第6話 十五夜お月さん、雲隠れ
すっかり夏空になり、ますます詩乃の愚痴が増えていく。
おかげさまで水
「あいつのがに股はどうにも見苦しいねぇ」
詩乃がそう言って団扇で顔を仰ぐ。
番頭も、確かに。と言いながら、通りをホイホイと言いながら歩いていく運び屋を見送る。
運び屋は小柄な男で、昔泥棒だったとか、何とか、そんな筋の男だろうと思われる。小柄と、人のよさそうな顔と、ずるがしこい頭のおかげであっちに病人がいるとか、そっちで病気が発生したとか聞いてきては薬師に薬を作らせている。そしてできた薬を店に持ってくる。情報と薬の運搬がこの男の仕事だ。
そして運び屋が先ほど言ったことが詩乃にため息をつかせた。
小菊がすでに十日帰ってきてないという。小菊が話していた卯長屋のおまさも帰っていないという。そのうえ、ほかにも数名の女が行方をくらましているという。
「ただね、みんな一人もんだったりして、捜索願出す相手がいないんですよ。長屋暮らしだとしても、普段からあまり関わっていないような女ばかりでね、男でもできて出て行ったんだろうとか言われている女もいましたねぇ」
運び屋はそう言った。
「さみしい女ばかりを集めてどうする気だい?」
屋根が壊れるかと思うほどの夕立が降って、昼間の暑さが少し涼むといいなぁと思いながら、店の中の片づけをしている時だった。
「邪魔する」
「邪魔するなら帰っておくれよ」
岡 征十郎は詩乃の声が近くで聞こえてはっとして顔を上げた。詩乃は夕立のせいで店先に出していた商品(暑気予防の飴を売っていた台)を番頭と一緒に中に入れていて、入り口側に立っていたのだ。
岡 征十郎はすぐに視線をそらし、
「お前に確認してほしいものがある」
そう言って懐から櫛を取り出した。どこにでもあるつげの櫛だが、そこに菊が五つ彫られていた。それは小菊のものだった。
「小菊姐さんの、」
「間違いないか?」
「姐さん?」
「番所にいる」
詩乃はしばらくして番頭に頷くと、蛇の目傘を手にした。
番所はひんやりとしていた。こんなに暑いのに、首筋に汗が流れているのに寒いとさえ思えた。
長屋の大家の長兵衛も身元確認で来ていたが、長兵衛は自分より、詩乃のほうがいいというので呼んだのだそうだ。
「行方が分からなくなっていたそうだが、お前、心当たりは?」
岡 征十郎の言葉に詩乃はゆっくりと岡 征十郎を見る。
「……ない」
岡 征十郎は違和感を感じた。知り合いの死にショックを受けて返事が遅くなったと周りは思っているようだが、この女がそんなヤワでないことはよく知っている。―何か隠している―直感的にそう感じた。
「誰が引き取るの?」
詩乃の言葉に、親類縁者がいないので、無縁仏に。と答えると、詩乃は、
「それならうちの寺に連れて行くよ。構やしないだろ?」
小菊の死因は崖からの転落のようだった。見つかった谷の上のほうで足を滑らせた痕も見られたし、体中に泥やら擦り傷やらがあったので、事故だということで処理された。
運び屋が荷車を引いてきた。この男の耳は地獄耳だな。と思うほど、どこに居ても、詩乃が必要だと思えば姿を見せる。
小菊は筵ごとそこに乗せた。
ごろっと車輪が動き、運び屋一人で荷車が動く。こいつは力もなんぼのもんだと思いながら、詩乃がそのあとを歩く。閉じた蛇の目傘から雫が垂れる。水たまりができてぬかるんだ道に車輪が取られる。詩乃が押そうとした横から手が伸びた。岡 征十郎だった。詩乃は黙ったまま頷いた。
荷車は大川を渡り、とある小山の坂を上りきったところにある、極楽寺に着いた。
念仏も、線香の匂いの気配もない寺の境内に荷車を入れると、本堂から赤ら顔の住職が出てきた。
「真昼間から酒かよ」
詩乃の言葉に住職はつるつるの頭を撫でる。
「手厚く葬っておくれ、あたしの知り合いなんだ」
詩乃の言葉に住職は手を合わせ、かかっていた筵をはぐって顔を見て、
「べっぴんやな」
と関西訛りで言った。
「名前は小菊。戒名は任す」
「ほな、今からしましょか? 明日にしたら、あんた来んやろから」
住職はそういうと本堂に戻り、運び屋と一緒に準備を始めた。
「生臭坊主が」
詩乃が吐き捨て、境内へ上がる階段に腰を下ろした。
「お前、心当たりがあるんじゃないのか?」
岡 征十郎のほうを見上げる。
「なんでそう思う?」
「返事が遅かった。お前はほとんど即答する。しばらく考えている時には、そういうそぶりをする。だが、さっきのあれは考えているのとは違った気がした」
詩乃は鼻で笑い、
「なんとも説明しにくかったからね。小菊姐さんが居なくなったのは十日前。と言っても、その二日後に長兵衛長屋に行って初めて知った。そん時、近所のおカミさんたちに、大変なことかもしれない。と言って出て行ったきり帰ってこなかったらしい」
「そういう話だな」
「その数日前、うちの店にやってきて、どうにもこうにもおかしいことがあるって言ってね」
「おかしいこと?」
「知り合いが居なくなったっていう話さ。卯長屋のおまささんて人しか名前を憶えていないけど、その人と、あと二人。おまささんは、泊まり込みの仕事明けに姿を消し、あとの二人は芝居小屋の役者に夢中になっていた。ということしかわからない。だけど、揃いも揃って急に居なくなったもんだから、姐さん、仕事先やら、長屋やらに聞いてみていたらしいのだけど、その中でなんか見たか、聞いたかしたんだろうねぇ」
「それなら、番屋に申し出てくれば、」
「多分、一度は行ったんだろうよ。だけど、……そう、独り身の、近所付き合いの悪い女が二、三日行方をくらましたからって、どこかに男でもできたんだろうで終わってしまったんじゃないかね」
「つまり、この女以外に、卯長屋のおまさと、あと二人。少なくても三人の行方が解らないっていうんだな?」
「運び屋の話しでは、そういう女があと四、五人いるらしいよ。どの女も、捜索願を出してくれるような人がいないと来ている。こうなってくると、なんだか変なことが起こっているような気がするよね?」
「変なこと?」
「誰も探さない、消えても誰にも気づかれない女を誘拐したら?」
「したら?」
「……そのあとはいくらでも考え付くけれど、いやなことしか浮かばないじゃないか」
「確かに、」
葬儀の用意ができたと声がかかり、参列者は、詩乃と岡 征十郎という何ともさみしい葬式が執り行われた。葬式の間に運び屋が穴を掘っていて、そこに丁重に埋葬された。
土がかけられていく。
六薬堂に戻ると入り口で番頭が塩を持って立っていた。
「なんだい?」
「お清めですよ」
「……あ、そ。でも化けて出てくれたらどうしてそうなったか知れるけどね」
「バカを言わないでくださいよ、もし出たら、詩乃さんだけで対応してくださいね」
番頭はこれ見よがしに塩を詩乃にぶつける。日頃の恨みか? と文句を言いながらそれを浴び、払って中に入る。岡 征十郎も同じく塩を受け、店の中に入った。
「それで何かないのか?」
「何かと言われてもねぇ。小菊姐さんがどこへ行ったのかさっぱりだしね」
と言ったところで、娘が駆け込んできた。
「もう店は、」
番頭が制止するのを娘は払いのけ
「助けてください。探してください」
と訴えてきた。
ここは番屋じゃないと言いかけたが、それがあの米屋のたか子だったので番頭も黙って詩乃を見た。
「何があったのさ?」
「おみつが、おみつが」
たか子は突っ伏して泣き出した。しばらく泣かせていたあとで、たか子はしゃくりあげながら顔を上げ、
「もう、も、う、三日も、帰ってこないんです」
「使いに出てるんじゃないのかい? それにそういうことなら番屋に、」
「番屋にも行ったんです。でも、使用人が店を放って逃げることはよくあるって取り合ってくれなくて、あと、頼れる大人は、ここしか思いつかなくて、」
たか子は頭を振り乱しながら、とにかくしゃくりあげて話がまともに分からないので、水を飲ませ落ち着かせてから、ゆっくり話せと促す。
「おみつに頼んだんです。もう、あたし、お父さんに買い物禁じられて、外に出れなくて。でもどうしても欲しくて」
「何を?」
「芝居小屋の、芝居小屋の絵」
しゃくりあげながらそう言うと、詩乃が眉を顰める。
「数珠を売ってる芝居小屋?」
「……? そんなものは売ってませんでしたけど……、でも、特別なお客さんならありうるかも」
「特別な客?」
岡 征十郎の言葉にたか子はやっと岡 征十郎がそこにいることに気づきぎょっとして立ち上がった。
「話を続けて、特別な客って何さ?」
詩乃がたか子の手を握って小上がりに腰かけさす。
「寄付をした人とか言ってましたよ」
「寄付?」
「えぇ。行脚芝居にしては長く公演できているのは、そうしたお金が集まるからだって言ってました。一口10文からで、いろいろと特典があって、」
「特典?」
「ええ、ある人が言っていた話で、あたしはまだ100文も貯めてなくて、」
100文も使ったのか、このばかむすめ。という顔をした詩乃をよそに、たか子は懐から大事そうに半紙に包んだものを取り出して広げた。
手のひらぐらいの大きさの紙に、「いつもありがとうございます あなたのために今日も頑張ります 梅の介」と書いてあった。
「これ、何?」
詩乃が眉をひそめて言うと、たか子はそれを胸に抱き、
「これは、梅の介様の直筆」
詩乃の顔が歪む。
「ちょいと見せてくれないか?」
岡 征十郎の言葉にたか子は嫌そうな眼をしたが、相手は役人なのでしぶしぶ差し出す。
岡 征十郎はそれをじっと見つめた。そしてしばらく考え込み、
「これをちょいと貸してくれないか?」
「え? でも、」
「決して傷つけやしないさ。それと、おみつに頼んだ買い物ってのは、絵だけかい?」
「そうです。ただ、」
「ただ?」
「……、暮れ五つからだったので、だから、出してもらえなくて。辻斬りかしら? あたしのせいだわ」
たか子がまた突っ伏して泣き出した。
「おい」
岡 征十郎が詩乃に小声で話しかける。
「今どきの芝居小屋って暮れてから営業するのか?」
「さぁね。ただ、その芝居小屋、南蛮怪談という演目をしていたから、まぁ、暮れてからのほうがいいのかもしれないけど」
「とにかく、いっぺんその芝居小屋ってのを見てくる」
「その、紙は?」
「ちょいとな、借りてくぜ」
岡 征十郎はそう言って走り出て行った。
たか子が紙の安否を心配していたので、岡 征十郎は律義者だから大丈夫だと告げた。
「それにしても、奇妙なことですね」
番頭が夕餉を一緒に食べてから帰るように用意をした。どうもこの一件を話し合いたいらしい。
「いったい何が起こってるんでしょうかね?」
「さぁね」
「さみしい女を集めて、吉原にでも売りますか?」
「吉原じゃぁすぐに判るだろうから、少し遠くへ売るだろうねぇ」
「そうですね。じゃぁ、売りに連れていかれている時に、崖から落ちたんでしょうかね?」
詩乃はめざしを頭からかじり、半身を口から出した状態で咀嚼する。
「行儀が悪いですよ」
番頭が言うが、詩乃はそんなことで行儀を直すほどいい女ではない。
「お前ならさぁ」
めざしをご飯の上に置き、詩乃が番頭のほうを見る。
「さみしい女たちを集めようと思ったら、どうする?」
「どうする? さて、どうしましょうかね? 張り紙出しますか?」
「出しているのを見たことはないけどね」
「ですねぇ。そうですねぇ。……さみしい女たちが好きそうなもので釣りますか」
「さみしい女たちが好きなものって?」
「さぁ……でも、そうですねぇ。……そうですよ、それこそ芝居小屋の絵じゃないですか?」
「絵だとして、どうやってそういう特定の女を探すんだよ?」
「特別寄付とか?」
「金持ちの奥様達じゃないんだ。生活に必死な人ばかりだよ」
「ですよねぇ。……。
「いったい何人が居無くなってると思ってるんだい? まぁ、それがすべて同じ原因かどうか不明だとしても、もし、十人の女をかどわかそうと思ったら、十人以上の人間を雇わなきゃいけないじゃないか。そもそも、どうやって見極めるよ?」
「……まぁ、私はですよ。私は、お店に一人でいらっしゃる方を見て、お友達も、親、姉妹もない方なんだなぁと思いますよ」
「一人が好きで行動する人だっているだろうよ?」
「居ませんよ。詩乃さんじゃあるまいに、」
「……そう……じゃぁ、芝居を一人で見に来た女を尾行し、そういった条件に見合った女だとして、どうやって声をかける? 長屋に尋ねたらみんな見てるはずだよ。だが、誰もそんな人は居ないと言っていた。小菊姐さんに限ってだけど」
「二度目を待つんですよ。もし来れば、その時声をかける」
「来なかったら?」
「二つに一つです。二人女が居たら、どちらかは来ます」
「断言するねぇ」
「そういうものですよ」
番頭の言葉に詩乃は釈然としないながらも、確かにそうかもしれないと思っていた。世の中の普通の女の行動は詩乃にはわからないが、どちらかでしかないのならば、半数はいるはずだ。
「それで、二度目に来た女に声をかけたとして、付いて行くかね? 甘いも酸いも知ったような独り身の女だよ?」
「女の人は盲目になりやすいですからね」
「はぁ?」
「喧嘩売らないでくださいよ。詩乃さんは特別ヘンなんですよ。普通の人は、好きな人が居たら、その人に会いたくなるんですよ。それが手に入らないような相手ならなおさら、その人が芝居中に姐さんを見染めたとでもいえば、その気になるもんでございますよ」
詩乃が鼻で笑う。
「バカにしたってそういうもんですよ」
「あんたの言うとおりだとして、何人もの女に声をかけていたら、バレちまうじゃないか」
「そこはうまいことするんですよ。こっそり近づき、あなただけに言いますから、ほかには内緒ですよってね」
「内緒……秘め事好きだからねぇ」
「そういうことですよ」
「だとして、小菊姐さんがその誘いに乗るかね?」
「……小菊さんは、詩乃さんに似た人ですからねぇ。ただ、あの人は義理人情に厚かったですけど」
詩乃が再び鼻を鳴らす。
番頭が膳を下げて洗っている。
詩乃はキセルにたばこを器用に丸めて込める。
―義理人情に厚い―「だからか?」
詩乃の言葉は番頭には聞こえていなかった。
小菊が、大変なことが起こっている。と言ったのは、誘惑されていた人がかどわかされるところを見た。ということなのだろうか? 義理堅く、人情に厚い小菊が助けなければと思ったとしても不思議ではない。ではそれはどこで? 誰が? 何のために? ―多分、売るためだろう。だが、年増の女を売ってどうするのだろう? おみつも同じように連れ去られたのだろうか? あんなしっかりした娘が? 連れ去られるようなことが起こったのだろう。……例えば、薬で体の自由を奪っていたら、重くても、抵抗したり騒がれることはない。途中で気づいた場合、騒がれると面倒だ。陸路は考えにくい。船か……まさかね。そんなスパイ小説のようなことはないよね―詩乃は苦笑いを浮かべた。
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