第2話 愛しのブラックパンサー

「あー、楽しかった~、今日が終わらなきゃいいのに~」

 11月の日曜日、そろそろ陽も沈んであたりは夜のとばりに包まれる頃、あたしとレイは街の大通りを並んで歩いていた。

 黄色く色づいたポプラ並木、ハラハラ舞い落ちる黄色い葉っぱ。これは絶好のロケーションでは?

 あたしはレイの肩に腕をまわし、そっと抱きよせようとした……

「いたい! いたい! ギブ、ギブ」

 つかまれた腕をバシバシと叩く。

「あなたもこりない人ですね。必要以上のボディタッチは苦手だと、何度も説明したはずですが?」

 レイはやっと腕を放してくれた。

「肩を抱くくらい、いいじゃない……ケチ……」

「何だか、よこしまな波動をキャッチしたので……」

「うーん、間違ってはないか。あたしはレイにもっとさわりたいし、髪をほどいたとこ見てみたいし、できれば服の下の陶器みたいなすべすべの肌をなで回してみたいなあ」

 レイははーっとため息をつく。

「お断りします」

「冷たいなあ。まあそこがよけいにそそるんだけどね」

 休日はボランティアにはげむレイをやっとデートにつれだした。街までドライブして、映画を見て(レイの好きそうなカンフー映画をチョイス。二人で大いに盛り上がった)ショッピングして、ゲームセンターをのぞいて、レストランでお食事して、大通りを歩いて駐車場までもどるところ。

「ねえ、もう一軒いこう。ちょっとお酒をのんで、ちょっと踊れる所」

「21才未満の飲酒は禁止されてるはずでは? それに寮の門限もあるし」

「だよねえ。ちょっと言ってみただけよ……でも、今日はほんと楽しかったねえ。たまにはこういうのもいいでしょ?」

 レイは切れ長の黒い瞳であたしをみつめ、ふっと微笑んだ。

「ええ……たまにはいいですね。こういう休日の過ごし方も」

 ああ、もうだめ。やっぱ押し倒したい!

 前方で突然ぱんぱんと花火がはじけるような音がした。

 えっ何?

 レイがあたしを道に押し倒す。ポプラの葉っぱがじゅうたんのようになってて、クッションになってくれるかと思ったけど、全然ならなくて、あたしは後頭部をゴツンと道路に打ちつけた。

「いたーい、突然何すんのよ……あたしは押し倒されるより押し倒す方がいいんだけど……まあ、どっちでもいいか……」

 もごもごいうあたしを、レイはひきずって、近くの植え込みのかげに飛び込んだ。

 見たこともないような険しい表情で前方を注視する。

 ざわっと肌が総毛立つ。

 何だろう、この感じ?

 さっきまでゆっくりと歩いていた人達が、今は大声で叫びながら向こうから走ってくる。パトカーがサイレンを鳴らしながら横を駆け抜けていく。

 また、ぱんぱんと花火のはぜる音が聞こえた。

 違う。銃声だ。

 なんでこんな所でいきなり銃撃戦がはじまるのよ!


 取り込み中だけど、この辺で自己紹介するね。

 あたしの名前はジュリエット・シエナ・スカイフォーク。ジュリーって呼んでね。髪は肩までくらいのストロベリーブロンド。瞳の色はダークブルー。身長は175cm、体重は……これはヒミツ。つれのレイは中国からの留学生で、あたしと同じセント・マリエル女学園、通称マリエルの8年生。17才の同級生よ。

 レイは黒い長い髪を両耳の上でおだんごにしてて、切りそろえた前髪の下の切れ長の黒い瞳がとってもキュート。紫色のチャイナ服(スリットの入ったドレスじゃなくて、ソデとスソが筒みたいになったやつね。スリットの入ったドレス姿も見てみたいわあ)の胸に赤い花のししゅうがあざやか。

 この子はカンフーの達人で、ちょっと前、あたしとものすごい殴り合いをやらかして、その後、友達になった。身長はあたしと同じ位。でも胸がなくて(そこだけはあたしの方が勝ってるね)すごくほっそりしてる。黙って立ってたら誰もがふり返るチャイナドールだ。

 あたしはレイが大好きで、色々とアプローチしてるんだけど、こいつってばスキがないのよねえ。ああ、もうシビレ薬でものませて、あれやこれや、やってやりたい。でも無理かな。そんな手にひっかかるわけないし、もしひっかかっても、結局できないだろう。あたしは、レイの身体だけじゃなくて、心も欲しいから。

 あたしのことを好きになってほしい。もっともっと仲良くなりたい……

 ちょっと欲張りすぎかな?


「……終わったみたいね……」

 レイが立ち上がる。

「……うん……」

 あたしも立ち上がる。

 少し進むと、銃撃戦の現場だ。何人かの黒人が撃たれて倒れていて、うんうんうなっているのもいるし、横たわったまま動かないのもいる。死んでるのかな……

 パトカーが何台も停まってて、赤と青のライトがぐるぐると、血なまぐさい現場を照らし出す。警察官というより軍隊みたいな装備の連中が、小銃を構えたまま、どこかと無線で連絡を取り合ってる。

「ちょっと君達、近づかないで!」

 警察官の一人が、あたし達に気づいて止める。

 救急車のサイレンの音が聞こえてくる。

「何があったの?」あたしが聞く。

「テロリストだよ……君達には関係ない。危ないからさっさと家に帰りなさい」

 レイが聞く。

「テロリストってどこの組織ですか? 何を狙っていたの?」

「君達には関係ないだろう? いいから、帰れ!」

 どうやらそれ以上教えてくれる気はなさそうだ。

「もう行こうか」

 あたしはレイを促して、そこを離れた。

 現場はまだざわついてる。

 その時、マイクに向かってどなっている警察官の声が聞こえた。

「……クーガが逃げた……怪我をしているはずだ……非常線をはれ……くそっ、絶対逃がすな! つかまえろ!」

 あたしはレイにささやいた。

「動物園からクーガが逃げたってさ」

「……クーガ……」

 レイは眉をひそめて、何か考え込んでる様子だった。


 本当はもう一軒寄りたい所だったけど、こんな場合だし、もう帰ることにする。寮の門限もあるしね。

 駐車場に行って、車のキーをとりだした所で、

「待って!」とレイが止める。

 あたしの車のかげに誰かがいる。うずくまって身をひそめている。

「誰?」とあたし。

 そいつは車のかげからゆらりと立ち上がった。

 黒人の若い青年のように見えた。黒いちぢれた髪、背が高くて185cmはありそうだ。スタジアムジャンパーにジーンズ、どこにでもいそうな格好だ。ただ目が……駐車場の中を徐行していく車のライトに照らされて、一瞬だけ、その目が金色に光って見えた。

 よく見れば顔立ちもどことなく黒人ぽくない。白人とのハーフかもしれない。

「……いい車だな。乗せてくれよ」そいつが言った。

「残念ながら、この車は二人乗りよ」とあたし。

「あなたがクーガ?」とレイ。「サルビアのテロリストがどうしてこんな所にいるの?」

 おおっと、こいつが例のテロリスト? そういえばなんか血まみれだし、右の太腿を布で巻いている。さっきのどなり声が耳の奥でよみがえる……怪我をしているはずだ……撃たれてるっての?

「テロリストじゃない。革命軍の兵士だ……って、サルビアのこと、知ってるのか?」とそいつが言う。

「もちろん知ってるわ。サルビア共和国、三代続いた世襲制の大統領の独裁のせいで、国は疲弊している。ダイアモンドが産出するので欧米の進出も盛んで、でもその利益の90%を人口の10%の白人が独占している。国民は貧しくて餓えていて、独裁政権を倒そうと三年前に内乱が始まり、革命軍を名乗っている。その位は誰でも知ってるわ」

 いや、あたしは初耳だけど?

 ありがとう。あたしのために説明してくれたんだね。

「クーガって革命軍のリーダーの一人よね? どうしてこんなところにいるの?」

「ちょっとわけありでね。くわしく話したいから、どこか静かな所へ移動しないか?」

 えーと……あたしはどうしたらいいの?

 クーガとレイの顔をチラチラと見比べる。

 レイはふうっとため息をついて、

「ジュリー、車をあけて」といった。


 ちょっと、何てことするのよ。あたしの真紅のフェラーリF40を……

 レイは助手席のシートを力まかせに取りはずした。座席の中のクッションをバリバリとむしりとり、人が一人入れるくらいの空間を作る。ああ~すごい怪力。素手でシートをばらせるなんて、すごいわ。

「ありがとう」

 そいつがそこにおさまると、ペラペラになったシートを乗せ、そこに腰かけた。

「これでちょっと見ただけじゃ二人しか乗ってないように見えるでしょ」

「いや、こいつテロリストでしょ? 危険じゃないの? ……ていうか、テロリストをかくまうなんて、あんたらしくないっていうか……これって犯罪じゃないの?」レイにささやく。

 あたしの混乱をよそに、レイは、

「大怪我してるみたいだし、さし当たり危険はないでしょ。彼女は一般人を殺傷するようなまねはしないはずよ」

「えーっ、彼女? 女なの?」

「そうよ。見ればわかるでしょ」

「わかんないよ。てっきり男だと思ってた。そうか女かあ。安心した」

「どういう意味?」

「いやあ、ちょっといい男だし、何か知ってる風だし、あんたがあいつをかくまおうとするのは、好きなのかなって……」

 レイはくすりと笑った。

「さあ、行きましょう。シートがこんなだから、帰りは安全運転でね」

「え? いつも安全運転でしょ?」

 あたしはドルンと一発、F40を発進させた。


 途中で二回検問を通ったけど、あたしのとびきりの笑顔と「はーい、ごくろうさま」の一言で無事に通過した。

 パトカーとカーチェイスってのもやってみたかったけど、こんな美女二人、疑われるわけないか。

 さて、自宅へ帰りつく。

 あたしの部屋に三人で集まった。

「何か食べ物とミネラルウォーターがほしいな。あと消毒薬とナイフと針と糸。あったら化膿止めの薬も」

 車から下りた時は長時間きゅうくつな姿勢だったせいでよれよれだったのに、もうそんなに色々注文するくらい元気になったんだね。

 メイドさんに頼んでそれらを持ってきてもらう。メイドさんはクーガを見てちょっと驚いたようだったけど、何も言わなかった。あたしが少々突飛なことをしても、ここの使用人はいちいち反応しないことになってる。

「何があったのか説明してくれる?」とレイ。

「……その前に傷の手当てをさせてくれ。まだ弾丸が残っててほっとくと片足を切断しなきゃいけなくなる」

 そういって服を脱いで裸になった。

 なるほど女性だった。でも身体中傷だらけだ。古いの新しいの、腕も足も銃弾のあとだろうか? おへその下の縦の長い傷跡が痛々しい。

「シャワーは?」とクーガがきく。

「あっちよ」とあたしが指さす。

 クーガはあたしの部屋のシャワールームで身体を洗った。右の太腿から血がタラタラと流れている。

 シャワー室の扉をあけ放したまま、レイとあたしはクーガの様子を見守った。

 クーガはナイフを右手にもって、太腿に突き刺す。

 うっ、痛そう。

 そのままグリグリとえぐる。血がドクドクとあふれ出し、シャワーのお湯と混じってくるくると排水口へ消えていく。

 コロンと弾丸がシャワー室の床に落ちた。

 ふうーっ、あたしは止めていた息をはく。

 何にも言わないけど、相当痛いはずだ。がまん強いったらない。

 それから血を洗い流し、消毒薬をふりかけて、針と糸でぬった。布をぬいあわせるみたいに。

 やばい、気分が悪くなってきた……

「……それで、大勢死んだみたいだけど、何があったの?」とレイ。

 この光景を見てて、よくそんな冷静でいられるね?

「……サルビアの大統領と、この州の上院議員につながりがある……その証拠の大統領の親書を手に入れたかった……」

「ワナだったのね?」

「ああ……クーガをつるためのエサだった……仲間が大勢撃たれた。死んだ者もいるだろう……」

「それで、どうするの?」

「これがワナだったとしても、用意したエサは本物だ。だったらもう一度やるしかないだろう?」

「もう一度やるの? 一人で?」

「ああ。手伝ってくれるのか?」

 えっ!?

 手伝うって……

 レイが犯罪者になっちゃう。止めなきゃ。絶対にダメ!

「あんただろ? ドクター・オルソンが上海で会って、生命を助けられたって話してた……上海ドール?」

「ええ、そうよ……でも昔の話で、今は只の留学生。残念だけど、手伝えないわ」

「そうか……残念だな……」

 ええっ、何? ドクター・オルソンって誰?

 上海ドール? そんな二ツ名聞いてないよぉー!

 クーガがバスタオルで身体をふきながらシャワールームから出てくる。

 血はもう止まったみたいだ。少し足を引きずってる。

 あたしは自分のシルクのバスローブをさしだす。なぜか手がぷるぷるとふるえる。

 それを身につけると、テーブルに乗った料理をぱくぱくと食べはじめた。

「……ステーキがほしいな。血の滴るような奴を。血が足りない……」

 血がしたたるようなって……ああ、こいつ獣だ。こわい……

「わかった。すぐ持ってこさせるわ」とインターフォンで注文する。

 レイを部屋のすみへひっぱっていってこそこそと話す。

「どうなってるのよ? 上海ドールってなに? まさかあいつを手伝ったりしないよね?」

「だからそんな気はないって」

 心配だわ。

「本当に?」

「本当よ」レイはしっかりとうなずいて

「わたしはもう帰るけど、明日の朝早く来るわ……彼女も弱ってるから何もできないとは思うけど……用心してね」

「えー、あいつと二人きり? あんたも泊まっててよお。あたしのベッドはキングサイズだから、三人寝てもまだあまるわ」

「クーガとあなたに挟まれて寝ろっていうの?」

 うんうんとうなずく。

 おお、これは、お泊まりのチャンスかも。

 いやね、怪我人の隣で何もしないわよ……たぶん……

 レイはふーっとため息をついて、

「やっぱり帰るわ」

 それからクーガに向かって、

「ジュリーに何かあったら許さないから」ときつい声。

「何かって、何? 生命の恩人だよ。感謝こそすれ、人質にするとか、危害を加えるとか、そんなはずないだろ?」

 人質? そうかあ、その手があったか。あたしは富豪の一人娘。人質にするなら絶好のカモだわ。

 なぜだか迫力負けしてびびってたけど、取っ組み合いになったら負けるはずない。レイとだって引き分けだったんだから。相手は怪我人だしね。

「じゃあ、またね」

「あー、まってー」

 薄情にもレイは帰っていった。

 門限の五分前だった。


 クーガは食事を終え、ミネラルウォーターをごくごくとのみほして「もう寝る。おやすみ」と当然のようにあたしのキングサイズのベッドにもぐりこんだ。すぐにスヤスヤと寝息が聞こえ始める。

 そうか、限界まで疲れてたんだね。

 あたしは目まぐるしかった今日一日をふり返りながら、応接間へ行って、いつものように一人でフルコースの食事をし、ついでに血まみれのクーガの服をクリーニングするようにメイドさんへ頼み、ジャグジーつきの大浴場で、バラの花びらを浮かべたお湯につかりながら、防弾ガラスでできた、天井と壁一面に広がる夜空と中庭を眺めた。

 もし、レイが泊まってくれたら、二人でお食事をして、ここのお風呂できゃっきゃ、うふふ、できたかと思うと、残念でならない。あたしは楽しい妄想にひたりながら浴槽の中でゆらゆらと全身を漂わせた。

 部屋へもどって、クーガが寝てる反対側からベッドへもぐりこみ、枕元のスイッチでヘッドランプだけ残して部屋のライトを消す。

 そういえば宿題をやってなかった。まあ、いいか。

 突然、手首をつかまれた。

「やっと二人きりだね」

 突然、熟睡してるとばかり思っていたクーガが、シーツをゆっくりと押しのけて、あたしの上におおいかぶさる。

「いい匂いがする。バラの香り?」

クーガがコハク色の瞳で、あたしをじっと見る。ヘッドランプの光をはじいて金色に光る。

「バスソルトのかわりにバラの花びら使ってるから……」

 って、ちがーう!

「ちょっと、どういうつもりよ? あたしには危害は加えないんじゃなかったの?」

 ベッドの上でおさえこまれても、その気になれば痛めてる右の太腿をけり上げて、ベッドから突き落とすくらいできる。サイドボードの非常ボタンを押せば、屈強なボディガードもすぐにやってくる。だからあたしは少しもあわてなかった。

「心外だな。危害を加えるつもりなら、とっくにしてるよ。これは助けてくれたお礼……」

 そのままキスされる。

 えーっ、キスがお礼って……

 口唇を軽くなめられて、その感触にぞくっとなる。舌を絡められ、そのまま上口蓋をくすぐられる。

 なんでこんなに気持ちいいのか……こいつってば相当慣れてる……

 キスがこんなに気持ちいいとは知らなかった。ていうか、息ができない……

 やっと口唇が離れて、あたしはハアハアと荒く息をついた。

「……どうしてくれるのよ? セカンドキスはレイとって決めてたのに……」

「へえ」くすりとそいつが笑う。ヘッドランプのあかりでその瞳がキラリと金色に光る。

「じゃあ、もっと練習しなきゃ。どうやったら女の子を気持ち良くさせられるか……」

 またキスされる。頭がぼうっとなって何も考えられない。

 片方の胸をやさしくもまれて、もう片方の乳首をきゅっとつままれる。

 電気を流されたみたいに身体がしびれた。

 何これ?

 片方の乳首をもてあそんだままで、口唇がはなれてもう片方の乳首をふくむ。舌の先でころがされて、あまりの気持ちよさに身体がふるえた。

 片手があたしの肌をなでるように下がっていき、アンダーヘアをかきわけて、一番恥ずかしい所に触れる。

「やだ……もうやめてよ……」

 泣きたい気分だけど、大声は出なくて、かすれた声しか出せない。

「なんで……女同士なのに、今日初めて会ったのに、何でこんなことするの?」

 そいつは指先の動きはとめずに、あたしにささやいた。

「男に生まれてれば良かったって、何度も思ったよ……力を抜いて……あたしをあんたの大好きなチャイナガールだと思って……」

 違う。そうじゃない。こんなのは間違ってる……

 そう思ったけど、あたしはそいつを投げ飛ばすかわりに、力を抜いて身体をゆだねた。

 多分、思ってもむくわれないレイへの片思いに、少しさみしかったんだと思う。

 涙がポロッとこぼれた。


 大きく両足を広げさせられて、そいつの舌があたしの一番大事なところをぺちゃぺちゃとなめる。快感のうずきにまきこまれて、これがあたしの声かと思うようなあえぎ声がもれる。

 ああ……もうやめて……

 でもそういうかわりに、そいつの髪に両の指をからめて、

「……もっと……もっと……」と身をくねらせる。

 わき腹、背中を指でなぞって、

「こんな所にホクロがある」とそいつがいう。

 あくまでもやさしい手つきであたしの全身をなで回し、ほてったあたしの身体がますます火のようになる。

 快感の地平線は果てがなくて、あたしは泣きながら、相手の身体にすがりつく。

 傷あとだらけの身体、黒い肌。何度も絶頂に導かれて、あたしは眠ったのか気絶したのかわからないまま、クーガに抱かれて深い闇の中へ落ちていった。


 眠りの底からドンドンという地響がして、あたしはうーんと目を開けた。

 クーガの腕の中で目覚めたあたしは、あたしを見つめるコハク色の瞳の中に、昨日までのあたしとは違う、あたしを見つける。クーガはにこっとあたしに笑いかけた。それは愛する人を見つめるような眼差しで、あたしは昨夜のことを思いだして、ぽうっと赤くなった。

 ドアがドーンとけり開けられて、あたしはびっくりして、クーガの腕の中からベッドの外に飛び出した。すっぽんぽんで床の上に下り立つ。

 やばい!

 地響だと思ったのは、レイが部屋のドアを叩いたりけったりしていた音だったんだ。あせるあたし。

「そのドアは超合金でできてて、バズーカ砲でも壊れないはずよ!」

 ふんと鼻で笑って、レイはつかつかと中へ入ってくると、

「ジュリーに何かあったら許さないって言ったはずよ」

 そのままクーガに手刀を入れようとする。

 そんなの食らったら死んじゃうよー。

 あたしは、はっしとレイの手刀を右手で止めた。

 うー、右手が砕けた……いや、痛いけど、まだ砕けてない。

「やめて。こばめなかったあたしが悪いの」

 レイは鋭い目つきでクーガをにらむ。

 クーガはすずしい声で、

「そんなに大事な相手なら、もっときちんとつかまえとくんだな」といった。

 二人はしばしにらみ合う。

 え~、これってあたしを二人が取り合ってるの?

 なんかうれしい。

 にやにやと笑いそうになるあたしへ、レイが、

「あなたは何も知らないのよ。こいつがどんなにひどい奴か。白人の女性を何人も夢中にさせて、お金や情報を引き出して……中には自殺未遂した人もいるのよ!」

「えー、そうなの? それは聞いてなかった」

「もっとちゃんと説明すればよかった」とレイはくやしそうに口唇をかんだ。

「えーと、そうだ朝食にしようよ。お腹が空いたわ」とあたし。

 レイの視線が気になって自分の身体を見下ろせば、いたる所にキスマークがある。

 やばい!

 急いでバスルームに走り込み、シャワーで身体を流す。

 外で二人が話してる声がする。

「そんな大怪我してるくせに、手が早いわね」とレイ。

「感謝の気持ちを表しただけさ。あの子はいい子だね。ゆうべもあんたの名前しか呼ばなかったよ」

 ひー、やめて。それ以上言わないで!

 スポンジでゴシゴシこすってもキスマークは消えない。あせるー。

「ジュリーをあなたの計画にまき込まないで」

「それは、あの子次第だ」

「……やっぱり殺すしかないようね……」

 やばい!

 あたしは半分しかシャボンの泡を落とさずにシャワールームを転がり出た。

「落ち着いて、レイ。大丈夫だから。ね、ね。朝食にしようよ」

 あたしと入れ違いにクーガがシャワーを浴びに行く。

 あたしは大急ぎで服を身につけた。


 応接間の長テーブル、あたしの席はその先端で、いつもなら一人なのに、今日は右の角にレイ、左の角にクーガの席がある。

 メニューはいつもの、スクランブルエッグとベーコンとトーストとフルーツとミルクだ。クーガにはおまけにレアのステーキをつけてあげた。まだ血が足りないだろうしね。クーガはクリーニングした昨日の服を身につけている。朝の光の中では、やっぱりどこにでもいる普通の黒人の青年にしか見えない。目を伏せてるとコハク色の瞳も見えないし。

 レイはいつもの紫色のチャイナ服。いつみても姿勢が良くて、すっきりした姿だ。黙って座っていれば、とても超合金のドアを叩き壊すようには見えない。両耳の上のおだんご頭も可愛らしい、あたしのこがれてやまないチャイナドールだ。

 簡単な朝食前のお祈りをして、食べはじめる。一人で食べるより三人で食べる方がおいしいような気がするのは気のせいかな?

 しかし会話がはずまない。

 あたしは無理に話題をさがして……

「そういえば、クーガって本名なの?」

「いいや」

「じゃあ、本名は何? 教えて」

 クーガはちょっと考えて、

「ゲイリー・サラザン……クーガはあだ名だ」

「クーガってサバンナにすむ、ヒョウみたいな茶色い肉食獣よね? あんたってクーガていうより、ブラックパンサーの方がいいよ。あだ名変えるといいよ」

 そういうとクーガはクスクスと笑い出した。

 何かおかしなこと言ったかな?

「ゲイリーって男名だよね? まあ、アリアやメリッサとかよりはあんたに合ってるけど」

「母親がつけたんだ。女の子じゃなくて男の子がほしかったらしい」

「ふーん。じゃあ今度からゲイリーって呼ぶね……年はいくつなの?」

「18才」

「へー、あたしとひとつしか違わないんだ。もっと年上かと思った」

 ゲイリーだけでなく、レイまで横を向いて必死で笑いをこらえている。だから、あたしが何かおかしなこと言った? まあ食卓がなごやかムードになったからいいか。

 食事が終わって、あたしはゲイリーに聞いた。

「あたし達は学校へ行くけど、あんたはどうするの?」

「タクシーを呼んでくれれば、すぐ出ていくよ」

 100ドル貸してくれというので、あたしはおサイフの中から100ドル紙幣を一枚出して渡した。

 ほとんどのお店はカードで買い物してるから、あんまり現金はもってないんだよね。

 サングラスを一個かしてくれっていうから、あたしのお気に入りのレイバンのサングラスを一個あげた。ゲイリーがかけると、ちょっと不良度が上がった。一番の特徴のコハク色の瞳が隠れると、道でみかける普通の黒人の青年みたいになった。次に見かけてもわからないかも。

「世話になったな……ありがとう」

「うん。元気でね」

 握手をかわすとゲイリーと横で見ていたレイもまたくすくすと笑い出す。

 だから、何で笑うの? わかんないよぉー。

 タクシーに乗り込むゲイリーを見送って、あたしとレイは学校へ向かった。

 急がないと、遅刻しそうだ。


 学校でレイに何で笑ったのか聞いてみた。

 レイは説明してくれた。

「だって、相手は名うての凶悪なテロリストよ。なのに、あなたってば普通の友達みたいに本名や年齢を聞き出して。、情熱の一夜のあとに、平気で握手ひとつでさよならなんて。向こうはまた、死ぬかも知れない危険な仕事に行くのに……やっぱりジュリーはジュリーだなって感心したの」

「えーっ、それってバカってこと?」

「うーん……まあ、そうかもね」

「ひどーい!」

 レイの背中を叩こうとしたけど、さっとよけられた。

 やっぱり中々触らせてもらえない。

 でもいつか、ゲイリーに教えてもらったあれやこれやをレイと二人で試せたらなあ、とあたしの楽しい妄想はふくらむ一方だった。


 バンソーコーで隠してた首筋のキスマークが消える位の日々が、何事もなく過ぎていった。

 街の大通りで銃撃戦があったことは大きなニュースになったけれど、民間人には犠牲者が出なかったこともあって、街はまた活気に包まれるようになった。

 日曜の夜、今日はレイに振られたので(また、乳児院のボランティアへ行くらしい。あたしは遠慮することにした。あたしが行くと、あそこのシスター達の精神衛生によくないからね)他の友人数人を連れて、パブで楽しく踊っていた。

 ビートのきいた音楽は大好きだ。リズムに合わせて身体をゆらしていると、自然にウキウキしてくる。ビールをほんの少し飲んだ。ジョッキで二杯くらい。こんなのお酒のうちに入らないよね?

 音楽が切れて、ほてった身体をさまそうと席へもどる。

「やあ、久しぶり。100ドルとサングラスを返しにきたよ」

 見おぼえのあるスタジアムジャンパーを着て、サングラスをかけた黒人の青年があたしの席にすわってた。

「えー、誰?」

「黒人の友達がいたの?」

「ちょっとカッコいいよね」

「紹介してよ」

 口々にたずねる友人を「少し二人だけで話させて」とよそへいってもらって、ゲイリーに話しかける。

「国へ帰ったんじゃなかったの?」

「うん、そう思われるように大人しくしてた」

「こんな人の大勢いる所で、みつかったら大変じゃない?」

「人が大勢いる方が、見つかりにくいんだ」

「どこに隠れてたの?」

「知り合いの所に……傷がよくなるまでね」

 知り合いかあ。そういえばこいつはあちこちに知り合いの白人女性がいるらしいから、その一人ってことか。もしかして、あたしもその一人なのかな?

「助けて欲しいんだ。その知り合いにも頼んだけど、自分には無理だけどあんたならできるって……あんたにしか頼めないんだ」

 えー、あたしを頼られるのも悪い気はしないんだけど……

 腕を引きよせられて、あたしはゲイリーの膝の上にストンと腰かけた。

 ゲイリーはサングラスをはずして、あたしをじっと見る。ミラーボールの光に反射して、その瞳が金色に光る。

 あごに指をかけてキスされる。

 舌をからませる濃厚なディープキス。ビートのきいた音楽と心臓の音がシンクロする。

 ううーん、やっぱこいつってばキスが上手だ。身体がうずいてくる。

 口唇が離れてから、あたしはテーブルの上に乗った、半分ばかり中身の残ったビールのジョッキをとり上げて、その中身をゲイリーの頭の上からバシャッとかけてやった。

「安く見ないでよね! 色じかけでまどわせるほど、甘い女じゃないのよ。レイにだって、これ以上あんたにはかかわるなってさんざん言われてるんだから」

 ゲイリーは頭からビールをかけられて、上着も全部ビールでぐっしょり濡れて、怒るかと思ったら、傷ついたような目であたしを見た。

「悪かったよ」

 それから100ドル紙幣を一枚ポケットから取り出し、サングラスと一緒にテーブルの上に置いた。

「じゃあ、元気で……人前で踊る時はもう少し長いスカートをはけよ」

「余計なお世話よ」

 そりゃあ、あの時は魔が差したというか、あんな事になっちゃったけど、あたしがそれで自分の思うようになるなんて、そんなはずないじゃない。犯罪の手伝いをしろなんて、冗談じゃない。

 ゲイリーは立ち上がって、あたしに背中を向けた。

 人波にまぎれて消えようとする。

 踊りに夢中な人達は誰もこっちを見ようともしない。

 行かせればよかったのよねえ。レイにもさんざん言われてたし、こいつってば女なのに女たらしで、しかも凶悪なテロリストだっていうし。

 あの夜のことは夢みたいにあたしの中では消えかけてた。キスマークが薄くなっていくにつれ、現実にあった事とは思えなくなっていた。

 でも、ここで別れたらもう二度と会えないかもと思ったら、自分でも信じられないけど、あとを追いかけていた。


「待ってよ!」

 外階段で追いついて、ゲイリーの肩に手をかけてこっちを向かせる。

 こっちを向いた顔はにやにや笑っている。

「安く見ないで……だっけ?」

 しまった。はめられた。

 えーい、もうこのさいどうでもいい。

「もう少しくわしく話を聞かせてよ……あんたの国の……どこだっけ?」

「サルビア共和国」

 おぼえてないのかといいたげな口ぶり。

「そうそう、そこの大統領の親書だっけ? それってどこにあるの?」

 ゲイリーはこの街の一番大きな銀行の貸し金庫にその書類が保管されていると言った。

「その書類が手に入ったら、どうするの?」

「どうもしない。ただ持ってるだけだ。それでも、この国が裏でサルビアの大統領を支援しているのを、やめさせることができるはずだ」

「そんな大事な書類をどうやって盗み出すのよ? あそこはどんな強盗だって手を出せない、完璧なセキュリティーを自慢にしてるのよ」

 ゲイリーはポケットから魔法のように小さなカギを取り出した。

「貸し金庫の合いカギだ……苦労して手に入れた。でも貸し金庫は銀行の奥、二重三重にロックがかかった扉の奥深くにある。一度は正面から突破しようとして失敗した……待ち伏せされてて、仲間が大勢死んだよ……」苦しそうな声。

 そうか、そういえばあの銃撃戦があった近くに、その銀行があったっけ。道路に倒れていた何人かの黒人達の姿を、あたしも思い出す。

「あんたのサイフの中に、これと同じようなカギが入ってるだろ?」とゲイリー。

「あー、そういえば」

 いつ見られたんだろう? 自分でも忘れてた。

 あたしの16才の誕生日にパパがプレゼントしてくれたダイヤのネックレス、それをあそこの貸し金庫に預けていたんだった。

「100万ドルのダイヤのネックレス……宝石好きなご婦人方は、一度はそれをつけてみたい。つけられなくても見てみたいって、ウワサになってるらしい」

「へー、そうなんだ」

 どうせそんなダイヤのネックレスをつけて行くような場所もないし、しまいこんだまま忘れてたんだけど。

「だから、あんたにしか頼めないんだ」とゲイリーは言い、そのあとの作戦を入念にうちあわせた。


 あたしは店にもどって友人達にもう帰ると告げた。

「えー、まだこれからなのにぃ」ぶうぶうと不平を言いながらも、すぐに帰りしたくを始める。

 あたしが「今夜はお開き」といったら、終わりなのはみんな知ってるからね。

 それから店の電話でゲイリーの教えてくれた番号にかける。相手は例の銀行の一番偉い頭取さんだ。

 あたしの名前を告げると居留守を使われることもなく本人が電話に出た。

「これはこれはスカイフォーク家のお嬢様。今夜はいったいどのような……」

 あたしはうーんとわがままそうな声で、

「あのね、お願いがあるの。あたしの貸し金庫に入ってるダイヤのネックレスね、今夜どーしてもつけたいの。友達に見せてあげるって言っちゃったのよ」

 向こうは、銀行はもう閉まっている時間だとか、タイムロックがかかっていて、とか言い訳をくり返していたけど、

「そんなのわかってるわよ! だから電話してるんじゃない。あなた銀行で一番偉い人でしょ? 何とかしてよ。でないとあたし名義の預金を全部、よその銀行にうつすわよ」とおどした。

 本当はあたし名義の預金は全部パパが管理していて、そんな権限はあたしにはないんだけどね。金額もいくらかなんて知らないし。

「とにかく、30分後に銀行の前で待ってるから、遅れないように来てね」と電話を切る。

 とってもわがままなお嬢様っていうのがあたしの役割。

 え? 地だろうって?

 まさか。本当はちょっとおてんばなだけで、普通の女の子なのよ。

 まあ、やりたい事は何でもやるし、あたしをとめられるのは、年に何回も会えないパパか(スカイフォーク・グループの会長として、世界中を飛び回ってるからね)親友のレイくらいのものだ。

 ああ、レイがこの事を知ったらびっくりするだろうな。

 あたしはレイがゲイリーの手伝いをするんじゃないかって心配してた。

 だって、レイはゲイリーの事を間接的にしろ知ってるみたいだし、最初にゲイリーを助けることに決めたのもレイだったから。

 それが気がつけば、あたしの方がゲイリーを手伝うはめになってる。

 それは多分、あの悲惨な現場を見たからだろう。

 黒人だっていうだけで、簡単に撃ち殺していいの? サルビアって本当はダイアモンドが産出する豊かな国なのに、その富の90%をよそから来た白人が奪っているなんて。

 世襲制の大統領の独裁のせいで国民が苦しんでて、ゲイリー達は革命を成功させようとしている。

 あたしは今まで政治とか全然興味なかったけど、そんな話を聞いたららゲイリーに味方したくなる。

 テロリストじゃなくて、革命軍の兵士だってこだわるゲイリーの思いに巻き込まれてるのかもしれない。

 これってやっぱり色じかけでだまされてるのかな?……ゲイリーに協力するご婦人方もきっとあたしと同じような気持ちなんだろう。自殺未遂した人ってのは気になるけど……

 運転手さんに友人を寮まで送ってもらうように頼んで、あたしは自分で運転してきてたフェラーリF40にゲイリーを乗せて出発する。シートを新品に取り替えたばっかりでメンテナンスもばっちりよ。

 約束の30分がすぎる前には銀行の前に着いてた。


「まったく、こんな時刻に貸し金庫を開けろとは……」

 ぶつぶつ言いながら、頭取さんは裏口を開けてくれた。

 そうか、そんな入り口があったのか。

 頭取さんの横には屈強そうなガードマンが二人ついてる。

「そちらの方は?」とゲイリーのことを不審そうに見る。

「友達よ。さっきビールをかぶっちゃったんだけど、気にしないで」とウィンク。

 ゲイリーは金属探知機みたいな棒で全身さすられて、ついでにあたしも調べられて、やっと中に入れた。

 ゲイリーはサングラスをかけ、黒人の軽そうな若者ぶりが板についてて、笑ってしまいそうだ。

 ロックのかかった大きな扉を、暗証番号を押したり、手動で動かしたり、二つも三つも超えた先に貸し金庫が現われた。

「ありがとう~」

 あたしはサイフに入っていた小さなカギに刻印された番号のところへ行って、貸し金庫の扉をあける。

「そうそう、これよ、きれいでしょ?」

 ダイヤのネックレスを取り出して、みんなに自慢そうにかかげて見せる。

 大粒のダイヤが一連に並んだネックレスはキラキラ輝いている。

 100万ドルの輝きだ。

「これほど大きくて粒のそろったダイヤのネックレスは世界中にもそんなにないってパパが言ってたわ……ねえ、つけてくれる?」

 頭取さんにネックレスを渡して後ろを向き、ストロベリーブロンドの髪をかき上げる。

 頭取さんはため息をつきながらあたしの首にネックレスを回して留め金をかけた。

 その瞬間をのがさずに、ゲイリーが二人のボディガードの後ろに回り込み、首筋を叩いて失神させる。ものすごい早業だった。

 まあ、あたしのきれいなうなじとダイヤに見とれてたから、スキができたんだけどね。作戦通りだわ。

 膝からくずれ落ちた二人のボディガードを見て、頭取さんが青ざめる。

「き、きみたちは……」

 腰が抜けたようにその場に尻餅をついた。

「ごめんね。親切にしてくれたのに、悪いわね」

 ゲイリーは気の毒な頭取さんも、同じように気絶させる。

 それから、お目当ての貸し金庫を開けて中身を取り出す。

 書類をすばやく点検してポケットにねじ込む。

 ムダのない機敏な動き。ちょっと前、右の太腿を撃たれて足を引きずってたのが信じられない。

「逃げるぞ」とあたしを促して走り出す。

 とっても足が速い。おいていかれそうだ。なのに足音がしない。あたしのローヒールのくつは廊下にカンカンと鳴り響くのに、こいつってば足音をたてずにすごい速さで走っていく。

 やっぱりクーガよりブラックパンサーの方がいいな。

 その方が合ってると思う。

 あたしはそんなことを考えてた。


 あたしのF40に飛び乗って、ゲイリーの指示どうりに夜の街を走らせる。

 街はずれのさびれた小さな公園が目的地だった。街灯が一本だけ立って薄明かりでジャングルジムやすべり台なんかのいくつかの遊具を照らしている。昼間はここで若いお母さん達が小さな子供を遊ばせているのかもしれないけど、今は誰もいない。

「……ここでいいよ。ありがとう。おかげで助かったよ……」

 ゲイリーが車を下りる。あたしも車を下りてゲイリーの側に立つ。

「これでお別れなの?」

「ああ……今回は誰も死ななかったし、あんたは未成年だ。あたしにそそのかされたって言えば、大した罪には問われないさ」

「……今回はって……いつもなら、ああいう場合は、あの人達を殺すの?」

「そうだね。殺した方が時間がかせげる。今回はあんたを殺人の共犯者にしたくなかったから……まだまだあたしも甘いね」

 あたしはぶるっと身ぶるいした。

 薄着で風が冷たかったせいじゃない。ゲイリーが本気でそう考えているのがわかったからだ。

 初めて目にする冷酷な表情。ああ、こっちが本当の顔なんだ。

「あいつらにも家族や友人がいて、仕事には忠実で、将来には夢も希望もあるだろう。でも必要なら殺すよ。それがあたしの生きてる世界だから」

 今まであたしに見せていた顔は全部演技で、あたしをそそのかして、利用するためだった。

 やさしさも笑顔も全部ウソ。

 胸が切ない……苦しい……

 このあたしが、こんな奴を好きになったっていうの……?

 なんてバカなんだろう。でも、もっとバカなことを口走っていた。

「連れていって! あんたの側にいたい…あんたの見るものをあたしも一緒に見たい!」

 ゲイリーはあたしを見つめた。今までも何人ものバカな白人女がこんな事を叫んだのかもしれない。

「あんたはこれを、何かロマンチックなものとカン違いしてるだけだ。あたしがそう仕向けたから……あんたとあたしは住む世界が違う。戦争はただ人が大勢死んで、グロテスクなだけさ。お嬢様は家に帰った方がいい」

 あたしはなぜかポロポロと涙をこぼした。

「だったらどうしてそんなに傷だらけなの? 身体だけじゃないよ! 心もズタズタに傷ついてるでしょ? ……あんたは一人で走っていく。足が速くて誰も追いつけない。一人で闇の中に消えていきそうで……あたしはあんたの側にいたい。側にいて……守ってあげたい!」

 われながら言ってることがメチャクチャだ。

 でも本心だった。

 闇の中のブラックパンサー。金色の瞳だけが光っている。

 ほんとはあたしなんか足手まといで、つれて行っても何の役にも立たないだろう。

 でも、守ってやりたいって気持ちはどうしようもない。

 ひっくひっくと泣きじゃくるあたしを、ゲイリーはずっと見つめていた。


 まもなく一台の車がやってきた。どこにでもあるような黒いセダンから二人の男が下りてくる。

 一人は背が高くて、もう一人は背が低い。どちらも黒人だ。

「遅いよ!」とゲイリーが言う。

「すいません」と背の高い方があやまる。

 ゲイリーは背の低い方へ、

「この車を売っ払え。できるだけ早く。足がつかないように気をつけろ」

「はい」

 そいつはあたしの車に乗ってどこへともなく走り去った。

 あー、あたしのF40、まだ3ヵ月しか乗ってないのに……

 黒いセダンの後部座席にゲイリーとあたしが乗り込むと、背の高い方の男が運転手になって、車を発進させる。

 ゲイリーはあたしの首に両手を回してくる。

 どきっとしたけど、すぐに身体は離れて、その手にはダイヤのネックレス。それをむぞうさにポケットに入れる。

「うちは貧乏でね、軍資金はいくらあってもいい。……お望みどおり、とことんしゃぶりつくして、ボロボロにして捨ててあげるよ。それより、流れ弾に当たって死体になる方が先かも知れないが」とにやっと笑う。

「わかってるわよ!」

 早まったかもと、ちょっと後悔……

「地獄を見る事になるよ」とゲイリーがいう。

「……地獄の底まであんたにつき合うわ」とあたし。

「真っ直ぐないい子だね。そういえばあの子はいいの? レイっていったっけ? あの上海ドールに惚れてたんじゃないの?」

 レイか……あたしの初恋。レイのことを考えると胸がほっこりして、身体がふわふわしてくる。あたしの愛しいチャイナドール。

「関係ないわよ、あんなやつ。ろくに手も握らせてくれないし……とにかく、あたしはあんたに惚れたの!」

「うん……さっきのくどき文句はぐっときたよ。守ってあげたい……だっけ?」

 カーッと頬が熱くなってくる。

「あれはその……その場の勢いというか……」

「うれしかったよ。そんなこと言ってくれたのはあんたが初めてだったから……それで、どうやって守ってくれるのかな?」

 うー、やっぱりこいつは性格が悪い……

 まさか、またはめられたんじゃないよね?

 革命軍の兵士として、あたしはやっていけるんだろうか?

 サルビアって90%が黒人っていってたよね?

 あたし今まで黒人ってあんまり見た事なかった。

 そういえば言葉は通じるんだろうか?

 ああ、ますます早まったかもと後悔。

 そんなあたしを乗せて、黒いセダンは夜の中をゆっくりと走って行った。


 まって、まだ続きがあるの。

 港から小さな漁船に乗って、どこかの島について、セスナ機を何回か乗りかえて、やっとサルビアへ到着した。

「じゃあ、頑張って」とゲイリーは、あっさりと手を振って去っていき、気がつけばあたしはジャングルの真ん中のほったて小屋にいた。

 ここはいくつかある革命軍の初年兵を訓練する施設らしくて、10才から15才くらいまでの少年兵が15、6人程集団生活をしてた。

 鬼のような初老の指導教官がいて、やせて小柄な姿が寮の舎監先生を思い出させる。全然似た所はないんだけど。

 現地の言葉は全然わかんなかったけど、英語が公用語でみんな話せたから、会話の心配はなかった。

 つまり2ヶ国語をあやつってるのよね? すごいわ。

 でも、何でこうなるのよ!

 あたしの予定では、あたしはゲイリーの相棒になって、ドキドキハラハラの解放戦線の生活が待ってるはずだったのに。

 子供達に混じって石をいっぱい入れたリュックを背負ってのジャングルの中の行軍、模擬小銃を両手に支えてのホフク前進。全力疾走を繰り返したあと、木に登って、そこから川に向けてジャンプ。石が入ったリュックを背負ったままじゃおぼれ死ぬって。

 ジャングルの中は虫だらけで、ブヨや蚊が大軍で襲いかかってくる。いつの間にか服の中に入ってたヒルが血を吸ってウィンナー位の太さになってる。それを引きはがすと血が止まらなくなって、子供達に笑われるやら、血止めの軟膏を塗られるやら……火を近づけて焼くとポロッと落ちる。生きたまま引っ張ると吸い口が残って血が止まらなくなるなんて、知らなかったよ。

 食事がまたひどくて、乾パンと缶詰なんてまだいい方で、得体の知れない川魚や獣の肉を簡単にあぶって塩を少しかけただけ。生臭くて食べられたもんじゃない。ああ、オマールエビをきのこのクリームあえで食べたい。キャビアをビンからスプーンですくって赤ワインでのどに流し込みたい。ここじゃ温めたミルクのかわりにヤギの乳を水で薄めて飲んでるのよ。

 水が貴重だからってシャワーも浴びれない。水で絞った布で拭くだけ。川で泳いでも、あたしの自慢のストロベリーブロンドの髪はベタついたまま。

 もう最低……

 子供達はよそよそしいか、バカにするかだし、暑いし、何をやっても指導教官には怒られるし……

 もう帰りたいよー。

 ふかふかのベッドでエアコンのきいた所でぐっすり眠りたいよー。

 こんな獣の吠え声が近くに聞こえるほったて小屋で、わらの寝床で明かりは月明りだけなんて、そんなの聞いてないよぉ。

 昼間の訓練の疲れで、子供達はみんなぐっすり寝ている。あたしだけ眠れなくて、ゴロゴロと寝返りを打ち、右側の子、左側の子にぶつかって、もう! とか、うるさい! とか文句言われる。せめて、もうちょっとスペースがほしい……

 この後あたしはどうなるんだろう?

 やっていけるんだろうか? 不安は大きくなるばかり…


 じゃあこのへんで。

 チャンスがあったらまた会おうね。

 バーイ!      

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