かつてない競技会を その1

 プロスポーツ創設のためにブッカーたちが日夜走り回る一方で、コウジも業務に追われていた。


 翌月に控えた王都での競技大会。改修されたばかりの王立競技場のお披露目も兼ねたこの大会は、周辺の領地からサッカーやベースボール、テニスなど複数の競技の代表選手が集まる大規模なものだ。


 だがコウジの仕事は随分と楽になった。それもこれも、ディグニティ・ユニオンで知り合った心強い仲間に仕事を任せることができたからだ。


 選手の宿泊施設の確保に関してはホテルや宿の経営者に話を通し、観戦チケットの発行については印刷所の経営者に、そしてその価格については経済学者の助言を得ることができた。


 彼らの助けもあってコウジの仕事は随分と捗った。しかも彼らはその道の専門家ばかりだ、ひとりでは思いもつかないアイデアを出してくれるおかげでコウジの仕事自体もより行き届いたものへと磨かれていた。


「コウジ殿、最近楽しそうですね」


 昼休み、バドミントンで汗を流した後にブローテン外交官に話しかけられる。いつの間に伝わったのか、最近はペタンクも王城の老貴族の間でブームになっている。


「ええ、競技会ももうすぐかと思うとわくわくしてしまって。もう私が口出しする時期は過ぎましたので、あとはスタッフに任せて見守るだけです」


「ほっほっほ、それはいい。忙しかった時期の疲れを取ると良いでしょう」


 そこで外交官は思い出したように尋ねる。


「ブッカーから聞いております、プロスポーツの準備も着々と進みつつあると。どうです魔女様は?」


「ええ、お元気ですよ」


 あの後、魔女とベイルは王都に家を借りて住むこととなった。


 王都を活動拠点とするブッカーが家を用意したのだが、今後プロリーグが本格始動すれば王都の借家と伯爵領の家とを行き来しながら生活するつもりらしい。


 魔女も試合のある時期は演出担当としてふたりいっしょにいるようだ。ベイルが一人で家を借りるという話も出てはいたものの、結局この形に落ち着いたのが彼ららしい。


「ところでコウジ殿」


 ふたり並んで座りながら中庭でペタンクやバドミントンに興じる宮廷貴族たちを眺めていると、ふと外交官が切り出した。


「次の競技会ですが、実はうちの妻と子供たちもヘスティ国から見物に訪れるのですよ。ここには一か月ほど滞在するようですが、どうです、お暇でしたら休みの日にでもご一緒に行楽に行きませんか?」


「よろしいのですか?」


 日々の疲れに黒ずんでいたコウジの顔も明るくなる。


 休日はどうもぐうたらして過ごしてばかりで、たまには変わったことをやってみたかったところだ。


 それに使用人のナコマも遊びたい盛り。いつも世話を焼いてくれる彼女にもリフレッシュの時間を作ってあげたい。


「もちろんですとも。マレビトの友達がいるぞと手紙で教えたら、子供たちが会いたいと駄々をこねているようで」




 休日、コウジとナコマ、それにブローテン外交官一家は王都から少し離れた湖を訪れた。


 王都から馬車を駆ってたどり着いた湖はなだらかな山を背に、広大な草原の中に突如出現する。周囲の山から流れ出た水が集まって形成されたそうで、透明度の高い美しい湖水が魅力だ。


 同行した外交官夫人のイリーナさんはそれは美しい人だった。白い肌に鮮やかな金髪碧眼。外交官と並べばおとぎ話の王様とお妃様のようだ。


 そしてその子供、双子の息子ヴィクトルと娘アンも金髪と青い瞳を譲り受けている。まだ年齢は8歳ほどだが、将来はきっと両親に似た美男美女に育つだろう。


 さざ波打つ湖畔にはリゾート客向けのカフェやレストラン、ボートハウスが数軒建ち並び、行楽客に安らぎを提供している。


 そんなのどかな風景の中、水をはねている子供たちに混じって一際騒がしくはしゃいでいる者がいた。


「あー、やったな! 喰らえ、ビッグウェーブ砲!」


 水着姿のマトカが湖に足を付けて外交官の子供たちと水の掛け合いっこを楽しんでいた。


 どこで聞きつけたのか、コウジ達が湖に行くと聞いて何の遠慮も躊躇も無くひっついてきたのだ。さらに彼女だけではない。


「ベイルー、せっかくじゃしこれ買っても良かろう?」


「ダメです、王都は物価も高いのにそんな簡単に買い食いをしてはいけません」


 湖に突き出した桟橋の屋台の前では、魔女とベイルも湖を満喫している。当然彼らも水着姿だ。


 しかし水着と言っても露出の目立つそれではなく、肘と膝まですっぽりと覆うような形状のものだ。


 さらに質感もぶかぶかとしたもので、腰から下もスカートのようになっていたりと一見すると普段着と大きな違いは無い。


 そんな仲間たちの姿を見ながらカフェの軒先のロッキングチェアに深く座り込みながらコウジは苦笑いしていた。


 のんびりと非日常を体験できると思っていたのに、結局いつもの賑やかな雰囲気に侵食されちゃったな。まあ、それでもいっか。


「晴れ渡る空の気持ち良い、絶好の水浴び日和ですな」


 外交官とイレーヌ夫人がコウジのすぐ傍で並んで紅茶を飲んでいる。彼らの水着は装飾に富み、映画のワンシーンのようにも思えた。


「コウジ様、お茶はいかがです?」


 ナコマがそっとコウジに温かい紅茶のカップを差し出す。黄色地に小さな花が描かれた柄の水着はナコマの活発さを引き立てていた。


 コウジは「ありがとう」と受け取るも、気になっていることを尋ねる。


「ところでナコマは遊ばないの?」


「どうも水には昔から苦手意識がありまして……」


 あ、そういえばこの娘は猫の獣人だった。


 すっかり忘れていた事実に納得しながら、コウジはお茶をすすった。 


「ねえマトカ姉ちゃん、もっと深いトコまで泳ごうよ!」


 完全に打ち解けた外交官の子供たちは、水に足をつけたままマトカの手をぐいぐいと引っ張る。


「いいわよ、じゃあ先にあの岩にタッチした方が勝ちね!」


 湖の底から突き出た巨岩でもあるのだろうか、20メートルほど離れた水面に丸みを帯びた岩の先端が顔を出していた。


「危ないことはするなよー」


 外交官が声をかけ、子供たちが「はーい」と素直に返事する。だが次の瞬間には彼方の岩を見据えて背中を


「それじゃいくわよ。よーい、スタート!」


 マトカの掛け声とともに子供たちは勢い良く飛び込んだ。続いてマトカも飛び込み、一際大きな水しぶきを上げる。


 この世界ではまだスポーツとしての競泳は生まれていないが、娯楽として水泳は親しまれているらしい。


 泳ぎ方も各人の自由なので、平泳ぎのように腕を回しながらゆっくり泳ぐ者、犬かきのように顔を水に付けず泳ぎ続ける者、がむしゃらに手足をばたつかせて派手に飛沫を上げる者など様々だ。


 競泳が生まれたのは19世紀の前半、生きる術としての水泳がレクリエーションとして享受される中で、賭け事などをきっかけに泳ぎのスピードを競うスポーツへと発展したと言われている。そして速さを求めた末に南米原住民の泳法からクロールが考案されるなど、さらなる発展を遂げていった。


 外交官の子供たちは二人とも幼いながらもしっかりと泳げている。ブローテン外交官の故郷ヘスティ王国は美しいフィヨルドが自慢のようだが、もしかしたら短い夏の間にその水面を泳ぐのが人々の楽しみなのかもしれない。


 怪我が心配だが、まあ、あのスポーツ万能娘がついているなら大丈夫だろう。


 そうだ、競泳もルールブックにまとめよう。そのためには競技用のプールも必要だな、建築家のドゥイエ子爵に相談してみようか。


 つい仕事のことを考えながら、コウジは残っていたお茶に口をつけた。


「あれ、マトカさんどうされたのでしょう?」


 ナコマの声に反応し、コウジもふと水面に目を移す。


 岩を目指して泳ぐ子供たちのはるか後方、そこで大きな水しぶきがばしゃばしゃと上がっていた。


 マトカだ。あのマトカが水の中でもがいているのだ。


「お、溺れてる!」


 コウジは椅子から跳び上がった。外交官夫婦も飲んでいた紅茶のカップを叩き付け、だっと駆け出す。


 たちまち辺りは騒然となった。婦人が慌てふためき、湖畔の男たちが浅瀬から水を蹴り分けて走る。


 だがそんな誰よりも早く、水に飛び込んだ者がいた。


「とう!」


 魔女カイエだった。湖面の桟橋からだっと駆け出すと、両手を伸ばし頭、正確には指先から水面にその小さな身体を飛び込ませたのだ。


 その入水は水の抵抗を受けないスムーズなもので飛沫も大きくは立たない。


 そして肝心の泳法も平泳ぎに近い無駄のないもので、のびのびとしたストロークながら一回で進む距離が大きく下手な人のクロールよりも断然速かった。


 ついにもがけるだけの意識も失ったのか、マトカはぐったりとしたまま動かない。そんな彼女の腕をつかみ、マトカの顔を肩に乗せる魔女。


「ベイル!」


「はい、ここに!」


 魔女の声と同時に、桟橋の上のベイルが屋台にかけられていた紐付きの浮き輪を放り投げる。見事魔女のすぐ近くに着水したそれを魔女はすぐさまつかんだ。


 あとはベイルが持ち前の怪力でぐっと引っ張る。魔女と気を失ったマトカはあっという間に桟橋へと引き寄せられ、駆けつけたコウジ達の手で陸に上げられた。


 仰向けにしたマトカの胸をナコマがぐっと両手で圧迫する。口からごばっと水が吐き出され、咳き込みながらマトカは意識を取り戻したマトカ。


「ぜはー、ぜはー……あ、ありがとう。死んだお母さんがお花畑の向こうから手を振っているのが見えたわ」


 その顔からは血の気が引き真っ白で、唇は青く染まっていた。


「よ、よかったー」


 力が抜けてコウジはへなへなと座り込んだ。


 泳ぐのに夢中で気が付かなかったのか、既に岩までたどり着いている子供たちは何が起こったのかぽかんと口を開けたままこちらを眺めていた。


「みんなフツーに泳いでるから私もできるかなって思ったけど……水の中ってこんなにも違うのね」


 まさかマトカがカナヅチだったなんて。本人も今まで水泳の経験がほぼ無かったからか、気付かなかったようだ。


「本当、魔女様には感謝感謝だよ」


 コウジは魔女に頭を下げる。


「礼には及ばん」


 魔女は濡れた髪をぎゅっと絞りながら淡々と答えた。


 意外だが、魔女は水泳に才能があるようだ。以前サッカーをして散々だったように、スポーツに関しては人並み以下だと思っていたのをコウジは心の中で謝罪した。


「じゃがもうすぐ夏が終わってしまうの。来年までお預けじゃ」

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