くらくらくらげ 中学の同級生が人魚になったので、水族館に見に行きました。
柳なつき
くらげって、くらくらするの。
あの子が人魚になったと風のうわさで聞いたので、水族館に、来てみました。
室内。暗い。肌寒い。水槽に種族ごとに仕分けされてライトのようにちかちか点灯消灯を繰り返すくらげを目の前にして思うことはただ、あの子の御言葉。おことばであり、みことばの、それ。あの子の言葉は当時あの子よりもずっとずっとずっと野暮ったくて女でもメスでもないし少女でも女の子でもない、女児でも幼女でもない、ほんとうになんでもない性別女のみそっかすのグロテスクな生物としての私に、痛く痛く痛く痛く、ひびいた。
だってあの子は知っていたのだもの。私が、あの子にとって、そのとき徹底的に下等生物だったんだ、って。
だからこそ私はあの子の言葉にとらわれた、ぬけだせなかった、むしろあの子と会っていないときにそれらのことば、おことばみことばはぐわんぐわんぐわんぐわん私の頭にひびいた、最悪に、嫌だったのは、お風呂のときや着替えのときに自分のもったりとしたグロい肉のかたまりでしかない垂れた乳を見下ろしたときだ。私の乳が女性としてのソレでない、と断定したのもあの子であった。私の胸にくっつくそのふたつは、乳とかおっぱいではなく、単に生まれるときに私の母の腹のなかで細胞ががっちゃんがちゃんにかきまわされて残ってしまったジョセイトシテノセンショクタイ、という要素の後遺症でしかない、と。だからそんなにだぶんだぶんでだらしなく、娼婦にさえなれないふたつの肉塊をもっているのだと――あの子はたいそう嬉しそうに無邪気にかわいく笑っていたのだ。
いわゆるバストサイズで言えば私はDであの子はBだった。だからあの子のほうが小さかった。けどあの子はいつでも言ってた。間違っても私は自分のことを巨乳などと思うべきではない、そんなだるんだるんのゴムみたいな肉塊はだるんだるんのゴムみたいな女性器よりももっと需要がないのだから、と。
なんどでも私は主張したいんだけどあの子の言葉は私のなかでなんどもなんどもなんども反響してぐるんぐるんとめぐった、眠れない夜に自分の胸部に手を当てれば私に襲い来るのは絶望であった。
胸なんて、どうにでもなる、だるんだるんだとしたって、この世のなかには先人の女性たちのすばらしい発明と工夫により最適化されたブラジャーという装置が、ある。そう知ったのは、あの学校を卒業してあらゆる意味であの子からとおくとおくとおくなれて、やっとのことだった、のだ。
あの子、私のなかではまだあの野暮ったい塗れ羽ガラスの制服を着ている。つやつやかがやくおかっぱ頭で身振り手振り激しくなんども首をかしげてる。もどかしそうに。あの子はいつでももどかしそう。そう。いまもいまも、私のなかで確実な存在として――
「くらげって、くらくらする。
くらげって、くらくらするの。
くらげって、くらくらしない? えっ、しないか。わたしは、するなあ。くらくら、するなあ。だってね、あのね。水族館にね、行ったの。行ったのよ? オトコとじゃないそんときは女の子のカノジョとだよお。えへへ。トーサク? けど、そんなのどうだっていいじゃん。わたしのこれからのはなしとはかんけいありません。だから、語るよ? わたしこれからくらげの話、するんだからさ。デートのはなし、するんじゃないんだからさ。シット、やめなよ? 嫉妬。よくない。わたし、そういうの嫌い。
水族館に、行ってみたんだ。
室内で、暗くて、肌寒いの。すごくない? 水族館なんだよ。だってほらあ水族館ったらさあ、ここらへんだったらあの、公園のとこ行くしかないじゃん。デートってよか間延びしたファミリィ、のためのものよね? だいたいあんなぴかぴかぴかぴか光ったおひさまのもとで、海のいきもののなにがわかるっていうんだろう。馬鹿みたい。わかるとしたらそれは、海ではなく、海辺のいきもののことよ? たしかにペンペンのペンギンさんたち、かわいかった。ヒトデやワカメも、愛すべきもの。
けどそれだけでしょう? それは、海のいきものとは言わない。それは海辺のいきものっていうのよ。わたしすっかり憤っちゃった、そうあれは五歳児のときよね。馬鹿みたい。五歳児だからってあんなん騙されると思ってるし、いまだって全人類のほぼひゃくぱーせんとはああいう海辺のいきもの見てぱちぱち拍手なんかしておひさまのもとで人間関係のきずなを確かめあってデート三回めの地味カップルとかがペンギンショーやアシカショーで隅っこで視線を交わしあいながらカワイイネエェーなんて呪文を言い合って、アシカみたいにぱちぱち拍手してるんだ。馬鹿みたい。どうせ、そのあとセックスすんでしょ。そういうのにかぎってブスなんだからああいうやつらこそ人魚にしちゃって人魚ショーすればいいと、思わない?
いまどき人間なんていくらでも動物にできるんだ。世紀末だよ。サイアク。わたしだって人生転落したら動物だもんね。でも原っぱのいきものはいやだなあ。せめて、海のいきものになりたい。海辺のいきものではなくって、海のいきものになりたいの。
サイアクな時代にうまれちゃったねえお互い、ねえ、それだったらもう、罪、犯しまくっちゃったほうがらくらくだよお、
……わたしの見たそのくらげたち。もとは、人間だったんだって。水族館のプレートに書いてあったから、きっと事実だよ。その水族館ね、首都の一等地にあるから、先行導入できたんだって。『ひとくらげ』を。
どういうこと? って思ったよ。人魚でさえも、ないの。……人間がくらげになるってどういうこと?
どういうことだと、おもう?
……薬品でもぶっかけて溶かしたのかなあ? そんなの……人間の甲斐、ないじゃん。ぜーん、ぜんっ。
でも……人間でいたいとも、思わないな。わたしは。
わたしは人魚になりたいなあ。
とても、きれいなの。わたしは人魚ひめになりたいの……」
はい、彼女はそう言った。十四歳のそのとき、たしかにそう言っていた。と、いうことで。彼女がちゃんとお望みのまま人魚になれたのか、意地悪な私は、婚約済みのイケメン長身彼氏とともに、首都のこの水族館へとやってまいりました次第なのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます