白銀の王国 その3
この都は西をフィヨルドの海、南北を山に挟まれ、東には平地が広がっている。
農耕のために利用されるこの平地には各所に雪解け水のたまる湖があり、冬には凍り付いて天然のスケートリンクとなる。
そんな中でも特に市街地から近いこの湖には、連日子供や若者が集まってスケートを楽しんでいるのだった。
「わあ、全部凍ってますよ!」
普段なら青い水を蓄えているはずが、一面白く分厚い氷に覆われた湖を前にナコマがはしゃぐ。
金属のエッジを靴の上から足に括り付けた子供たちが手を取り合ってよたよたと歩き、若い男たちは全速力の競争をして周囲の顰蹙を買う。
コウジも見慣れぬ光景に言葉を失い、ただただ見入っていた。日本国内でも氷上ワカサギ釣りが体験できる湖はあるが、コウジはまだ見たことが無い。まして屋外の天然の氷の上をスケートで滑るなど。
「コウジ殿にナコマさんもどうぞ」
外交官は使用人を呼びつけスケート用の金具を取り出し、子供たちの足に巻き付けていた。
コウジとナコマにもスケート靴が手渡され、ふたりは慣れない形に四苦八苦しながら巻き付ける。
今までに何回かスケート靴は履いたことがあるが、それらは金具と靴が一体化したものだ。このようにエッジだけを取り付けるものは使ったことが無い。
踵の固定は特に不安定で、この状態で弾丸のように滑走する若者たちが一体どのようなバランス感覚を持っているのか疑いたくもなる。
「さあコウジ様、行きましょう!」
ヴィクトルとアンに手を引かれ、コウジは氷上に繰り出す。氷を踏んだ途端、足が言うことを聞かずあっちへっこちへと持っていかれる。
双子が手を取ってくれないと立っていることすらできない。
「コウジ様、お待ちくださーい」
初めて体験する不安定なスケートエッジも、ナコマはいとも簡単にこなして歩いている。さすがは猫のバランス感覚といったところか。
「うわっととと、あ、あぶねー!」
綿のような白色の氷の上で手を離され、思わずお尻から転びそうになる。なんとか踏みとどまって体勢を支える。今まで滑ったことのあるスケート靴とは安定感が雲泥の差だ。
そんな悪戦苦闘中のコウジのすぐ近くを双子よりもさらに幼い男の子がすーっと通り抜けると、すれ違いざまにケラケラと笑うのだった。
「何だあの兄ちゃん、へったくそー」
少しムッときたが、まあ子供の言うことだ。
大人の対応を取るコウジに対し、激昂したのはナコマだった。
「コウジ様に対して何という無礼! ひっかいてひっかいて泣かせてやりましょう!」
「やめときなよ、気にしてないから」
血気たぎるナコマの肩に手を置き、コウジは使用人を制止した。
思い返せばコウジも小さい頃は善悪の区別も無くよく悪戯をしていたものだ。蹴ったボールが誰かの自転車にぶつかったり、よその家の塀に上ったりはしょっちゅうだった。
今考えてみるとよくあんなことして許されたなぁ。ご近所の方々に心の中で頭を下げていると、周りの若い男たちが随分と沸き立っているのに気付く。
「なんかあっちにすっげえきれいな女の人がいるらしいぜ!」
「本当か? 見に行ってみよう!」
男たちは一目散に同じ方向へとスケートを滑らせる。いつの時代もどの国も男の性さがは不変のようだ。
コウジもちらっと顔を向けると、めざとく気付いた外交官が目を細めてコウジを小突いた。
「おや、コウジ殿も気になりますかな?」
「ま、まあ少しは」
男二人のやりとりに、ナコマもやれやれと頭を横に振る。
「やっぱりコウジ様も男ですねー。夜になってもわ……」
「おっとそれ以上はまずい!」
慌ててコウジはナコマの口を押えた。
いつしか男はおろか小さな子供たちや中年の女性まで、スケートを楽しんでいた人々が皆その噂の女の人の下へと向かっている。
「なんかニケ王国から来た貴族の方なんだってよ。外遊かな?」
男の会話を聞いて外交官はコウジに声をかけた。
「お、同郷ではないですか。コウジ殿のお知り合いかもしれませんよ。挨拶だけでもしてこられればどうです?」
そうか同郷か。本当に知り合いかもしれないし、これも何かの縁だ。
「そうですね、ちょっと行ってきます」
「あ、私も!」
コウジとナコマも慣れないスケートを滑らせ、多くの人に追い抜かれながら人だかりを目指した。
湖の氷の上にたちまち作られた人だかりを抑え込むのはヘスティ王国の衛兵たちだ。銃を掲げた数人の衛兵が目を光らせ、凍り付いた一角を守っている。
「見えないなー」
やじ馬たちはごつい衛兵の肩越しに例の女の人を見ようと必死に背伸びをしているので、出遅れたコウジには何も見えなかった。
そんな中、ブローテン外交官は特にガタイの良い巨人族の衛兵に声をかけた。
「やあ、君は衛兵長のクレイグ君だったかな?」
「これはブローテン外交官、どうなされました?」
巨体とは裏腹の気さくな話しぶりに、兵長の人の良さがにじみ出ている。
「実はこの人は私の連れで、ニケ王国の者なんだよ」
「そうでしたか、どうぞお通りください」
兵長はすっと身を引いて外交官とコウジ、それにナコマを通す。やじ馬の集まる一角を抜け、一同はふうと息を吐いた。
「こんなに厳重に警備されるなんて、国賓クラスなのかな?」
コウジは呟きながら守られた湖の一角に目を移す。
そして目に入ったのは美しい毛皮の防寒具に身を包んだふたりの令嬢が二人手を取り合ってスケートを楽しむ姿だった。
ひとりはヘスティ王国の民らしく白い肌に金髪、青い目と西洋人形のような若い女性だ。
そしてもうひとりは……。
「あ!」
思わず声が漏れ、ふたりの女性もこちらに気が付く。
「へ、あら!?」
防寒具のフードの隙間から顔を出す女性も、口元を押さえる。
「コウジ殿、どうしてここに?」
女性は言った。よく通る美しくも逞しい声だ。
「お久しぶりです!」
その正体にいち早く気付き、深々とナコマは頭を下げる。
そう、今のコウジの目の前にいたのは、あまりにも意外な人物だった。
「バ、バレンティナ……様!?」
コウジは伯爵令嬢バレンティナとこんな異国の地で再会してしまったのだった。
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