第5話 お祭り騒ぎ
まさに今である。サッカーワールドカップで日本チームが想像以上の活躍をしているとか何とかで、街中でも家の中でも夜中であっても大騒ぎだ。
自国の選手が活躍したというのに「しているとかなんとか」と言っている私は別にサッカー嫌いなわけではない。しかし興味はない。所謂『好きでもなければ嫌いでもない』というやつである。そのため、夜更かししてリアルタイムで試合を見ることはない。そもそもサッカーのルールは『手を使ってはいけない』くらいの超基本的なことしか知らないし、選手の顔も名前もうろ覚えである。そんな人間がボールを蹴って移動しているだけの画面をずっと見続けるというのは、はっきり言って「苦」でしかない。だからみんながテレビで中継を見ている間、私は試合を見ず、翌朝の情報番組などで結果を知り、選手の活躍した場面をチェックするのだ。
サッカーで盛り上がっている国内で、こんなことを話したら、非国民のように扱われてバッシングを受けそうで怖い。しかしだ、サッカーファンが全員ガチなファンではないだろう。私はサッカーファンを自称するやつらの半分以上がエセであると踏んでいる。特に外で集まって大騒ぎしている連中はエセの極みのような存在だと認識している。きっとエセ共は散々はしゃぎまくっても、三日も経てばお祭り騒ぎをしていたことすらすっかり忘れてしまうのだろう。ガチファンの場合はスタジアムで観戦するか、家で一人でじっくり試合を見ながら、選手の活躍に一人静かにガッツポーズをしていたりするイメージを持っている。
お祭りエセ野郎どもをガチファンと比べて蔑んでいる私は正直な所、少しお祭りエセどもが羨ましいと思っている。そんなに好きでもないことに一喜一憂できたり、思い切り弾けられるところが凄いと思うし、きっとそういうことができる人というのは仲間も多いのだろう。私が持ち合わせていないものをお祭りエセ野郎たちは基本装備として持ち合わせていて、さらにそれをうまく利用したノリや要領の良さを発揮できているのだ。今まであまりエセファンについて深く考えたことはなかったが、こうしてよく考えてみるとすごい人たちなのかもしれない。パリピでリア充の中のリア充・・・。いっそ『パリア充』という新しい種として期間限定で博物館にでも展示されてしまえばいいのにと思う。
私はパリア充をすごいとは思うが、自分もなってみようとは思わない。多分エセの群衆の中にいても私の性格ではきっと思い切り弾けられないだろうし、騒ぎが終わった後の虚しさの波を避けられそうにないからだ。私は祭りの後に襲ってくるであろう、虚無感・羞恥心・孤独感が怖いのだ。まずはこの三つの強敵を弾き飛ばすような鋼のハートを装備しなければお祭り騒ぎには参加できない。
好き勝手サッカーファンとお祭り騒ぎについて語ってきたが、お祭り騒ぎは少し離れたところから見ていることが一番だと思う。傍観者として、はしゃいでいる人々を生ぬるい視線で観察することも祭りの楽しさだと思えなくもない。その祭りが盛大で、巻き込む人数が多ければ多いほど、きっとその滑稽さに傍観者も燃えることだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます