13.寅に愛されたい
いってらっしゃいとあの夜明け、港で彼を見送った。
おかえりなさい。ただいま。これからはあなたがいる家に帰ってくるよ。そんな彼からのプロポーズ。
彼の膝の上に座ったまま、間近で見つめ合い唇を寄せた。
「美鈴……」
彼の逞しい腕が華奢な美鈴を力強く抱き寄せて離さない。美鈴も彼の身体にぴったりと寄り添って、彼に負けない熱さで彼の唇を、その奥まで愛した。
「はあ、だめだ。ここではだめだ」
惚けた眼差しの彼が、膝の上に乗ってキスを返す美鈴を見下ろしている。
そのまま彼が立ち上がった。美鈴もびっくりして彼に抱きつく。足が床から離れ、ふわっと身体が宙に浮く。
「やはり軽いね」
「そ、そんなはずないもの」
彼が逞しい腕に美鈴を軽々と乗せて立ち上がっていた。美鈴は彼の腕にきちんと座って抱き上げられている。
彼の大きな手が美鈴のウエストを抱いて、歩き出す。
「あんまりにも細いから、この前は怖くて怖くて抑えていたけれど、もういいかな」
「え、あれって尊さんの全力ではなかったの」
抱きかかえ歩き出しても余裕の顔でいる尊が、さらににやっと笑った。
「気持ちは全力だったよ、力はセーブ、優しくしないと華奢な身体を壊してしまいそうだ……と思って」
えー! あれでも美鈴は『やっぱり体を鍛えている人は力強い』と思ったほう。
「このワンピース、もったいないな」
もったいないって?
「すごく色っぽいから、脱がしたくないな。このまま、したいな」
また美鈴はギョッとする。
え、え。優しくて甘くて品行方正に見えていた真面目な彼が、急に男らしい欲望を楽しげに口にしたのでびっくりしてしまう。
奥の部屋に連れて行かれる。彼のベッドルーム。またシンプルな部屋。でも窓辺が薄紫の空と群青の空の優しさを湛えている。
腕に美鈴を乗せたまま、尊はベットに座る。
美鈴の目の前には、あの真摯で綺麗な黒い目。
「ほんとうにいいの、私で……」
「どうして。俺と一緒になるのが怖い?」
「尊さんのことは好き、待っている間も胸が張り裂けそうなほど愛しくてたまらなかった。でも、私、なにも持っていない。尊さんに出会う前の私なんだけれど、」
仕事も恋も自分からやめてしまったような情けない女、いまも自信なんてない、そんな私が警部補の奥様なんて務まるのか……と言おうとした唇を強く塞がれる。いままでの自分を伝えられない。
「なにもいらない。なにも持たずに気持ちと身体ひとつで俺のところに飛び込んできた美鈴だけでいい。俺はいまそれを抱きしめている。俺はあの時の幸せをずっと忘れない」
彼にベッドの上に組み敷かれる。
「これからも、なにも持たずに寅がいる俺の胸に飛び込んできた美鈴は俺のものだ」
寅を背負う男だと思いこんでいる時でさえ、俺のところに飛び込んできた。なにも持たずに身体ひとつで。それで充分。
彼がまた美鈴の唇を激しく愛撫する。
美鈴も彼の背中にしがみつく。やまないキスに一緒に夢中になりながら、彼の熱い手が美鈴のワンピースの胸元に滑り込んでいく。欲情を漂わせた指先が、ランジェリーの下に潜り込んでいく。
「あの寅は、あなただから。あなたが私の寅になってよ」
寅がいた彼の胸元を撫でた。もうあの寅がいないのが寂しい。あの寅は私が女になるのを見守ってくれていた。
「あの時も、俺ではなくて、寅ばかり見ていたな。ちょっと悔しかったんだ」
「だって、目の前にあって、目が合っちゃったんだもの」
「わかった。俺が寅になるから」
彼が自分のシャツをざっと脱いだ。美鈴より先に素肌になった彼の勇ましい胸元。でも腕に傷痕はそのまま残っていた。
そこだけが、出会った時のまま嘘偽りなく残ってくれているようで嬉しくなる。
胸元がはだけたままの状態で寝ている美鈴にまたがったまま、彼がスラックスのベルトを外し始める。かちゃりと外れたベルト、降ろされるジッパー、男らしいボクサーパンツ。猛々しい男へと彼が変貌していく。
彼の目線が美鈴へ向かう。男の劣情を抑えに抑えているのか、彼の胸元が息荒く上下している。
やっと見た。あの人の寅の目。その目で、私をあの夜みたいに射ぬいて。本気になる時、あなたは欲しいものを狙い撃ちをする目になる。その目に愛されたいの。
なにもなくなった素肌に、遠慮のない男の唇が這い、奥まで射し込まれた杭は楔のようにして美鈴の中をかき乱す。
「あ、尊さん……」
結い上げていた黒髪が乱れて、はらりと頬に落ちてくる。
「いやらしくて、綺麗だ、美鈴」
貫かれても、美鈴は寅の目を見つめたまま、彼にキスをする。
「あなたも、いやらしくて、かっこいい」
彼がふっと大人の顔で笑った。
やっとわかった。女の愛も愛してくれる男は、愛する気持ちも支えてくれる。そうすると女はもっと愛に溢れる。
尊とだからこそ、できたこと。それまでの恋になかったもの。尊とはもう恋じゃない。
愛になっていく……。熱くほてっていく肌を一緒に貪りながら、美鈴はそう思っていた。
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