雪上の競技会 その2
翌朝、役人に体育館として案内された場所を見てコウジとナコマは拍子抜けした。
どう見ても倉庫だ。確かに煉瓦と石とを組み合わせた頑丈そうな外見ではあるが、ニケ王国で建設のすすめられている近代的なものと比べればあまりにも違う。
だが中に入るとそのイメージが外だけであることを実感する。
水平に磨かれたセメントの床に、倉庫ならではの高い天井。採光窓も設けられ、昼間なら明かりが無くとも十分に競技ができる。
「床の反発もいい、これなら問題ないね」
コウジは手に持ったサッカーボールを地面に弾ませて床の感触を確かめた。
「体操の器具も既に準備しております」
役人が手で指し示す体育館の隅には、確かにマットや跳馬、鉄棒といった器械体操のための道具が置かれている。
これを見るなりナコマは目を輝かせた。
「わあい、この国でも体操ができます!」
外套を脱ぎ捨てナコマは駆け出す。彼女は床に手をついてハンドスプリングをすると次には二回転宙返りへとつなげ、最後にはマットに両足をついてピタリと止まった。
一同は「おおっ」と歓声とともに拍手を贈る。猫の使用人は両手を上げたまま得意げに胸を張った。
この体育館は元々放置されていた倉庫だったが、冬に室内でも競技ができるようにと国が買い取って体育館に作り替えたのだった。
ブローテン外交官の報告を受け、ニケ王国のスポーツを通じた外交に賛同したヘスティ王国が雪の降らない間に急ピッチで用意した施設だが、使用には十分に耐えうる。多少手狭ではあるが、冬でもサッカーやバドミントンができるようになったのは大きな進歩だ。
さらに王城へ戻ったコウジは建設担当の役人や貴族と新設の競技場についても話し合いを進める。客席や外観だけでなく、選手の控室や浴室なども考えなくてはならない。
コウジのアイデアをもとに車椅子の建築家ドゥイエ子爵が作った設計図を提出し、それをさらにヘスティ王国の建築家が修正を加えより良い物を作り上げる。
そこには志を同じくする者同士、目に見えぬ奇妙な連帯があった。そして皆全員が誰か一人でも欠ければ到達できないと意識を共有して職務に当たり、高いモチベーションが維持されていた。
そうして仕事に励み続け、気が付けば数日が経っていた。
王城も朝から賑やかで、使用人たちも慌ただしく行き来している。
「そうか、今日はスキー大会だったな」
窓から一面雪に覆われた町を見て、コウジはひとりごちた。
「サタリーナ様の出られるあれですね」
目をこすりながら寝間着姿のナコマがもぞもぞとベッドから這い出る。王城に招かれ仕事をする必要の無くなった途端、この使用人は主よりも早くに寝て遅くに起きるようになった。
「バレンティナ様と会う約束をしているんだ、見に行かないと」
コウジが着替えようと寝巻きを脱ぎ出すと、ナコマはすぐさま着替えを用意した。この要領の良さはさすがと言うべきか。
準備を済ませ城下に繰り出すと、コースとなる街道には棒が突き立てられ紐で区切られている。2階の窓や曲がり角など選手のよく見える場所には既に観客が陣取っていた。
スタート地点の広場には自慢のスキーを履いた選手たちが集まっていた。
この日のために買ったのか新品でキズひとつ無い板を履いてそわそわと落ち着かない若者、使い古したスキーを抱えて瞑想に耽る年配の狩人。
各々最高の状態を作り出すために今か今かと開始の時刻を待つ。
「コウジ殿、ここですよ」
聞き慣れた女性の声、バレンティナだ。人だかりの中に屈強な護衛を従えてこちらに手を振る金髪の令嬢が見える。
雪に足を取られながらもバレンティナの傍へ駆け寄ると、彼女を守っていた衛兵たちがすっと身を引いてコウジ達を通した。
そのときに以前ブローテン外交官と話していた巨人の兵長とすれ違ったが、彼も背中に巨大なスキーを背負っていた。選手として出場するのだろう。
「コウジ殿、お仕事はいかがです?」
挨拶を済ませるなりバレンティナはコウジに訊いた。この世界で最初にスポーツ振興をコウジに任せたのは彼女だ、今のコウジがこの国でどう活躍しているか知っておきたいのだろう。
「ええ、毎日いろんな場所を訪れていますよ。体育館に学校に、競技場の建設予定地に。ですが事前にルールブックや競技場の設計図の原案を送っておいたので、今のところスムーズに事は運んでおります」
「ヘスティ王国の人々は勤勉ですから、成果のために努力は惜しみません。国同士の競技会開催も時間の問題ですね」
会話の最中、コウジは広場に鎮座する奇妙なものに気付き、そちらに目を遣った。
「バレンティナ様、あれは何でしょう?」
コウジが指差したのは巨大な雪の壁だった。広場の一角に周囲の家と同じほどの高さまで雪を積み、平らな板のような形にして立てられている。まるで石碑のような状態の雪のオブジェだ。
「はて、何でしょう? 私も初めて見ます。ナコマは?」
「私にもわからないです」
三人そろってうーんと考え込む。その時、威勢の良い女の子の声が耳に届く。
「バレンティナ、お待たせ!」
声の主はサタリーナだ。衛兵を伴い、既に両足に美しい木目のスキー板を付けてストックを雪に突き刺し滑りながら近寄る。
「あら、コウジさんにナコマちゃんも来てるのね。勝つから絶対に見ていてね!」
ぐっと拳を握りストックが危なく翻る。しかし彼女はそんなことは眼中に無いようだ。
「無茶しないでね、昨日もずっと特訓していたんだから」
「一晩寝れば疲れなんて吹っ飛ぶものよ、へーきへーき!」
心配そうなバレンティナの声にも明るく返す。本当に侯爵令嬢、いや、そもそも人間なのだろうか?
マトカと同じ鬼族だとしてもまったく違和感が無い。むしろパワフルさは彼女以上だ。
「間もなく女子競技の開始時刻です。出場者の皆様はお集まりください」
スタッフの声に出場者がぞろぞろと移動する。
「あら、私も急がなきゃ。じゃあ応援よろしくね!」
ろくに言葉を交わす暇さえ与えず、サタリーナはスキーを滑らせてスタート地点へと向かった。
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