4-1 銀ブラ

 地震。

 来年やってくる地震を潰すために僕はここに来た。二十三世紀の歴史分岐論に従い、特異点である関東大震災を起こらないようにする。そうして、それから四百年後の世界がどうなるか、確認する。


 そのために僕はここにいるはずだった。だけれどいま、時空通話機は壊れているから、四百年後の世界から連絡をもらうことはできないし、そもそも時空検証基地に入ることもできない。


 三人を怖がらせてしまったろうか。そう考えながら夕飯を支度する。僕が自分の正体を説明してすぐ、のぶゑさんと蓉子さんは帰ってしまった。スバルさんも怖いのを紛らわすためか、トマトの瓶詰を買ってきて、朝のご飯と炒めて色ご飯を作っている。


「……」


「……」


 沈黙。ひたすら気まずくてなにか話題を考えるけれど、僕が未来人であると知れた以上、なにを話しても胡散臭いだけだ。故郷の話も作り話だと分かられているし、大学の話だって片手間で通っていることがばれている。僕は馬鹿だ。


 スバルさんは、てきぱきと料理をしながら、ぽつり、とつぶやいた。


「未来の世界では、死んだ人に会えますか?」


「死んだ人は、もういないから、会えないよ」


「そうですか」


「そろそろ博士も帰ってくるしさ、僕が未来人だっていうのは黙ってもらえないかな」


「わかりました。もうなにも言いません――あ、そうだ。きんつば、いくらしました?」


「大した額じゃないしごちそうするよ」


「ありがとうございます」


 スバルさんがトマトご飯を型にいれてお皿にぽこんぽこんと盛りつけて、付け合わせの野菜炒めができるころ博士が帰ってきた。半ドンの土曜日でも博士くらいの人になると帰りは夕方だ。


 スバルさんはたたたと玄関に出ていき、


「おかえりなさい。お昼は食べましたか?」


 と尋ねた。


「流行りの洋食屋でオムレットライスとかいうのを食べてきた。いやあ、あれはおいしい。ご飯が赤茄子……いまはトマトというのか。それで味付けしてあって、薄焼き卵がかかっているんだ。今度スバルと清君も連れていってあげよう」


「……あちゃあ……」


「どうしたのかね?」


 スバルさんはため息をひとつついて、きょうの夕飯がトマトご飯であると説明した。


 博士はハハハと陽気に笑った。


「そういうことはよくあるよ。昔、三日連続で昼の定食屋の食事と夕飯が同じだったこともある。不思議なものだね」


「……そうだ、お父さん。地震っていつ起きるかとかって予測できないんですか?」


「どうしたんだい、いきなりそんなことを言うなんて」


「えっと。今朝大地震がくる夢を見たんです」


 博士はしばらくウームと考えて、それから答えた。


「明治の御代のころ、東京が大地震に遭うと言った学者がいたが……それだって結局地震なんか来なかったし、来ないものと思って考えていいんじゃないかねえ」


「そういうことじゃなくて、予測ってできないんですか。たとえば何かが起きた三日後に地震が来る、みたいな」


「そんなの無理に決まっているだろう。いまの技術じゃ不可能だ。……せいぜいニワトリが鳴くとかネズミが家から逃げ出すとか、そういうことから察するほかないんじゃないか」


「……そうですか」


 とにかく夕飯と相成った。

 みんなでちゃぶ台を囲んでご飯を食べる。この時代はようやく一人一つの箱膳からちゃぶ台になったころで、いっそちゃぶ台というのは先進的なものらしい。


「うーん。洋食屋のトマトご飯よりスバルのトマトご飯のほうがおいしいなあ」


「えへへ。うれしいです」


「うん、スバルさんこれすっごくおいしい。女学校で習ったの?」


「いえ、女学校にお家が洋食屋さんの子がいて、その子がお弁当にトマトご飯を持ってきたことがあって、クラス全員で作り方を教えてもらって」


「どのみち女学校で習ったんじゃないか。でも酒のアテにはならないな。スバル、ぬる燗……」


「お父さん、お酒ばっかりがぶがぶ飲んでたら肝臓を悪くしますよ。きょうはお酒なしです。休肝日です」


 博士が分かりやすく拗ねた顔をして、僕はトマトご飯を噴き出しそうになった。


「明日は日曜日。なにをしようかなあ……」


「デパートにでも行ってみるかね? そろそろ新しい着物を作らないと、その花柄の銘仙もあの黄色い銘仙も傷んできただろう」


「いいんですか? やったあ。ああでもあたしが仕立てなきゃないのか。それは面倒です」


 博士は明るく笑って付け合わせの野菜炒めを口に入れてもごもごしながら答える。


「のぶゑさんのおばあさんにでもお願いしたらいいじゃないか。それくらいの仕立て賃ならお父さんが出してあげよう」


「のんちゃんのおばあちゃんですか。あのちょっとおっかない和裁の先生の」


 のぶゑさんのおばあさんというのは裁縫が得意なのか。おばあさんという言葉にどうにも聞きなじみがなくて、少し関係性について考える。のぶゑさんの親の親だ。


「いおが病気になったころもスバルの着物をよくお願いしたんだ。いい人だよ、腕は確かだし、趣味だから、って言ってお金もあまりとらないんだ」


 博士がそう説明してくれて、僕はそれって都合よく仕事をしてもらっているだけでは……という感想を飲み込んだ。とにかくスバルさんの着物はのぶゑさんのおばあさんに仕立てをお願いする方向で決まってしまったようだ。


 食事のあと、博士はしばらく茶の間で新聞をめくりながら煙草をモクモクして、スバルさんは台所で洗いものを始めた。僕も洗いものを手伝う。冷たい水が指先にくる。


 洗いものが終了するなり、スバルさんはビールのおまけらしい小さなコップに水を汲み、それを仏壇に供えて、ろうそくに火をつけ、線香にも火をつけて、手を合わせた。


 なにを祈っているのだろう。えらく熱心に手を合わせている。


 二十三世紀に宗教はない。宗教は人を救わないことが分かったからだ。物理的に、死後の世界がないことが証明されたし、宇宙植民のための標準宗教というものもあっという間に廃れてしまった。ごくごくわずかな人間が、古来より続くキリスト教やイスラム教などの宗教を信仰しているくらいだ。


「どうか、地震が起こりませんように」


 スバルさんはそう言っておりんを鳴らした。仏壇に置かれた写真をちらと見る。きれいな、まだ若そうな、スバルさんにそっくりな女性。……いおさん。


「そんなに怖い夢だったのかね?」


「はい、ご飯時に東京が揺れて、街が火の海になって、デマが流れて人が殺されて」


「ひどい夢だ。夢判断の占い師にでも見てもらえばいいんじゃないか?」


「そんな無駄なことにお金を使う余裕があったら、あたしはミルクホールでカスタードプディングを食べたいです。だいたい大日本帝国の科学を推し進めるお父さんが、占いなんか信じてどうするんですか」


「帝国の科学を推し進めるっていったってしょせんはなんの役に立つかわからん天文学だ。占いみたいなものだよ」


 僕はようやく、スバルさんの名前が星の名前から来ていることに気付いた。


「そうか、だからスバルさんなんだ。きれいな名前だと思っていたけど」


「そうだよ、スピカにしようっていったらさすがに変な名前すぎるといおに反対された。私も星野天彦で、天文学をやるために生まれてきたようなものだ」


「あたしは子のつく名前がよかったです」


「星野スバル子。これじゃ噺家さんの名前だ」


 博士はそう言って笑うと、新聞をたたんで立ち上がった。


「そろそろ寝たまえよ、スバルも清君も。明日は三人でどこかに出かけよう」


「いいんですか? 僕はただの書生ですよ? 留守番でも構わないのに」


「私はね、明治の御代を知っているから――学生というのがこの世で一番尊い職業だと思っている。いまのところとてもまじめに勉学に励んでいるようだし、ご褒美だ」


「……わかりました。じゃあお言葉にあまえて」


「だいたいうちは清君をお女中さんの代わりにこき使っているからね。よその、それこそ政治家の家の書生さんはそんな労働なんてしていないって聞くし」


 言われてみればたしかにその通りなのであった。


部屋に戻って布団を敷き、着物から浴衣に着替えて布団に入る。じめっと重たい布団にもだいぶ慣れてきた。夢も見ずに、翌朝になった。天袋を開けてみる。時空通話機は壊れっぱなし。何も変わっていない。


 洗濯屋から戻ってきていた一張羅の学生服に着替える。学生帽を小脇にかかえて部屋を出ると、スバルさんがきのうの花柄の着物に前掛けをつけて、台所で味噌汁を煮ていた。足元にはからっぽの牛乳瓶。


「おはよう」


「あ、おはようございます。……学生服を着ると、それなりに学生っぽく見えるんですね」


「ひどいなあ。僕は押しも押されぬ帝大生だよ」


 牛乳をぐびぐび飲んでから、メザシを焼いた。博士も起きてきた。きょうはくつろいだ印象の和服だ。


「清君、なんだかんだ学生服もよく似合うじゃあないか。なんでいままで着なかったんだい」


「用水路に落っこちて、洗濯屋に出していたからです」


 朝ご飯をおいしくいただいて、歯を磨いて三人で家を出た。玄関に鍵をかける。


「さて、デパートに行ってみよう。食堂でなにかおいしいものを食べてもいいし」


 というわけで、銀座のデパートに向かった。銀座はすごい人通りで、大きな建物が並び、ショーウィンドウには華やかな洋装のマネキン人形が飾られている。


「わあ、素敵……」


「スバルも洋装をしてみたいのかね?」


「いらないですよ! こんなブリキの湯たんぽみたいにガリガリのあたしが洋装着たってちぐはぐなだけです。ふっくらして見えるから着物がいいです」


「買ってやるとは一言もいっておらんよ。おお、自動車だ」


 向こうから自動車が走ってくる。クラシックカーというやつだが、この時代ではクラシックでもなんでもない。


 デパートに入ると、一階は化粧品と婦人服の売り場だった。スバルさんは目をきらきらさせて、口紅を見ている。


「女学校は化粧禁止だろう」


「みんなこっそり口紅くらいつけてますヨ」


「だとしても駄目だ。着物を見よう」


 スバルさんはちょっと残念そうな顔で、星野博士のあとについていく。僕も追いかける。反物売り場につくと、スバルさんは難しい顔で反物を見比べ始めた。


「うーん。どっちが似合うかなあ。あたし赤っぽい着物が似合うと思うんですよねえ」


「赤っぽい着物かあ。たしかにスバルさんならそっちのほうが血色がよく見えるかもしれないね」


「スバルはいおにそっくりだから、あの紺色の振袖だって似合うはずなんだがなあ」


「雑誌に載ってましたよ、紺色と紫色はほかの色と似合い方が違うって。赤が似合うひとでも同じくらい紺色が似合うひとがいるって」


 スバルさんは熱心に反物を見ていて、品のいい橙色に黄緑の模様の入った銘仙の反物をあてて鏡を覗き込んだ。嬉しそうな顔で、


「これ。これにします」


 と、博士にその反物を渡した。


「こんな可愛い値段の反物でいいのか? もっといい反物だって買ってやれるのに」


「だって、うち清さんのぶんも食費とかその他お金がかかってるんですよ。ぜいたくなんかできないです。それにあたしはこれを気に入ったんです」


「いおに似てしっかりしているね、スバルは……すみません、この反物をください」


 博士はスバルさんに反物を買い、ついでに僕が学生服に下駄なのを見て、靴を誂えようか、と言ってくださった。だけれどさすがにそこまでおんぶにだっこなのは申し訳なくて遠慮した。


 楽しい。


 買い物ってこんなに楽しいんだっけか。二十三世紀の人間にはなにもかも目新しくて、ワクワクする。


 デパートの女店員さんは着物にエプロンのいでたちで、とても可愛らしい。店の中も、着物のひと洋装のひと、入り乱れて華やかだ。とても楽しい。


 デパートの食堂でライスカレーのお昼を食べて、コーヒーなんぞ飲み、それからまた銀ブラを再開した。学生服の下に着るシャツを、吊るしのものながら一着買ってもらった。


 それだけで十分満足で、帰りの列車では始終ニコニコしていた。


 二十三世紀に、こんなに楽しいことがあったろうか。


 二十三世紀はみな同じ服をきてみな同じ顔をして、「個」というものがひどく希薄だった。


 僕は……この時代にいられることが、嬉しくて仕方がなかった。


 スバルさんは午後からさっそくのぶゑさんのおばあさんに仕立てをお願いしに出かけた。


 僕は勉強しようと部屋に引っ込んだ。博士は昼寝を始めた。


 ――いや。わくわくしている場合ではないのだった。

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