第61話 あたしメリーさん。いまあなたの後ろにいるの……。(完結編)
その瞬間、三千世界のすべてが震え、ひび割れた。
それはこのルルイエも例外ではなく、凄まじい地震のような振動が絶え間なく続き、合わせて空間そのものに亀裂が入ったような破砕の音が鳴り響く。
「あ……ああ……ああああああああああああああああああああッ!!!!」
それに合わせるかのように――否、まるでそこが中心であるかのように、ドクドクと流れ出る血潮が作る血だまりの中で、光のない視線も定まらぬ目で、無意識のうちに倒れ伏した青年の死体に開いた穴を塞ごうと、両手を押し当てる幼女の身も世もない絶叫が木霊する。
初めて目の当たりにする取り乱したメリーさんの様子に、メリーさんの仲間たちが痛ましげな視線を送り、内原の知り合いたちは、
「生命反応ゼロ。旧神の一撃では、もはや蘇生は不可能……かと」
ある者は頭にかぶった『
「ね……ねえ、嘘でしょう? アンタがこんな簡単に……私が憑りついて殺そうとしても、絶対に殺せなかったじゃない。こんなのってないわよ!」
ある者は悲痛な叫びを放ち、
「え、なんで……殺人? 天災? なによこれ、冗談じゃないの???」
ある者は現実を直視できずに取り乱すのだった。
「地震だと? 馬鹿な、このルルイエに地震など起こるわけがない。ましてクトゥルフの結界内部だぞ!?」
いつの間にか回収した
「はあ~~っ、やれやれ。バカの暴走で眠り姫が目覚めたか。とりあえずあたしは混沌の玉座に行ってみるから、アンタらはこっちの方をお願いね」
かったるそうに盛大なため息をついた野村真李は、ヤギの角と蝙蝠の翼、尖った尻尾を出して、軽く宙に飛び上がった。
「わかりました。お気をつけて」
「姫様をよろしくね」
当然という顔で、いつの間にか手に金色のトランペットを持って傍に寄っていたローラとエマが、遥か虚空の彼方に飛び去る真李に向かって、旧知の間柄のような態度と真剣な眼差しで挨拶を送る。
「はいはい。まーったく、防護服を着て、カナリア持って突入する気分よ」
愚痴りながらも、一瞬でこの場を後にする真李。
「内宇宙から消えた!? 何者だあの女は! ただの下級悪魔ではないのか?!」
驚愕に目を剥くノーデンスに対して、つまらないものを目にするような冷ややかな眼差しを送るローラとエマの姉妹。
「そんなことも理解できない小物が、ずいぶんと好き勝手をやってくれましたね」
「ホント。アンタさあ、邪神に向いてないんじゃないの? 自分じゃ大物のつもりでいても、やっていることは人間と発想が変わりないもん。あれよね、漫画には向いてないけど、一枚絵としては才能あるのに、イラストレーターでなくて、執拗に漫画家を夢見て取り返しがつかなくなった典型よね」
姉妹の侮辱に対して、たちまち激昂するノーデンス。
「黙れ人間風情が! 我を誰と心得る。旧き神の一柱にして、〝大いなる深淵の大帝”ノーデンスなるぞ!」
「はいはい、めでたい、めでたい」
小馬鹿にした調子で軽く手を叩くエマ。
「どうやら本当に何も理解していないようですね。水の主神クトゥルフは最初から気付いていて、静観の姿勢を崩さないでいるというのに……所詮は深海程度を司る小神。この騒ぎもお前が起こした結果ですよ?」
ローラのゆるぎない断定に、ノーデンスはいまだに収まりそうにない地響きと暗雲に閉ざされた空を見上げ、僅かに逡巡を見せた。
「――なっ。本星はおろか、冥王星の前線基地とも連絡がつかない?!」
『
「ああ、無駄ですよ。この場所以外の宇宙は、表も裏もほぼ壊滅したでしょうから」
ローラの言葉に、樺音が精彩を取り戻した表情で虚勢を張った。
「話は聞かせてもらったわ。人類は滅亡する!」
「人類以外も滅亡しますよ」
にべもなく言い切るローラ。
「時来たれり! これこそが黙示録に預言されし
オリーヴが水晶玉を取り出し、興奮した様子で捲し立てるのに対して、
「いやぁ、正義はないかな~。残っているのは邪悪だけなんだな~」
歌うようにエマが不毛な答えを返す。
「ローラさん、エマさん。あなた達は一体……?」
スズカがまるで見知らぬ他人を見るような警戒した目でふたりを見ながら、怯えるジリオラとイニャスを背にかばって問いかける。
「勿論、ご主人様の忠実な
「あたしもそうだよ~」
いつもと変わらない調子で答える姉妹の様子に、逆に警戒を強めるスズカ。
そんな彼女の様子にローラが微笑を浮かべた瞬間――。
「ふざけるな! このノーデンスを小物だと!? 小神だと!! 目にモノ見せてくれるわっ!」
怒髪冠を衝いた様子で、取り返したばかりの神器を一抱え程もある樽ほどもある大きさに巨大化させたノーデンスは、それを大きく振りかぶった。
「そこの宇宙人っ。可能な限り強力なバリアーを最大出力で! 他の皆を守る形でお願いします」
「え、いくらなんでも旧神と名の付く相手の攻撃を、こんな個人用の『
管理人が慌てるのにも構わず、
「こちらでもなんとかします。エマ!」
「りょうか~い」
ふたり並んだ姉妹は一斉に手にしたトランペットを吹き鳴らした。
「ぐっ――貴様ら、その楽器はまさかアレの無聊を慰める……」
その音色に縛られたかのように、手足の動きを拘束されたノーデンスが、何かに気付いた顔で額にびっしりと脂汗を流す。
「ぐぐぐぐ――ぐああああああああああああっ!!!」
トランペットの音としばし拮抗していたノーデンスだが、右手の義手から極彩色の煙が噴き出たかと思うと、無理やり呪縛を破って岩の上から飛び降りて、ルルイエの大地に向かってハンマーを振り下ろした。
刹那、水爆にも等しい爆発と衝撃がその場にいた全員を襲う。
そのあおりを食らった
「――ど、どうにかしのげましたけど、二発目は無理ですよ。一発で縮退炉が空っぽになりましたから」
爆心地にほど近い、クレーターの縁で、そこだけぽっかりと元の地面が残っている岩場のブルーシートにへたり込んだ管理人が、こちらも無傷で残っている姉妹に話しかけた。
他の連中は人知を超えた出来事を前に、呆然としているだけである。
「ふん。辛うじて防いだか。だが、奇跡に二度はないぞ」
その様子を一瞥したノーデンスが再びハンマーを持ち上げたところ。
「あたしメリーさん。いまあなたの後ろにいるの……」
不意に背後からかけられた声に反応する間もなく、ノーデンスの分厚い胸を貫いて、背後から突き入れられた
「が! がはあああああああああああああああああああっ!?!?」
並の包丁ではない。対邪神用に特化した最終兵器による一撃、それも心臓のど真ん中をぶち抜いて行った、文字通り一撃必殺の攻撃を前に致命傷を負ったノーデンス。
とはいえ腐っても旧神。即死せずに《
「秘技・包丁乱舞」
その言葉と同時にメリーさんの周囲の影が泡立ち、耳にしただけで気が狂いそうな咆哮とともに、闇がしたたり落ちてきたような触手が数千、数万と湧き出して、一斉にノーデンスの体に絡みつき、締め上げ、錐のように穴を開けた。
「こ、れは……奴の……バカな。まだ星辰は揃っているはず。外部から干渉はできるわけが……」
いや、そもそも最初の一撃で自分を貫通するような力があったわけがない。なにしろこの小娘には、本来の力の10分の1になる呪詛が施されていたのだから。
ズダボロになって混乱しながらも、ノーデンスはメリーさんのステータスを改めて確認してみた。
・メリーさん そよかぜ終身名誉女神人形(女) Lv61
・職業:勇者兼賢者兼アザートースの化身(笑)
・HP:164 MP:130 SP:138
・筋力:54 知能:1 耐久:82 精神:66 敏捷:59
・スキル:霊界通信。無限全種類包丁。攻撃耐性3。異常状態耐性3。剣術5。牛乳魔術3。邪神魔術∞。
・奥義:包丁乱舞(MAX)
・装備:ニットとプリュムティチュールドレス(アイボリー)。ニットカーディガン(アイボリー)。リボンカチューシャ(赤)。レースのソックス(ピンク)。バスケットシューズ(ゴールドトーン)。ラムスキンバックパック(白)。殲滅型機動重甲冑(携帯)。
・資格:
・加護:外なる神々の総意にして使者、這い寄る混沌ニャルラトホテプの加護。
「アザートースの化身だとぉ!?! あり得ん、アレは盲目にして白痴の存在。このような在り方をするなど。それになぜ儂の呪詛を破って、アヤツの加護だけがあるのだ!? いかなアヤツだろうと、外部からは干渉できないはず……!」
驚愕に戦慄くノーデンスに向かって、俺は気楽に種明かしをしてやった。
「いやぁ、こいつの行動様式とか、まるっきり『盲目白痴』だぞ。ああ、余計な呪詛は取っ払っておいた。邪魔だからな。あと加護が機能してるのは、そりゃ、お前が俺を内側に引き摺り込んだからだろう。外からの干渉は無理でも、すでに内側にいるんだから、なんぼでも干渉はできるわな」
同時にメリーさんの頭を撫でてやると、安心したように意識を手放して、コテンと眠りについた。
「おっと――」
それを軽く抱き抱えたところへ、羽ばたきの音とともに真李が戻ってきた。
「お義兄様。どうやら眠り姫も落ち着いたみたいね」
「ああ、ギリギリだったけれど一安心だな」
ま、一瞬とはいえ全世界――すべてを夢という形で創造している造物主が目覚めたんだ。ほとんどの夢は覚めて消えただろうけどな。
俺が壊れものを扱うように、慎重にメリーさんを真李に渡して、改めて瀕死のノーデンスと向き直った。
「貴様ら……ナニモノ……」
ようやく声を振り絞ったノーデンスの頭を掴んで地面に叩き付けると同時に、スニーカーの底で頭を踏みつける。
「『内原平和』最初に名乗っていた筈だぞ、聞いていなかったのか? そしてこいつは従兄妹の『野村真李』」
「ぐ、ぐぐあああ……」
「お義兄様。コイツ阿呆なんだから、もっと直截に言わないと駄目よ。――どーも従兄妹の『野村真李』こと、女神マイノグーラでーす」
「――がっ!?」
驚愕に震えるノーデンスと同時に、
「影の女悪魔マイノグーラ!?!」
「やだなぁ、先輩~。女神様ですよ女神~」
ニタニタと人の悪い笑顔で訂正するマイノグーラ。
と、何かに気が付いた顔でオリーヴが先輩に話しかけた。
「
「え、ええ……漢字はそうだけど、それがどうしたの里緒?」
「あたしの記憶が確かなら、エジプト語で『平和』って――」
「――っっっ! 『
瞠目し血の気が引いたふたりの視線が俺に向けられる。
「ほ~ら、血の巡りの悪いお前よりも前に人間の小娘のほうが正解にたどり着いちまったぞ~」
足の下でギリギリと憎悪に歯ぎしりをするノーデンスを煽りながら囁きかける。
「大方、メリーさんを絶望させるために、関係者を全員集めてなぶり殺しにするつもりだったんだろうけど、立場が逆になったなぁ。必死こいて準備をして、最終的に大量の握手券になりました……ってオチだな」
「……おのれ……ニャルラトホテプ、貴様……」
「つくづく無能だなお前は。どうせならクトゥルフではなくてクトゥグァをフォーマルハウトから召喚していれば、万に一つくらいの勝ち目があっただろうに」
嘲笑を浮かべる俺に向かって、地縛霊の霊子――まあ、俺には彼女の生前の名前も何もわかっているんだが、当人が長い幽霊生活で忘れているっぽいので黙っている――が、必死に問いかける。
「い、生きてたのアナタ!? 心臓のど真ん中を貫かれて、あんなに血が出ていたのに……?」
「ああ、あれはちょっと痛かったな。まったく、この
さらに足に力を込める俺。
「が……ぐ……」
「でもって、いま聞いての通り、俺も実はこいつらの同類なわけだ。ちなみにローラとエマも姫君……いや、メリーさんの世話をするために密かに送り込まれた侍女だな」
「なっ……!」
絶句するスズカ。
「アンタも邪神だったの!? そんな……じゃあ、いままでの事は全部嘘だったの!? いつも降りかかる事件や超常現象も――」
「ああ、俺が呼び込んだ」
「常識的に、平和に暮らしたいっていってた言葉も嘘っぱちだったの?!」
惑乱する霊子に向かって俺は首を横に振った。
「いいや、それも本当の本音さ」
「無茶苦茶じゃない! 矛盾してるわよ!!」
「そりゃそうだ」俺は肩をすくめて両手を上げて答えた。「矛盾するからこその混沌、すべてを内包しすべてを排斥する者。それが俺だからな」
俺の答えに霊子を筆頭とした全員が絶句したところで、
「ニャルラトホテプ! 貴様諸共に滅びてやるわっ!」
一瞬の隙を突いて立ち上がったノーデンスが
「はい、残念」
刹那、俺も邪神としての本領を発揮して、『這い寄る混沌』としての姿でこれを絡め捕り、ノーデンスの組成を素粒子以下にまで分解する。
ついでに捕獲したノーデンスの本体である存在核を鷲掴みにして、そのまま削りに削りまくって人間並みの容量にすると、
「エマも言っていたが、お前は邪神としては小物過ぎる。姫君の退屈を紛らわすお気に入りのオモチャ箱を汚した罪も重い。そんなわけで人の輪廻の輪に入れるので、来世はドイツでサックスでも吹いてるがいいさ」
逃げようとするそれを、無理やり人のいう輪廻転生の循環に押し込んだ。
「さて、これで終わりか……」
「後始末が大変だけどね~」
ひと段落ついたかと、内原平和としての姿に戻った俺が、ヤレヤレと肩を叩いたところへ、メリーさんを抱えたままの真李が周囲を見回して、うんざりした口調で言い添える。
見れば、俺のこの宇宙における姿(の影)を直視した全員が、魂に強烈なショックを受けて気死寸前になっていた。
普通に回復可能そうなのは、地球人よりも精神のランクが高い宇宙人である管理人さんと、人間離れした活力を持つ
「しゃーない、全部ひっくるめてセーブポイントからやり直すか」
修繕するよりも一度リセットをかけたほうが手っ取り早いと判断した俺は、地球のある世界と隣接するこの世界の時間軸に干渉するべく、触手を伸ばした。
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どうにか四次死亡……もとい志望の大学へ滑り込むことに成功した俺は、この春から晴れて東北の田舎から上京をして一人暮らしを始めることになった。
まあ大学のキャンパスは都内だとはいえ、俺が借りられたアパートは荒川を渡った先の埼玉なんだが、関東=東京=シャレオツと認識している田舎者カッペには大して違いはない。
で、荷物を運びこんで、あと心配してついてきた親父やお袋が――「スカイツリーを観て、帰りにお台場で買い物して土産買うわ」と、本当に心配してきたのかと疑問に思うような餞別の言葉を残して――帰っていったその晩。雑然とした中でベッドとテレビだけセットして部屋の中で、さて晩飯どうするべえか? と腕組みして俺は悩んでいた。
面倒なので持ってきたカップ麺でも食うか、探検がてら近所の食い物屋にでも行ってみるか……と思っていたところで、不意に尻ポケットに入れていたスマホに着信があった。
番号を見ても見覚えがない。
さては何かのセールスか。詐欺か。都会は怖いところだっていうからな。下手に出るとろくなことにならないだろう。
そう思ってそのまま放置していたが、一向に着信が止まらない。
五分……十分……十五分……。
あ~~~っ、鬱陶しい! 面倒臭くなった俺は電話に出た。
「はいっ! もしも――」
怒気をはらんだ俺の声に応えたのは、どこか硬質な響きのある幼い女の子の声だった。
『あたしメリーさん。いまゴミ捨て場にいるの……』
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