プロスポーツの夜明け その2

 次の休日のよく晴れた昼過ぎ。コウジとナコマ、そして魔女カイエの三人はケーキ屋に来ていた。


 以前マトカ達と訪れたあの人気店だ。今日もとっかえひっかえ客が出入りしていた。


「どうしたんじゃ、お主からこんな所に行こうというのは珍しいの」


 さすがの魔女も絶品のケーキを目の前にしては上機嫌だ。


「実は新商品のケーキを魔女様に是非召し上がっていただきたいという方がおられまして」


「はて、そんな知り合いはいたかのぅ?」


 今日発売されたばかりのチョコレートケーキを咀嚼しながら魔女は首を傾げた。


 そんな一行に一人の男が近付く。


「魔女カイエ様ですか?」


 男はうやうやしく魔女に一礼する。そして自身のもじゃもじゃの髪の毛を振り払った。


「初めまして、私はこの店のオーナーのブッカーです」


 あのブッカーだ。ディグニティ・ユニオンの一員にしてブローデン外交官の気の置けない友人。


 彼の本業は画家だが、その家系は代々商人であり実業家としても活躍していた。このことはコウジもつい先日教えてもらったばかりで大層驚いた。


 彼が絵描きとしては赤字続きなのに立派なアトリエまで構えて活動を続けられるのはこの家業のおかげだった。他にも複数のケーキ屋やカフェ、レストランなどを所有しているらしい。


「どちら様じゃ?」


 魔女カイエが訝し気に尋ねるも、ブッカーはコウジに見せたことの無いスマイルで対応する。


「コウジ殿とはお仕事の関係で知り合いましてね、いやあ魔女様のお話は常々お聞きしております。公爵領で開かれたサッカー競技会の際には数多の魔族を率いて素晴らしいパフォーマンスをしたと」


「いやあそれほどでも」


 機嫌を良くする魔女にブッカーは笑顔を貼り付けたままその目を光らせた。


「そこでですがね、実は我々もこの王都にて新たなスポーツビジネスを考案しておりまして、魔女様にもお力添えをお願いしたく今日ここにお呼びしました次第でございます」


 魔女もでれでれと崩した顔を元に戻し、すぐさまコウジを睨みつけた。


「お主、謀りおったか」


 こうでもしないと話を聞いてくださらないからね。コウジはナコマと顔を合わせ、にやりと微笑んだ。




 実はこの数日前、コウジとブッカーはベイルたちと出会っていたのだった。


「この方がブッカーさん、画家で実業家なんだ」


 以前、獣人のアロチャップが教えてくれた例の居酒屋。そこに集まったベイルとユキ、アロチャップらベースボール選手たちを前にコウジとブッカーが向かい合う。


「君がベイル君……本当に優れた体格をしている。絵のモデルに呼びたいくらいだよ」


 ブッカーはベイルをしげしげと眺めながらぼそっと言い放つ。


「あ、ありがとうございます」


 ベイルはその巨体をもじもじさせていた。普段体格のことを驚かれることはあっても、褒められることは滅多に無いようだ。


「話はあらかた聞いている。魔女の主に反対されてベースボールに打ち込めないと」


「はい、そうなのですが……」


「ですが?」


 ベイルは唾を飲み込む。そしてゆっくりと口を開いた。


「あれから色々と考えましたが、私はやはり魔女様の従者です。主の意向に逆らうのは従者として失格、謝罪して伯爵領に帰ろうと思います」


 ユキもアロチャップも何も言わない。既に何度も説得を試みたのだろう。


「それはおかしいな。君は従者とは言っても奴隷ではない、辞めようと思えば辞められるのだぞ」


「申し訳ありませんが、辞めるという選択肢は存在しません。私はこの命尽きるまであの方の従者なのです」


 ブッカーの問いかけにもベイルは首を縦に振らなかった。


 実業家は青髭の生えた顎をさするとしばし考え込む。そして不意にこう尋ねたのだった。


「君ほどの男がそこまであの方を想うのだから、よほどの理由があるのだろう。良ければ話してはくれないか?」


 ベイルは黙り込んだ。数秒の後、ぽつぽつと話し始める。


「実は私は……50年前、あの方に救われたおかげで今日まで生きてこられたのです」


 誰もベイルの語りに言葉を挟まなかった。その机に座っていた全員が耳を傾けて聞き入っていた。


「私の生まれはここからそう離れていないカルゲロア男爵領の港町でした。ですが当時は治安も悪く、町には仕事にあぶれたゴロツキがうようよいたものです」


 ベイルの目は机に並べられた食事に向けられていた。当時の凄惨な状況から必死で目を反らすように。


「私はある貧しい家庭に生まれましたが、幼い頃から身体が大きく家族からはとにかく疎まれ続けました。ついには家を追い出され、仲間と盗みを繰り返して食いつないでいたのです」


 温厚なベイルさんにもそんな時期が。コウジはにわかには信じられなかったが、この語り口は実際にその日々を通ってきた者にしか紡ぎだせない。


「ある日、男が話しかけてきて金をやるから馬車を襲えと言われたのです。食べ物にも困っていた私は同年代の仲間といっしょに教えられた場所を通りがかった馬車を襲いました。ですがそれはカルゲロア男爵、領主の馬車だったのです」


 ベイルの握り拳に力が入り、わなわなと震える。


「後で知った話ですが、男は領主を打ち滅ぼそうとするレジスタンスの一員で、私たちのような無知な子供を使ってその計画を実行しようとしていたそうです。ですが領主の馬車に同乗していた用心棒によって襲撃は失敗に終わりました。その用心棒こそが魔女カイエ様だったのです」


 あの魔女様が用心棒を。コウジはその姿が想像できなかった。


 いつも軽口を叩いて過去のことはうやむやにされてしまうので、魔女カイエの実際の経歴についてはほとんど知らされていなかった。


「捕らえられた私たちは見せしめとして即日処刑されることになりました。男爵は強権的で判事も役人も自分のイエスマンばかりで固めていました。そして処刑の直前、私たちを助けてくださったのが魔女カイエ様だったのです」


「なぜ?」


 ブッカーが間髪入れず尋ねる。


「その真意は今でも教えてくださいません。ただあの時、将来ある子供たちにこのようなむごい仕打ちなどさせるべきでない、と領主様を説得しておられたのは覚えています。ともかくも、魔女様は私たちの身元を買い取る形で着の身着のまま領地を追い出されたのです。私と、仲間5人を連れて」


「カルゲロア男爵領……そうだ思い出した。確か50年ほど前、クーデターで領主が側近に殺害されていたな。その後ごたごたの末に王家の直轄領に組み込まれたはずだが」


「まさにその通りです。その後私たちは魔女様に仕えながら各地を転々とし、最後はコッホ伯爵領に落ち着きました。それまでに人間や鬼族の仲間たちは皆家庭を持ったりして魔女様の下を離れ、今では長命の私だけが残ってしまいました」


 ベイルがここまで話し終えた時には全員が静まり返っていた。そして巨人は机の上の杯を手に取ると、少しだけビールを飲んだ。


 そして口の周りに白い泡を残し、諦観の顔で話し続けたのだった。


「魔女様は我が主であるとともに母親であり父親であり、ただ一人の大切な人なのです。あのお方の傍に仕えることが私の最高の喜び、そのためには好きなことも我慢できます」


「ベイルさん、それは違うよ!」


 割って入ったのはコウジだった。立ち上がり、鋭い声を居酒屋に響かせたので他のテーブルの客も視線を移した。


「魔女様は決してあなたに自分の下を離れてほしくないだけなんじゃない。それは親心なんだ! じゃなければ将来のある子供たちなんて言葉、出てくるはずがない!」


 ぽかんとする一同を前にコウジはベイルを叱りつける。その剣幕にはユキもアロチャップもが茫然としていた。


「魔女様がベイルさんを送り出せないのはベイルさんのことが心配だからなんだ。ベースボールに専念してもお金は稼げない、かといって片手間にやれるような仕事で生活していくのは難しい。きっと魔女様はそのことが気になって反対していたんだよ」


 ただ一人ビールを片手に耳だけを向けていたベイル。だが彼はゆっくりと首を横に振る。


「コウジさん、ありがとうございます。ですがだからこそ無理なのです」


 ビールの残った杯を机に置き、改めてコウジを見つめ返すベイル。その目にはうっすらと涙さえも浮かんでいた。


「ベースボールで夢を見た私が愚かだったのです。まだ後援する商会もろくに決まっていないのに浮かれてしまって……」


「その話、乗った!」


 先ほどのコウジ以上に通る男の声。突然のことにコウジもすくみ上ってしまった。


「ブッカーさん?」


 声の主はブッカーだった。机に座ったまま人差し指をベイルに向け、にたにたと笑っている。


「ふふふ、私にも実業家同士のコネというものがあってね。しかも彼らは今スポーツビジネスに大変興味を示している」


 ディグニティ・ユニオンのメンバーのことだ。先日の会合でコウジがプロスポーツというものを伝えた後、彼らは早速ビジネスの手段を話し合い始めた。まだ草案の段階だが、もうしばらくすれば優れたビジネスモデルを提案してくれることだろう。


「以前コウジ君から聞いた。マレビトの世界ではプロスポーツというものがあると。この世界でもそのビジネスモデルを取り入れ、賭博とも全く違う、純粋な興行としてのプロスポーツ文化を根付かせようではないか!」


「ほ、本当ですか?」


 アロチャップが身を乗り出した。ベースボール選手たちのリーダーとして、この提案に乗らないという選択肢は無い。


「私は嘘はつかない。クライアントとの信頼関係を何よりも大切にしている。スポーツで食べていける、そんな社会があってもいいじゃないか!」

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