13 隣の部屋
これはおかしなことになってきた、と賢司は思った。
この部屋で、起きているのは賢司一人。
あと五人の仲間達はぐっすりと眠っている。
目の前には由里。彼女の長い髪は、腕を伝って畳まで流れている。
由里も黙っていればかなりの美人だ。
こうして賢司の前に無防備に眠っているといういまの状況は、まさに、据膳食わぬはなんとやらなのではないだろうか。
そんな考えが一度頭をよぎると、途端にどうしようもない妄想がもくもくと沸き上がってくる。
寝たはずみに、ぴったりと閉じていた由里の襟元が少し開いて、肩口のブラ紐が少し見えている。
由里みたいな女を抱いたらどんな気持ちだろうか。彼女のようにお堅い女でも、ヤってるときは乱れたりするんだろうか。由里の裸は、どんななんだろうか…。
そんなことを想像しかけたら、ちょっと勃起してしまった。賢司は激しく首を振って、いらない妄想を追い払った。
そして考えた。自分はいったいいまなにをすればいいのか。
由里は賢司に、寝たふりをしろ、と言った。
どうしてそんなことを言ったのだろう。由里のことだから、他人にはわからない思慮深いお考えでもあったのだろうか。
由里にも困ったものだ。
いつも自分がわかっていることは自分でさっさとやってしまう。
人にやらせるときも説明なしで、とにかくやれという。
結果的にうまくいくからそれでもなんとかなってきたが、そんな唯我独尊を続けているのは、これからの由里にとって、あまり得にはならないだろう。
ぼんやりそんなことを考えて、賢司ははっとした。
どうして自分が由里のことをあれこれ考えなければならないんだ、まったく。賢司だって由里は苦手だというのに。
さておき、由里は寝たふりをしろと言ったが、賢司は、そんな非消極的な行動をとるような男ではない。行動の必要があると思えば、即座に行動する。
まずこういうときは宿の人間にコンタクトだ。他の客でもいい。
一つ部屋の泊まり客が一人残してみんな眠りこけるなんて、そんなおかしな話があるものか。
他の部屋に異常はないのか、せめてそのぐらいは確かめたい。
賢司は、食べかけであと一包残っているカロリーメイトを、無造作にズボンのポケットに押しこんだ。
おもむろに立ち上がって部屋を出ようとして、その前にふと気付いて、足元にあった毛布を、由里にばふっと被せてやった。このぐらいはしてやるべきだろう。
それから賢司は廊下に出た。
ひょっとしたら、これから反転して部屋に戻ると、みんな何事もなかったようにモノポリーを続けていて、部屋の入り口で眼を丸くしている賢司を笑って「ドッキリだよ」と言って笑うのかもしれない。
辰也達だけならそれもおおいに有り得たと思うが、由里までそんないたずらをするだろうか。由里はそういうジョークを好まない。
やはり、みんな本当に眠っているとしか思えない。
とにかく誰かに知らせよう。
偶然、全員が同時に眠ってしまっているだけというのなら…そうとはっきりわかれば、安心出来るし、なにか他の…おかしなことが起きているというのなら…それはそれで…。
「おかしなこと」とはいったいなんなのか、自分でもわからないが。
賢司は、板張りの廊下を小走りに急いだ。
隣の部屋の前を通りかかると、賢司が通りかかるのを予期していたように、戸が向こうからシャッと開いた。
心臓が跳びはねた。ふう、驚かせる。
冴えない中年男が、戸の向こうに立っていた。黒く日焼けしていて、ラフなシャツを着ている。やや汗ばんだ顔には微笑を浮かんでいた。
「なんですか?」
男が尋ねた。
ん…?
なにかおかしい。
賢司はそう感じたが、驚いて動転していた頭は、いまひとつよく回転しなかった。なにが変なのかは、よくわからない。
「いや、その…隣の部屋の者なんですけど…なんて言ったらいいのかな…うちの部屋の奴らが、みんないきなり眠っちゃって…」
「眠った…?」
男は、まるで理解していない表情をした。
無理もない。
突然見ず知らずの人間にそんなことを言われても、なんのことだかさっぱりわからないだろう。
「それは妙だな。うちの部屋の人間は元気だ。君の部屋をちょっと見に行こうか?」
「あ、はい…。見ればわかります。とにかく、なんか変なんで」
賢司は、男を案内するつもりで、彼を背にして振り向いた。
途端に、頭に鈍い衝撃を感じた。
視界が真っ白になり、キーンと高い音が耳元でやかましく鳴り響いた。
なにも考えられなくなっていく。
殴られた?
わずかに残る思考能力が、その考えをかろうじて導き出した。
歯を食いしばりうめきながら男のほうを振り向こうとして、だんだん遠ざかっていく部屋の入り口の戸が見えて、ようやく、なぜ妙な感じを受けていたのかわかった。
この部屋は、賢司達の隣の部屋であって、つまり、由里達のいた部屋であって…そこに知らない男達がいるというのは―。
賢司は床に倒れて意識を失った。
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