魔女はスポーツがお好き その2
夕方、コウジとアレクサンドルが屋敷に帰ると使用人たちが慌ただしく行き来していた。
皆、目の色を変えて忙しく仕事に取りかかっている。いつもならこの時間には夕食の準備は終わっているはずなのに、使用人たちは厨房と食堂を何往復もしながら料理を運んでいた。
「あ、コウジ様お帰りなさい」
年長の使用人たちに混じってナコマもサラダの盛られたボウルを運んでいた。
「随分慌ただしいね。何かあったの?」
「はい、本日来られましたお客様がやれタマネギは嫌だの油っこい肉は嫌いだのとワガママを言うものですから、急いで作り直していたのです。まったく、厨房の料理人たちは爆発寸前でしたよ」
「ナコマ、無駄口叩いている暇あるなら準備しなさい!」
後ろを通りかかったメイド頭に叱りつけられ、「はい只今」と仕事に戻るナコマ。
客人といえば、たしか今日は隣村から魔女が来る日だった。昨日から空いていた客室の準備にと新品の布団や調度品を使用人が運んでいたのを覚えている。
200歳とかいう魔女だ。きっと童話に出てくるような皺くちゃの婆さんが歳のせいでわがままになって使用人たちに無茶言っているのだろう。
そうコウジが考えながら自室へ戻ろうと階段を昇っていると、上の階からどたどたと誰かが走り回る音が聞こえた。
バレンティナたち伯爵家の人間はもちろん、使用人たちも普段から音を立てないよう丁寧な歩き方を心がけているので、この屋敷でこんな音が鳴るのは珍しい。
「いやじゃいやじゃ、このお菓子はわらわのものじゃ!」
「そんなにお菓子ばっかり食べたら夕食が食べられなくなるでしょ! バレンティナ様が準備してくださったご馳走なのに、無作法は許しませんよ!」
はてどこかで聞いたことのある話し方だな。コウジは記憶を辿り階段で立ち止まる。声の主がどんどんと近づいていることも気付かずに。
「さあもうおやめください。そんな甘い物ばかり食べていては、肥満や虫歯の原因になります」
「虫歯が怖くてお菓子が食えるか、わらわは負けぬぞぉっと、ああ!」
突如、階段の上に黒い影が現れる。だがその人物は背中を向けており、足元の状態に気付かず後ずさりをしてしまったようで、そのまま足を踏み外してしまった。
「あああああああああああ!」
小さな黒い影が階段から転がり落ちた。そして階段の途中で立っていたコウジは避けることもできず、もろにその影とぶつかってもみくちゃになったのだった。
「「ぎゃあああああああああ!」」
哀れコウジは上から降ってきた黒い人影と一緒になって階段を転がり落ちてしまった。派手な物音が屋敷に響き渡る。
上から落ちてきた誰かのものだろう、分厚いマントのような生地のおかげで衝撃はだいぶ和らいだものの、全身を床に打ち付けられて散々な目に遭うコウジ。しかも床に背中をぶつけ、自分の腹の上に誰かが完全に乗っかってしまっているせいで痛すぎて声さえ出せない。
「いたたたたた……」
上に乗った人物がようやく頭を上げた。
黒いローブのような服だったのでよくわからなかったが、かなり小柄だ。女の子のようだが、ちょうどコウジのみぞおちに体重がかかっているのでその痛みは言葉でも表せられない。
「あわわわわわ、だ、大丈夫ですか!?」
どたどたと大きな足音が降りてくる。
プロバスケットボール選手でさえ子供に見えるほどの大男が、緑がかった顔を真っ白に染めて階段を駆け下りていた。
「申し訳ありませんでした! お怪我はありませんか?」
大男がコウジの上に乗っかった人物に片手を伸ばし、仔猫でも捕まえるかのように服の首根っこを掴むと、そのままひょいっと持ち上げてしまう。
重石がのいたことで満足に呼吸ができるようになったコウジは、意識を保つために肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「あ、お主は昼間の!」
服の襟をつかまれてぶらぶらと足を浮かせながら、階段から落ちてきたその人物がコウジを指差す。ぼやけた視界もようやくくっきりと映るようになり、コウジも「あ!」と声を上げて驚いた。
そこにいたのは昼間サッカーでボールをぶつけた生意気な女の子に、その従者の巨人族の青年だった。
「本当に、我が主がご迷惑おかけしました! ほら、謝りなさい!」
床に頭をこすり付けんばかりに腰を折って謝る巨人族の青年。その手は隣の小さな主の頭を鷲掴みにし、何度も何度も上下させているのだった。
「いだだ、やめろ、謝る前に死んでしまう!」
「あ、あの、もう結構ですよ。わざとじゃないただの事故なんで」
小さな女の子の痛々しい姿を見ていられるはずも無く、コウジは苦笑いで答えた。
「事故であっても! これは我が主が廊下を走って階段から落ちたのが原因なのです。お怪我が無かったとは言え、ただ謝るだけで許されるとは思っておりません」
そう言いながらさらに激しく手を振る。女の子も何度も頭を揺られて白目を向いている。僕よりもこっちの方が大変なんじゃないかな、コウジはそう思った。
やがて騒ぎを聞きつけた使用人たちが集まり、彼らに宥められて巨人族の青年はようやく落ち着きを取り戻した。
ぐったりとよだれを垂らして失神してしまった女の子は客室に運ばれ、コウジは着替えのためナコマとともに部屋に戻った。
「あの女の子が客人てことは……あの子が魔女?」
コウジはナコマにシャツのボタンをひとつずつ付けてもらいながら尋ねた。
「はい、隣村の魔女様です。あの方はいつも騒ぎを起こすのです」
呆れた様子でナコマが言う。珍しいことではないのだろう。そして気になることがもうひとつ。
「ねえ、本当にあの魔女様は……200年も生きているわけ?」
どうしても聞いておきたかった。80で死んでしまった祖父の2.5倍も生きているはずなのに、見た目も言動もまるで幼い少女のそれだ。10歳と言われても首を傾げるかもしれない。
「はい、私がここに来た時からあのご様子でした。聞けば伯爵が子供の頃もあのような方だったそうです」
そう話しながら、ナコマは無駄のない動きで伸ばしたコウジの腕に上着の袖を通した。
すっかり夕食用の服装に着替えて運動用の衣服をナコマがたたんでいると、コンコンと部屋のドアがノックされる。
コウジが「どうぞ」と返した後、ドアを開いたのは超巨大な影。例の魔女と従者の巨人だった。失神から目覚めたらしい。
ふたりとも先ほどの服装と違い、夕食用の正装にお色直ししていた。
巨人族の青年はコウジと同じような茶色を基調とした背広だが、特注だろうか、力士が3人くらいでも羽織れてしまうような大きな服だ。
魔女の方も夜闇のような漆黒のワンピースで、白い肩をさらけ出している。だが黒とはいえフリルやリボン、そして首には真っ赤なルビーをあしらったネックレスを下げ、気品とあどけなさを併せて醸し出していた。
そんな魔女もさすがに反省したのか、不貞腐れながらもコウジに深々と頭を下げる。
「……ごめんなさい」
小さくも、はっきりとそう聞こえた。
「ご迷惑おかけしました。どうかお許しください」
「いえ、気にしていませんから。頭を上げてください」
またも頭を下げる従者と魔女に手を振って制する。
「今日からここにしばらく留まるのでしょう? そう堅苦しくならずに、客同士気楽にいきましょうよ。私はコウジです。アレクサンドル様の専属トレーナーを務めております」
「あ、ありがとうございます! 申し遅れました、こちらは我が主、魔女カイエ・サマです」
ふたりはそろって頭を上げた。そして巨人の青年が主の背にそっと手を回すと、魔女カイエはスカートの裾を掴んで一礼した。
「そして私は従者のベイルです」
続いて巨人の青年はすっと自分の胸元に手を戻した。
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