プロスポーツの夜明け その3
場面を戻して昼下がりのケーキ店。
魔女カイエと実業家ブッカーはじっと目と目を合わせている。机に置かれたケーキのことなどすっかり眼中に無く、互いに腹の内を探り合っていた。
「お主の言うスポーツビジネスとはどのようなものじゃ? わらわとて誇り高き魔族じゃ、内容次第で受けもするし断りもする」
魔女カイエが問い詰めるとブッカーは崩れぬスマイルのまま高らかに話し始めた。
「ええ、スポーツが人々を高揚させ、同時に安らぎを与えることは魔女様もご存知でしょう。物質的には満ち足りつつある昨今、これから必要なのは物質的満足ではない、心の満足なのです。日々の仕事に追われ、たまの祭祀や競技会だけでは満足できない、そんな市民も多いのではないでしょうか」
「御託はよい、さっさと述べよ」
「それでは端的に。私たちはスポーツを純粋なエンタテイメントとして観客を魅了させる、そんなプロフェッショナルスポーツのシステムを構築したいと考えているのです」
魔女はじっとブッカーの目に視線を向けたままだった。その反応を見ながらブッカーは続ける。
「つまりはサッカーやベースボールなど、恒常的に試合を行って観客を呼び、そこで集めたお金を元に事業を行おうというのです。魔族の皆様にも演出担当として雇用機会が生まれます」
聞きながら魔女は目を動かさずに残ったケーキを口に放り込んだ。
「それでわらわにも協力を仰ぎたいと?」
ケーキを平らげ紅茶を飲みながら魔女は尋ねた。
「はい、魔女カイエ様の人脈ならば優秀な魔術師を集めることも可能でしょう」
磁器のカップも空っぽになり、ふうと小さな息を吐く魔女。その表情は軽く笑っていた。
「なかなかにおもしろいな。して、わらわ以外の者はどうなっておる? このような裏方にまで話が回ってくるのじゃから、もちろん相当進んでおるじゃろう。例えば選手、サッカーでもベースボールでも複数のチームを作るとなれば相当な数が必要になると思うが?」
見た目は子供ながらさすがは200年を生きる魔女、鋭いところを突いてくるものだ。
「そこはご安心を。既に仲間の実業家たちが王都だけでなく各領地から優秀な選手を募っております。ほら、こちらにも」
ブッカーが店の入り口にすっと手を向けると、行列を掻き分けてずんずんと小さな影が現れる。
額に一本の角を生やしたそのシルエット。見た瞬間にコウジとナコマはあっと声を漏らした。
「おっひさー! 元気だったー?」
マトカだった。マラカナ村に住むスポーツ万能の鬼族の少女だ。
この世に何の悩みも無いように奔放に振る舞うマトカは、早速コウジとナコマ、それに魔女カイエと続いて強く握手をして再会を喜んでいた。
「こちらのマトカさんは天性のスポーツ選手です。是非ともこの才能を如何なく発揮させたい。お父様からもお手紙をいただいております」
ブッカーは懐から手紙を取り出し、ばらっと広げる。確かにあのおじさんのサインが書かれ、マトカをプロスポーツ選手の候補として身元を預けるよう書かれていた。
あのおっさん何してんだよ、ちったあ怪しがれよ。そう思ったものの、行き倒れのコウジを見返り無しに家に運び込むような人であることを考えると、まあ納得してしまう。
「えへへ、美味しい話があるからってついてきちゃった」
誘拐犯みたいな手口だな。この娘のガードの緩さはどうにかした方が良いのではないか?
お気楽な父娘にコウジは別の意味で不安を感じていた。
「お主も相変わらずじゃの」
ずっと難しい顔をしていた魔女カイエも思わぬ再会に表情が緩む。
「選手の皆さんの生活は我々実業家たちが保障します。そのための運営規約も皆で話し合って決めているのです、ですから魔女様」
ブッカーは机に両手を着き、改めて魔女に向かい合うと深々と頭を下げた。
「是非ともご協力ください!」
頭を下げたままじっと動かないブッカー。魔女はその姿をしばらく見つめていた。周囲の客も何事かとざわついている。
やがて魔女カイエはふふんと笑ったかと思うと、ポットから二杯目のお茶を注いだのだった。
「ふむ、乗ってやらなくもない。ではこれからはビジネスの話じゃ、具体的に聞こうか」
「ありがとうございます! では近くに事務所がありますので、より詳しいお話はそちらで」
魔女は頷くと席を立った。コウジ達も後に続き、場をブッカーの事務所へと移す。
さすがは画家、事務所にはスペースがあれば絵画や彫刻が飾られ、そのいずれもが単に風景や静物を写し取ったものではなく独自の色彩や造形で見る者を飽きさせない工夫がなされていた。
応接室へと通されたコウジは、魔女とブッカーの話し合いを見守った。
選手や演出のスタッフの待遇は具体的にどのようなものか、経営が赤字の場合はどうするのか。その他思いつく限りの質問を魔女はぶつけるも、ブッカーは書類を提示しながらひとつひとつの質問に丁寧に回答した。
さすがは経営のプロたちが結集して作り上げたビジネスモデル、コウジも考えの及ばなかった部分までしっかりと詰められている。
「ほう、随分と緻密な計画を立てているようじゃのう」
経営計画の隙の無さには魔女カイエも唸らざるを得ない。
「皆実現に向けて前向きです。今はまだ王都の近辺のみですが、やがては大陸全土を想定したプロスポーツの創設も視野に入れております」
「ふむ、わらわも反論ができぬ。これならば選手もそれ以外の関係者も、当面の生活には困らぬだろう」
魔女は机の上に置かれた紅茶のカップに口を付けた。
商談成立の瞬間だ。コウジもナコマと小さくガッツポーズした。
「して、いつまでそこに隠れておるつもりじゃ。もう出てきても良かろう」
魔女が応接室のドアに向かって呼びかける。
直後、ゆっくりとドアが開かれ、巨大な影がのそのそと室内に現れた。
ベイルだった。魔女の従者ベイルが巨体を小さくさせながら申し訳ないように部屋に入ってきたのだ。
「魔女様……」
「お主も随分と回りくどい手を好むのじゃな。してベイル、わらわの従者としての勤め、どうするかな?」
魔女はカップを机に置いた。その顔にはもう怒りなど残っていない、まるで慈愛に満ちた母親のようだった。
「魔女様、私は……」
ベイルは今にも泣き出しそうな顔のまま、床に伏せた。そして床に頭をこすりつけながら懇願するのだった。
「魔女様、どうかお願いします! 私はベースボールの選手として生きていこうと思います! 御恩は一生忘れません、どうか……」
「お主、勘違いしていおらぬか?」
魔女の鋭い声にベイルは黙り込む。床からちらりと眼だけを向けながら覗いた魔女の顔は至極穏やかで、上品に紅茶をすすっていたのだった。
「ベースボールのプロリーグ開催は一年でも半年ほどじゃ。オフの間にでもわらわの下に戻ってくればよかろう」
魔女はにこりと従者に微笑みを向けた。
「魔女様、それでは!」
コウジも喜びのあまりつい立ち上がる。
「ああ、わらわも安心じゃ。気にせず勝負に出ろ」
「あ、ありがとうございます!」
ベイルは何度も何度も床に頭を叩きつけ、ついにブッカーから制止されたのだった。
そんな従者を見ながら魔女はまたしても微笑むのだった。
「ベイル、お主も大人の男になったな」
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