ある日のティータイム

虹色

第1話

昼下がりの午後三時。

僕は決まってコーヒーを飲む。もちろん、自動販売機で買った缶コーヒー。120円で心に安らぎが買えるなら、安いものだと僕は思う。


「缶コーヒーなんて、体に毒ですよ」


ため息とともに、後輩の眼鏡さんに声をかけられた。

眼鏡さんーーその愛称通り、大きなレンズが特徴的な丸眼鏡をいつもかけている小柄な女性研究員。ちなみに、その眼鏡に度は入っていない、つまりは伊達眼鏡である。本人は「これは伊達じゃない、薬品が目に入らないための防御柵として機能しているから、ちゃんと実用的な眼鏡だ」とよく誇らしげに語っている。


「砂糖とか保存料とかマシマシだよ。ちゃんと私みたくハンドメイドで作らなきゃ」


「そんなことをいちいち気にする方が体に毒だ。ストレスがたまる」


「そうかもね。先輩みたいな、脳筋前時代的研究者にはそのほうがいいかも。ストレスは筋肉にも悪いしね」


シニカルにケタケタ笑いながら、眼鏡さんはマイボトルを取り出し、「ふぅ」と安らぎの声を漏らしながらコーヒーを口に含んだ。


眼鏡さんは物知りである。否、どうでもいいことをたくさん知っている。ゴリラの血液型はB型とか、三毛猫の雄は超レアだとか、アマデウスは下ネタ好きの女好きだったとかーー本当に仕事と関係ないことをたくさん知っている。僕としては、どうゆう目的でそんな知識を仕入れてくるのか理解できない。だって、ゴリラの血液型なんて、A型だろうとB型だろうと、普通に生きていくにはーー少なくとも、僕が生きていく上では、全く必要ないのだから。


「どうしたの? 私のことじっと見つめて。……まさか、気づいた?」


眼鏡さんについて思考していたら、つい彼女自身を見つめてしまっていたようだ。対象について思考するとき、対象のことを真顔で見続けてしまう。僕の悪い癖だ。


「いや、ごめん。ぼーっとしてた」


「なんだ、てっきり先輩が先輩自身の恋心に気づいたのかと思ったのに」


「恋心って、誰への?」


僕の問いに、眼鏡さんは、眼鏡さん自身を指さした。そして、「わたし」と呟いた。


「………?」


思い違いも甚だしかった。

確かに、僕は眼鏡さんのことは嫌いじゃない。

だが、好きでもない。

ただ、無関心というわけでもない。

一緒にいて、こうしたたわいない話をすることがそこそこに楽しい。そんな間柄。


「君は色んなことを知っているけど、人の感情は分からないんだね」


「それは先輩と一緒でしょ」


「僕は君ほど色んなことを知らない。生きていく上で、自分の人生で必要なことだけを知ってれば十分だ」


僕の言葉に、眼鏡さんの表情が一瞬曇る。だが、すぐに戻った。そして、またため息をついてから言う。


「少なくとも、先輩との話題には役立ってるので、私の人生には必要な知識です。缶コーヒーの成分も、ゴリラの血液型も」


そう言って、眼鏡さんは笑った。


「けど、先輩」


眼鏡さんは、僕を呼び、トレードマークの眼鏡を外した。

眼鏡を外すだけで、眼鏡さんは眼鏡さんではなくなったような気がする。別にどこぞの少年漫画のように、急に美少女に見えた訳ではなくーー単純に、違う女性に見えただけであるが。

例えるなら、焼きそばパンから紅生姜が消えた、そんな状態。別段、紅生姜がのっていようとのっていまいと、それは『焼きそばパン』という呼称に耐えうる。しかし、既存イメージから欠けているため、物足りなさーー違和感を感じる。そんな感じだ。


「先輩の人生には、『私』が必要になるかもしれません。だから、私のことくらいはちゃんと知って、理解してくださいね」


まずは私の眼鏡ないバージョンを覚えるとこから始めましょうと、続けた。

僕は、「なんか違和感あるから戻して」と答えた。


こうして、僕と眼鏡さんの関係は動き始めた。

思い返せば特別な、午後のひと時だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ある日のティータイム 虹色 @nococox

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ