第13話 あたしメリーさん。いま遭難しているの……。

 ユニットバスにいつの間にか水が張られ、そこにぐっしょりと濡れた女が仰向けに横たわっていた。


 水道代がかさむなぁ、いつ間にか蛇口が開いてたんだろうかと思いながら、半透明の幻覚女の胸の辺りに左手をやって、そのまま無造作に貫通させる形で(一瞬、ぴくりと幻覚が身じろぎしたが)風呂の栓にあるチェーンを取って、水を排水させるべく引っこ抜く。


〝ふはははははははっ、つーかーまえたーっ!”


 哄笑を発しながらその手にしがみつく幻覚女。

 気のせいか腕にかかる重さを感じる。


「……重い。疲れているのかな~。なんだか左手に普通の女の倍――デブの男子ひとり分くらいの重量がかかっている気がする」

〝そ、そんなにないわよ! 私、生前も標準以下の痩せ型だったんだから~っ!”

「だが、水を吸って無様に水膨れのデブになった可能性も……」


 独り言をそう口に出すと、幻覚女ががびょ~ん! と、ショックを受けた顔になった。


〝そ、そんなことないし……ちょっと服と髪が水を含んだだけで、中身はこんなにスレンダーなまま……”

「ああ、左手が重い! 洒落抜きで重いなあ……デブって自覚がないんだよなあ!」

 聞こえよがしにそう『デブ』を連呼すると、幻覚女の手から力が抜け、そのままバスタブに体育座りをして、シクシク泣き始めた。


 よし、勝った!

 密かに内心で喝采を叫びながら部屋に戻ったところで、スマホに着信があるのに気付いて取る。


『あたしメリーさん。いま難破した船のいかだで遭難しているの……』

「遭難? そうなんだ」

 無難な返しをした瞬間、メリーさん力いっぱい電話を切りやがった。

 マナーも何もあったもんじゃない。とりあえずリダイヤルしてみる。

『あたしメリーさん。いまおかけになった電話番号は現在インドに修行に行って不在となっております……』

「いや、いきなり『メリーさん』って名乗っているよね!?」

『むむむっ! しまったの。いつもの調子で応えてしまったの! これは孔明の罠だったの……!』


 電話口で歯噛みするメリーさん。漂流だか遭難だかしている割に余裕あるな……。


「というか、漁港が壊滅した昨日の今日で、よく乗れる船があったな」

『あたしメリーさん。そう、あれは痛ましい事故だったの……』

 完璧に他人事で語るメリーさん。いや、八割がたメリーさんの管理責任だから!


『幸い沈んだ船は海賊とその関係者……というか、あそこの自治体ぐるみで海賊行為を行っていたことが、当局の調べでわかったことで、行政機能は一新されることになったのだけれど……』

「ふーん。じゃあ昨日の親子の借金もチャラってことか?」

『それは無理なの。法定外の金利はなくなったとしても、借金の事実自体はなくならないし、地元でも今回の復興で一円のお金も必要なこの時期に、借金を棒引きするなんてあり得ないの……』


 まあ確かにその通りだろう。

『そこでメリーさんが一肌脱いで……実際には脱いだわけじゃないので、パンツを下ろして全裸待機しないように……』

「――は!」

『鼻でわらわれた!? メリーさんの圧倒的なエロスを鼻で笑うなんて、もしかしてあなたおかしな性癖を持っているんじゃないの……!?』

「いいや、極めて健全かつ健常な十八歳男子だ!」

『むう……今週のオ〇コン調査による、秋葉原と日本橋の路上で調査した十八歳男子の性癖ランキングでは、一位が〝幼女に罵られながら踏まれたい”。二位が〝幼女に刺されたい”。三位が〝幼女に寝首を掻かれたい”のはずなのに……』

「どんだけ幼女好きなんだヲタ街の十八歳!?」

 つーか、調査対象と場所が激しく間違っているぞ、オリ〇ン!

『ちなみに通常なら致命傷になるところ。ヲタクは幼女からダメージを受ければ受けるほど、謎の超回復を見せるという驚異の生態が、最新の〝ネ〇チャー”と〝サ〇エンス”にも掲載されているの……』

「どこの戦闘民族だ!? いっそ改造して不死身の兵士にでもしたらいいんじゃねえのか、ヲタク」

『それは無理なの。ヲタクは強い男を前にすると途端にチワワ以下の戦闘力しか発揮しないから……』

「とことん使えねえなー!」

『だから、将来。幼女ばかりの惑星とか、幼女ばかりの異世界とかが発見されて、そこを侵略する時には、〇リコン調査では日本の総人口の四割を占めるというヲタクを、在庫一掃処分で送りつけるといいの。ちなみにオリコ〇調査では、うち幼女趣味のヲタクの職業第一位は教師、第二位は警察官、第三位は医者と自衛官が同率なので、進んで鉄砲玉になる弾はいくらでもあるの……』

「日本終わっているわ! あと、幼女軍団VSヲタク津波の可能性は、人類が滅亡するまでありそうにないけどねえええっ!」

『あたしメリーさん。大丈夫。あなたはメリーさんの中の罵って・踏んで・刺して・寝首を掻きたいランキングぶっちぎりの一位だから……』

「その情報は知りたくなかった!」

『あなただけはメリーさんの特別な存在なの。ドキドキする……?』

「別な意味でね!」


『……なんかブツブツ言っているね、大丈夫かなこの子。ねえ、ローラお姉ちゃん?』

『シィーッ……極限状態で精神の均衡が危うくなっているのよ。あと、一応は私たちの御主人様なんだから、ちょっとは言葉を選びなさいね、エマ』

 と、傍らからひそひそ声が聞こえた。


「――ん? もしかして誰か傍にいるのか?」

『ローラとエマがいるの。昨日の姉妹なの。魚屋の借金を肩代わりする代わりに、メリーさんの奴隷になったの……』

 ああ、結局奴隷落ちしたのか、と思いながら首を傾げる。

「……お前、昨日は意地でも『こんなカマドウマにお金は貸さないの!』とか言ってなかったか?」

『気が変わったの。あの親父は別にいらないけど、この二人は使えるの! なんと、姉妹の間で相互に精神感応術テレパシーが使えることがわかったの……!』

 へえー? まあ便利といえば便利か……。

『つまり、この姉妹の片方を対象のところに送っておけば、メリーさんはこの世界でも「あたしメリーさん。いま〇〇にいるの……」という恐怖を演出することができるってことなの……』


 意気揚々と言い切るメリーさんだけれど、それ相手からすれば確実に目の前にいる妹ちゃんかお姉ちゃんにヘイトが向かうね。


『そんなわけで、メリーさんは定価1,980万A・C(消費税抜き・単価)のところ、姉妹セットで1,450万A・C(消費税込み)に値切って買ったの……!』

『私たち投げ売り価格で売られたんだ……』

『お父さんもそれで売ったんだね、お姉ちゃん……』

 姉妹が茫然と呟く。


「……無茶な値切りをする方もする方だけど、売る方も売る方だな」

『あたしメリーさん。インドと異世界ではこれが普通なの。あと親父の方は借金を払ってついでに店もたたんで、子供の頃からの夢だった吟遊詩人になって世界を巡るって言って、嬉々として旅立っていったわ……』


『クソ親父。娘を売った金で……』

『いい年こいて吟遊詩人なんて……』


 姉妹が昨日の健気な口調から一転して、すさんだ様子で吐き捨てる。

 前日までは、純朴で無垢な感じの姉妹だったんだけど、エライ変わりようであった。

 とはいえ現代でいえば、借金のカタに娘を泡風呂に沈めて、その金で「お父さんな、ユーチューバーになって生活することにしたんだ!」と、宣言して仕事を辞めてトンズラしたようなもんである。そりゃ一晩でグレるわ。


『あたしメリーさん。で、せっかくなので水路で王都を目指して、大型の定期便で大河インクライスフィールド川を遡上することにしたの……』

 インクライスフィールド川。直訳すると隅田川か。ごみごみした護岸を屋形船でのんびり花火見ている光景しか想像できんわ。

『ところがその途中で河の主とも言われる《淡水クラーケン》が船を襲い。メリーさんの必死の奮闘も虚しく、慣れない船上での戦いに油断し、船は沈没して、メリーさんはこの姉妹と荷物だけ持って、船に積んであった救命筏に乗ってどうにか助かったの……』


 ふう……と、激闘の後を物語る様にため息をつくメリーさん。

 隅田川から突然巨大なタコが現れて、屋形船を襲撃するビジョンが見えた。北斎漫画の『蛸と海女』だなぁ……。

 その背後からは、姉妹の声を押し殺したヒソヒソ声が聞こえる。


『……この子なんかしたっけ、ローラお姉ちゃん?』

『ないわね。確か船内放送で「前方に《淡水クラーケン》が現れました! お客様の中に聖剣を持った勇者の方はおられませんか?!」ってガイドさんの呼びかけがあった時に、一緒にいた黒髪の変なお姉さんが、「おい、呼ばれているぞ」って二度呼びしたけれど、「いまのメリーさん、勇者ではなくてプライベートなので関係ないの……」って言って梃子てこでも動かなかったわね、エマ』

『そうそう。アナウンスも最後の方はわけわかんなくなっていて、

「チートスキルを持っている方でも構いません!」

「この際、転生者転移者など未知の力を持った方、出てきてください!」

「ただの人間には興味ありません! 改造人間か魔眼の持ち主の方なら――ぎゃああ、沈む、沈むっ!」

「おう、姉ちゃん。俺なら酒の力があれば何でもできるぜ!」

「勝手に操舵室へ入ってくるな、酔っ払い!」

「ひゃあああっ! 船が真っ二つに……あああ、イケメンで年収二千万以上の独身の方はおられませんか!?」「こらっ、錯乱するな! 皆さん私は船長です。落ち着いて非常用の筏へ避難してください」

「それと、私の転職先を紹介してくれる方はおられませんか!?」

「船長っ、どさくさ紛れに今後の退路を確保しないでください!」

「君こそこんな時に婚活するんじゃない!!」

「――待たせたな、我ら白の騎士団! 縞柄や苺より、純白に正義を覚える同志を募集しておりますっ!」

「だから勝手に入って――ぎゃあああああああああああ、触手が!?」

 だもんね。船内しっちゃかめっちゃちゃか混乱している中で、ちゃっかり自分の荷物と筏を確保してさ』


 げんなりした姉妹の話がひと段落ついたところで、

「……と言っているが?」

 そうメリーさんに水を向ける。

『メリーさん、こだわりとかメリハリって必要だと思うの。例えば、世の中にはたとえ殺人光線だろうが、核の直撃だろうが平気で高笑いする〝強い! 絶対強い!”が謳い文句の元祖国産最強ヒーローがいるけれど、あれだって実際無敵なのに、どれだけ世界が危機になろうが、味方のはずの正義の科学者が絶体絶命になろうが、幼女大好き、幼女が呼ぶまでがんとして登場しないのと同じことなの……』


 つまりプライベートな時間であったので、労働の義務はないと言いたいのだろう。

 ここまで開き直って、船が沈没してもなにもしなかったというのは、ある意味天晴である。例えに出した笑う金色の変質者並みの強靭な精神であった。


「そういえばその筏に乗っているのって、メリーさんと姉妹だけなのか? いつも一緒にした魔女はどうしたんだ?」

『モズクガニ花子なら、川の藻屑となってながいとまをしたの……』

「いや、誰だよ、それ⁈」

『ほら、昨日までメリーさんの周りをウロウロしていた〈底抜けの魔女〉こと……』

『〈深淵なる魔女デイープソーサリスト〉よ! 〈深淵なる魔女デイープソーサリスト〉。オリーヴ・トゥサ! 勝手に人を亡き者にした上に、変な名前を付けないでよ。特に「ハナコ」なんて、出来の悪い姉を思い出すからやめてよねっ!』

 すぐ傍らから憮然としたオリーヴの抗議が響く。


『どさくさ紛れに始末できたかと思ったら、意外としぶといの……』

『なんか言った?』

『なんでもないの。空耳なの。メンバーも増えたので、そろそろ合体ロボを買おうか検討しているだけなの……』

『スーパーロボにまで手を出す気だよ、この子!?』

『オリーヴには黄色いキャタピラ付きの三号機か、Bメカ左シートが良さそうなの……』

『それ一番地味な上に途中で殉職するポジションよねえ!?』

『そんなことないの。あ、パインかサラダを食べる……?』

『激しく死亡フラグの匂いまでするわよねえ!?』

『そんなことないの。メリーさんとオリーヴとは固い友情に結ばれているの……』

『そ、そう……』

 満更でもなさそうなオリーヴ。

『だから死亡時の保険受取人はメリーさんにしておいたの……』

『友情とは!?』

『そしてここにはメリーさんの命令に従う奴隷姉妹以外、目撃者は誰もいない筏の上で、形としては船がモンスターに転覆漂流中なの……』

『ぎゃあああああああっ! 言われてみればほぼ完全犯罪が可能な条件が揃っている。本気で絶体絶命!?』


 そんなアホ幼女とアホ魔女の掛け合いを前に、先行きに不安を覚えたようで、

『だ、大丈夫かな、ローラお姉ちゃん?』

『う~~ん、まあ幸い食料もあるし、水はいくらでもあるから漂流自体は問題ないと思うけど……』

『でも人間関係が最初から破綻しているよね!? あたしこのノリは居たたまれないよ』

『我慢しなさい、エマ。借金のカタに、奴隷としてわけわからない相手に売られるよりも、まだしもわけわからない幼女のもとに売られたほうがマシでしょう?』

『どっちにしてもわけがわかんないんだ……』

 茫然とするエマちゃん。


 とはいえわめいたり自暴自棄になったりしないで、現状を理解しようとする姿勢は大したものである。案外順応性があるな、この姉妹。

 まあ、実際のところ漂流していると言っても河でのことだし、近くにはペットのガメリンもいるだろうから、その気になればすぐにでも近くの人里へ行くことは可能だろう。

 あとは保険金欲しさにメリーさんが凶行に走らないことを祈るばかりである。


『そこっ。そうなの。どんな形でも、出会いは大事にしないといけないの……!』

 姉妹の会話を聞きとがめたメリーさんが、偉そうに講釈を垂れる。

『その大事な人間関係に幕を引き下ろそうとしているのも、あんたでしょう!!』

 激昂するオリーヴ。

『始まりがあれば終わりもあるの。なんでもかんでも大事にすればいいってものではないの……』

『なるほど、わかりました。ご主人様』

『これからよろしくお願いいたします、ご主人様』

『そこは気安く「メリーさん」でいいの』


 覚悟完了したらしい。姉妹が粛々と現状を受け入れた。


『敵か! 私の周囲は完全に敵か! あああああっ! もういい、勝手に殺せ殺せ! この場で首をはねねて殺せばいいのよぉぉぉぉっ!!』

 あ、ついにオリーヴが壊れた。

 水が跳ねた音は、たぶんオリーヴが筏の上に大の字になった音だろう。


『あたしメリーさん。これだとまるでメリーさんが悪いことしてるみたいじゃない……』

『殺人以上の悪いことなんてそうそうないわよ!』

『――って、ちょっと待ってください。いまの揺れはオリーヴさんが原因ではなく』

『きゃあああっ! お姉ちゃん、あの《淡水クラーケンタコ》が船縁に這い上がろうと……』

『あたしメリーさん。どうやらお昼はタコ料理になりそうなの。来るの、ガメリン……!』


 メリーさんの呼びかけに応えて、ザブリと川底から現れたガメリンがタコ怪獣に組み付く。

 こうして、騒々しい連中を乗せた筏は、インクライスフィールド川を当てもなく漂っていくのだった。


 めでたしめでたし?

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