3-2 この世界の運命を変えるために

「参ったなあ。本当だってば」


 困り果てる。僕の言葉を聞いて、ため息交じりに女の子たちは刺繍にもどって、


「蓉子さん、アウトライン・ステッチが太くなっちゃった。どうするのこれ」


 とか、


「サテン・ステッチって難しいわね」


 とか言いながらハンカチの角にきれいな模様を描いている。


 僕は信用詐欺師ではないので、津軽の実家なるものをほいっと思いつくセンスはない。それに両親の名前にせよ家の番地にせよ、ちょっと調べてみたらわかってしまうことだ。


 思いのほか、この子らは聡い。どうしたもんだろう……。


「すみませーん」


 玄関で誰かが呼んだ。スバルさんをちらりとみると、爪と指の間の肉に針を刺してしまい悶絶している。仕方なく僕が出る。


「はいなんでしょう……」


「お花買いませんか? 一鉢五銭ですよ」


 やってきたのは花の行商人だった。しわしわのおばあちゃんで、みすぼらしい着物を着て、背中にたくさん花の鉢を背負っている。おしなべてしおれ気味だ。


 この手の行商人はしつこい、と脳内インプラントが警告する。ひどいと上がり込んでお茶まで要求するのだと脳内インプラントは言った。


「あの、僕書生でして、そういうものを勝手に買うわけにはいかんのです」


「でしたらお家の方を呼んでくださいません?」


「いえその、いまは女学生のお嬢さんがいるだけで、先生はお留守です」


「お嬢さん。きっと喜びますよ、お花買ってくださいよ。見てくださいこのきれいな色」


 しおれかけたナデシコを見せられて、僕はううんと首をひねる。


「この花、しおれかけてるじゃないですか」


「水をやって日当たりに置けばすぐ元気になります」


「うーん……とにかく僕の権限じゃ買えないんです。お嬢さんはいまお友達とお勉強していて、邪魔するわけにいきませんし。お帰りください」


 勉強、というのは盛ってしまったが、行商人はしぶしぶといった感じで帰っていった。


 さて、茶の間に戻ると、女の子たちは刺繍を放り出していなくなっていた。まさか。急いで自分の部屋に戻ると、蓉子さんが文机を踏み台にして天袋を開けているところだった。


「――君たち、なにやってるんだ!」

 思わず語気を強めてそう叫んでしまった。三人はちょっとぎょっとした顔をしてから、


「――なにか出てきたわ」


 と、蓉子さんは天袋から時空通話機を引っ張り出してしまった。

 さすがに頭に血が上ってくる。だがつとめて冷静に僕は言った。


「スバルさん、スバルさんは自分の部屋に勝手に入らないで、って言ったよね。なんで僕の部屋には普通に入るんだい? 『己の欲せざるところ人に施すなかれ』、って修身で習わなかった?」


「え、だ、だって、清さんは男の人だし」


「そういうのを二律背反っていうんだ。なんで? なんで僕の部屋に入ったんだい? もしかして、指に針を刺したの、お芝居だった?」


 スバルさんは、小さく小さく、頷いた。


「わたくしが、清さんのお部屋に入ってみよう、天袋を開けてみようって言いだしましたの。だからスバルさんやのぶゑさんを責めないでくださいませ」


 蓉子さんが文机から降りた。いがいとやんちゃなことをする子だな。そんなことはどうだっていい。時空通話機を見つけられてしまった。


「僕には僕なりの秘密があって、それを暴かれるといろいろ困るんだよ。君らは、秘密はないのかい? 暴かれたら困るって思わないのかい?」


 スバルさんは唇を噛んでうつむいている。蓉子さんは震える手で時空通話機をつかんでいる。のぶゑさんは眼鏡の向こうから怯えがちな目を僕に向けている。


 僕は少しだけ言葉を強く発した。


「きみたちは暴いちゃいけないことを暴いた。僕はもうここにいられないかもしれない。君たちが天袋を開けた、ただそのせいで。わかるね? 蓉子さん、それの材質はなんだかわかるかい?」


「……貝殻のボタンみたいな、べっ甲みたいな、陶磁器みたいな……」


「それは強化セラミックと強化プラスチックの複合材でできている。時空通話機、っていう機械だ。のぶゑさん、それをなんに使うかわかるかい」


「通話機……だから、電話みたいなものですか?」


「そうだ。『時空』通話機だから、ずっと離れた未来とも連絡が取れる道具だ。壊れてるけど」


「未来。清さんは、未来人……なんですか?」


 スバルさんがそう尋ねてきて、僕は頷いた。三人は目を真ん丸にしている。


 僕は蓉子さんの震える手から時空通話機をとりあげた。


「この秘密を暴いて、君たちはどうするつもりだったんだい?」


「あっ。あのっ。あたしたちはこんな大事なものが入ってるって知らなくて、せいぜいスパイ手帳とか、軍の偉い人からの書簡とか、そういうものが入ってると思ってて」


「スパイ手帳にせよ将校からの手紙にせよ、見ちゃいけないものだと思うけどな」


「だって。清さん自分のことなんにも話さないじゃないですか。あたしたちは知りたかったんです。清さんが何者で、なんでこの家にいて、なんでこそこそしてるのか」


「津軽から縁故でやってきて下宿している書生じゃダメなのかい?」


「そういうにはちょっと、説明が足りないと思います。故郷の話を聞いたこともないし、故郷から手紙も来ないし、……なんだか、清さんって作り物くさいと思ってしまって」


「……作り物、か。確かにそうかもしれないな。まあ――この話は、話すとちょっと長くなるよ。とりあえずおやつにしないかい。僕はもう怒らないから。文机はもとの場所に戻して」


 スバルさんが文机をもとの場所に移動した。僕が時空通話機を天袋にいれ、みんなで茶の間に戻る。


 これで正しいはずだ。仮に僕がこの時代にいられなくなったとしたら、僕の痕跡は徹底的に抹消され、スバルさんたちも博士も僕を忘れる。


 でもそれはなんだか、悲しいな。


「ええっと。なにかおやつ……せんべいすらないな。しょうがない、近くのお菓子屋さんからなにか買ってくる。ちょっと待ってて」


 僕はそう言い、星野家の屋敷を出た。


 僕は、二十三世紀の人間ならほぼ抱くことのない「怒り」という感情の処理に困り果てていた。ちょっと冷静になりたくて、屋敷を出たのだ。


 二十三世紀ではストレスというものは完全に駆逐されており、娯楽作品ですら、「こいつムカつく!」なんて思うことはない。仮にそう思う作品だったとしても、見終わるころにはその感情は消えてしまうようにできている。


 じりじりと心の底をアルコールランプであぶられているような気分。


 怒り、という感情は、お菓子屋さんできんつばを四つ買ったころには「悲しみ」に変わっていた。スバルさんに疑われていたという悲しみ。もしかしたらこの世界から消えなきゃいけないかもしれないという悲しみ。やり場のない悲しみ。


 星野家に戻ってくると、三人はお通夜みたいな――これも脳内インプラントのサジェストで、実際にはお通夜なんて見たこともない――顔をしてお茶を淹れて待っていた。きんつばを渡して、四人でそれをもぐもぐ食べる。


「ごめんなさい」


 スバルさんが小さくわびた。


「あたしが、清さんはなんだか怪しいって言いだしたのが悪かったんです」


「ちがうわ。わたしが悪いの。清さんの素性を知りたいなんて言ったから」


「いいえ、わたくしが悪いのだわ。実行に移したのは、わたくしですもの」


 三人とも、心底申し訳ない、という顔をしていた。

 どう説明すればいいんだろう。


 僕は三人の顔をしばらく眺めて、うーん、と考える。


「なにから、話せばいいのかな」


 三人はさすがに質問してくることもなく、きんつばをひたすらもぐもぐしている。


「僕はもう怒っていない。でも悲しい」


 三人は、はっとした顔で僕を見た。僕は三人に頷いてみせた。


「悲しいのは、自分のことを信じてもらえなかったのと、君たち三人がそんな行動に出たこと。それから……もしかしたらここにいられなくなるかもしれないこと」


 僕は、真面目に答えることにした。


「僕は、ずっとずっと遠い未来から来た。この世界の運命を変えるために」


「この世界の……運命?」


 蓉子さんが、好奇心のほんのちょっと混ざった声で、そう尋ねてきた。


「言ったらびっくりするかな。……だれにも口外しない、いや口外していいけど僕が言ったことだとは口外しない約束で、……でもびっくりするよな」


「そのびっくりするような運命を、それを変えるために来たんですよね、清さんは。清さんが変えてくださるなら、びっくりしたってなんの問題もないです」


「でも時空通話機は壊れちゃってるし、僕はこの時代から撤収しなきゃいけないかもわからないし、……うーんと。ああでもこの時代から撤収するってなったら、僕の言ったことはぜんぶ君らの中から消去されるのか……」


「え」


 スバルさんが持っていたものを取り落とすようなつぶやきを発した。


「清さんがいなくなったら、あたしたちは清さんのこと忘れちゃうんですか?」


「うん。そういうふうに決められている。場合によりけりだけど、僕の場合は僕がここにいる理由を説明しちゃったから、ほぼ確実に君らの頭から消えていなくなる」


「そ、そんなのいやですよぅ」


「いやですもなにも、君たちが時空通話機を見つけてしまったからそうなるんだ。……いや。ちくわ大明神なんてうかつに言った僕も馬鹿だったけれど」


「ちくわ大明神ってそんなに重要なんですか。未来で崇拝されてる神様だったりするんですか」


 のぶゑさんがそう言い、僕は思わずくすっと笑った。


「違うよ。ちくわ大明神っていうのは、未来のジョークに出てくるもので、そのジョークというのは……文字を見られる電話みたいな機械があって、それで人がやりとりするうちに生まれたものなんだ。だからその機械がないこの時代では、だれも思いつかないし使わない」


「文字を見られる電話……そんなすごいものがあるんですか。つまり文字の形でやりとりを残せるってことですか」


 のぶゑさんが素直に驚くので、またふふっと笑いが出る。


「そうだね。未来ではそれが当たり前になって――君たちも九十くらいまで長生きしたら、それを見られるかもしれないね。でもまあずっと未来のものだ」


 三人はわかっているのかいないのか、ぽかんと口を開けて聞いている。


「それで、僕の住んでいた未来っていうのはざっくり言って四百年後の二十三世紀なんだけど、そこでは人類が滅びかけている。高度な科学技術と引き換えに、人類は自滅しかけているんだ。当然宇宙植民も行われたけど、ほとんど失敗している。人類は地球を出ていくことができなかったんだ。そして地球は有限だ」


「地球は有限」


 スバルさんがそうオウム返しをした。


「そう。科学がどんなに進歩しても、できることには限界がある。地球が有限だからね。化石燃料も鉱物資源も、どうあがいたって足りなくなって、人類は自分たちから滅びに突っ込んでいくんだ」


「未来ってそんなに嫌な時代なんですの? みんな科学が進歩することが正しいと思っているのに」


「科学が進歩するからこそ、人間は己の命を危うくしたんだ。例えば火薬が発明されたときに戦争のやり方が変わったように、もっといろんな、人類を皆殺しにしかねない兵器がばんばん発明されて、人類は自分から滅びようとし始めた」


「そんな……」


「それで、二十三世紀になってやっと人類は気づいたんだ。このままじゃ人類の文明は終わる。なら終わる原因を潰してしまえばいい。それができるのはタイムマシンという機械が発明されるところまで文明が進んだから、っていうのも皮肉な話だな。とにかく、そのタイムマシンを使って、歴史のあらゆる、分岐点となった事件を潰す試みが始められた。ちょうど人間が世の中に対して多すぎて、二十三世紀だけでは養いきれなかったから、昔の時代に養ってもらおうっていう魂胆もあったわけだけど」


「じゃあ、近くなにかが起こるんですか? 清さんは、それを潰しに来たってことなんですか? なにが起きるんですか? 暗殺事件? 戦争? それとも父がなにか発明しちゃうとか?」


 スバルさんがそう言うので、僕はどう答えたものか考える。正直に言っていいのだろうか。この子らはショックを受けないだろうか。僕はさんざん考えて、言ってしまおうと決めた。


「地震だ。のちの世界では関東大震災って呼ばれている大地震だ。ちょうどご飯時で、東京は火の海になり、デマが流れてたくさんの人が殺される。揺れは関東だけでなく大阪だって揺れる。それを、特異点破壊装置を使って歴史から取り除くために僕はこの時代にきた」


「……地震」


 三人はおびえた顔をしていた。

 ああ。

 僕は答えるほかなかった自分が悲しかった。そして、おびえている三人に、すさまじい罪悪感を覚えた。

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