9-2 未来ある若者

「清さんは、そういう二十三世紀にしないために、この時代に来たんですよね」


「そうだね、でも僕にできるのは、来年来る地震を停めることだけだ。次の御代では戦争が起こるかもしれない、いや起こる。日本人はひどく貧乏になって、女の人はみんなもんぺに筒袖を着て、鍋ややかんまで武器にするために集められる。アメリカの飛行機が街に爆弾を落として、東京は焼け野原になる……それを変えることまではできないと思う」


「なんでそんなに悲観的なんです。清さんが日本語をこうして話しているってことは、清さんのいた二十三世紀で日本語が話されていたか、知っている人がいたってことですよね」


「……?」


「それなら、東京が焼け野原になっても、生きてる人はいるってことじゃないですか。人間はしつこい生き物です。きっと大丈夫」


 スバルさんは、微笑んだ。


 どきりとした。この微笑みを守らねばならないと覚悟した。


 そのとき。


「ぴいいいいい――――」

 と、大正時代にそぐわない音が響いた。僕の部屋の天袋から。


 僕は慌てて部屋に入り、天袋をがっと開けて、二回ほど手から滑らせて落としそうになりながら時空通話機をとる。――生きてる!


 画面には冷たいアルファベットが並んでいて、なんとか二十三世紀の言葉を思い出してそれを読む。「現在待機中」。しばらくすると、画面にこの時代にいるエージェントの顔が並んだ。そして、未来との通話も復旧したようだ。


 ――よし。


 僕はそれをたもとに入れて、スバルさんの部屋に戻った。


「なんですか、いまの。調子っぱずれのお豆腐屋さんみたい」


「これだよ」


 時空通話機を見せると、スバルさんはそれをしげしげと眺めて、


「直ったんですか。強化ぷらすてっくと強化すらみっくでできてるやつ」


「強化プラスチックと強化セラミックね。これで地震を停められる」


「……あの。なんで二十三世紀のひとたちは、地震を停めることで、未来を救えると考えたんですか? 次の御代で戦争が起きるならそっちを停めるのが先でないですか?」


「たとえば、地震がなくて東京が焼けなかったら、そのぶん日本の文明は進むわけだろ。そうしたら、戦争になってアメリカと戦うとき、互角で戦えるかもしれないし、もしかしたら広島と長崎に特殊な爆弾が落ちないで済むかもしれない」


「うーん。わかったようなわからないような」


「まあ分からなくたっていいさ。とりあえず基地の中見てくる」


「いってらっしゃい」


 僕は勝手口から出て、裏庭にある時空検証基地に向かった。この時代にそぐわない、真っ白い時代の人たちが作った、真っ白い建物。丸いドームの入り口にあるカードリーダーに、時空通話機をかざす。


 一瞬カードリーダーが点滅して、ドアがぐいーんと開いた。入ってみる。中は大きなスクリーンと、なんだかよくわからない機械が置かれている。


 いや、「なんだかよくわからない」ではまずい。どうすればいいだろう。訓練で完璧に覚えたはずなのにすべてまるっと忘れている。ええと、ええと――。


 ただ部屋の中をきょろきょろするのに二十分ほど使ってしまった。どうすればいいんだ。僕はなんだかよくわからない機械――机状で、色とりどりのボタンが並べてある――をにらんで、首を傾げた。どうしよう。えーっと。


 そうだ、僕より二十三世紀のことを覚えているエージェントに連絡すればいいんだ。僕は時空通話機を引っ張り出し、画面に表示される畑中の顔をつついた。フキダシがぷうーっとついて、「現在呼び出し中」という文字が浮かんだ。


 フキダシから声が聞こえてきた。


「はい、畑中國勝……お、古川、時空通話機直ったのか?」


「うん。あのせつはありがとう。助かったよ。そいで、また助けてほしいことがあって」


「おおかた、時空検証基地の使い方がわからんとか、そういうのだろ。お前、同時代性フィルタが若干暴走してるからな」


「そんなこたぁどうだっていい。助けてくれ」


 画面に表示されている畑中の顔は渋い。


 畑中はしばらく考えてから、

「……わかったよ。ただ俺のほうはいまいささか時空検証が進まなくなっててな、そのうえ先生がサバに中ってぶっ倒れて、まだ死ぬって決まったわけでもないのに先生の遺産をめぐって奥さんとお妾さんたちが毎日大乱闘してて、そのうえさらに先生の会派の議員は造反するわ、女中さんが結婚して出ていっちまうわで、正直お前んとこに行ける余裕がない。先生さえ元気になってくれれば問題ないんだが」


「サバに中るってアニサキスとかいうやつか」


「そうそれだ。先生、獲りたての新鮮なやつだからってサバを刺身にしちまったんだ。とにかく秋くらいには行けると思う。ギリ間に合うはずだ」


「……わかった。覚えておく」


「すまん。もっと早く行って助けてやりたいんだが」


「こちらこそ変なことをお願いして悪かった」


「気にすんな。お互い様だ。そいじゃな」


 通話終了、と画面に表示された。


 とぼとぼと時空検証基地を出る。まあ、地震がくるのは来年のサンマの季節。まだ一年ちょっと猶予がある。


 家に戻り、壁に掛けてある時計を見る。十一時。お腹が空く時間だ。


 僕はお粥を温めなおし、スバルさんのところに持っていった。


「お腹、空かないかい?」


「いますっごいお腹ぺこぺこです。お粥よりハンバーグステーキとかライスカレーとか食べたい気分です」


「そんなの食べたら具合悪くするよ。はい」


「一人で食べられますー!」


 スバルさんは体を起こして、布団の上に鍋を置き、匙ですこしずつお粥を食べた。


「元気になってきたみたいでよかった」


「はい、なんていうか――いま猛烈に元気です。お腹は空くし、食べたいものもあるし、この調子なら明日女学校行けるんじゃないかしら」


「無理しちゃだめだ。明日も休んだほうがいいと思うよ」


 僕がそう言ったのは、この時代の薬品に耐性のない人間が、治癒力向上剤なんか摂取して大丈夫なのだろうか、とずっと不安だったからだ。


「……そうですね。堂々と学校サボれるんですもんね。ひゃっほう」


「スバルさんは、女学校が嫌いなのか好きなのかさっぱり分からないね」


「好きですよ? たまにはサボれるのも嬉しいですけど。……うちの親は学者と小学校の先生の組み合わせなので、当たり前みたいに女学校に入れてもらえて感謝してるんです。商店街の魚屋に、あたしと変わらないくらいの年の男の子いるじゃないですか」


「いるね。丁稚奉公とかじゃないの?」


「違いますよ、彼、魚屋の跡取り息子です。タケちゃん……岳蔵くんっていうんですけど。一緒の小学校で、お前は上の学校にいけるんだな、って言われてうらやましがられましたヨ。男の子だと上の学校ってなれば本気で勉強できる子しか行けないじゃないですか。それこそ清さんみたいに大学に進むには学力もお金も必要じゃないですか。でも女の子は女学校に行ってたってだけでハクがつきますし。あ、清さん、お夕飯の買い物お願いしていいですか?」


「うん。何が食べたい?」


「なにかやわらかくて食べやすいものがいいです」


「わかった。適当に買ってくる。そうだ僕もお昼食べなきゃないな……でもお粥しか焚いてないし」


「同じ鍋から食べたら風邪うつっちゃいますヨ」


「そうだね。菓子パンでも買って食べるさ」


 僕は買い物に出かけることにした。やわらかくて食べやすくて栄養のあるもの。魚をすり身の団子にして汁物にしたらどうだろう。つみれ、ってやつだ。


とりあえずスバルさんいうところの「タケちゃん」の魚屋に入る。店先ではゴム長靴に前掛け姿のタケちゃんが、ハエ取りリボンをぶらさげているところだった。


「いらっしゃい。あんたスバル……星野さんとこの書生さんか?」


「そうです。えっと、つみれにして汁物にするならどの魚がいいのかな。なるべく栄養のあるやつ」


「それならイワシがいいんじゃないか? 栄養豊富だし手開きもできるし。なに、あいつまた具合悪くしてるのか?」


「うん、夏風邪みたいで。いまはだいぶ落ち着いてるけれど」


「そうか。そいじゃあイワシでいいか? はい」


 スバルさんいうところの「タケちゃん」は、手早くイワシを竹の皮にくるんで渡してくれた。


「ああ、そういやな……最近あいつ……スバル、『うちの書生さんはタケちゃんと違ってすごくかっこいいんだ』ってずっと言ってるぞ。でも実物はわりに普通の顔だな」


 そういって魚屋の跡取りはハハハと陽気に笑った。代金を支払い、ついでにとなりの八百屋で野菜もいろいろ仕入れておく。トマトやナス。きゅうり。この時代の野菜は二十三世紀の訓練用野菜とは違って棘があったりひどく青臭かったり、ワイルドだ。


 それから商店街にできたばかりのパン屋にふらりと入ってあんパンを買い、家に戻って来てもぐもぐ食べた。焼きたてだ。あんも甘くてとてもおいしい。


 さっそく僕はイワシの頭をとり、手開きして骨を取り、荒っぽく包丁でたたいたのちすり鉢でぐりぐりすった。細かくなったところで、ツナギの片栗粉をいれ、またごりごりすり混ぜる。


 ふう。


 なんとかすり身になった。さっそく鍋に水と昆布と煮干しを入れてだしをとる。澄まし汁風にしよう。醤油と酒で味をつけ、そこに魚のつみれをおとしていく。


 博士も早めに帰ってきた。博士はまっすぐスバルさんの様子を見に行って、


「すっかり元気じゃないか。朝は死んでしまうかと思ったのに」


 と言って、スバルさんの黒髪をよしよししている。スバルさんは小さく笑って、


「清さんのお粥食べたら変に元気になりました」


 と答えた。博士は僕にしきりにお礼を言い、こっそりお小遣いをくれた。


 博士にもつみれ汁を出して、お酒はご自分で、と言って、スバルさんにもつみれ汁をもっていく。


「スバルさん、ご飯食べられるかい? つみれ汁作ってみたんだけど」


「え、清さんそんな手間のかかる料理作れるんですか。もちろん食べます」


 とにかく、僕はスバルさんにつみれ汁のお椀とお粥の鍋を渡した。


「うわっおいしー。さっすが清さん。こういうの作るのも得意だったなんて」


「ぜんぜん得意じゃないよ。なんの魚で作ればいいかもわかんなかったし。魚屋の人に教えてもらった」


「まさかタケちゃんじゃないですよね」


「タケちゃんだけど。なに、僕がかっこいいって言ってるんだって?」


 スバルさんは顔をぼっと赤くした。


「恥ずかしいじゃないですかあ」


「そりゃ言いふらして回ったスバルさんが悪いよ」


 僕までちょっと赤面しながら、スバルさんが食べ終えるのを待った。食器を下げ、自分のぶんを自分の食器に入れて茶の間でもぐもぐ食べる。


「スバルはずいぶんと元気になったね。朝はあんなに具合が悪そうだったのに」


「そうですね、僕もちょっとびっくりしてます」


「サボり癖になるといかんから明日は学校に行かせるべきか、大事をとって休ませるべきか……」


「休ませたらどうですか? 起きてこられるようになっても病人ですし。なにか食べるものを用意して、自由にやってもらいましょうよ」


「うむ、そうだな。いまは元気とはいえ肺炎のなりかけだ。休ませよう。清君、君はどうする?」


「大学に行きます。スバルさんに一人で留守番してもらうのはちょっと不安ですけど」


「それがいいな。戸締りを厳重にして、スバルには休んでいてもらおう。清君、一杯どうかね」


「遠慮します」


 博士は退屈そうに一人酒をして、それから早めに寝てしまった。僕も早めに寝た。翌朝、全員分の朝ごはんと、スバルさんの昼ご飯を用意した。スバルさんはもう立って歩いていいようだ。夕飯はお惣菜を買ってくるから、というと、スバルさんは、


「清さんはお休みじゃないんですか」


 と残念そうな顔をした。僕だって一応学生だからね、そういうとスバルさんはふふっと笑った。


「そうですよね。大日本帝国の未来は清さんたち学生さんにかかってるんですもんね」


「そうだよ。スバルさんも、未来ある若者だということを忘れないように」

「……未来ある、若者……」


 スバルさんは色白な手のひらをじっと見た。白い指を曲げたり伸ばしたりして、もう一度、


「未来ある、若者」


 と言いなおした。


 ――スバルさんは結局その次の日には女学校に行けるようになった。そして、夏が過ぎ、畑中と約束した秋がやってきた。

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