第59話 あたしメリーさん。いまあなたの後ろにいるの……。(前編)
そこはすべての中心にして外側。認識すら存在しない狂気の混沌に支配された無明の房室。
仮に人間がこの場所を目にしたところで、なにも理解できないまま発狂するだろう――あまりにも膨大な情報量に、人間のちっぽけな脳が耐えきれずに一瞬で焼き切れる――超次元の混沌世界。
仮にデータを走らせるのにスーパーコンピュータ並の処理スピードが必要な情報の海を、人間の――せいぜい初期のファミコン程度の能力しかない――脳に合わせて、必要なデータをとことん削って、ほとんど原型をとどめない影とした場合、認識できるのは壮麗という言葉すら生温い巨大な宮殿の姿であったであろう。
恒星ほどもある宝石と水晶を削ったかのような、およそ果ての見えない宮殿の床には、延々と流れる水のように金色の糸が張り巡らされていた。
それを踏まないように、床からわずかに浮いて歩くひとつの影があった。
一歩進むごとに、黒いローブを纏った漆黒の男、ハイエナの体に禿鷲の翼を持つ顔のないスフィンクス、黒い肌を持つ長身の神父、円錐状の頭部を持つ流動する黒い不定形、真紅の衣装を纏った絶世の美女、黒いライオン、300キログラムを超える醜悪な肥満の女……などなど、瞬きをする間にも姿を変えるソレは、やがてこの城の中心部――輝く玉座が占める大広間へと到達した。
大広間には数えきれないほどの侍女が控え、なぜか全員ドラムやフルート、リュートなどの楽器を携えて、どーいうわけか『世○も奇妙○物語』のテーマを流している。
怜悧な科学者風の男の姿をとったソレは、玉座に大の字になって寝転がる、窮極にして無窮、至高にして無価値である己の
その
これも恐ろしく認識のレベルを下げて、人に例えるのなら十七歳ほどの金髪碧眼の愛らしい少女……と表現するしかない。彼女は、うすらボケと半分目を開いて眠りについていた。
金色のティアラから伸びた金の髪は延々と玉座からこぼれ、床一面――否、この広大な宮殿一杯に広がっている。すなわち、床一杯に広がる金糸は絨毯や装飾品ではなく、すべてこの少女の髪が伸びて広がったものであったのだ。
何万、何億、何兆年経てばこれほどの長さになるのか……。
いや、
「我らの眠り姫のご様子はいかがかな?」
男――いまは長身で僧衣を着た黒人男性の姿をとった――の問い掛けに、侍女たちは顔を曇らせた。
それからトランペットを携えた侍女が、おずおずと前に進み出て答える。
「いささか眠りが浅くなってございます。先ほど寝返りをうった際に、二百五十億個の宇宙が弾け、核を使える初期文明以上の知的生命体だけで約六千三百二十一億×
「そうか」
どうでもいいという口調で、男が相槌を打つ。
「それでは、最近、姫君がお気に入りの世界はどうか?」
男の視線が、彼女が膝の上に置いて両手で握ったままの、彼女によく似た幼女を象った人形に向けられた。
その人形の上には、ひと際大事そうに虹色に輝くシャボン玉がふたつ浮いていた。だが、心なしか片方に濁りがあるような気がする。
「――ふん。内側からクトゥルーの力で外部からの干渉を封じたか。たかだか読み終わった本の端役の分際で、まだ出番があると思っているらしいな。だが、見くびるなよ。我こそは外なる神々の総意にして使者。全旧支配者中、唯一封印を免れし者である。貴様らの浅知恵など無駄な事……」
不敵に笑う男に対して、侍女たちがおずおずと確認をとる。
「大丈夫でしょうか? さきほどから姫君が不機嫌にむずかるような気配を感じております。いざとなれば、この終末を伝えるラッパを吹き鳴らす準備も必要かと」
「姫君が目覚め、すべての
不穏な男の言葉に侍女たちは不安な様子で顔を見合わせた。
「我が姫君には、もうしばし良き夢を楽しんでいただきたいものだな」
そう口にして、優しく少女のうなじのあたりの髪を撫でる。
それに合わせて、心地よさげに表情を和らげた少女の周りに、何千億という小さな泡が生じた。
ほとんどの泡がその場で消える中で、いくつかの泡が寄り集まってシャボン玉程度の大きさまで育って空中を浮遊する。
「『クラムボンはかぷかぷわらったよ』か」
残った泡の中では何十億年という時間が流れて、新たな宇宙と生命が誕生したことだろう。
特に感慨もなく――ソレにとっては、敬愛する主以外のことなど埒外であるのだ――男は踵を返して、この場を後に、宮殿の外。あるいはすべての泡沫の夢が渦巻く、
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気が付いたらやたら磯臭い地面に墜落していた。
「これぞ伝説の私が追い求めた力あるレガリア……ウグッ!? い、今のは危なかったわ……胸の中の宇宙たるヴェルトールが乱れて、ふっ……とうとうこの力を解放する時が来たようね。我が魔眼に宿りし爛漫たる力、常命なる者を護らんが為、今ここに解き放つ!」
絶好調なのは着地のショックで目が覚めた
一方、ボンネットを開けてエンジンを調べていた管理人さんは、ほとほと困り果てたため息をついて、早々に匙を投げるのだった。
「おかしいですね。通常エンジンもリープ航法機関も、波動エンジンもどこにも異常はないのに、うんともすんとも言いません」
「いや、なんかいま見たら派手にオイルが漏れたんだけど?」
ここにきてやたら姿が明瞭になった
「ああ、それは仕様です。私も最初に心配して確認したのですけど、メーカーの人からは『オイルが漏れる? よしよし、ちゃんと入ってる証拠だな』とあっさり言われました」
「まあ、あそこのエンジンは『オイル漏れ・ギヤ抜け・異音・故障』すらデフォなのは、三式戦闘機「飛燕」からの伝統だからな。気にしたら負けだぞ」
さすがは「漢カ○サキ」。他のメーカーにできないことを平気でやってのける。そこに痺れる憧れる、だ。
「っていっても、いつまでもこんなところに居てもしょうがないんじゃないの~」
ヒマそうに何もない周囲を見回して、真李がもっともな意見を口にした。
「それもそうだ。管理人さん、諦めてJ○Fを呼んだ方がいいんじゃないですか?」
「こんなところにJ○Fが来るわけないでしょう!」
「UVF――一般社団法人
渋々携帯を取り出して、どこかへ自損事故の連絡をする管理人さん。
「――はいはい、申し訳ありません。それでレッカーと代車をお願いしたいのですが。え? 場所ですか……えーと」
手が離せない管理人さんの代わりに、俺がスマホの位置情報で、いまいる場所の特定をしてあげる。
「いーや、絶対にスマホでは位置が特定できないと思うわ!」
「ああ、わかりました。ここは南太平洋の――」
「時来たれり。今まさに、我は伝説の地レムリア……別名ムー大陸へと至れり!」
盛り上がっている
「『ルルイエの館。中央区二丁目一番地の十三』ですね」
途端にひっくり返る
「なんでよ!? なんでそんな詳細な位置までわかるのよ?!」
そりゃお前、世界のGo●gleマップだからな。『OK! Go●gle、花を咲かせて!』って奴だ。
起き上がった
「おっと、キャンプの支度で持ってきた薪を割ろうとして、手が滑ったわ」
唸りを上げて
その拍子にザックリと前髪が切られて、
「‘*+>、#$%〒外@=¥!!」
素顔が剥き出しになった
「えええっ! 『ルルイエの館』ですか、本当に!?」
管理人さんが心底驚いた様子で声を張り上げる。
「ええ、間違いなくストリートビューでも、ここが表示されてますよ――って、あれ? 時計の表示が1時間遅れてるな?」
よく見ると時計が1時間ほど戻って、出発直後の時間になっているのに気付いた。
それと『ルルイエの館』って、つい最近にメリーさんも同じ地名を言っていたけど、異世界にもあるんだな同じ名前の場所。
きっと「○○が丘」「△△台」「□□野」とかいう、日本中に掃いて捨てるほどある地名と同じで、どこにでもあるありふれた名称なのだろう。
「うわ~。普段は海底に沈んでいる伝説の都市で、関係者以外立ち入り禁止区域ですよ! UVF来てくれるかしら? あ、私の時計も一時間遅れになってますけど、コレは多分、リープ航法中に衝撃が掛かって短時間ですが時間を逆行したのでしょうね」
懸念しながら連絡を続ける管理人さん。
「聞いた、いまの!? 時間が逆行したのも問題だけれど、私たち伝説の大陸にいるのよ! てゆーか、なんで伝説の大陸のストリートビューがGo●gleマップにアップされているわけ?!」
若干距離を置いた
昔の野球名鑑なんて、選手の住所が乗ってるほどのガバガバさだったんだぞ?
とはいえ、車の修理と代車が来るまでまだ時間がありそうなので、ちょいと暇つぶしにその辺をぶらぶらすることにした。
「どこ行くのお義兄ちゃん?」
手斧を回収した真李に聞かれたが、下手な答えをするとコイツのことだから付いて来ようとするだろうな。
「……生理現象。その間に先輩たちと協力して、飯の支度でもしていてくれ」
「ふ~~ん。まあいいわ。了解。ちょうどあたしも、この女たちにはお義兄ちゃんとの関係を洗いざらい――詳しく聞いておきたかったし」
手斧を手に、ニヤリと嗤う真李の視線が電話中の管理人さん、
「――ひっ!」
その場で硬直する
海辺が近いのか、潮の臭いのする霧がうっすらと立ち込めていた。
ふと、気付くと霧の向こうからこっちに向かって歩いてくる人影が見えたような気がした。
『あたしメリーさん。いま現地人らしい人影と接近中なの……』
そこへ入るメリーさんからの電話。つーか、
「お前、まだそれやってたのか? 前回のあらすじで十五分引き延ばした、伝説のD○Z並みの進行速度だな。こっちは車で事故ってテンヤワンヤしてたっていうのに」
俺たちの出発前にそんな話をしてたと思ったんだけど、あれから結構時間が経っているのにいまだに接触してないとか、現地人に逃げられまくっているんじゃないのか?
『何の話かよくわからないけれど、メリーさんは何事にも慎重なの。冷凍食品「4分です」の場合は「なら4分30秒やな!」の精神なの……」
「俺は念のためにプラス一分の余裕を持たせるが」
冷凍食品はそれでもたまに芯が冷たい場合があるからなぁ。
『あと事故ったってことは「プ○ウスが事故を起こすのではない。事故を起こした車がプ○ウスなのだ」と呼ばれるあの車にでも乗ってたの……?』
「いや、なんかおかしな連中が踊り狂ってたと思ったら、気が付いたら事故ってた」
『煽り運転なの! メリーさん知ってるの、いま煽り運転が問題になっているの……』
「あー、そうらしいな」
『温かくなってきたこの季節、普通に運転してる後ろにオープンカーでピタリと張り付き、おもむろに運転しているコートの下がブラジャー以外、素っ裸のデブオヤジが立ち上がって、コートをはだけて見せる恐怖の煽り運転なの……!』
「そんな
つーか、そこまでアクロバティックな動きができるデブな変態オヤジがいるか!!
『きっとジ・○みたいな動けるデブなの……』
そんな馬鹿話をしているうちに、霧の向こうの人物たちの顏が見えそうな位置にまで迫ってきた。
それはメリーさんたちの方も同じようで、
『あたしメリーさん。いよいよ現地人と遭遇なの……』
「お前、間違ってもいきなり切りつけようとするなよ? まずは話し合いだぞ。ア○パンマンだって、まずはバ○キンマンに『やめろ』といって警告しているだろう?」
『アイツの場合は最初にやめろって一言言いながら、すでに殴りかかる気満々だし、都合が悪くなると初期の頃は「頭の中身が餡子だから、難しいことはわからない」って誤魔化していたの。あと「はだ○のゲン」でも「暴力はいかん! 話し合いで解決するべきじゃ」と言っていたゲンが、四十頁後には相手をボコボコにしてたの……』
「四十頁もあれば十分だろう……つーか――」
ふっと霧が晴れたそこにいたのは五歳くらいの金髪碧眼の外国人の幼女だった。
気のせいかどこかで見たことがある気もするが、外国人で幼女なんて俺には見分けがつかんわ。
『あたしメリーさん。いま現地人と接触したの。見た目は風采の上がらない日本人によく似た背の高い男ね。なんとなくどこかで見たことがあるような気がするけど……』
スマホからもメリーさんの実況が聞こえる。
「俺のほうも現地人らしい、見た目は可愛いけどなんか胡散臭そうな幼女と接触したところだ」
『とりあえず挨拶するの……』
「俺もそうするか。とりあえず「ハロー」で通じるかな?」
メリーさんと示し合わせて、ほとんどいっせーのせーでお互いに現地人に挨拶することにした。
「あー、ハロー? マイネームイズ、
「あたしメリーさん。いまあなたの前にいるの……」
同時にスマホからも『あたしメリーさん。いまあなたの前にいるの……』という定番の台詞が、ステレオで聞こえる。
「「…………」」
お互いになんとな~~く、すっすらぼけと状況を悟った俺とメリーさん。
しばし無言でお互いに不可解な者を見る表情で向かい合ったところで、
「とりあえずスマホはそのままでいるの……!」
強い口調で言われたので、
「お、おう?」
片耳にスマホを当てたまま突っ立ってると、メリーさんが俺の背後に回って、
『あたしメリーさん。いまあなたの後ろにいるの……♪』
スマホから聞こえてきた、微妙にやり遂げた口調のメリーさんの台詞に、ハッと気が付いて振り向いた瞬間、出刃包丁が唸りを上げて上段から振り落とされた。
「――おわっ!?!」
慌てて身を捻って、地面を転がりながら躱す俺。
地面の岩との衝撃で包丁の切っ先から火花を散らしながら、メリーさんが不満そうに両手に包丁を持って、じりじりと迫って来る。
「猪木の対モハメドアリ戦法とは卑怯なの。ちゃんと背中を見せるの……!」
背中を地面につけて、後ろを取られないようにした俺の姿勢を見て、メリーさんが文句を言う。
「見せたら包丁で襲って来るだろうが!!」
「あたしメリーさん。これがメリーさんの愛の形なの……!」
「愛ってなんだ!?」
「ためらわないことなの……!」
「殺人は躊躇えよ!」
あかん、この狂幼女には話が通じない。
そう思ったところへ、
「あ~。メリー様がまた、人を殺そうとしてる~」
メリーさんの後に続いて、十七歳くらいのとんがり帽子に黒髪の妙な雰囲気の美少女、青と緑の髪のメイド服を着た十五歳と十三歳くらいのよく似た女の子たち(ちなみに叫んだのは妹らしき方)、十四歳くらいのアルピノらしい白髪赤目でキツネ娘のコスプレをした少女。そして赤い髪を縦ロールにした幼稚園児くらいの、妙に太々しい態度の幼女と、なんかマスコットみたいな容姿の同じような年齢の幼児が、げんなりした表情で歩いてきた。
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