第2話、このパンの袋を止めるやつって、何て名前?
「なあ、
「何だ?」
「私さ、今日はワイン飲む言うてたやん?」
「うん」
「大学の先輩がフランスで買ってきたっていうまあまあ美味しいらしいワインで乾杯しようって話やったやん?」
「そうだな。そう聞いている」
哲哉は粛々とその話を聞いていた。
「それでさ、あんたが選んだつまみ、これ何?」
「チョコチップパン」
「何でやねん!!今すぐ生ハム買ってこい!!」
「いやいやこれ意外と美味しいって!試したことないけど美味しいって!」
「しかも試したことないんかい!!いい加減にせぇや!!」
花奈は女の子座りをしながら机を二、三回バンバンと叩いた。紫色したワインが少しだけ波打っていた。玄関で山積みの何かが崩れる音がしたのは花奈のせいではないだろう。
「せめてここは生ハムとかさあ、チーズとかさあ、サラミとか用意するもんやないん??何でそこでチョコチップスティックやねん!それ絶対明日の朝飯に食べるのが最適なやつやん」
「いやあ、貧乏人にはそんな高いもの買えなくてな」
「あんた貧乏人ちゃうやろ!知ってんねんぞ最近買った株が好調で小金持ち状態らしいやんけ」
「な、何でそれを…お前、いつの間に俺の心読めるように…」
「あんたが自分で明かしとったことやろ。あんた、よっても記憶なくさんタイプやから覚えとるやろに、小芝居打たんでええねん」
そして花奈はさっと立ち上がった。
「ど、どこ行くんだ?」
「ちょっと歩いたとこにコンビニあったやろ?つまみ買うてくる」
「いや、まずはこれでワインいけるか試してからにしないか?」
「い、や、や」
慌てる哲哉。ふと目に入ったそれについて投げかけたのは、勿論何一つプランのないものだった。とりあえず足を止めようと思ったのだ。
「なあ、くだらない話していい?」
ピタ!花奈は足を止めてしまった。その声のトーンの低さから、何か重大な話をされるのではないかと思ってしまったからだ。もしかして……別れ話??いやだ。こんなしょうもないことで別れるのは嫌だ。
「このパンの袋を止めるやつって、何て名前?」
「ほんまにくだらん話やなそれ」
花奈ははあとため息一つついて、机に戻っていった。
「いやでもさ、実際気にならね?こいつ一体どんな名前なんだろって、そう思ったことないか?」
「ない!」
そう断言しつつ、花奈は再び机に肘を置き始めた。
「じゃあお前、これの名前呼ぶ時どうするんだ?」
「まずこれの名前を呼ぶ時がないわ!なにあんたそれ共通認識的な扱いにしてんねや。そもそも私、それ使わんし」
「え?じゃあパン買ったら…」
「まずパンを買わん」
驚く哲哉。
「私パンやのうてご飯派やからな」
ん?何かおかしいか?そんな訝しげな視線を花奈は送っていた。確かに最近は朝ごはんもパンの方が多いとも聞くし、花奈の周りにもパン好きな人は多い。女性ならなおのことだ。だからといって、ご飯好きでなにが悪い?花奈はそう思っていた。
「まじか、関西人はご飯派なのか」
「いやいやそれ関西人関係ないからな!私の周りもパン好きな人の方が多いわ」
「じゃあなんでご飯なの?」
「ええやん別に!ご飯でなにが悪いんや!」
「でもさー」
「おん、何や?」
「ご飯って、炊くのめんどいイメージ」
哲哉はそう言ってワインを一口含んだ。気づいたらお互い、いつものように向かい合って座っていたのだ。
「まあそれはあるわなー。でも、休日にたっぷり炊いといてタッパーしてたらええんちゃう?」
「えーめんどくさい」
「…あんた、ほんまめんどくさい星人やな」
「……何それ?方言?」
「ちゃうわアホ!何やねんめんどくさい星人って方言!」
哲哉はここで笑いながらワインを煽った。
「何や?何わろとんねん」
「いや、なんか可愛いなって。めんどくさい星人って言葉のチョイスが」
「は??は??」
まだワインも飲んでいないのに、花奈の顔は真っ赤になった。
「なんかあれじゃね?」
「うん」
「幼稚園児みたい」
そして一気に紅潮が引いてしまった。
「むしろあれかな?幼稚園児に向けて同じレベルの言語で話しかけようとする保母さんみたいな感じ?どっちにしても20超えてる女がお酒片手に言う言葉じゃねえなwww」
「う、う、う、うるさい!!!べ、別にええやろ!!!私の家ではよく使ってたんや!!ごみ捨てんのめんどくさがったり、洗濯物たたむのめんどくさがったりするんをめんどくさがったらめんどくさい星人してるとか言ってたんよ!!おとんとかおかんが!!」
「やっぱり方言じゃねえかそれ?」
「いややから方言やないって」
「いや、花奈家の方言」
「あーなるほどそういうことね、ってなるか!!何や私の家の方言て。私1地方扱いされてもうてるやん!!」
「花奈家って奈良和歌山を倒すくらいの力持っ出るんだろ?」
「何あんた関西でも微妙なとこ持出してんねん。しかもそれ、何で倒すんや」
「経済力」
「勝てるか!!何で私の家奈良和歌山を凌ぐ経済地区になっとるねん」
「いやワンチャン和歌山とかいけんじゃね?ソフトバンクとか勝てるやろ多分」
「あかん!世界的な大企業持ってきたらあかん!そしてあんたはそこら辺の中流サラリーマン出身の私に過度な期待しすぎや」
哲哉はチョコチップ入りのスティックパンに手を伸ばしていた。
「なあ、花奈」
「なんや?」
「俺ら、最初何の話ししてたんだっけ?」
「パン止める奴の話やろ?話めちゃくちゃになりすぎやねんほんま。っていうかさ」
花奈は哲哉のある行動に疑問を抱いた。
「ん?どうした?」
「なんであんた、おつまみもないのにお酒進んどるん?」
哲哉は首を傾げながら答えた。
「え?ふつうじゃね?」
「いやいやいやいや、あんた今開けたんよね?チョコチップ」
「まあそうだな」
「今テーブルにはワインとチョコチップスティックしかないやんな?」
「そうなるな」
「ならあんた、つまみなしにワイン飲んでたってことになるやんな?」
「自明の理だな」
……………
「…………」
「…………」
「や、おかしいやん?」
「いや、何が?」
「つまみなしにお酒飲むって」
「いやだから、何が?」
…………
…………
………………………………
「や、花奈。黙ってゴリ押そうとしても無駄だからな?」
「いやそんなつもりないわ!私は単純に、つまみなしにお酒飲むんおかしいって言ってんの!」
「だから俺は単純に、それの何がおかしいんだって聞いてんだろ?」
花奈はまるで世界の終わりのような表情をしつつ、ワインを軽く傾けていた。
「いやいやいやいや、これは流石に私に理がある!お酒っていうのはな、おつまみがあってこそ輝くんやで!そんな、つまみもなしにお酒飲むとか、馬鹿大学生の一気飲みやないねんからな」
「いやそこまで極端にいかんだろ!あくまでお酒は飲み物だろ?そりゃ食べ合わせはあろうとも水分補給としてお酒飲むのは普通なんじゃ…」
「それやったらワインやのうて水でええやん」
花奈はそう言って頬を膨らましていた。
「なるほど、前飲んだ時もおかしいなって思ってたんだよ。なんでこいつ頑なにおつまみが欲しいと、この余ったビールどうするんだと言ってたのか。そういうことか。花奈はおつまみジャンキーなんだな」
「なんやねんおつまみジャンキーって」
「ん?おつまみがないと暴れるクレーマーのこと」
「普通やろそれ!!ったく、私もようやく理解したわ。あんたの家来るたびにおつまみの質微妙やなとか、チョイスなんやこれとか思ってきたんやけど」
「思ってたのかよ初耳だわ」
「そりゃ言っとらんかったからな。でもそれで私もわかったわ!あんたがそんなにおつまみに対して軽視してるなんて思いもよらんかったわ」
「軽視なんてしてねえよ。ただ食べたいもん買ってるだけ」
「なんでや!!おつまみは酒に合わせて買うんが普通やろ」
「知らねえよそんな関西圏の文化」
「だから関西圏の文化ちゃうって」
「じゃあ花奈家の文化?」
「私の文化や!!しばくぞほんま!!」
ここでついにチョコチップ入りスティックパンを口に含んだのち、ワインを傾けた。哲哉なこの行動に、少し熱くなっていた花奈も落ち着いた様子だった。
「なあ、花奈?」
「なに?」
流石にしばくぞはやりすぎだっただろうか。花奈は自身の汚い言葉使いを反省していた。
「そろそろ、原題に戻ろうと思う」
「せやな、ちょっと熱くなってもうたわ」
花奈はここで、過剰に盛り上がってしまった花奈に対するクールダウンも兼ねた対応だと思い、哲哉のことを大変見直していた。脱線させた上に怒鳴った自分の反省として、少し大人しくして哲哉の話に付き合おうと思ったのだ。しかし哲哉にはそんな考えなど一切なかった。彼はただ、下らない話をしたかっただけなのだ。
「このパンの袋止めるやつって、なんて名前」
花奈は確認のためにスマホを取り出そうとしたが、哲哉は手だけでそれを制した。
「相変わらずこれの使用は禁止やねんな」
「当たり前だろう?こういうことを全力で考えること自体が大事なんだよ」
「他の人の連絡も見たらあかんねやろ?俺だけ見てよって」
「なにそれ?誰そんなくさいセリフ吐いたボケナス」
「おまえや!!!」
反射的に突っ込みつつも、私はそのパンを止めるやつを手に取っていた。
「因みにさ」
「うん」
「私の家にはこれほとんどなかったんだよね。家がご飯派だったもんでさ」
「そりゃ仕方ないな」
「あんたの所はパン?」
「まあ、どっちかっていうとパンかな」
「じゃあさ、これなんて呼んでたの?」
哲哉はそっぽを向いて口笛を吹いていた。
「な、なんて呼んでたかなあ」
「なんでそこはぐらかすねん!しかも下手やし」
「ま、まあそれは置いといてだな」
「置いとけるか!!めちゃくちゃ大事なヒントやろそれ!!ええからはよ言え!それともなんや?言えんくらい下品なんか?」
哲哉に向けて睨みをきかす花奈。そして哲哉は諦めたようにこう告げた。
「パ……」
「パ?」
「パッチンコン……」
照れ顔の哲哉が可愛いと花奈はおもったが、それよりもその謎単語に笑いがこみ上げてきてしまった。
「なんやねんそれwwwパッチンコンってwwwあんたんとこにもあるやん方言」
「し、仕方ないだろ!親がそうやって呼ぶんだよ!!周りのものすぐ名前つけるし」
「やーわかるで、うちのおかんもよく爪切りとかハサミにさん付けしまくってたから」
「いやそれはわからん」
「なんでや!!擁護したんやから受け止めてや!!何勝手にバックホームしてきてんねん!!」
「で?この名前どうする?」
「どうするもこうするもないやん!パッチンコンで決まりやろ」
「いやだよ。それが嫌だから名前考えたいって言ってんのに」
「いやいやいやいや、パッチンコンやろパッチンコン。しかもこれ、パッチンコンとか言う割にはあんまりパッチンもコンもしてへんしな。止め方としてはサクって感じやし」
「サクッ!よりサスッ!じゃね?」
「サスッ!ってなによ?どこ触っとるん変態」
「いやお前のサクッ!の方が意味わからんから。ポテチでも食べてるのか?」
「いやでも少なくともパチッではないな」
「そうだな、じゃあ名前考えよ…」
「いやもうこれはパッチンコンで決まりやろ」
そして花奈は笑い過ぎた代償に喉を乾いてしまった。そのため、ワインを飲もうとして…机に置いた。
「お?お?」
それを哲哉が見逃すはずない。
「今見ましたか、今見ましたか奥さん」
「誰に話しかけてんねん透明人間でもおるんか?」
「遂にワインオンリーで飲もうとしましたよそのくせプライド高いからさっとやめましたよ奥さん」
「え、え、ええやろ別に!!」
哲哉はそれを見越したように、ワインを一杯飲み干した。そして花奈に向けて熱く語り始めた。
「匂いは繊細に思えるが、1つ口に含むと赤ワイン独特の酸味と苦味が襲ってくるそれは、まるで隠れた欲望を特定の人にだけさらけ出す慎ましやかな女性のよう。しかしそこを過ぎ、喉を通る時には飲みやすく、親しみやすい味をしている。香りは繊細、口入りは力強く、でも最後にはすっと胸に落ちるこの3面性は、大凡フラン(すなおさ)の名を冠するものとは思えないね」
「やめろー!!!!そうやって私にワイン飲ませようとすんのはやめろー!!!」
「何を言ってるんだい?僕はただこのお酒の素晴らしさについて語っていただけじゃないか」
「それがギルティやゆーてんねん!!!何しかもそのワイナリーの人みたいな表現の仕方!!!!まあまあ様になってんのが余計にムカつくわ!!!!」
花奈はそう言いつつ、意を決したようにチョコチップスティックを掴んで食べた。そしてワインを流し込む。
「あ、これ結構いけるかも」
「え?まじか」
「うん。というかチョコとこのワインめっちゃ合うわ!ええ感じええ感じ」
花奈はニコニコしながら1本取り出して、残りはパンの袋止める奴でしっかり止めた。
「はいパッチンコンで止めたで!」
「お前……もしかしてそれ定着させる気か?」
「勿論やん!これの名前はパッチンコンや!よし、旨いお酒にも出会ったし、コンビニに追加のつまみ買いに行こう!一緒にやで」
「いや、まずはこのつまみなくなってからじゃね?」
いつになく丸く収まった2人は、そのままコンビニに物を買いに行くことになる…予定だった。
「そういやさ、1つだけ疑問やってんけどさ」
そしてそれを、花奈は見逃さなかった。
「なんでこんなくだらない話を振ったん?」
え?という顔をする哲哉を他所に、花奈は続けた。
「いやさ、いつものあんたならここから『なぜ既存のものにこだわろうとする!なぜ新しいものを作り出そうとしない!その挑戦心の無さが!今の日本の停滞を招いているのではないのか?』とか訳わからんこと言って迫ってくるやろ?今回はなんでないんや?なんかもう、パッチンコンで認めてるみたいやんけ」
うぐぐぐぐと顔をしかめる哲哉。
「これはフェイクやろ?フェイク?さて、なんの隠し事があるんや?」
「べ、別にそんなんないし。俺トイレ行ってくるから、その間にお酒飲んでて…」
「私は知ってるんやで、哲哉。あんた、ワイン飲み始める前、ここついた瞬間にトイレ行ったから、まだそんなに溜まっとらんはずよ」
「い、いや俺トイレ近いから」
哲哉は慌ててドアを開けようとしたら、ガンと何かにぶつかっていた。
「そういやさっきなんか崩れとったな。直すん手伝おか?」
「いや、それはその…」
ピクン!花奈がここで気付いたのはさすがであろう。さっと素早く哲哉の元に駆け寄ると、脇目も振らずに玄関で崩れた代物を確認した。
そこにあったのは、枕カバー、同人誌、ビデオなどなど。
「あーきーや!?!?!?」
それを見て、花奈は今日一の怒りを見せつけてきた。
「私お願いしたやんな?フィギアは認める、アニメ関係のグッズも認める、声優さんの写真集も認める。でも、こういう性欲にしか繋がらんもんはあかんって、そこだけは自重してくれって、私何回も言うてたよなあ!?」
「い、いやその……」
「つまみが全然足りんのもこういうの買ってるせいか。そりゃ貧乏にもなるわなあ!?」
どんどん背中が小さくなる哲哉。
「そうかそうか、あんたこんなんおかずにしとったんやなあパン派のくせに。そのイチモツ輪ゴムでパッチンコンしたほうがええんとちゃうか?おん!?」
「い、いやもうなにいってるかわかんな……」
「あーきーや????」
「はっはっはい!!!」
花奈は手に持っていた物を玄関向けて投げ捨てつつ、哲哉に迫った。
「私を舐めくさっとったんちゃうか?あんた?」
「いや、そんなわけでは…」
「大体のこと許してくれるし、見つかっても行ける思ってたからちょっとの衝撃でこんなん見つかったんとちゃうか?」
「いえ……その……」
「調子乗んのもええ加減にせえよ。もう許さんわ」
そして花奈は、哲哉を押し倒してこう囁いた。
「覚悟しいや。あんた、明日の夜まで絶対寝かさんからな」
その後、色んな意味で色んなものを絞り出された哲哉の成れの果てがあったことは、想像に難くない事実であろう。
ほんまにくだらん話やな!? 春槻航真 @haru_tuki
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