4 天敵
こみあげるものを必死に堪えながら、とにかく洗面所を目指して歩いた。
ああもう、ものの十メートルかそこら歩けば洗面所があるはずだというのに、そのへん一帯がまるで五キロも先にあるみたいにぼやけて見える。
これはかなり重傷だ。こころなしか寒気もする。やっぱり立つべきではなかったかもしれない。通路にゲロゲロやったら洒落にならない。
妙なプライドなんか張らずに席で吐いたほうがまだよかったかも。そう後悔した。
「仕方ないわね」
そう言って、誰かが賢司の脇を支えた。
「しっかりしなさいよ。いつもの元気はどうしたの?」
由里だ。
賢司は、吐き気とは違う気分の悪さを感じた。
香川由里(かがわゆり)。
賢司達の三年六組の委員長だった女であり、なにかと賢司や辰也に注意してくるやかまし屋だ。
その堅さたるや鉄どころの話ではなく鋼鉄かダイヤモンドか、とにかく厳しく冷たい。
もう賢司達は彼女にひたすら目をつけられっぱしで、なんというかその敵意には憎悪に等しいものすら感じられるように思う。
しかも、それでいて顔立ちはきれいで、長いストレートヘアの持ち主であり、控えめに見ても美人の部類だ。
おまけに勉強は出来るし運動もそこそここなすし、真面目系の生徒達とは実に和やかに接していて、決してクラスで孤立しているタイプというわけでもない。
それだけに、ちゃらんぽらん族の筆頭たる賢司にとっては、なおのこと鬱陶しいのだが。
だいたい、どうして由里がこの旅行に来る気になったのか、賢司にはさっぱりわからない。
仲のいい育枝と妙子が誘ったらしいのだが、だからといって、天敵にも等しい賢司と辰也のいる旅行に、ほいほい来るものなのだろうか。まったく、由里という女は理解出来ない。
「歩く? それとも席に戻る?」
バカにした口調で由里が訊く。
賢司は、返事の代わりに由里を無視して前に進もうとした。
「そう。じゃあ連れていくから」
うるさい、余計なお世話だ…と言いたいところなのだが、まったく情けないことに彼女に支えられていると身体が楽だったりする。
悔しいが、委員長やってたのは伊達じゃないのか、こういうときの人の世話は適切だ。
賢司としては、ここで由里に貸しを作るのはとてつもなく癪なのだが、かといってこのまま通路に倒れて自分の汚物の中を泳ぎ回る羽目になることだけは、なんとしても避けなければならない。
ということで、結局のところ、借りてきた猫みたいにおとなしくなって、由里に支えられながら洗面所まで行くことになった。
「お~い、いつの間にそんなに仲良くなったんだお前ら?」
紀雄が後ろから冷やかした。
「ひゅうひゅう~」
辰也まで便乗してはやしたてる。
こいつら、あとで天誅だ。
しかし、賢司を支えて歩く由里は、いつもどおりの澄ました無表情で、冷やかしを気にしている様子もない。
こういうときに赤面の一つでもすればまだ可愛げがあるのに。
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