8 賢司ⅠⅠ

賢司は、紀雄が隣の部屋のドアを乱暴に閉める音を聞いた。

紀雄と妙子の二人が消えてしまうと、言い様のない喪失感を感じた。


なにかが失われた。

いままで、高校生活で築いてきたものが、がらがらと音を立てて崩れていった。

信じられないほど、あっけない。


賢司は、しばらく呆然としてしまった。

あまりに唐突で、大きな喪失だった。


仲間だったというのに。学祭のとき、言いあったのに。最高の仲間だと言いあったというのに。


賢司は、悔しさに拳を握り締めながら、小さくうめいた。

育枝も、紀雄も、妙子も。次々に仲間が離れていく。

辰也の精神状態もだいぶ怪しくなっているように思う。


不意に賢司は、激しい衝動の波が胃の底から駆け上がってきたのを感じた。

壁に突進し、両手で強く叩いた。怒鳴り散らした。

「なんでわかんねえんだよ、おいッ! みんなバラバラになっちゃダメなんだ! ワッカ島の奴らが企んだんだ! 海神はいるんだ! 海神はいるんだッての! くそ、聞けよ、聞けったら! なんでだ、なんでなんだよぉっ!」


向こうのほうから、壁を殴り返す音が聞こえた。

続けて紀雄の怒鳴り声が返ってくる。

「橋本うぜぇんだよッ! 黙ってろッ!」


聞く耳持たぬということらしい。

賢司はぶるぶると震えた。脚がよろめいて、がくりと床に膝をついて座りこんだ。


見かねた由里が、無言のままうなだれる賢司に、手をさしのべてくる。肩にそっと手を触れ、賢司と同じように悲しい眼をしながら、口を開いた。

「賢司君。あまり気に病まないことよ。みんな苛立ってるの。あなたが悪かったりしたわけじゃないもの。ただ、状況が異常過ぎるだけよ」


「わかってる。わかってるよ。俺は、あいつらが信じてくれないことが悔しいんじゃないんだ。俺は、あいつらに信じるようにさせらんなかった自分が、悔しいんだよ。自分の無力さが悔しいんだよ。こんなときに、なにも出来ない自分がもどかしいんだよ!」


「…」


「あぁ、くそっ!」

賢司は、もう一度悪態をついた。

「バカげてる! ちくしょう、なんなんだよ! 海神ってなんだよ!」


「わからない。ただ、私達が狙われているらしい、それだけはわかる。だから、いま私達に必要なのは、取り乱すことじゃなく。海神の手を逃れて明日に生きるための、そのための行動よ。賢司君には、それが出来るはずだと思う」


賢司は、のろのろと顔をあげた。

「どうしてそう思う? 俺なんかになにが出来る? スナフキンも、辰也も、育枝も妙子も、みんな俺から離れてったのに! みんな仲間だったのに、みんな、勝手に、バラバラになって…」


「出来る!」

由里は言い切った。

「賢司君には出来る。理由なんてない。出来るから出来る。何人、賢司君から離れたとしても、私はいるから。私、賢司君のこと信じてるもの」


そう言って、由里が笑った。

歯が見えた。由里が歯を見せて笑うことなんか、見た記憶がない。由里は笑うときでも唇で笑うのが常だった。

それがいま、きれいな笑みを浮かべている。


きれいだと賢司は思った。しばらく見とれていた。

「信じる、か。いい言葉だな。スナフキンも辰也も、他人が信じられなくなってきたみたいだ。だから自分一人になりたがるのかな」


「人が人を信じられなくなるなんて、悲しい。私は、いまでもみんなを信じたい」

「俺もだ。いくら喧嘩別れしたって、スナフキンがあんなのに殺されるとこなんて見たいとも思わない」


賢司は立ち上がった。

「あ、けどな、逃げる方法なんて考えないぜ。そんな道なさそうだからな」

「どうするつもり?」


賢司は由里の両肩を掴んだ。

「死んでなんかたまるか。俺は、生きる。俺は、海神と戦う」

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