第7話 「奇」

 私が惹かれる漢字の一つに『奇』がある。同じ読み方でも『希』とか『喜』ではなく、この漢字を選ぶところが大変私らしくてよろしい。


 この『奇』という漢字に良いイメージを抱く人はあまりいないと思う。惹かれると言っている私でさえそうなのだから、世間的にはもっと忌々しいイメージを持たれているはずだ。理由は、この漢字が付く言葉に良い印象を与えるものが少なく、良い意味(内容)として使われることが少ないところに原因があるからだと思われる。『奇』が付く言葉を少し挙げるだけでも『奇異・奇怪・奇妙・奇言・奇行・奇形』など何とも言えないイメージを与える言葉が並ぶ。良いイメージを持つものなら『奇才・奇跡』などがあるが、これもどこか人間離れした不思議なものというイメージを与えるところで、言葉の善し悪しや意味が変わってもどこか禍々しさが同じように付きまとう。このように、一か所でも『奇』という漢字が入っているだけで、全てをこの世ならざるものへと変えてしまうところに『奇』という文字のマイナスな影響力の強さが伺える。『奇』恐るべし。


 嫌なイメージと同時に妖しい魅力も兼ね備えているこの漢字に、私はやたら反応してしまう。テレビで『MOKUGEKI!今夜私たちは怪奇現象に遭遇する』という番組をやっていたら絶対見るし、書店で『奇怪怪談』なんていう本が発売されていれば迷わず手に取ってしまうだろう。なんというか、素通りできないのである。理由はわからないが、『奇』が付いていれば間違いなく自分が今生きている平凡な世界から不思議な世界へと何者かが誘ってくれそうな予感と期待を感じてしまうからだと思われる。


 今の生活に大きな不満はない。ないからこそ『奇』という非現実的なものを連想させる言葉に強く魅力を感じ、ふらりふらりと近寄ってしまうのだろう。現実の世界では怖くて手が出せないスリルを感じる何かを手軽に体験できる術が『奇』の付く言葉には詰まっているような気がしてならない。


 今、私の手元には『奇』が付くタイトルの本が広いテーブルの上にぽつんと置かれている。この本はテーブルの上で他の物にはない異様なオーラを放ちながら私のことを待ち構えている。見た目はただの変哲のない本なのだが『読まれる側』という受け身な感じを一切出さず、読ませてやると言わんばかりの挑戦的なスタイルで目の前に堂々と存在している。一種独特な世界観を持つその本は、それを求める私より決して下手に出ることはない。他にはない妖しさを思い切り私に見せつけているのだ。


 私はその姿に畏怖、尊敬、感動など様々な感情を覚える。ありきたりな日常と穏やかな生活で蕩けた脳に刺激を与えてくれる『奇』が付くアレコレに私は今日も魅了され、歪んだ笑顔でその刺激を受ける。そこから得られるものに『希』や『喜』が付くようなものなどは出てこないだろう。『奇』が与えるものからは『奇』しか生まれない。闇が光を生み出すことがないように、『奇』の付く言葉は永遠に暗く静かに私たちを惹きつけ、新たな『奇』を生み出す機会を待っている。


 『奇』に憑かれた人は、飽きることなく『奇』を追い、やがて『奇』を産みだす。そして『奇』が似合う存在となり、『奇』そのものとなる。妖しさと共に生きるその人は、まわりから「奇人」だと敬遠されながらも、きっと誰かを惹きつけてやまない存在となっていくに違いない。


 『奇人』は蔑称などではない。溢れ出る魅力を隠しきれない、人とは違った魅力を持つ人を指す言葉なのだと私は考えている。


 凡人の嫉妬を受けて輝く存在である『奇人』。これほど強烈な褒め言葉は他にない。


 

 

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