4 邂逅
悲鳴は長く尾をひいた。
賢司は悲鳴が聞こえている間、金縛りにあっていた。
急いでなにか行動しなければと理性ではわかっていたのだが、足は動かなかった。
悲鳴が次第に細り途切れると、はっと我に返った。
由里に手を引っ張られた。
「行きましょう、賢司君!」
二人は、暗さに構うことなく駆け出した。
ほとんど蹴破るようにして勝手口に飛びこむ。
「どこだ? どこからしたんだ?」
賢司は、パニックを必死に抑えて自問した。
わからないことが多すぎる。頭が混乱する。
誰の悲鳴なのかもわからない、どこから聞こえたのかもわからない、なぜ悲鳴があがったのかもわからない。
ただ、育枝でなければいいと願った。
「外よ」
由里が険しく言った。
「なにか、言ってる!」
賢司にも聞こえた。
怒号がする。紀雄だ。
なにかが動く音もする。
賢司は廊下を走った。
角で脛を一度ぶつけて痛烈な痛みがした。少し涙が出た。
玄関が近づいた。
玄関の外に、誰かがいる。シルエットが動いていた。
妙子が地面に転がっているのが視界の片隅に見えた。
どうしたのだろう。
育枝の姿はない。
悲鳴の主は妙子なのか?
賢司は、我知らずのうちに、足元からガラスの破片を拾って握っていた。
そして、玄関から飛び出した。
「スナフキンッ!」
紀雄は、もう一つの暗い影と取っ組みあっていた。
地面に組み敷かれながら、必死に拳を振り回し、罵声を上げている。
その紀雄を組み敷いているものは―。
賢司は息を大きく吸いこんだ。なんとか悲鳴は呑みこんだ。
暗いから見間違えたのかもしれない―。
だが、『それ』の身体が、紀雄よりもひと回り大きく、暗いなかでも肌がわずかに光沢をもっているのがわかって、それだけで充分だ、それ以上考えるな、ただあることだけを受け入れてしまえと賢司の理性は訴えた。そうしなければ、なにかが切れてしまうのが彼にはわかった。
紀雄は咆哮していた。苦痛が混じっている叫び声だった。
その声が、賢司をなんとか正気の世界にとどめた。『それ』が何者であるかは問題ではなく、紀雄がやられているということだけをいまは考えるべきだ。
賢司はガラス片をかざして躍り出て、ときの声を上げながら、紀雄に覆い被さっている、その、海神とおぼしき生き物の首をひっ掴んだ。
ぞっとする感触だった。
指が抵抗なく肌の中に侵入していく。ウロコつきゴムゼリーという感じだ。
くぢゅっという音がした。
力ずくで海神を紀雄から引き剥がした。
海神の頭がこちらを向いた。
てらてら光る頭部に、銀色の目玉が二つついていた。
肌の色はどうみても青か緑だ。
目玉は、顔の中心から随分離れたところについていて、ほとんど顔の横側と言ってもいいほどだった。
人間でないことだけは疑うまでもない。それは賢司達がいま東京にいないのと同じぐらいはっきりしている。
賢司はためらった。
なにをすればいいのかわからない。こんな生き物を相手に、なにをすればいいのかわかる人間がいるわけがない。
組み敷かれていた紀雄が、上体を起こした。その体勢から両脚を突き出す。巴投げのような格好になって、海神が吹き飛んだ。
海神が、少し身を起こして、両腕を地面についたまま顔を上げた。
賢司は、海神の顔を正面から見つめてしまった。
生理的嫌悪とショックに凍りついた。
腰がひけて力が入らない。
海神が、なにかに気付いたように、不意に横を向いた。
向いたその顔面に、激しい音を立てて、いきなりギターが炸裂した。水っぽい音がしてその顔が震えた。
由里だ。
由里が、ギターを持ったまま玄関からここまで駆けてきて、走ってきた勢いをのせて、ギターを海神の顔面に叩きつけたのだ。
海神は、頭を吹っ飛ばされて転倒した。
そして地面で再び四つん這いになって、体勢を立て直した。
賢司は、震える手でガラスを握り締めた。
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