第4部 クイーン・オブ・スキー

白銀の王国 その1

 外に広がる一面の銀世界に、コウジとナコマは言葉を漏らすのも忘れて窓に貼り付いた。


 二人を乗せた馬車が除雪された峠道を越えると、針葉樹の森を抜けて視界が開ける。


 まるで山の中腹までが水没したようなフィヨルドの風景。過ぎ去る大自然の造形に見とれながら、馬車はなだらかに連なる尾根を進んで行く。


 複雑に入り組んだフィヨルドの港湾の最奥、山と海とに囲まれた平地にヘスティ王国の首都ホルコーレンは置かれている。


 この地域は古来よりニケ王国とも行き来が比較的容易だったこともあって、文化的に大きな違いは無い。


 しかし大陸南端に位置する高緯度のこの国は年間を通して冷涼で、偏西風の影響も受けて1年を通して降水も多い。冬場は雪に閉ざされ、交通が遮断されることもしばしばだ。


 幸運にも予定通り首都に到着したコウジたちは、雪に覆われたレンガ造りの街並みを楽しむのも大概に王城へと通される。


「よくぞ来られました」


 きらびやかな謁見の間に通されたコウジはヘスティ国王ヤーネホーン陛下から歓迎を受ける。


「コウジ君のことはビキラ陛下よりお聞きしている。この世界に来られてまだ1年も立っていないのに、多くの方をスポーツによって突き動かしたみたいではないか」


 白い肌から生えた銀白色の髭を揺らしながら威厳を込めて話す王に、コウジは頭を下げていた。


「我が国にもスポーツ文化を定着してもらえるよう期待している。ヘスティ王国とニケ王国の友好を祈ろう」


 国王陛下の言葉が終わると同時に控えていた弦楽団が演奏を始め、周囲の衛兵や貴族たちが一斉に国家を合唱する。


 重厚ながらも未来への明るさを感じさせる曲調だ。この地で厳冬を乗り越えてきた祖先の魂が音色の一つ一つに込められているようにコウジは感じた。




 高緯度のこの国は冬場は日没が早く夜が長い。城を出た頃には街は夕闇に包まれ、純白の雪も青みがかかって見えた。


 その後、コウジはブローテン外交官とも再会し、夕食にと彼の屋敷に招かれる。王城からほど近い高官の家の建ち並ぶエリア、その中でも広い庭と合掌造りのような巨大な屋根を備える豪邸だ。


「コウジ様、お久しぶりです!」


 玄関をくぐるなり双子のヴィクトルとアンがコウジに駆け寄る。


「久しぶり! ヴィクトルはお父さんに似て男前に、アンはさらに可愛くなったね!」


 わしわしと二人の頭を撫でる。


 ふと伯爵領のアレクサンドルの姿がコウジの脳裏を過る。


 この子たちともあまり年齢は離れていないあの子も、見ない間に随分大きくなったそうだ。格闘技にも精を出していると聞いているし、どれほど逞しくなっているのだろうか。


「コウジ様、よくおいでくださいました」


 外交官夫人イリーナさんの声に引き戻され、すぐさま食堂へと招かれる。


 雪積もる外とは打って変わってじわりと汗も浮かびそうな室内に、コウジとナコマは外套を脱いだ。


 まるで床そのものから熱が昇ってくるようだ。オンドルのように床下から暖める構造が組み込まれているのだろう。


「コウジ殿、長旅でお疲れでしたでしょう」


「いえ、途中の風景が美しくて疲れも感じませんでしたよ」


 机一杯に並べられた豪勢な料理を前にブローテン外交官と酒の入った杯を打ち合う。一切の濁りも無いウォッカだ。呑み込んだ瞬間、コウジの喉奥がまるで炎が通ったように熱くなった。


 さすがは海に面した雪国、自慢の海産物をふんだんに使った料理で埋め尽くされている。サーモンの燻製、ニシンの酢漬け、エビの姿焼きと、日本人のコウジは懐かしい味覚を大いに楽しんだ。


 普段自分の料理ばかり食べているナコマも今日ばかりは他人の作った料理に舌鼓を打つ。やはり猫は魚が好きなのか、白身魚のソテーをかぶりつきそうな勢いで食べている。


「この国の沖合は暖流が通っております。そのため冬の冷え込みの割りに海は凍り付くことなく、一年中海の恵みにありつけます。どうぞ心ゆくまでお召し上がりください」


「ありがとうございます!」


 外交官の言葉にナコマは頷きながら二尾目の白身魚を完食した。その食べっぷりにイリーナ夫人も呆れながらもにこやかな顔を向ける。


「明日は私も休みですので、家族を連れてこの街をご案内しましょう。明日のためにも今日はゆっくりとお休みください」


「それではお父様、アンはスケートに行きたいです!」


「コウジ様を湖にお連れしてもよろしいですか?」


 ジャガイモのスープをすくっていた子供たちが目を輝かせる。


 外交官は優しく微笑むと二人の頭をそっと撫でた。


「ああ、もちろんだとも。お前たちの滑る姿をコウジ様にも見せて上げなさい」


 食後、外交官とコウジは書斎で酒を片手に語り合う。私的な話ももちろんだが、やはりここで大切なのは仕事の話だ。


「コウジ殿、ここではどう過ごされるおつもりで?」


 穏やかな雰囲気をまといながらも食事中とはやや異なり、ブローテン外交官の問いかけも鋭さを感じさせる。


「ビキラ国王陛下の要望に応えるため、この国にも競技会のためのスポーツを広げようと」


 直接には公式にも伝えていない内容だ。誰も聞き耳を立てていないと安心して、コウジは言い放った。


 ちなみにナコマは今応接室で子供たちと一緒にボードゲームで戯れている。


 外交官がにやりと笑みを浮かべると、書棚からいくつか本を取り出し、すっとコウジに突き出した。


「これは……」


 コウジの胸が高鳴った。


 サッカーにベースボール、バドミントンにペタンク。すべて自分の書いたルールブックだ。


「この国にもコウジ殿の競技は伝わりつつあります。今は冬なので難しいですが、雪が融ければ街はきっと新たなスポーツを楽しむ民で賑わうでしょう」


 コウジがその内の一冊を手に取りパラパラとめくる。絵や内容は一部改められているものの、活版印刷で刷られた自分の著作物を見るのは原稿を仕上げた直後とも感慨がまるで違う。


 ニケ王国でコウジが著したルールブックは印刷され、学校や貴族を中心に指導者に向けて配布された。その後は一般向けにも販売され、活動的な若者を中心に購読者も増えつつあった。


 仕事に打ち込んで王都の外に出られないコウジも周辺の領地や隣国でも出版されたとだけは聞いており、知った時には大変に喜んだ。


 だが実際に他国で刷られた本を手に取ると、じーんと何かがこみ上げてくる。重みと言うか温かさと言うか、生の実感という耳だけではとても感じられない何かが。


 国王陛下の目指す大陸全土を巻き込んだ競技会。その開催には各国で共通したルールを守り、その国の代表選手を育てる必要がある。


 その足掛かりとしてまずはヘスティ王国へとコウジは訪れたが、親しくなったブローテン外交官の力添えもあって既に地盤は固められていたようだ。


「さあコウジ殿、我々も準備はできています。国王陛下の意思に応えるべく、ともにスポーツの普及に乗り出しましょう」


 外交官の熱の込もった声に、コウジは「ええ!」と威勢よく答えた。

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