3 墓地

由里が脅えた理由がわかった。

由里が触るなと警告した理由もわかった。

どう考えても、こんなところにあるはずがないものであって、賢司や由里が普通に生活しているときに触るはずがないものであって、生涯かけたって、この手で直に触ることなんて、親辺りが死んだときに火葬場で一本抜き取るぐらいのものであって…。


「これ…」

喉の粘膜がぺったりとしている。


声は声にならない。音が出てくれないのだ。

でも、言わなければ。

言わないと、怖いだけだ。


言ってしまおう。言ってしまおう。言ってしまおう。


「…これ…骨…骨だ、骨! 頭蓋骨!」


由里の手が、賢司の手をはたいた。

白い塊が賢司の指を離れ、カンッと乾いた音を立てて箱の中に戻った。


賢司は、突然視力が上がったように思った。

頭蓋骨の虚ろな眼窩が賢司のことを見ているように思った。

顎が動いて、怖がってチビりそうになっている賢司のことをけたけた笑っているように見えた。

カラカラという笑い声まで辺りに広がっていくように思えた。


転がっている蓋をひっ掴んで、壊れるぐらい勢いよく閉めた。


すべての錯覚は消えた。

林に静寂が戻った。


賢司は、荒く息をついていた。

遅刻しそうで駅から学校まで信号全部無視して全力疾走したって、こんなに心臓がバクつくとは思えない。

それに、汗が肌からあふれていた。


無性に水が飲みたかった。一万円払ったっていい。喉が、乾いた。


「本物か?」

「本物…だと思う。私、明るいところで見たもの。六つ、全部見たから。本物っぽかった。作り物みたいに真っ白とかじゃなくて、博物館で見るみたいに、ちゃんと汚れてて…それに…欠けてるのとか、潰れてたのとか、大きいの、小さいの…」


賢司は、手を上げて由里を制した。

由里の―彼女にしては珍しく取り乱し気味な―言葉を聞くまでもなく、賢司には、いま触れたものが、まさにかつては人間の一部だったものに間違いないとわかっていた。

それは、通常の知覚よりもずっと奥のところ、直感としか言い様のないところからやってきた判断だった。


「…ここは、お墓なのか」

賢司はつぶやいた。


その形容がぴたりと来ると思った。

六人分の人骨が、骨壷と墓石を兼ねたような白い箱に入っている。これが墓でなくてなんだというのだろう。


「そうね」

「…辰也の怪談話、覚えてるか?」

「ええ。この島で亡くなったのは六人だってね」


思考は異様なまでに遅々としていた。

考えるという行為に抵抗していた。

事態が、考えて理解可能な範囲を超えつつある、と脳が訴えている。


それでも賢司は考えた。


辰也の話は本当なのか?

流星を見に怪物がやってくるのか? この島に?

いや、いくらなんでもそれはナンセンスだろう。

だいたい、怪物なんてものが実在するはずがない。


しかし、そうすると、なんなんだ、この墓は? なんで六個あるんだ?


「私、ここに来る前に、この島のこと調べたの。佐々木君の言った話、私も知ったから、おかしな話だと思って。そうしたら、確かに流星の年に一家が消えてるのよ。失踪ってことになってるの、まだ発見されてないのよ。行方不明のままなのに…」


「でもその遺骨がここにある?」

賢司は、ぼんやりと言った。


「そうね。このお墓…といっていいかどうかわからないけど、これは明らかに人が作ったものでしょ? おかしいじゃない。行方不明の人のお墓を作ったっていう話はあるけど、そのお墓の中にきちんと納骨までされてるなんて。いったい誰の骨だっていうの? どうしてお墓まで作ってあるのに、まだ行方不明にされているの?」

「…」


由里は、どっとため息をついた。

「ごめんなさい、ちょっと取り乱して」


「いや、いいんだ。…いいんだ」

そう繰り返して、由里をなだめた。

取り乱すのも当たり前だ。なにがどうなっているのか、さっぱりわからない。


だがそれでも賢司は必死に考えようとした。


十一年前の流星のときに、この島で六人が行方不明になった。

海神に襲われたという怪談話が残っている。

六人はいまだに行方不明にされている。

しかしここに、六人のだとしか考えられない六つの墓と、六人分の人の骨がある。そして…。


「あれ、由里。お前、さっきなんて言った? 骨が欠けてるとか潰れてるとか…」

「そうだけど、なにが言いたいの、賢司君?」


「いや…。んっと…」

賢司は、人並みに幽霊やお化けを信じるほうだ。


宇宙人は怪しいと思わないでもないが、ネッシーや雪男ぐらいはいるんじゃないかという気もする。

だから、海神という、半魚人みたいなものがいるといわれても、そのこと自体は受け入れることも出来ると思う。


しかし、それが自分達のことを襲いに来るなんてことは…とても理解の範囲を超えている。

そんなバカな。だが…。


「賢司君。賢司君は笑うかもしれないけど、私は…その…なんていうのかしら。予感がするの。なにかよくないことが起きるって、そんな予感がするの」


賢司は、立ち上がった。

「俺もそんな予感がする。バカになんかしない。俺は常識より自分の経験をあてにするタチなんだ」


由里がうなずいたのがわかった。

「流星が降るまで、あと丸一日よ。海神は、いつ現れるのかしら? もしそんなものがいると仮定してだけど。ひょっとしたら、いま、その辺りの茂みにいたっておかしくないのかも…」


二人は、沈黙して耳を澄ませた。

暗闇を見た。

全身の神経を緊張させた。


なにかがどこかにいるという感じはしない。


気が付くと、由里が、いつの間にか賢司の手を握り締めていた。

賢司は、それにあまり違和感を感じていない自分に少し驚いた。


「賢司君。あの家に戻りましょう。ひどいところだけど、外よりはずっといい。それに、家は古来、外敵からの防御に最適なのよ」

「ためになる歴史の話をありがとう、由里先生。ま、その外敵とやらが実在しないことを祈るけどね、俺は」

皮肉っぽく言うと、賢司は、由里の手を引いた。


「さ、とにかく家に戻ろう。俺は由里がどこに行くかと思って心配で見に来たんだ」

「他の人に気付かれたくなかったのよ。賢司君だからよかったけど…」


「そりゃどうも」

賢司は、おどけて言って、家に戻ろうと振り向いた。


そのとき、女の悲鳴が響き渡った。

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