4-2 エージェント

 時空通話機は相も変わらず壊れており、僕はこの世界を地震から救う手段をなにひとつもっていない。スバルさんには言いづらいがこのままでは地震が起きてしまう。


 ――まあ、ほかのエージェントが遂行してくれるだろうが、だとしたら僕はスバルさんやのぶゑさんや蓉子さん、博士、そういったひとたちの頭の中から消えてしまうのだ。


 勉強が手につかない。そもそもインプラントに打ち込まれた知識や睡眠学習で習得した知識で理解しているので勉強する必要なんぞないのだが、それでもレポートは書かなければならない。それも、大正時代の学問の発展を考慮しながら。


 しかしもとの時代に帰れというなら、時空通話機が不通になった時点で他のエージェントが接触してくるはずなのだが、その辺はどうなっているのだろう。


 だめだ。

 ライスカレーでお腹いっぱいで、それから余計なことを考えて、頭がさっぱり回らない。


 がらがらーっと玄関が開く音が聞こえた。スバルさん、えらく帰ってくるのが早いなあ。ああ、和裁は採寸とかしなくていいようにできてるんだっけ。違ったかな、さすがに背丈くらいは合わせるのかな? 気になって玄関に出ていくと、スバルさんは反物をかかえたままだった。


「ただいま帰りました。はあ……」


 スバルさんは深いため息をついた。


「どうしたの。のぶゑさんのおばあさんはお留守だったの?」


「いえ、お家にいらっしゃったんですけど、いまは花嫁衣裳の仕立てがたくさん入ってて、とてもじゃないが普通の着物を縫ってる時間はない、って言われちゃって。しょーがない、自力で仕立てます」


「花嫁衣裳……っていうと、白無垢とか?」


「白無垢だけじゃなくて、お色直しの黒振袖とか、ほかにもお嫁入りに持っていく着物とか、まとめて注文が入ったらしいんです」


「へえ――そんなに豪華なんだね、東京の……いや。この時代の結婚式って」


 僕がそう言うと、スバルさんは、


「未来の結婚式って、どんなですか?」


 とものすごく小さい声で訊いてきた。


「未来は結婚式というものがそもそもないんだ。男女で好きあうってこともない。細胞を取り出して、そこから機械で赤ん坊をつくる」


「うえっ」


 スバルさんは顔をゆがめた。


 博士が茶の間で伸びをするのが目に入った。物音で昼寝から起きたようだ。僕とスバルさんも茶の間に入る。博士はだしぬけに尋ねてきた。


「清君、君は囲碁って打てるかね?」


「五目並べならできますけど、ちゃんとした囲碁のやりかたは知らないですねえ」


「そうか。書生が来たらぜひ相手をしてもらおうと思っていたんだが……」


「申し訳ないです」


 博士はスバルさんが反物を持っているのを見て、なんでだ、と尋ねた。スバルさんは婚礼衣装でかくかくしかじか、と説明する。博士はふーむ、と考えた。


「スバル、お前の学校でも、『卒業顔』みたいなことって言われるのかね?」


「言いますよ。誰かが結婚して退学するたびに、『なんとかちゃんは可愛いから。あたしらは卒業顔だから』ってみんなで冗談して言ってます。退学する子、去年あたりからぐんと増えました」


「なら早いうちにお前も見合いでもしてお嫁に行くかね? いやまてうちは本家だから婿取りだな」


「だめです。あたしガリッガリにやせてて病がちだから、とてもじゃないけど『いいお嫁さん、いいお母さん』にはなれないと思います」


「……うむ。それは確かにそうだな。普段元気そうにしているから忘れてしまうんだが」


「スバルさん、スバルさんは『いいお嫁さん、いいお母さん』になりたいのかい? 職業婦人になって自分の稼ぎで暮らしたっていいんじゃないの?」


「職業婦人はかっこいいですけど、女がもらえるお給料なんてたかが知れてますし。それにあたしはお家のことをするのが好きです。お掃除とかお料理とか。お裁縫は苦手ですけど」


「女学校の良妻賢母教育というやつだよ。もっと勉強したい、男と変わらないくらい勉強したい、っていう心の芽を早いうちに摘んでしまおうというわけだ」


 スバルさんがお茶をいれて、のぶゑさんのおばあさんの家から帰る途中買ってきたという芋けんぴを三人してつつく。うむ、おいしい。


 芋けんぴブレイクののち、スバルさんは細い手に不似合いなごっつい裁ちばさみと、使い古された物差しとへらをもってきて、ざくざくと反物を切り始めた。


 博士は棋書をにらみながら白い石と黒い石を交互に盤に置いていく。棋譜並べというやつだ。


 僕は僕で、ノートを整頓する作業に取り掛かった。


 そうこうしている間にもスバルさんは若干がたつく縫い目ながら着物をてきぱきと縫っていく。この時代の人はすごいなあ。衣服だって自作できるのか。


 着物が四分の一ほど出来上がったところで、スバルさんは買い物に出かけた。


きょうのお夕飯はなんだろう。最近食べるのが得意になってきた。僕を含めて五人だったエージェント訓練生のなかで、経口摂取訓練の成績がいちばん悪かったのが僕なのだが、それでも慣れというのは恐ろしいものでいまでは定時にお腹が空く。


 きょうの夕飯は肉豆腐だった。肉屋さんで特売をしていて、スバルさんはいっぺん作ってみたかったのだ、と言った。割烹の授業で習ったのだ、とも。


 博士も僕も、「きょうは肉料理だ」と喜びつつ食べている。やわらかい豆腐とやわらかい肉の悪魔合体だ。いくらでもご飯が進むし博士もご機嫌でお酒を飲んでいる。


 食べ終えて、スバルさんは明日の学校に備えて髪を洗うと言ってお風呂に入った。やっぱり女の子は清潔なほうがいい。僕はさっさと寝てしまおうと自分の部屋に戻り、そっと天袋を開けた。やっぱり時空通話機は、画面の中を水がぶよぶよと動くだけだ。


 浴衣に着替えて、ばふり、と敷いた布団に倒れこむ。


「――清さん、起きてますか?」


 ふすま越しに、スバルさんが話しかけてきた。


「うん起きてるよ。どうしたんだい」


「聞きたいんです。未来のこと」


「聞きたい……って言われてもな。説明していい事柄がある程度制限されてるから、言っていいこととそうでないこととあって」


「言っていいことだけでかまわないです。たとえばどんなご飯を食べる、とか」


「そう? じゃあ……未来では、ご飯なんて食べないんだ。栄養はぜんぶ血から摂る。水分も同じだ。だから水すら飲まない」


「えっ。もしかして、だから初日の豚生姜焼きをモゴモゴしてたんですか。いまでもモゴモゴしてますけど」


「そう? そんなにモゴモゴしてる?」


「モゴモゴしてます。きょうなんか豆腐を噛む力加減を失敗しているのが分かりました」


 ひどい。観察眼ありすぎか。


 僕はそうやって、しばらくスバルさんに二十三世紀のことを教えた。


 スバルさんが寝付いてしまったころ、僕も寝た。


 さて翌朝、台所を手伝い朝ごはんと牛乳を摂取して家を出た。スバルさんはいつもの黄色い銘仙に袴を着ていて、自転車をきこきこして女学校に向かった。僕はいつも通り列車で大学に向かう。


 東京帝大のキャンパスは広い。迷子になりそうだが、まっすぐいつもの教室に向かう――向こうから誰か歩いてくる。学生服をぱりっと着て、ちょっと日焼けして口元に特徴がある。でも顔は明らかに二十三世紀の血統操作人類。ミルクホールでちらっと見たやつだ。


「やあ」


 そいつはそう話しかけてきた。五人いた訓練生のうちの一人だろうが、顔の特徴をいじっているので誰だったか分からないし、この時代で名乗っている名前も知らない。


「あ、ああ……」


「俺、畑中國勝っていうんだ。経済学部。君は?」


「僕は古川清……物理学部。どうしたんだい」


「――近いうちに話がしたいんだ。わかるな?」


「ああ」


 畑中はにっと笑った。八重歯がちらっと光る。


「どこで?」


「俺の世話になってる先生が行きつけにしてるドジョウ鍋屋があるんだ。浅草の『しろ田』って店だ。そこで話ができたらと思う。いつがいいかな……次の日曜の昼でどうだ?」


「構わない。……ドジョウ鍋ってなんだ?」


 僕がそう言うと畑中はぽかぁんとした顔をして、


「お前ドジョウ鍋食べたことないのか?」


 と聞いてきた。僕は頷く。


「ドジョウって魚の鍋だよ。うまいぞ。滋養があって元気になるしな。ああ、講義が始まっちまう……じゃあ日曜の昼に『しろ田』だからな!」


 それだけ言って畑中は走って校舎に入っていった。僕もぼーっとしている場合ではない。急いで教室に向かった。


 脳内インプラントがドジョウ鍋の画像をサジェストしてくる。まったくおいしそうに見えない。だいたい僕の下宿先から浅草は脳内インプラントによると片道一時間かかるぞ。なんだか畑中が勝手にセッティングしたのにちょっとイラついている。


 イライラする、という感情をようやく理解して、その日の講義を聞いた。


 すべて終えて、列車で星野家に帰ると、スバルさんが無言で針を動かしていた。気付いているのかいないのか、黙々と着物を縫っている。だいぶ出来上がってきたところで僕に気付いて、


「帰って来てるなら帰ったって言ってください。ただいま帰りました、って言いなさいって親御さんに言われなかったんですか」


 と説教してきた。


「だってスバルさん夢中だから邪魔しちゃ悪いかと。肩こりしない?」


「肩こり……ああーっ肩ばっきばき! 目ぇショボショボ! おやつにしましょう」


 スバルさんはお茶を淹れ、なにやらカンカンを取り出した。きれいな絵の描かれた缶だ。


「それなに?」


「蓉子さんがお家でクッキーを焼いたんですって。蓉子さんああ見えてすごくお菓子をつくるの上手いんですよ。清さんにも食べさせてあげて、って言われたので」


 スバルさんは缶のフタをぱかっと開けて、僕に中身を勧めた。一つとる。さくらんぼのシロップ煮がのっかっている。口に放り込むと甘くて優しい味がする。


「この間はごめん」


「なにがですかぁ? おいひー」


「地震とか言ったら怖いよね、びっくりするよね……」


「別に清さんのせいで起こるでもなし。起きちゃったら起きた時です。清さんは悪くないです」


「ありがとう……心配してたんだよ」


「だって地震が仮に起きて、誰のせいって決めることってできないじゃないですか」


「……はは」


「このクッキー、蓉子さんのお兄様――高嶺伯爵の、その奥様、蓉子さんからしたら兄嫁か。兄嫁の鏡子さんと作ったんですって。鏡子さんはお菓子を手作りするのが趣味で、蓉子さんにも教えてくださるんですって。いいなあ。うちにいるのは学生服にゲタの書生さんと学者バカの中年男だけだからなー」


「ひどい言いようだね……」


「でも伯爵家なんかに嫁いだら気苦労すごそう。ぜったいあちこちから男の子を産めって言われるんだろうなあ。蓉子さんもどこか華族のお家に嫁ぐんだろうし、可哀想だなあ……」


「聞いてなかったんだ」


「え?」


 僕は小さくため息をついて、スバルさんに、


「……ドジョウ鍋って食べたことある?」


 と尋ねた。スバルさんは少し考えて、


「一回だけ、父がドジョウをバケツ一杯もらってきたことがあった気がします。本当に小さいころです。父と母はおいしいおいしいって食べてましたけど、あたしはドジョウが育てばウナギになるとばかり思っていて、ウナギにしてから食べたほうがおいしいのに、ってごねて、一口も食べなかったような」


 そんなことを言ってから、スバルさんは縫いかけの着物を置いて、買い物に出かけた。その間にちょっと着物を見る。細かく柄合わせがしてあり、手触りはやわらかい。銘仙は安価だけれど絹だったはずだ。モダンな模様もおしゃれである。


 スバルさんが帰ってきたので、夕飯を作った。きょうはキャベツのお浸しに、いつの間に漬けたのかカブの漬物と、ホッケの開きである。


 料理が出来上がるころ博士が帰ってきて、みんなでそれをつつき、僕は博士にドジョウ鍋とはどんなものかと尋ねたが、サジェストされた絵柄どおり、ドジョウにしてみれば地獄絵図みたいな料理でちょっとぞわっとした。


「だれかに誘われたのかね?」


 どう答えたものだろう。僕は物理学部の学生で畑中は経済学部、接点がまるでない。


 いろいろ考えた末、


「経済学部の畑中ってやつに誘われたんです。入学したてのころ肩がぶつかったぶつからないで喧嘩して、喧嘩が済んだらいつの間にか友達になっていて」


 という大胆な嘘をついた。博士はあっさり信じてしまった。

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