8-1 宇宙

 ――のぶゑさんの披露宴までに、スバルさんはへたくそながら猛烈な勢いで裁縫をした。振袖の襦袢から袖だけ取り外し、さらしで作った身頃につないだ。さらしの襦袢に、赤い刺繍の半襟を縫い付けた。よくやったと思う。


「よし!」


 スバルさんは納得した顔だ。この時代のひとというのは、衣服を自作できるのだなあ。すごい以外の言葉が出てこない。


 まもなくして披露宴の招待状が届いた。博士とスバルさんが招かれた。僕は当然書生なので、留守番である。のぶゑさんの花嫁姿、よく見てきて、と僕はスバルさんに言った。


 当日、朝の六時半くらいに表でどんどん言うのが聞こえた。僕はまたしても、ハエたたきで武装して玄関に出た。のぶゑさんのおばあさんだった。


「なんだい、そのハエたたきは」


「え、いやその、朝早いですし、なんか悪い人だったらと思って」


「夜が明けたら泥棒もやくざ屋さんも家に帰るよ。さて、のんちゃんのお友達……スバルちゃん。スバルちゃんは起きてるかい」


「まだ寝てます」


「えらくのんきだね、もうのんちゃんは着替えてお化粧してるよ。あんた、ちょっと起こしておいで」


 僕はスバルさんを起こしに向かった。スバルさんの部屋とつながるふすまをばしばしたたいて、


「スバルさん? のぶゑさんのおばあさんもう来てるよ」


「ううーん……牛肉……牛肉コロッケ……」


 ひとしきり寝言を言ってから、スバルさんは起きてきた。


「え。もうのんちゃんのおばあさん来てるんですか。あばばばば……」


 急いで布団をしまい、急いで顔を洗い、急いで振袖を着るのに必要なものを一式出してきて、スバルさんは玄関に急いだ。


「あんた、そんな寝坊ばっかりしてるようじゃいいお嫁さんになれないよ。さ、あんたの着物はどこだい」


 というわけで、スバルさんはのぶゑさんのおばあさんを、自分の部屋に通した。のぶゑさんのおばあさんは、振袖をみたのか、一言、「とてもいい振袖だね」とつぶやいた。


「はいまっすぐ立って。あんたひどく痩せてるね、ちょっと詰め物するから苦しかったら言っておくれよ。はいまっすぐ立つ。あんた本当にさらしの襦袢作ったんだね、えらいね」


 のぶゑさんのおばあさんは、スバルさんをよく褒める。怖い人に見えるのは、見た目だけかもしれない。


「よしよし、襦袢よし。ちょっと触るよ――うん。これでよし」


「あの」


「なんだい」


「なんで、のんちゃんの披露宴に行かれないんですか? おばあさんですよね」


「ああ――うん、ちょっと、新郎をけなしちまったのさ。こんな頼りがいのなさそうな男のところに、かわいいのんちゃんを嫁にくれてやるなんて、いままで育ててきたお金をどぶに捨てるようなもんだ、っていっちまってね。本当はそんなこと考えてないんだ。ただ、ちょっと、のんちゃんがかわいそうだと思って」


「かわいそうって、お嫁に行くのにですか?」


 のぶゑさんのおばあさんは少し黙って、「はいまっすぐ立つ」と付け足し、


「お嫁にいくだけが幸せじゃないよ。のんちゃんは女高師にいきたいって言ってたし、それができるくらい賢かったのに、親の都合でお嫁にいくんだよ。かわいそうじゃないか」


「かわいそう……そうですね、のんちゃんお勉強するの大好きだった……」


「あんたのお母さんが、のんちゃんを女学校に入れたらどうだって言ったときは、あたしもびっくりしたよ。でも、これからの時代は、女だって勉学をする時代だからね。あんた、のんちゃんのぶんも、ちゃんと勉強しておくれよ。はいまっすぐ立つ」


「わかりました。いっぱい勉強します」


「そうだよ。あんたの帯、すごく上等な帯だねえ」


 二人の会話をふすま越しに聞きながら、僕はぼんやりと、のぶゑさんの顔を思い出していた。眼鏡をかけておさげ髪の、賢そうな女の子。あんな、子供みたいな女の子が、お嫁に行く。


「なんでこんなあっついときに婚礼なんです? 花嫁衣裳傷んじゃうんじゃないですか」


「……あたしゃよく知らないんだけどね、西洋だと六月の花嫁は縁起がいいんだってさ」


 明らかに何かを含んだ、のぶゑさんのおばあさんの返事を、軽く咀嚼する。

 六月の花嫁は縁起がいい、なんて理由で、こんなに慌てて結婚式をするだろうか。


 それに、のぶゑさんの家はお寺だ。西洋のゲン担ぎをするとは思いにくい。


 のぶゑさんのおばあさんは、親の都合、と言った。きっと、もっと深い理由があるのだ。


 スバルさんも気にしているようだけど、それを掘りさげる気はないのか、黙っている。


「なにめそめそしてるんだい。あんたがお嫁に行くんじゃなし」


「なんだか。もう女学校にいってものんちゃんがいないと思ったら、悲しくなってきて」


「あたしだって悲しいよ、もうあのお寺にのんちゃんがいないんだからさ。悲しいよ。でも泣いちゃだめだよ。笑って、見送ってやるんだ」


「のんちゃん、……なにか言ってましたか」


「人生で一番きれいになってくる、って言ってたよ。あの子、きちんとしているから。はいまっすぐ立って。よしよし、長着問題なし。帯を結ぶよ、ちょっと重いから、がんばりな」


「はい」


 のぶゑさんのおばあさんは、小さい声で、


「癌なんだ」


 とつぶやいた。


「はい?」


「のんちゃんのお父さん。癌なんだ」


「え……そんなの初耳です」


「だろうね。誰にも言ってないからね、あたしの娘……のんちゃんのお母さんは。どうにかして、のんちゃんのお父さんが元気なうちに、のんちゃんをお嫁に行かせてやりたいって」


「……」


 スバルさんは、黙った。

 ぽつ、ぽつ、と、たたみに涙が落ちる音が聞こえる。


「なんであんたが泣くんだい。泣くのはあたしらだけで十分だし、のんちゃんのめでたい席だよ。喜んであげな」


「わかる……わかるんですけど。あんまりじゃないですか。めでたいことなのに涙しか出てこなくて」


 スバルさんは、とても優しい心根をもった子だ。悲しいだろう。せつないだろう。大事な友達が、自分の知らない遠くに行ってしまう。女学校からのぶゑさんの席がなくなる。


 そういうことを悲しいと思えるスバルさんが、とても優しく思えた。そういうスバルさんが、僕は好きだ……。


 奥の廊下からどたどた歩く音が聞こえた。


「おーいスバル。朝ごはんはまだかね」


 僕が代わりに出て、


「もうのぶゑさんのおばあさんが来てて、いまスバルさん振袖着せられてます」


「むむ。振袖じゃ料理はできないし――清君、お願いしていいかね?」


「……やってみます」


 とりあえず台所におりる。ええっと、なにがいいかな。ごちそうが出るだろうし、さっぱりとキャベツのお浸しでもつくろうか。キャベツをざっくり切って茹でて、水気を絞る。それからご飯を炊く。初めてやったがそれなりのものができた。


 さすがにキャベツのお浸しだけじゃさみしいな。味噌汁だ。えっと、具はなにがいいだろう。氷冷蔵庫を開けてみるときのうスバルさんが買ってきた豆腐がそのまま入っていた。取り出して、細かく切り味噌汁に放流する。


 よし、朝ごはん出来上がり。


 茶の間に運ぶ。博士は羽織袴でびしりと正装しており、ひげも少し刈ってある。


 奥から、「はい、花嫁のお友達できあがり!」という声が聞こえた。


 スバルさんが、振袖をひるがえしてやってくる。


「どーですか。似合います?」


 スバルさんは、茶の間の前の廊下でくるりと回って見せた。


 宇宙だ。宇宙のように深く鮮やかな紺色に、鮮やかな星々のような辻が花の銀河。帯はきらきらと輝く金糸の吉祥文様。どこからどう見ても、麗しい。美しい。


「おお、お母さんにそっくりだよ、スバル」


 博士が顔をほころばせた。ああ、この振袖はスバルさんのお母さんのものか。


「これ、お母さんが祝言で着たんですヨ。素敵ですよね」


「うん。すごく素敵だ。似合ってる」


 衣服に、感情を抱くという不思議な体験をした。この振袖はスバルさんの母親が祝言で着たものだ。それを、友達の婚礼のために、その娘が着る。衣服に愛や願いを込めるという、不思議な世界を僕は見た。とても素敵な世界だと、僕は思った。


「スバル、清君が朝ごはんを作ってくれたよ。食べよう」


「はぁい。すごいじゃないですか清さん」


 照れていると、のぶゑさんのおばあさんが疲れた顔でやってきた。


「どうです、いい塩梅でしょう。こんなにきれいなお嬢さんがお客に来たら、披露宴が盛り上がりますでしょう」


「あ、ああ、これはこれは……これ、少ないですけどお礼です」


 博士が戸棚から封筒を取り出そうとする。のぶゑさんのおばあさんは、


「そんなのいただけませんよ。あたしゃただの婆さんですよ。本職の髪結いさんにお願いするんじゃあるまいし、お代はただでいいですよ」


「そ、そうですか? ありがとうございます」


「そのお金で、お嬢さんにご本でも買ってあげてください。それじゃあおいとまいたします」


 そう言ってのぶゑさんのおばあさんは帰っていった。小さい後ろ姿を見送り、僕も朝ごはんを食べる。若干、ご飯に芯がある。失敗作だ。


「清さん、ご飯炊くの初挑戦です?」


 僕は頷いた。スバルさんはご飯をほどほどに食べ、キャベツのお浸しに醤油をかけて食べ、味噌汁をすすった。なんというか、スバルさんは振袖を着ただけで疲れている。これから夕方まで披露宴だというのに大丈夫だろうか。とにかく、スバルさんはいままで見たことのない、きらびやかな草履をはいて、博士と一緒に家を出た。帯はきれいなふくら雀に結んである。


 さて、きょうのことはもう畑中に連絡済みだ。いつ来るだろう。あいつ、どこに住んでるんだっけ。いろいろ考えつつ、食器をじゃぶじゃぶ洗う。畑中の人格についてはよく知らないが、まあ二十三世紀の人間であることを保っているようだから、僕の忘れてしまったことも、たくさん覚えているのだろう。


 そんなことを考えていると、玄関をドンドンする音が聞こえた。出ていくと、畑中が相変わらずこんがり日焼けした顔で立っていた。よお、と声をかけてくる。


「お、おう。入れ。なんか飲むもの……お茶でいいか」


「俺、カフェインだめなんだ。飲むとひどい頭痛がするんだよ。白湯でいい」


 というわけで白湯を出す。畑中は学生服のポケットからリペアキットを取り出した。僕は、自分の部屋の天袋から、時空通話機をもってきた。


「……これだ」


 畑中は時空通話機をしげしげと観察して、リペアキットのねじ回しを時空通話機の隙間におしこんだ。ぱか、と時空通話機が開けられる。よくわからないやたら小さい機械がぎっしり詰まっていて、畑中はそれをひとつひとつ取り換えていく。


「お前、もともとの名前って覚えてるか?」


「……いや。忘れちまった」


 僕の言葉に、畑中はため息をついた。かれこれ一時間、畑中は無言で時空通話機を修理した。


「ほれ。できたぞ」


 受け取る。触ってみる。……なんの反応もない。どういうことだろう。それを尋ねると、


「壊れてる期間がいささか長かったからな。そのうち直るだろ」


 と、適当極まりない返事が返ってきた。僕はため息をついて、それをポケットに押し込む。


「もしかして、紺色の振袖の子が、お前の好きなスバルさんとやらか? さっき、天文学の教授と歩いてるのが見えたぞ? なかなかかわいいな、ちょっと痩せすぎだが」


「たぶんそれだ。っていうか『好き』とか茶化すのよせよ。そういう関係じゃない」


 畑中はハハハと笑い、煙草を吸おうとするしぐさをした。マッチと灰皿はどこだ、と言っているらしい。僕は顔をしかめて、それでもマッチと灰皿を出してやった。


「カフェインはだめなのにニコチンはいいのか」


「アルコールよりはましだ」


 二人でハハハと笑う。畑中は部屋をぐるりと見まわして、


「可愛い家だな」


 と余計なことを言った。なんでも畑中のいる政治家の屋敷というのは、むちゃくちゃ広くてむちゃくちゃ豪華で、とにかく星野家とは比較にならない規模らしい。書生がうじゃうじゃいて、政治家の先生が趣味で飼っている小鳥や犬、そういうのもうじゃうじゃいるらしい。その世話を書生がしているのだ、と畑中は言った。


「動物……ねえ。あんまり触ったことないなあ」


「犬はいいぞ。モフモフだ。洗わないと臭うけどな。小鳥は可愛いんだが排泄物を落としっぱなしだからな。お前んとこの先生は、犬猫を飼わないのか?」


「どうなんだろう。研究費用とかでカツカツっぽいんだよ」


 僕はため息をついた。

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