所までは一緒だったのよ。

「ちょっとトイレ」っていうから、出口で待ってたのに、いつまでたっても出てこないから、おかしいと思って見に行ったら、見事にもぬけのカラだった。

「もう! ひどい! どこ行ったのよお!」

 トイレの前であたしの絶叫が鳴り響いたってわけ。

 おかしいとは思ったのよ。

 あいつ異常に素直だったし。

 ただ、思い返してみれば、あたしは何回もゲイリーに愛してるって言ったのに、あいつは一度も言わなかった。

 あたしって重い女なのかな?

 しつこくて嫌われちゃったのかな?

 あたしはとぼとぼと一人で家に帰った。


 半年ぶりに家に帰ってきた。あっ、この前、ちょっとだけ寄ったか。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 まるででかけたのが昨日だったかな? という自然さで迎えてくれる。うちのメイドさん達は、あたしが突飛なことをするのに慣れてるから、少々の事では動揺しない。

「ただいまー。あー、疲れた。今夜の夕食はシチューが食べたいな」

「かしこまりました、お嬢様」

 どこへ行っていたのか? 何をしていたのか? とか一切質問なし。

「あっ、明日からまたマリエルに登校するから、その辺よろしくね」

「わかりました、お嬢様」

 ちょっとだけうれしそうだったのは気のせいだよね?


 翌日登校すると皆大さわぎだった。

「ジュリー、久しぶり」

「半年ぶりだねー」

「急に病気になって、スイスに療養に行ってたんだって?」

「元気そうで良かったー」

「スイスのおみやげはないの?」

「1ヶ月前、寮の前に現れてレイにキスして胸をもんで、3日間拉致ったんだって?」

「下級生の間ですごいウワサになってるよ」

「あんたのファンとレイのファンの間で応援する派と反対する派ができて、もめてるって」

「ねえ、スイスのおみやげは?」

 そうか、病気でスイスに療養に行ったことになってるのか。

「うん、もう全然平気。元気だよ。久しぶり。おみやげ明日もってくるよ」

 なんかそれっぽい物をメイドさんに用意してもらおう。

 予鈴が鳴ってみんな席につく。あたしもいつもの後列窓際の席につく。前列中央の席を定位置にしているレイがこっちを見てにっこりしている。うれしそうなのは気のせいじゃないよね?

 そして授業がはじまり、内容がはるかに先に進んでいるのを知り、絶望的な気持ちになった。

 留年決定だわ……


 昼休み、食堂でレイと一緒に食事した。

 天気が良かったので中庭に出て、オープンテラスで2人で並んですわる。

「聞いてよ、レイ。空港でゲイリーに逃げられちゃった」

「あらまあ、それで?」

「もう昨日からショックで落ち込んでるのよ。なぐさめて」

「はいはい」って頭をポンポンする。

「心がこもってない」

「これ以上どうしろと?」肩をすくめる。

「ねえ、あたしって重い女? しつこくして嫌われちゃったのかな?」

「うーん。これはわたしの推測だけど、クーガは、あなたにこれ以上迷惑かけたくなかったんじゃないかな?」

「迷惑? 全然迷惑じゃないよ?」

「クーガがあなたの家に居ついたと仮定してみて?」

 脳内で妄想する。「うふふ楽しそう」

「スカイフォーク家のお嬢様に、黒人の美青年の恋人ができて、もう同棲してるってことになるでしょ? 嫁入り前の娘にとって致命的なスキャンダルだわ」

「スキャンダルも何も、事実じゃん」

「あなたあと3ヶ月で18才、そろそろ社交界デビューや結婚の話も出てくるはずでしょ?」

「はあ!? あたしが結婚?」

 冗談じゃないわ。

「そんなことを色々考えて、クーガは身を引いたのよ」

「あんたねえ、適当なこと言って、あたしをごまかそうとしてない?」

「じゃあ、ずばり言うわね。あなたクーガに振られたのよ」

「もう、どうしてそういうこと言うかな? もっとこうふんわりと優しく言ってよ」

「はいはい、本当はクーガはあなたのことが大好きなんだけど、自分はあなたにふさわしくないと思って、身を引きました。これでいい?」

「うーん……良くはないけど、まあまあかな。ありがとなぐさめてくれて」

「それより勉強はどう? ついてこれそう?」

「全然ダメ、全部撃沈」

 はあーとタメ息が出る。

「そうだと思った。補習を受けられるよう先生方に頼んであげるわ」

「……補習?」

「放課後毎日3時間ずつやれば、勉強も追いつくし、出席日数も水増しできるわ」

「えー、3時間も? 遊ぶヒマなくなっちゃうよお」

 まるきりいつもの日常がもどってきた。

 あたしは何となく思った。

 平和っていいね。


 2週間位たって、学園生活になれた頃、日曜日にゲイリーがひょっこり訪ねてきた。

「やあ、久しぶり。元気にしてた?」って。

「うん、久しぶりだね。元気だったよ」

 って、違ーう!

「あの時はどうして逃げたの?」

「うーん。何か逃げたくなって。結婚式前に逃げ出したくなる花嫁みたいな感じ?」

「はあ!?」

「まあまあ、せっかく来たんだし、ご飯食べさせてよ」

「いいけど……そのバイクは何?」

「知り合いにもらった」

「改造してあるよね?」

「うん、左手だけでアクセルやブレーキやクラッチの切りかえができるようにね」

「ハーレー・ダビッドソン?」

「カッコいいだろ?」

「カッコいいけど……」なんか納得できない。

 大広間の長テーブルで昼食をとる。今日はエビのクリームパスタに、フルーツとミルクとデザートにリンゴのシャーベット。

「身体の調子は大丈夫なの?」

「もう平気、どこも痛くないよ」

「よかった」

「実は、ちょっと北の方へ旅してみようと思うんだ。あたしってずっと革命ばっかりやってきたからさ。まだ18なんだし、色々見聞を広めようかと。自分探しの旅って感じ?」

「自分探しの旅?」

「うん、それで今日は、しばらく会えなくなるからあいさつにきた」

「しばらくってどのくらい?」

「わからない、半年位か、2~3年になるか」

「そうかあ……」

 さびしいなあ。

「それで今、文無しなんだ。1万ドルであたしを一晩買ってくれない?」

「え!?」

 あたしは食べかけてたリンゴのシャーベットをムセそうになった。

「い、いいけど……ハーレーの彼女にお小遣いもらわなかったの?」

「うん、逃げてきたから。束縛されるのは好きじゃないんだ」

「そ、そうなんだ」あたしも気をつけよう。

 あたしはおサイフをチェックしたけど、

「……カードじゃだめよね?」

「現金しか受け付けません」

「いつもカードで支払いしてるから、現金はあんまり持ってないのよ」

 ゲイリーはおサイフをのぞき込んで、

「いくら入ってるの?」

「……300ドル……」

「じゃあ、それでいいよ」って笑った。


 食後は庭のテニスコートでテニスをした。

 ゲイリーは右手でも左手でもラケットを振って、足も速いからコーナーを狙っても打ち返される。ラリーが続いて中々決着がつかない。結局、あたしが負けた。

 勝ちたかったなあ。

「右手は握力だけなら前より強くなったよ」って言って、庭の木に飛びついて右手だけでぶら下がってみせる。そこからぴょんと飛び下りてきた。まるで猫科の獣みたいなしなやかさだ。

「いい義手をありがとね」

「うん」

 それから大浴場でバラの花の浮かんだ浴槽の中で抱き合った。ゲイリーの身体は前から傷だらけだったけど、その上に新しい傷がピンク色の筋になってて、それが模様みたいだった。

 しなやかな身体で抱きしめられて、キスされる。

 ゲイリーのキスはうっとりするくらい上手だった。

「ねえ、聞いていいかな? ジャックの事なんだけど……」

「うん。何が聞きたいの?」

「最後の時ってどんなだったの?」

「ああ、戻ってきたからびっくりしたよ。あんたと一緒に塀の向こうへ行けばよかったのに」

「あたしを先に塀の上に押し上げて、あたしは手をさしだしてつかまってって言ったんだけど、お前の力じゃ俺は持ち上がらないって言って……」

「それはウソだな。あいつなら片腕でも塀をよじ登ったはずだ」

「……それからあたしといられてすごい幸せだったぜって言ってあんたの方に走って行った……前の晩にね。この戦争が終わったら結婚しようって言われて、あたしはウンで答えた……」

「自分でフラグ立てて、バカだなあ」

「屋上でも死ぬにはいい日だとか言って……」

「フラグ立てまくりだな」

「……ジャックはあんたのことを愛してたんじゃない? ……あんたもジャックのことを……」

「あいつはただあたしのことを見捨てられなかっただけさ。2人で大暴れしたよ。あたしは戦車の弾を撃ち尽くしてキャタピラも何かに乗り上げて動かなくなったから捨てて、その辺にあった機銃を拾って撃ちまくって、ジャックもあたしの背中で同じようにして……2人で一個師団の半分を壊滅させたんだから、伝説を作っちまったよ。でも最後はやっぱり数に負けて、ジャックはあたしをかばって、ハチの巣になって死んだ。あたしはもう動けなくなってて連中につかまった……あいつはそういう奴だった……」

 あたしはジャックを思い出して少し泣いた。

 結婚しようって初めて言われた。2番目に好きだった人……

「あたしがジャックを愛してたかって聞かれると、そうじゃないって答えるしかない。あいつは大切な仲間で、頼れる相棒だったけど、恋愛感情じゃなかった。……あたしは今まで誰も愛した事はないし、多分これからもそうだと思う。……あっ、一人だけいた。あたしが心から愛して、向こうからも愛してほしいと思った相手」

「誰?」思わず声が鋭くなる。

「母親」

「はあ!? ここでまさかのマザコン発言?」

「あたしは7才まで母親のおっぱいを吸いながら寝てた。大きなおっぱいが好きなのは、そのせいかな?」

「ショックー」

「近所の子供にもいじめられてたし、頼れるのは母親だけだったし、でも時々この子がいなければ良かったのに、とか、せめて男の子だったら、とか言われて、そのたびに泣いてた。子供だったんだなあ。でも、それなりに愛されてたと思うよ。捨てないで育ててくれたし」

「お母さんは今どうしてるの?」

「革命軍に入ってからは会ってない。あたしがクーガって呼ばれはじめた頃に住居を変えて、名前も変えたみたいだ……まあクーガの母親なんて、やばすぎるからな」

「会いたくないの?」

「いつか会いに行けたらいいな……飢え死にしてなきゃいいけど……」

「きっとどこかで幸せに暮らしてるよ。もしかしたら再婚してて、弟や妹が沢山いるかもよ」

「あんたが言うと、本当にそうみたいな気がするね」

 それ以上いると湯当たりしそうだったから、あたし達はベッドルームに移動した。


 サンドイッチとミネラルウォーターと赤ワインと瓶ごとのキャビア。

 キャビアをスプーンですくってそのまま口へ。

「おいしい!」

 ゲイリーに向かってスプーンを向けると、ぱくっと食べて、

「あ、これおいしいね。臭みがなくて、甘みがある。もうひと口ちょうだい」

「だーめ、あとはあたしのだもん」

「いやいや、半分こしようよ」

 ふざけて取り合って、それからワインを飲む。

「なんて深みのある赤だろう。香りも良くて……味もいいね」

「うちのワインセラーにある一番いい奴を出してもらったからね」

「じゃあ、お姫様には口移しで……」

 キスされて、こぼれたワインがあたしの胸元を伝う。

 ひと口のワインで酔っぱらいそうだ。

 横抱きにされてベッドの上に。

 まだ明るいうちから、始めちゃっていいのかしら?

 まあ、いいか……

 あたしはゲイリーの首に腕をからめる。

 ゲイリーの右手があたしの乳房をもんで、中指と人差し指の間で乳首をはさむ。そのままコリコリってされて、あたしは電気を通されたみたいになる。

「あ……ああ……」

 ゲイリーが耳元でささやく。

「右手はまだ加減が良くわからなくて。痛かったら言ってね」

「う……うん……ちょっと強めだけど……そこが良いっていうか……やめないで……」

 ゲイリーはくすりと笑って、あたしのもう片方の乳首を口に含む。先端をなめながら、左手で、わき腹をなでて、指先があたしの中心に届く。

「あ……ああ……」

 快感の波が、初めはさざ波のように、それからどんどん強くなって、最後は渦になってあたしをのみ込む。

「……もう、イッちゃったの? 早すぎない?」ってからかうように言う。

 それからあたしの身体のあちこちを舌で愛撫する。

 首筋や、わき腹や、背中に、キスマークをつけていく。

 あたしの瞳をのぞき込むコハク色の瞳。その片方にはクモが住んでいる。数十万年前に生きたまま宝石の中に閉じ込められたクモ……

「この目、気持ち悪くない?」

「そ……そんなことないよ……なんか、催眠術にかけられたみたいな……頭がぼうっとする……」

「そうかなあ? ちょっと悪趣味すぎない?」

「あんたはクモで……あたしはあんたにからめ取られた蝶……食べられちゃうの……」

「本当に食べちゃいたくなるくらい、可愛いね」

 キスされて、のどから胸元へ、おへそからその下へなめていく。

 足を広げさせられて、中心をなめられる。

 クチュクチュっていやらしい音……

 でも気持ちいい……

「あ……うう……」

 あたしはゲイリーの髪に指をからませる。

 もっと、もっとって腰をくねらせる。

 なぜか涙がこぼれて、シーツをぬらす。

「……愛してる……」ってつぶやく。

「うん……あんたが愛してるのは、あたしの身体? ……それとも心……?」

「全部……全部よ……」

「本当、可愛いね。もっといじめたくなっちゃうな」


 あたし達は途中でサンドイッチを食べたり、ミネラルウォーターを飲んだりして、休憩しながら、延々と抱き合った。

 ゲイリーは「タフだね」って笑いながら、あたしを気持ち良くしてくれた。夜になって、ヘッドランプの光でゲイリーの瞳が金色に光る。

 あたしの愛しいブラックパンサー。でもこの獣は束縛を嫌う。誰にも飼いならせない獣なんだ。

 あたしに与えられたのは一晩だけ。

 一晩だけの約束……

 だからむさぼりつくそう。

 夜が明けるまで……


 いつの間にか眠っていて、朝の光で目を覚ますと、ゲイリーはいなくなっていた。

 おサイフの中から300ドルなくなっていて、かわりにメモが入っていた。

「ありがとう」って。

 あたしはまだゲイリーの匂いが残っているような毛布にくるまって、また少し泣いた。

 夢の中で聞いたような気がする。あれは幻だったのかな?

 あたしの額にキスして言った。まだ眠ってるあたしに向けて、

「ジュリー、愛してるよ」って。


 まって、まだ続きがあるの。

 あたしは体調を崩して、突如として襲ってくる吐き気と、その反動のような食欲で、とことんまいっていた。

 食べ物の好みも変わって、以前は大好きだったチーズが見るのもいやになって、今は酸っぱい物が無性に食べたい。

 ストレスだろうか?

 毎日3時間の補習は、思った以上に辛くて、それが吐き気の原因だろうか?

 バイキング形式のお昼に、皿の上にレモンを山のように乗せていたら、レイが奇妙な目であたしを見る。

「そのレモン、全部食べるの?」

「うん、全部食べるよ。なんか酸っぱいものが食べたくて……脳を酷使しすぎかな? 補習せめて2時間に減らせないかな?」

「ダメよ。今だって進級できるか、ギリギリなのに……っていうか、ちょっと来て」

 あたしをすみっこのテーブルに引っぱっていく。

「何?」

 レイは真剣そうに、

「ジュリー、あなた最後に生理になったのはいつ?」

「えーと」

 記憶をたどり……

「大統領を挨拶する前だったから……2ヶ月前位かな?」

「何てこと!」

 レイはびっくりした顔で、

「ジュリー、あなた妊娠してるわ。すぐ検査を受けて」

「へ?」

「父親は誰? まさかクーガってことはないわよね?」

「あはは、そんなはずないじゃん」

 まって、あたしが妊娠?

 え~っ、妊娠って、つまりあれでしょ? 子供がお腹に……

「まさか……」

「父親に心当たりは?」

「えーと……2人程、一人は黒人で、もう一人は白人……」

 レイはがっくりとうなだれて、テーブルに頭を打ちつけた。

「……あなた、クーガ激ラブで、他の男には見向きもしない人だと思ってた……あたしが甘かったわ」

「だって仕方なかったんだよ。ゲイリーが抱いてくれなくてさ、夜はさびしくて、ジャックが俺を身代わりにしろって言うから……ビーストにはドクター・オルソンの情報をくれる代わりに、あたしの身体を要求されて。あれは本当イヤだった。今度会ったら殺してやる……」

「ビースト? ……最悪……」

「大丈夫、ビーストは一回きりだし、きっとジャックの子だよ。そうかあ、あたしが母親ねえ。うん悪くないんじゃないかなあ」

「一回とか二回とかの問題じゃないのよ!」

 レイは頭を抱えて考え込んでるけど、あたしは気にしない。

 きっとこの子はジャックの子。ジャックが生まれ変わってくるんだ。

 そう思いながら、山盛りのレモンをぱくぱくと食べ続けた。


 じゃあこのへんで。

 チャンスがあったらまた会おうね。

 バーイ。

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