9 宿

「おい、いいかげん起きろって。いつまで寝てんだお前? カビ生えるぞ」

ごそごそ身体を揺すられて、賢司は目を覚ました。


あぐらをかいた紀雄がすぐ横に座っていた。

体育座りの妙子がその隣で、退屈そうに欠伸をする育枝が並んでいる。

辰也は、その横で彼女を困った顔で見ている。


正面には由里が斜め座りしていた。

どうやら、男達の部屋に、女達もお邪魔しているらしい。

紀雄の後ろにある窓からは、青黒い夜空が見えている。いつの間にか陽が暮れたようだ。


「おっす。…晩メシの時間か?」

畳の上に身を起こしながら賢司は訊いた。


「そんなのとっくに過ぎたけど。まだ寝てるんじゃないかしら?」

由里に、いきなり冷静あっさりさっぱりとそんなことを言われたのでカチンときた。


「んだと! 寝起きがボケてるのはしょうがないだろ」

「私は寝ボケたりしないもの」

「あー、そうですか、勝手に言っててくれ。寝ボケの一つもしないなんて可愛くねえ女だな」

「橋本君に可愛いって思われたらショックで自殺するわね、私なら」

「ああ言えばこう言うなあ、お前」


「ま、まあ、まあ。二人とも」

辰也と育枝が、お互いにふんふん鼻を鳴らして牽制し合っている賢司と由里を、引き離した。


「へ。橋本がいつもどおりに戻ったから、香川はそれがうれしくてはしゃいでんじゃないのか?」

「くだらないこと言わないで。そういうことを言えば私が照れるとでも思う?」

紀雄が由里を冷やかしたのに、由里は意にも介さない。


好きな相手の気を惹きたくて、わざとつっけんどんにするというのは、よくありがちな話だが、由里に限ってはそんなことはとうてい望めそうもないと賢司はあらためて思うのだった。

彼女が賢司のことを嫌いなのは、もはや昆虫的なレベルの本能に近いようだ。


「ん? んなあ、そんなことはどうでもいいんだけどよ、メシは? みんなそんなのんびりしてていいのか? 早く行こうぜ? 俺の胃袋も、もうバリバリ元気になったみたいだし」

賢司は、ぽんぽんと腹を叩いた。

このひと眠りで、胃袋の調子は確かに復活していた。


「これだもの。ほんと、手におえないバカね」

由里がため息をついた。


「なんだよお? メシ食うののどこが悪い? 由里は霞でも食って生きてんのか?」

「賢司、これは香川さんの勝ちだよ」

「はあ? 辰也、なにをお前まで」


「あのね、橋本君。もう私達、ご飯食べたのよ。橋本君が寝てる間に」

育枝と妙子が小さく笑った。


賢司は、あ然として聞き返した。

「あ?」


「お前、ほんとに寝ボケてんのか? 俺が起こそうとしたらよ、まだ気分が悪いから先に行けって言ったじゃねえか」

「な、なにっ! そんなことを俺が言ったのか?」


慌てふためく賢司を見て、辰也や紀雄はげらげら笑い、育枝達はくすくす笑い、由里は、やれやれと言いたげに肩をすくめた。


「じ、じゃあ…いまから俺一人で食いに…」

「悪い、賢司。お前の分も俺が食った。美味かったぜ」


紀雄がいけしゃあしゃあと言ったので、賢司は紀雄に泣きついた。

「スナフキン~。お前、くそっ、返せ、俺の晩メシを返せよお! 吐き出せよお!」

「そんなこと出来るかっ! お前じゃないんだから!」


「どうでもいいけど、静かにしなさいよ。宿の他の人達に迷惑でしょ?」

由里が言い放った。


賢司と紀雄は、そのもっともな指摘に、ぴたりと動きを止めた。

さすがは元委員長だ。言うことからして元委員長くさい。


「そんなに食べたいなら、厨房に行ってなんとかしてもらいなさいよ。それから、若林君は、食べたことをきちんと謝って」

「へへ~い」

紀雄が肩をすくめた。

「まあ、賢司、勘弁しろや。明日の俺の朝メシ、ちっとぐらいよけいにやるからよ、な?」


「ちっ。今日のところは許してやろう。旅行のしょっぱなから喧嘩なんてイヤだしな。…ところで、何料理だったんだ?」

「魚と山菜みたいなの」

「魚か…。んなら、まあ、いいや。そんなに魚好きくないし。厨房なんか面倒臭いから、行かなくていいって」


「でも…それじゃあ、お腹空きませんか、橋本さん?」

「べつに。なんとかなるだろ」

「じゃあ、とにかくそのことはそういうことで、一件落着ってことで、いいよね?」

と辰也。辰也は辰也なりに幹事らしいことをしようとしているのだろう。


いつまでもごねるのは大人気ないと賢司も思った。なにより、想い出に残る楽しい旅行にしたいのだから。

「あいあい、オッケー、オッケー。それで、ところで、なんでみんなして集まってるんだ?」


「決まってんだろ、なんかすんだよ」

紀雄が言った。

「トランプとかウノとか誰か持ってきてねえ? 俺、花札なら持ってきたけどよ、これは夜中に賢司達とこいこいやるからおいといて…」


「私、トランプとウノ持ってきたよ」

育枝が言った。

「私、モノポリー持ってきました」

これは妙子だ。


重そうな荷物を持ってきたと思ったら、そんなものを持ってきていたとは。

良識人だと思っていたが、なにを考えているんだろう? 賢司はちょっと悩んだ。


「モノポリー? マジでモノポリー持ってきたのか、タエちゃん?」

「う、うん。あの…若林君、修学旅行のとき、モノポリー徹夜でやったんでしょ? 佐々木君から聞いたから…」


ぽろん。紀雄は弦を軽く弾いた。

「タエちゃんって、いい奴だな。俺よ、モノポリーはちょっとうるさいんだ。ギターとどっち持ってくるか悩んだけどよ、ああ、神様っているのかな!」


「よかった、喜んでもらえそうで。ね、育ちゃん、取りに行こっ?」

「うん! …よかったじゃん、タエ」

「まあね…あははっ」

育枝と妙子は部屋を出ていった。

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