11 第一歩
ドアの向こうは廊下になっていた。
陽光が窓から射しこんでいるというのに、空気が濁っているように見えるのは気のせいだろうか。
賢司は、この家に入ることをとても嫌がっている自分に気付いた。
場所というものには「いい場所」と「悪い場所」が明らかにはっきりしているときがある。
肌がその場に漂うなにかを感じとる。胡散臭い言葉で言えば霊感といってもいい。
だがここにあるのは、霊感よりももっと寒気のする―とりかえしのつかない深淵の穴に落ちこんでいくような―空気だ。
よくないことが起こる。
ここに入ればなにかとてもよくないことが起こる。
だが―。
いままで十八年しか生きてこなかった賢司でも、人生が選択の連続だというのは身をもって理解している。
だが選択の連続といっても、いつでも選択肢すべてを自由に選択出来るわけではない。
ときとして、選択肢が与えられているにも関わらず選択が出来ないときがある。
若さは人間に自信と可能性を与えるが、その若さや向こう見ずな冒険心をもってしても、どうにもあがくことすら出来ない壁というものは存在する。
人間なんてちっぽけなものだ。努力には限界がある。
賢司はそれを知っているからこそ、努力することが結構好きなのだが、しかし…。この場面での選択肢は―。
仲間達を連れてこの家に入るしかないようだ。他に選択肢はない。
まず妙子達を休ませることが先決だ。
そして、全員で、いま自分達になにが起きているのかを整理する時間がほしい。
賢司は、ついに一歩踏み出した。
「待って、橋本君」
由里が後ろから言った。
「なんだよ?」
「橋本君、裸足よ。ガラスで怪我するかも」
由里は、床に散らばっているガラスのかけらを指差している。
「気をつけりゃ平気だろ」
「ダメよ。埃もひどいし、足の裏に怪我でもしたら、そこからどんなバイ菌が入ってくるかもわからない」
「大丈夫だっての」
「…返して」
由里は賢司の言葉を無視して、賢司が肩にかけていたカーディガンをさっと取り戻した。
と思うと、しゃがみこんでそれを床に広げ、ガラスの破片を覆ってしまった。
「これでいくらかよくなったでしょう?」
あっけにとられて間抜けな顔をした賢司は、紀雄に笑われた。
「一本取られたな、橋本。さ、行こうぜ」
紀雄は賢司の前にでて、カーディガンを踏んで廊下に進んだ。
「痛て、痛てて!」
紀雄は、ガラスをカーディガン越しに踏むたびに大袈裟にわめく。
賢司と由里が続き、さらに育枝、妙子、辰也の順番で続いた。
廊下は、幅一メートルぐらい、長さは五メートルかそこいらだろう。正面突き当たりで左に折れている。
左右に一つずつ、部屋への入り口がある。
どこにも仕切りのドアはなく、空間が廊下とそのままつながっている。
賢司は、足元の床にかなりの厚さで埃が積もっていることに気付いていた。
賢司の自宅の自分の部屋はフローリングで、今年の夏休み頃から掃除をしていない。その部屋の埃の溜まり方と比べてもすごい。半年やそこらではない長い間、誰もここには来ていないのではないかと賢司は思った。
辰也がくしゃみをした。
無理もない。カビの臭いもひどいし、紀雄がどしどし歩くたびに埃が舞い上がる。辰也は少しアレルギー性鼻炎なので、鼻への刺激に敏感で、すぐにくしゃみが出るのだ。
「スナフキン、もうちょっと静かに歩けよ。埃がすごいんだから」
賢司に言われて、紀雄は、へいへいと肩をすくめた。
辰也がまたくしゃみをした。
「へくしょん、くしょん、くしゅん、ぶしょん!」
「佐々木、うるさいよ」
育枝はムッとして辰也から離れ、廊下の先に走っていった。もちろん走るそばから埃が舞い上がる。
賢司は、またため息をついた。昨日からどうもため息が多い。
みんな勝手なことばかりする。
こういうときにこそ学祭のときに見せたあの団結をみせてほしいのに。
一度ピークで結びついた団結が再び帰ってくることはないのだろうか? みんな、学校を卒業したら、勝手バラバラになってしまうのだろうか?
「…由里」
「なに?」
「ハンカチ、辰也に貸してやってくんない? マスクの代わり」
由里は快諾した。
辰也は鼻と口を彼女のハンカチで押さえるようにした。
「ねえ、階段あったよー!」
育枝が叫んだ。
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