魔女はスポーツがお好き その1

「よし、完成だ!」


 昼下がり、屋敷の裏庭にて金槌を片手に汗を拭うコウジと数名の使用人。彼らは屋敷の修理や小屋の建設を専門としている。


 そんな男衆が作ったのは木材を削りヤスリをかけた平均台と、木製の支柱に木の棒を渡した簡易の鉄棒。


「コウジ殿、これはどうやって使うのですか?」


 後ろから見守っていたアレクサンドルが訝しげに尋ねた。


 この三日間、サッカーを教えてもらおうと思ったらこちらの作業にかかりきりだったのでアレクサンドルは少しばかり不機嫌だった。器具ができたら使っても良いと言われたので了承していたものの、せっかく教えてもらったサッカーを見てもらえないのは辛い。


 なお領内の子供たちとは今日もサッカーを行い、彼らは日に日に上達していた。


「これは器械体操というスポーツの道具です。これを使って曲芸のような演技をして競い合うのです」


「器械体操?」


「そうです、模範演技をしてもらいましょう。ほらナコマ、おいで」


 物陰からそっと姿を現した猫耳の少女。普段のエプロンドレスではなく、丈の短い緑のワンピースにひざ丈のドロワーズという動きやすい服装だった。


 よく知った顔の思わぬ登場に戸惑うアレクサンドルにぺこりと一礼するナコマ。


 完成したばかりの平均台に向けてじっと目を凝らし、一歩二歩とゆっくり足を進める。そして短く刈り込まれた芝の上に突如倒れ、両手をつくと下半身を跳ね上げた。


 跳び上がった下半身は空を切り、ひねりを加えて弧を描く。ピンと伸びた足先は一本の枝のように回転し、足が再び地面に着いた頃には体の向きは反転していた。


 いわゆる側転、床運動の最も基本的な技のひとつだ。


 そして回転の勢いそのままに、ナコマの小さな身体は後ろへと倒れた。そして後方へと伸ばした二本の腕が地面をがっしと掴むと、再度そろえた脚が宙へと翻る。地面に着いた両手を軸に脚がぐるんと真上に回転し、後方に投げ出されたと思えば地面を着いてそのまま立ち上がっていたのだった。


 通称バック転、正式名称を後方倒立回転跳びだ。


 さらにナコマの技は続く。二度の技で勢いに乗った身体は止まることなく再度跳躍した。完全に空中に跳び上がったナコマは膝を抱え込み、小さく折りたたまれる。そしてそのままくるんと車輪のように一回転するとすかさず四肢を伸ばし、軽やかに地面に両足を着いて両手を挙げたのだった。


 はあはあと息を切らしながらも誇らしげに胸を張ってコウジに瞳を向けるナコマ。ぽかんと口を開けるアレクサンドルと使用人たち。そんな中コウジの拍手だけが高らかに響いていた。


「よくやったねナコマ! たった三日でここまで上手くなるなんて、今でも信じられないよ!」


「コウジ様のおかげです! こんなに清々しい気分は初めてです!」


 見たことも無い演技に我を忘れていた男衆もようやく喝采を上げ、可愛らしい同僚を褒めたたえた。


「コウジ殿、ナコマにこのようなことを教えていたのですか?」


 アレクサンドルも興奮しながら尋ねるので、コウジも苦笑いで「ええ、まあ」と答えた。


 ナコマが一人で無茶な練習をしていたあの日の夜から、ふたりはコウジの部屋で特訓をしていた。大きな布団をマット代わりに床運動を教えていたのだ。


 猫の獣人という身軽な種族の特性か、ナコマの呑み込みは驚くほど早かった。


 一日目にして前転、後転はもちろん、開脚前転に開脚後転、さらには苦手な子も多かった伸膝前転に伸膝後転まで習得してしまった。


 二日目には側転を難なくこなし、補助ありながらバック転まで覚えてしまい、三日目には補助無しでバック転、さらにはバック宙まで身に着けてしまった。


 この異様な成長速度にコウジは驚くしかなかった。


 同時に手の空いていた土木専門の使用人たちに頼み込み、あり合わせの材料で平均台と鉄棒をこしらえてもらった。


 寸法は正確に覚えていないので大体のサイズだが、ナコマやアレクサンドルに合わせて小さめにしている。競技用の平均台は高さ1.25メートルもあるが、ここで作ったのは小学校などで使われる低いものだ。


 さらに現在、ナコマはじめ複数の女性使用人が古くなった布団でマットを作っている。器械体操に関しては準備は着々と進んでいた。


「これらの器具も使いこなせば今のような演技が可能になります。アレクサンドル様も是非ご利用ください」


「領民の子供たちにも開放してよろしいですか?」


「勿論ですとも」


 アレクサンドルは今にも叫びたそうな様子だったが、使用人の前という場ゆえかぐっと堪え、「ありがとうございます」とコウジに頭を下げた。そしてすぐにナコマの前に走り寄ったのだった。


「ナコマ、僕にもあの技を教えてほしい! いや、みんなにも教えてあげてよ!」


「そ、それは光栄ですが、私はコウジ様のお付きでして……」


 ちらっとコウジを見るナコマ。屋敷仕えの使用人として領民と直接触れ合うことは滅多に無いので緊張気味のようだ。


「行っておいでよ。ナコマならみんな大歓迎だよ。僕もすぐ近くにいるから」


 その一言でナコマの顔は紅潮し、「はい!」と元気に返事したのだった。




 その後、コウジとアレクサンドルは村に降りて領民たちとサッカーに興じていた。


 いつの間にやら子供たちはおろか、マトカたち若者の他に髭を生やしたおじさんまで混じってかなりの大人数に膨れ上がっている。誰かが自宅にあったボールを持ち込んだようで、コートももう一面整えられ同時にふたつの試合ができるようになっていた。


 そんな彼らの真ん中で、コウジは審判として試合を見守っていた。


「とりゃ、鬼族の脚力を見なさい!」


 ゴール目前でパスを受けたマトカがボールを思い切り蹴った。だがキーパーはそのボールにとびつき、指先で弾いてゴール裏へと反らしたのだった。


「あーあ、惜しかったなあ」


 マトカの後ろでチームメイトの鬼族の青年が腰に手を当てて転がっていくボールを見ていた。


「あ、僕取って来るよ」


 そう言ってコウジが駆け出す。ボールの転がって行った先はよく馬車も通る道で、さっさと拾っておかないと厄介だ。


「あれ、どこに飛んでいったんだ?」


 道に出てコウジはきょろきょろと辺りを見回す。そこらに転がっているはずのボールがどこにも見えない。まさか反対側の麦畑にでも落ちたのか?


「何か探し物か?」


 突如話しかけられ、慌てて振り返る。


 そこに立っていたのは幼い女の子だった。


 ナコマよりさらに小柄で、年齢も10歳くらいに見える。腰ほどまである髪の毛をリボンで結び、薄い紫がかった黒の貫頭衣を着ている。そして頭の上には広いつばととんがりが特徴的な帽子。典型的な魔女っ娘そのものだった。


 さっきまで誰も立っていなかったのに? コウジの背筋にぞくっと何かが走る。しばしの沈黙も、この娘は興味あり気にコウジの顔を覗き込んでいた。


「何か探し物か?」


 しびれを切らして再度尋ねる少女。慌ててコウジは返した。


「ああ、ボールを探しているんだ。皮製のね」


「ボール? これのことか?」


 どこに隠していたのか、突如少女の手の上に先ほどマトカの蹴り出したボールが載っていた。


「そ、そう、それだよ! ありがとう!」


 コウジが手を伸ばすと、女の子はそっとボールを懐にしまった。そしてあの大きさのボールはどこへやら、マジックのように忽然と消えてしまったのだった。


「誰が返すと言った」


 表情は変わらないが、声には明らかに怒りがこもっていた。その豹変ぶりに、コウジは「へ?」と愛想笑いをしたまま固まってしまった。


「こいつがわらわの頭に突然ぶつかってきて、とても痛かったぞ」


 少女の目はまったく笑っていない。よく見たら白い肌のおでこの辺りが赤く滲んでいる。


 しまった。コウジはすぐさま頭を下げた。


「ご、ごめんね! わざとじゃないんだ。みんな熱中してしまってただけなんだ」


「……まったく、近頃の者は。このような危険な遊びに現を抜かすなどどうにかしておる。まあ、武器を手に取っての争いに比べればはるかに平和的ではあるかもしれんがの」


 随分と達観した物言いの子だな。


「ところでお主、見ない顔だな。名は何と申す?」


 これ、クレームつけられるパターンじゃない? コウジの背中にさらなる悪寒が走ったその時だった。


「あ、こんな所に!」


 ずしんずしんと重い足音を立てながら、何かが近付いてくる。コウジが首を上げて見たものは、走り寄るひとりの巨人族トロールの青年だった。


 無表情でコウジを責めていた少女の顔が一気に青ざめる。


「どこをほっつき歩いているのです! 約束のお時間は過ぎているというのに、また領民の遊びに見入っておられたのですね!」


 白いシャツと茶色のつなぎを着込んだこの青年は村で見る他の巨人族よりもさらに巨体だった。背丈は一般的な日本の天井よりもさらに高く、目測でも260センチはある。そして腹は出ているものの太い四肢と首がその力強さを物語っており、重量級のプロレスラーのような体格だ。


 薄緑色のかかった肌に短く刈りそろえた髪と見た目は凶暴そうだが、不思議と謙虚さと聡明さも感じられ、コウジも怖いとは少しも思わなかった。


「ベイル、この村は久しぶりなんじゃ、少しばかりゆっくりしていても良かろう」


「だめです、約束のお時間は守らねばなりません!」


 ベイルと呼ばれた巨人族の男は女の子をひょいっと抱え上げて肩の上に乗せると、コウジに頭を下げた。


「うちの主がご迷惑をおかけしました。きつく言っておきますので、どうかお許しください」


「いえ、私こそボールをぶつけてしまって、むしろ謝るのはこちらの方です」


「いいえ、きっと隠れてずっとあなたたちを見ていたのでしょう。気付かれない状態にいたうちの主人が悪いのです、お気になさらず」


「ちょっと待てベイル、それではわらわが全面的に悪いみたいではないか!」


 不満たらたらの様子で肩の上から巨人族の青年の髪の毛を引っ張る少女。その主に巨体の従者はぎろっと睨み返した。


「当り前です。球技ならボールが飛んでくるかもしれないと考えるのは当然でしょう。そこを私から逃れるために姿を消していたのですから、この方々に故意はまったくありません。さあ、急ぎますよ!」


 叱りつけてのっしのっしと道を戻る巨人の青年と、それに抱えられながら頬を膨らませる少女。二人の姿が見えなくなってようやく、コウジはふうと息を吐いた。


 なんだかよくわからないが、まあトラブルに巻き込まれなくて安心した。

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