7 亀裂
「なんだよ、なんか言いたそうじゃねえか、佐々木。言ってみろよ」
紀雄は頬を引きつらせて辰也を挑発した。
「べつに。紀雄に言うことはないよ。ぼくは宮崎さんを探さないといけないんだ」
紀雄の頬がぴくついて、辰也のほうに、身を乗り出してきた。
「わかったぜ、お前、まだ今晩もなんかやるつもりなんだな? 流星が来るとか言って、また化け物に成りすまして、え、そうだろ。今度は誰を狙うんだ? それまでは俺達を逃がさないつもりで、だから俺の脚を切ったんだな? 俺が助けを呼びに行くと困るから!」
「なに?」
賢司は眉をひそめた。
「なに言ってんだ、スナフキン?」
紀雄は賢司を無視した。
辰也のことしか視界に入っていないようだ。
「これからどうするつもりなんだ、え、佐々木? 次はなにが出てくんだ? 雪男か? ミイラ男か? ドラキュラ?」
「スナフキンってば、おい、どういう意味だ、それ?」
賢司は紀雄の肩を掴んで振り向かせた。
紀雄の血走った眼が賢司を見る。
「決まってんだろ。いままでのこと全部、佐々木のいたずらだったんだ。こいつの企んだドッキリさ。育ちゃんだって、どっかに隠れてるんだろ?」
賢司は眼をしばたたいた。
「おい、スナフキン。昨日のあれ、見ただろ? お前がいちばん近くで見ただろ? 気をしっかり持てよ。化け物はいるんだ。海神は本当にいるんだよ」
「いや、違うね」
紀雄はうなずかない。
「あんとき、意識朦朧だったけどよ、でもわかってたぜ。橋本と由里ちゃんはすぐ降りてきたけど、佐々木は降りてこなかったな。あの化け物が消えてからだいぶして、橋本が呼んで、それでも降りてこなくて、何回か呼んでそれでやっと降りてきただろ?」
紀雄は、にぃっと笑った。
そばで見た賢司がぎょっとするほど気味の悪い笑みだった。
「ハンズかどっかで買ってきたんだろ、ああいう縫いぐるみ。違うか、佐々木?」
賢司はあきれて紀雄を見つめた。
「なに言ってんだ、スナフキン?」
紀雄は賢司を無視してひたすら辰也を睨んでいる。
「いまなら許してやるよ。いまのうちだぜ? 俺って心が広いと思わねえ? 脚刺されたのに許してやるんだぜ? な? 言えよ、全部バラせよ?」
「ぼくのいたずら? なにが? 宮崎さんがいなくなったのにいたずら? いたずらならよかったのにね。ふふ、ふふふ」
辰也の笑いは乾いていた。
「なにがおかしいんだ、あぁん? 俺はこれでもガマンしてやってんだぜ、わかってんのか、佐々木? 言えよ。いたずらですって、言えよ? いまなら怒らないって。な、そんなに怒らないって。ちょっと痛いだけだって」
紀雄の声がだんだん上ずってきた。妙子が彼のシャツを引っ張っている。
紀雄が辰也に近づいた。
「な、言っちまえよ。いまなら俺と同じ怪我で許してやるから。な?」
「待って、若林君。いたずらなんかのはずがない」
由里が言った。
紀雄の足が少し止まる。
「いたずらなら、どうして私達全員がワッカ島からここに連れてこられたの? 佐々木君のいたずらなら、佐々木君はここに来ないほうがよかったんじゃないかしら?」
「どうかな。佐々木がシラきってるだけで、本当はワッカ島の奴らとつるんでるんじゃないのか? あ、そうか、わかったぜ、はじめからそういうツアーなんだろ? びっくりミステリーツアーとか…」
賢司は、由里に代わって続けた。
「スナフキン、お前の傷は? いたずらでそこまですると思うのか? そこまでひどい怪我させるわけないだろ?」
「さあな。前っからこいつのいたずら、ときどきひどかったからな。狼少年ってヤツだろ。いまさら誤魔化そうったって、俺は騙されないぜ」
紀雄はさらに辰也に近づいた。
賢司は、由里を見た。彼女は賢司と視線が合うと、首を横に振った。
紀雄は錯乱しているとしか思えない。
無理もない。あんなものに襲われたのだから。
あるいは、本当に辰也の仕業だと思っているのかもしれない。
「知らないよ。ぼくはとにかく、宮崎さんに帰ってきてほしいだけなんだ」
辰也は、さっきからそればかりだ。
「また見張りしないと」
辰也はそう言うと、紀雄には構う様子も見せずに、またバルコニーのほうを向いた。
それをきっかけにして、紀雄が動いた。
怪我をしていないほうの足を大きく一歩踏み出すと、腕を伸ばして辰也の襟首をいきなり掴んで引き戻した。
「あっ…!」
辰也がそれ以上の声を上げる間もなく、紀雄は腕力にものをいわせて、彼をそのままぐいと引き倒した。
辰也はよろめいて、後ろ向きに床に倒れた。
妙子が悲鳴を上げる。
「スナフキン!」
「若林君!」
賢司と由里が同時に叫んだ。賢司は紀雄と辰也の間に割って入る。
辰也は荒い息をついて、バルコニーに逃げこんだ。
「止めんな、橋本! 殴らせろ!」
「いや止める! やめろスナフキン、辰也はなにもしてない! お前だって、傷が開いちゃうだろ!」
賢司は真横に両腕を伸ばして、バルコニーに続く大窓の前に立ち塞がった。
「どけ橋本! どかないとてめえも殴るぞ」
紀雄は賢司に凄んだが、賢司は怯まなかった。怯む代わりに身構えた。
「やるならやってみるか? 確かに俺、お前より弱いかもしれないけど、お前もただじゃ済まないぞ?」
格好つけてみたが、賢司は気が気ではなかった。
なにしろ考えれば、おとといの晩からまともなものを食っていない。
疲労と空腹は激しい。
しかも口では言っても、相手が紀雄では、本気で殴ったりも出来ない。
だからこれは賭けたつもりだった。
紀雄がまだ少しでも冷静に考えられるのなら、賢司とここで喧嘩したところで一文の得にもならないことに気付いてくれるだろう。
紀雄は、いきなり身体から力を抜いた。
表情も少しだけ和らぎ、せいぜい苛立っている程度のものにまで戻った。
「いいぜ、わかったよ。お前が佐々木のこと庇うんなら、それはそれで。それなら俺は、お前達とは一緒にいないことにする。一緒にいると気分が悪いし、お前に指図される理由なんてないからな。それとも、橋本も佐々木とグルか? 俺は、お前はもうちっと頭がいいと思ってたけどな」
紀雄は振り向いた。
足を不自由そうに引きずりながら部屋の出口に向かう。
その途中で、不安げに両手を握り締めている妙子に手を伸ばした。
「タエちゃん、来いよ。あいつらと一緒にいるとどんな目にあうか、昨日の夜でわかったろ?」
妙子は、眉毛をハの字にしたまま、おろおろと首を動かした。
賢司と由里を見て、それから紀雄を見た。
そして、紀雄の手をとった。
「ごめんなさい、橋本君。タエ、タエ…」
妙子は、それ以上言葉を続けられないようだった。彼女はうつむいた。
紀雄は、勝ち誇ったようにこっちを見た。
「じゃあな、橋本。そういうわけだ。俺達はこっちの部屋にいることにするからな! お前らとは顔合わせたくないからよ、こっち来んなよ? 来たらただじゃおかないぜ、特に佐々木はな!」
こうして、紀雄と妙子は部屋を出ていった。
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