白銀の王国 その2

「だから……どうしていつもこうなるの?」


 外交官の屋敷の一室。客室としてコウジに宛がわれたその部屋は大き目のベッドがひとつ、用意されているだけだった。


「どうしたのです? 私とコウジ様は何度も同じ布団で寝た仲ではありませんか」


「その言い方、誤解を招くから絶対に他所でしないでね!」


 大きな毛布をいっしょにかぶり、隣でうとうとと眠りかけているナコマにコウジは釘を刺した。




 翌朝、陽光に輝く雪の街に繰り出したコウジとナコマの目には、何もかもが新鮮に映っていた。


 昨日は馬車での移動だったのでじっくりと眺める機会が少なかったが、行き交う人々は皆分厚い毛皮と帽子で全身を覆い隠し、人間なのか鬼族なのか種族さえもわからない。時たま鹿などの寒さに強い獣人が帽子や手袋無しで歩いているが、それでも丈夫そうな外套で吹き付ける寒風からその身を守っていた。


 そして驚いたことに、多くの人々が街中でもかんじきのような不思議な靴を履いて移動している。


 木を削った板を足に固定し、雪と接する面積を大きくすることで体重を分散させ、積もった雪に脚がはまってしまうのを防いでいるのだ。雪国で暮らす人々が編み出す生活の知恵は、洋の東西も異世界も同じのようだ。


 そんな人々の活況を盛り立てる街並みも美しい。白い雪とその隙間から覗く煉瓦や木の壁は互いの色彩を引き立てモノトーンのように映え、幻想的な風景を生み出していた。


「冬の雪にもこの都市は屈しません。むしろ短い夏の間に働いて、冬の間は思い切り遊ぶくらい我々はこの気候を気に入っています」


 初老の使用人とともにふたりの子供を連れた外交官もかんじきを履いて雪の上を歩き始める。全身をすっぽり隠すような毛皮を着込み、コウジとナコマもそれに続いた。


 多くの商店が建ち並ぶ広場では子供が雪合戦に熱中し、若者が何かの雪像づくりに精を出している。


「ここはこの街の中心で、夏には市場が開かれ大いににぎわいます。まあ、今は雪のために子供たちの遊び場となっているのですが」


 外交官があちこちを指差しながら説明していると、息子のヴィクトルが割り込む。


「ですがお父様、ここは今度のスキー大会のスタート地点になりますよ」


「スキー大会? 町の中でですか?」


 コウジが尋ねると外交官は「ええ」と頷く。


「ホルコーレンの都に200年前から続く伝統行事です。住民たちがスキーを履いて一斉に広場からスタートし、都の周りの野山を一周して戻ってくる時間を競います。ここで優勝した者は都の英雄として、人々の尊敬を集めるのです」


 コッホ伯爵領ではフットボールに住民たちは熱狂していたが、この雪国ではスキーがその対象のようだ。


 元来スキーは雪上での狩猟の手助けにと生活の必然性から発明されたものだ。その存在は雪の降る地域では普遍的に見られるもので、北欧スカンジナビア半島では5000年前には細長い板に乗って移動していたと考えられている。


 生活の中で頻繁に使う物が遊戯、そして競技へと発展するのはごく自然なことだ。北欧では中世にスキーを履いた雪上部隊も存在したそうで、狩猟や軍事において活躍したそうだが、17世紀には軍人による競技会も開かれていたという。


 スポーツとしてのスキーが大きな発展を遂げるのは19世紀、ノルウェーでのテレマークスキーの発明がきっかけだろう。


 足を板を完全に固定する従来の方法と異なり、つま先だけを固定して踵を浮かせるこのスタイルは歩行、滑降、跳躍と様々な場面に対応し、レジャーとしてのスキーを進歩させた。


 その後テレマークスキーから歩行に特化したクロスカントリースキー、跳躍に特化したスキージャンプは両者をあわせてノルディックスキーと呼ばれ、現在まで高い人気を得ることとなる。


 また20世紀に入るとより急峻なアルプス山脈では滑降が人気のレジャーとなり、踵まで固定したアルペンスキーが発明される。これは現在のアルペン競技へと発展し、日本のスキー場でも主にこのアルペンスキーが愛用されている。


 さて、この都においてもスキーの発展は必然的なものだが、競技の内容も雪上マラソンとクロスカントリースキーに近い。


 コウジも家族や友人と那須高原のスキー場には何度か行っているが、クロスカントリーの経験は無く、生で競技を見たことも無い。


 この厳寒の都が、どんな熱気に包まれるのだろう? スポーツオタの血がうずくのを感じながら、コウジたちは広場を通り過ぎた。


 礼拝堂や1000年以上前の城壁を見物し、途中都で一番と人気のカフェに連れられる。


 この国では熱帯から取り寄せるコーヒーをたしなむのが日常のようで、客たちはブラックコーヒーと甘い菓子を交えて世間話に興じている。


「ここの店主はコーヒー卸売りの商人と親しいようで、いつも最高級の豆を提供してくれるそうです」


「コーヒーだけではないです、お菓子も美味しいのですよ」


 外交官親子も絶賛するそのカフェはなるほど、コーヒーもベリィジャムのケーキも絶品だった。


「ニケ王国ではこんなジャムは食べられませんでした」


 甘酸っぱいジャムとコーヒーの苦みが見事にマッチする。この珍しくも上品な味は、東京の名店でもなかなか味わえないだろう。


「この国では様々な種類のベリィが採れます。夏の間に実を集めてジャムを作り、冬の保存食にしてきました。ジャムは私たちにとって命をつなぐ大切な食材なのです」


 寒い国では衣食住すべてに生活の知恵が発揮されているな。それがやがて広がって文明を、世界を発展させてゆく。


 外交官の話を聞くコウジのすぐ隣で、ナコマが小さく「くぅー」と唸っている。甘い物に目が無い彼女は既にノックアウトされていた。


 そんな時、横からヴィクトルとアンがコウジの前に菓子の盛られた皿をすっと出す。


「コウジ様、こちらも美味しいですよ」


 双子が勧めるのは黒色の不思議なお菓子だった。楕円形のグミのような見た目だが、原料は何かまるで分らない。感触も柔らかいようだ。


 妙な艶もあるが……きっと甘い飴のようなものだろう。コウジはそう軽く考えて「ありがとう、いただきます」と言ってひとつつまみ上げると、躊躇なく口に放り込んだ。


 途端、胃の中の物が全て逆流しそうな衝動に駆られ、コウジは両手で口を押さえた。


 何だコレ、喉が焼けるほど甘いしその甘みが舌や口の壁に貼り付いてくどい、おまけに……めっちゃ臭い!


「げ、げ、ゲロ甘!」


 吐き出すのを堪えて何とか胃の中に押し込む。


 わあ美味しい、という反応を期待していたのか、双子は唖然とした顔で固まっていた。


「な、何ですかこれは?」


 息も絶え絶えのコウジが必死に尋ねると、外交官は悪戯っぽく笑いながら答えた。


「リコリス菓子です、甘草から作るのですよ。この国では皆小さい頃からこれを食べて育つのですよ。最も……他国の方の口には滅多に合わないのですがね」


 寒い国の生活の知恵もこういう現地にのみ適応したものはあまり大々的に広がらないでほしい。コウジは密かに思った。

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