11-2 「よっちゃん」

「スバル、清君をどう思うかね」


「ほえっ」


 スバルさんがむせた。むせてゲホゲホ言いながら顔を赤くしている。博士は真面目な口調で、むせているスバルさんに言った。


「もちろんスバルにも清君にも、だれかを好きになる権利はあるわけだから、結婚しろと無理強いはしない。でも清君とスバルは、なんというか……とても似合いだと思う」


「でも。清さん農家の長男ですヨ。あたしがリンゴ畑で働いて、そのうえなに喋ってるか分かんない津軽弁のご両親とうまくやっていけるとおもいます?」


「スバルさん」


 僕はそう呼んで指先で四角――時空通話機の形を描いた。スバルさんは聡い。すぐ理解して、


「まあ、東京の大学に入れるくらいですから、清さんのご家族は帰ってこなくてもいいと思ってるかもしれないですけど」


 という返事をよこした。


「スバル、清君が大学を出るまで、ぼーっと時間を無駄に過ごすのももったいないし、もっと勉強したいとは思わんかね?」


「え。女高師にいけってことですか。無理ですよ。何度もいいますけど、あたし勉強好きじゃないですもの。あ、そうだ。この間の試験の答案お父さんに見せてなかった」


 スバルさんは無理に話題を変えて、帆布のカバンをガサゴソし始めた。中から、国語、数学、理科、社会、英語の答案が出てきた。どれも八十点くらいで、国語は特に成績が良くて八十八点だ。


「かなり頑張ってるじゃないか。もう少し熱心にやれば上の学校にだって入れる」


「期待しすぎです。女高師に入るってなったらもっともっと勉強しなきゃないんですよ。もう無理ですよ。これ以上成績は上がりません」


「推薦の受付は十月までだったか。よく考えなさい。スバル、お前は賢いんだよ」


 ライスカレーの夕飯のあと、博士は新聞の夕刊を読み始めた。スバルさんは、賢いと言われて自己肯定感でも高まったのか、宿題を始めた。僕もレポートを書く。


 好きと言われたときの不思議な気分が、まだ心の中をふわふわしている。


 さて、それから少しして、スバルさんも博士も寝てしまった。僕はこっそり家を抜け出して、時空検証基地に入った。


 ちかちか点滅するディスプレイ。畑中に教わった通り、時空通話機からログインして、特異点の探知を始める。なるほど、これは時間がかかりそうだ。


 ゆっくりと時間軸上を滑っていく。来年の時点で、大きなひずみがある。地震というのは、物質的な世界だけでなく時間にも影響を及ぼすのだ。なんだか怖い。


 画面に時折映し出される黒い点を、ボタンを連打してぶち壊していく。


 気が付いたら夜中の二時だった。まだ時空のひずみは消えていない。……きょうは休もう。ログアウトして基地を出、家に戻る。自分の部屋で浴衣に着替えた。そのとき、脳内インプラントがなにかに反応した。反射的に時空通話機を取る。


「特異点破壊完了まで残りの特異点あと百二十」


 げげ。まだそんなにあるのかよ。とにかく寝ようと、時空通話機を天袋にしまい、布団をかぶる。この間天気の良かった日に布団を陽にあてたので、まだ若干ふわっとしている。よく眠れた。翌朝起きたら一番乗りで、牛乳をグビグビ飲んだ後、朝ごはんの支度を始めた。とりあえず米を研いだけれど、僕がご飯を炊くとだいたい芯があるかお粥になるかなので、そこから先はスバルさんに任せようと、味噌汁の支度を始める。


 そうやっているとスバルさんがやってきた。もう女学生スタイルに着替えている。髪に大きなリボンがついていて、いつものリボンより華やかに見える。


「そのリボンどうしたの? 新しく買ったのかい?」


「これですか? 母が女学生のころつけていたものです。きのう、蓉子さんがすごく素敵な舶来のリボンをつけていて、うらやましかったのでなにかないか探したら出てきました」


「そんな派手なリボンつけて怒られないの?」


「いえ? 本当はいろいろ規則があるんですけど、『髪にリボンをつけないのは着物に帯を締めないのと同じ』ってクラスのみんなが言っていて、先生方も叱るに叱れない状況です」


「のぶゑさんはどうしてた? あの子おさげだったよね、リボンつけるとこないじゃないか」


「のんちゃんはお家のひとが厳しくて、基本的におしゃれってしてなかったんです。だからクラスの子たちはのんちゃんをけなし放題でした」


「そっか。うん、そのリボン似合うよ。ああ、お米研いでおいた」


「ありがとうございます」


 スバルさんはそう言い、土鍋に水をそそいで米を炊き始めた。その横で味噌汁をつくる。大根の葉っぱの味噌汁だ。質素な食生活だが僕は割と気に入っている。畑中、もう二十三世紀に帰ったのかな。あいつの食生活ってどんなだったんだろ。


 博士はまだ寝ているようで、味噌汁とご飯を用意し、それから塩鮭を焼きながら、僕はぽつりと言った。


「スバルさん、昨日先生が帰って来て言いそびれてたんだけど」


「言わなくて大丈夫です。それくらい察しますし、言うだけ野暮ってもんですよ」


 まるっきし江戸っ子みたいなことを言うスバルさんがおかしくてふふふと笑う。スバルさんもふふふと笑う。二人でアハハハと明るく笑い、気が付いたら塩鮭を焼きすぎていた。


 博士がのそのそ来た。いつも通りぱりっと洋装だ。


「なにを笑っていたのかね」


 博士はちょっと眠そうな顔で、ヒゲを撫でながらそう言った。


「いーえ。なんでもないです」


 スバルさんはそう言い、朝ごはんを茶の間に運んだ。


 みんなで穏やかに朝ごはんを食べた。歯を磨き、スバルさんは自転車で女学校へ、僕と博士は汽車で大学に向かった。


 平穏な一日。


 この平和を守るために僕はここに来た。大学の構内を歩いていると、向こうから畑中がきた。


「よっ」


「お、おう……どうした?」


「実家のオヤジが中風でぶっ倒れて、姉貴たちみんなうろたえてるらしくて、ちょっと様子見にいったん帰ることにした。俺んち男の子供は俺一人だからな。下手したら、実家の会社継がなきゃならんかもしれん」


 ああ、畑中は二十三世紀に帰るのか。


「ずっと聞きそびれてたけど、お前の実家ってどこなんだ? 僕の実家が津軽の豪農っていうのは話したっけ」


「俺んち? 筑豊だよ。オヤジは地元じゃ有名な不動産王でな。だからこんな出来損ないみたいな息子を、高等学校のみならず帝大にまで入れてくれた」


「そうか」


「まあ、お互い頑張ろうぜ」


 畑中はそう言って笑った。それが畑中と最後に喋ったことだった。こいつは、もう『畑中國勝』であることをやめて、数字とアルファベットの羅列の名前に戻るのだ。


 遠ざかる、仕立てのよい学生服の背中をしばし眺めて、僕は自分のとっている講義のある教室に向かった。


 帰り道、僕はふと気づいた。僕が踏み抜いたはずの、用水路に渡してある腐った板が元通りになっている。特異点の破壊で、何かの因果律が狂ってしまったのかもしれない。そう思ったとき、ふと「スバルさんが僕のことを忘れていたらどうしよう」という恐怖にかられた。


 おびえながらその板をしばし見ていると、近くに住んでいる腰の曲がったおじいさんが近寄ってきた。たまに回覧板を渡すくらいの間柄で、名前までは知らない。

「どうなさった」


「いや、板、春に踏み抜いたのに元通りだなって」


「これぁさっきわしが置いたんだよ。春にあんたの踏み抜いた板とは別だよ」


 ……。


 心配して損してしまった。ドキドキして削れた寿命を返せ。


 とにかくその二十歩先の橋を渡り、星野家の屋敷に入る。まだ誰も帰ってきていない。僕はまっすぐ時空検証基地に向かった。


 その日も、画面上に現れる特異点を、かたっぱしから潰した。まるでゲームだ。ただしこのゲームは、遊びではない。真面目な歴史改変だ。


「……百二十、っと」


 潰せる特異点はすべて潰したはずだ。画面の、来年があるあたりに移っている大きなひずみが消えている。――もうこれで、地震はこないはずだ。


「特異点抹消を確認。時間軸は並行世界に転移。親殺しパラドックスの合理化処理完了。これより三分以内に時空検証基地は消滅します」


 僕は慌てて時空検証基地を出た。


 時空検証基地は、真っ白いその姿を次第に薄れさせ、消えていった。

 もう、そこにはなにもない。


「できた……」


 僕がぽつりとそうつぶやくと、勝手口から、


「清さん、なにしてるんです?」


 とスバルさんに呼ばれた。ああ、と返事をして家に戻る。


「もう地震は来ない。成功したんだ。歴史は変わったんだ!」


「本当にできるんですね、そんなこと……すごいです。清さん、やっぱりすごいです」


「僕がすごいんじゃない。未来の技術がすごかっただけだ。さて、お夕飯はなんだい?」


「そうですね、めでたいしお赤飯でも炊きます? ……でもめでたいことがあったなんて父は知らないですしね。そうだ、なにか清さんの好きなもの食べましょう」


 スバルさんはにか、と笑った。僕は肉豆腐をリクエストした。スバルさんに鍋を渡され、豆腐を買ってきてほしいと頼まれた。スバルさんはスバルさんで、商店街に肉を買いに行った。


 豆腐を買ってきて家に戻ると、まだだれもいなくて、家の中は静かだった。豆腐の入った鍋を流しに置き、どうしたものか考える。そうしていると、玄関をだれかがノックした。


「はーい……」


 てっきり新聞の勧誘とか花売りとかそういうのだとばかり思って玄関に出ていくと、そこにいたのは蓉子さんだった。いつも通りの見事なマーガレット結いに、きれいな模様の入ったリボンをつけて、にこにこして立っている。


「ごきげんよう」


「ご、ごきげんよう……」


 つられて僕まで変な挨拶をしてしまう。


「スバルさんのお父様はいらっしゃいますか?」


「いえ。まだ帰ってないです」


「あら。学者さんっていそがしいんですのね」


「なんの御用です? お伝えしますよ」


「また久しぶりに囲碁を打ちたくなって、兄に碁会所に行っていいか聞いたら、碁会所なんて女学生の行くところじゃないと言われてしまって。兄嫁も碁はわからないって申しますし、ならスバルさんのお父様とならと思って」


「あー……先生は夕方過ぎないと帰ってこないですよ。しかしなんでまた囲碁を?」


 蓉子さんは口元をかくしてうふふと笑った。いたずらっぽい笑顔で、


「ここのところ、ずーっと小説ばかり読んでいて、読書というのも心穏やかではあるのですけれど、なにか勝ち負けのつくことがしたくなって。たまにヒリヒリした楽しみも必要ですわ」


 そうやって話しているところに、スバルさんが帰ってきた。


「あ、蓉子さん。また家出?」


「まさか。スバルさんのお父様と、囲碁が打ちたいなと思ったの。兄に碁会所に行っていいか聞いたら駄目だって言われたし」


「そうなんだ。ま、上がって待ってよ。そうだ、たい焼き。こっそり三人で食べちゃおう」


 三人で茶の間に向かう。スバルさんが新聞紙でくるんだたい焼きを三つ取り出す。


「父の分もと思って三つ買ってきたけど、父には内緒で食べちゃいましょう」


 三人でたい焼きを食べる。あんこがてろてろに甘い。焼きたてらしく温かい。おいしい。


 たい焼きをもぐもぐしてから、スバルさんと蓉子さんはのんびり喋り始めた。


「わたくしもあだ名がほしいわ。スバルさんとのぶゑさんを見ていて、わたくしもあだ名で呼ばれたいなあってずっと思っていたの」


「ええ? 伯爵令妹にあだ名をつけろと? 畏れ多いわよ」


「わたくしがいいっていうんだからいいのよ。スバルさんのこと、スウちゃんって呼んでいいかしら」


「いいけど、……ええっと。そうだ、『よっちゃん』っていうのはどう」


スバルさんさすがにそれは畏れ多くないかい、と僕が言うのとかぶせ気味に、


「あら素敵! いいわ、『よっちゃん』。普通の町の子になったみたい」


 と、蓉子さんはのんびりと喜んでいる。そこに、博士が帰ってきた。


「ただいま。あれ、スバルのお友達が来ているのかな」


「お久しぶりでございます、スバルさん……スウちゃんのお父様。囲碁が打ちたくなって来ました」


「これはこれは、高嶺伯爵の妹さん……蓉子さん。囲碁ですか。いいですね。一局やりましょうか。スバル、清君、お夕飯はまかせた」


「まかせたもなにも、普段から手伝わないじゃないですかお父さん。お酒はどうします」


「いらん。えーと、蓉子さん、私が白でいいですか?」


「蓉子さんなんて。『よっちゃん』でいいですわ」


「よ、よっちゃん? スバル、そんな畏れ多いあだ名をつけたのかね?」


 博士は明らかに困っている。しかしながら碁を打ち始めると、二人で真剣な顔をして、ぱちりぱちり、石を置いていく。

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