原点

 6LDKの豪華なマンションの寝室で俺達は黙って横たわっている。ここ一連の逃亡劇が頭から離れず寝るに寝れないのだ。桃恵が強く手を握る。大丈夫だと。俺も握り返す。分かっている。もう逃げも隠れもしないと。


 部屋の中は空調が効いて暑くもなければ寒くもない。この部屋に飾ってある、大きな風景画。原っぱの中にある一本の巨木が描かれたもので、一千万円を超える。金銭感覚が狂っていたとはいえ、今では夢の中にいたようだ。


 もし、ジェイコブとの面接で取締役が叶わなかった場合、全く違う人生を追いかけてみるのはどうだろうか。例えば好物のラーメン屋を開くとか。それも日本ではなく片言の英語が通じるアメリカで。広がる妄想に思わずにやける。


「なんだか楽しそうね」

 桃恵がそれに気づくと、こちらを向き話しかけてくる。

「いやね、取締役の話が無くなった時、好物のラーメン屋を開こうかと思ってね。ふふふ。全く違う人生もありかなーと思ってさ。人生は片道切符じゃない。無限の可能性がある。それを俺はこの旅で教えられたような気がするんだ」

「ラーメン屋かーそれもいいかもね。秀ちゃんがラーメン作って私が接客をする。二人三脚って訳ね」

「そうか、手伝ってくれるか。じゃあ屋号は決まりだ『めおと亭』って言うのはどうだ?」

「いいね。『めおと亭』気にいったわ。うふふ」

「あはは、はぁ……」


 真っ暗やみのなか、二人で笑い合う。叶わぬ夢と知りながら。


「一つ質問してもいい? 」

「なんだい」

「どうして秀ちゃんはタイムマシンなんかを作り始めたの」


 そういえば話したことがなかった。

「あれは俺が高校生の頃だった。物理学の分野で予言されていた、『グラビトン』の観測についに成功したという話題が全世界で一斉に報道されたんだ。その事事態はアインシュタインが、一般相対性理論でその存在を予言していたもので、重力波研究の目的は発見だけでなく、使う事の方が大事なんだと知ったんだ。質量を持つ物体があると、その周りの空間が潮汐的にひずむんだ。時空の歪みをコントロール出来る事を発見したのが、小村先生で、その歪みの先に何が待っているのかを解明したのが俺だったんだ」


 俺は一気加勢に桃恵に話す。

「そうじゃなくて!」

 桃恵は俺の話を遮る。

「もっと単純にタイムマシンを発明して、行きたい所でもあったのって言うはなし」


「なんだそんなことか」

 桃恵がすり寄ってくる。

 俺は少し伸びをし、昔話を始めた。


「多分、婆ちゃんにもう一度会いたくなったからかな。うちは両親の他に父さんの母親の婆ちゃんがいて、本当によく可愛がられたもんさ。定期的に俺を呼んで耳垢の掃除をしてくれると、天にも昇るような心地よさと安心感と愛情に包まれていたんだ。厳しい親父に怒られそうになると、俺は婆ちゃんの部屋へ逃げ込み、毛布にくるまったもんさ。そうすると親父も何も言わずに階段を降りていったんだ」

「へー、いい人だったんだね。お婆ちゃん」


「でもなあ、人の一生なんて分からない。そのうち持病のガンが悪化し、俺が中三の頃亡くなったんだ。このエピソードを話すと大概のやつが『普通、医者を目指すだろう』とよく言われるんだが、俺はひねくれ者だからな、タイムマシンで直に会いたくなったんだよ」

「会いに行ったの」

「いや、まだ犬を使った実験の最中だったんだ。その途中であの晩を迎え、今に至る。ノーベル賞は、小村先生の単独受賞に決定し、俺は受賞を逃した。でもいいや、その事がなかったらこうして、君にも会えなかったんだからね」

「ノーベル賞は取れなかったのね」

「ああ、しかし核心部分は特許を取りまくっているからね。二番手をいく企業に小村先生が立ち上げた会社があるんだが、かなりの部分特許を侵害しているようなんだ。社外取締役になったらまずここに手をつけるつもりだ」

「ライバルをやっつけるわけね!」

「うん、勝利は我にありだ。しかし、特許は二十年で失効する。過去の特許侵害で訴える事も含めて詰めていかなければならない。少しハードな戦いになると思っているよ」


「そういう秀ちゃんカッコいい!」

 桃恵が舌で俺の顔を探りながらキスをする。

 しかし、睦事は後三ヶ月待たなきゃならない。

「お休み」

「おやすみなさい」


 眠れない。それは桃恵も同じだったようで、寝返りばかり打っている。

「ごめんな、俺が不甲斐ないばかりに君も巻き込んで、大学を辞めざるを得ない事になって……」

「もういいのよその事は。今は秀ちゃんの赤ちゃんをたくさん生んで幸せなお母さんになるのが夢なの。もう迷いはないわ」

「それを聞いて安心したよ。いえね、未来の俺と話し合った結果、君は俺が未来に旅立った瞬間に出現したようなんだ。それまで未来世界にいた五十代の君と入れ替わりにね」


 桃恵は目をくるくると回している。

「五十代の私?」

「そうだ。なぜ君だけが入れ替わったのかは分からない。俺も考えても仕方ないから、やっぱり運命の人だと信じてそれ以上思いを巡らす事を止めているんだけどね」

「運命の人……」

「きっと生まれ変わっても、また出合い恋に落ち、一緒になって子供をつくり、幸せな家族になるに違いない。もしかすると大昔から輪廻を繰り返しているのかも知れない。時は不思議だ」

「どう?」

「人間は時間と間接的に接しているような気がする。しかし時々主観的に関わるんだ。いつものなんとはない日常を過ごしている間は間接的に、でも事故なんかに巻き込まれた時は、主観的な時に変わる。後一分早かったらとかいうのが主観的な時間軸だ」

「でも事故なんかに会うのは不可抗力よ。それも間接的じゃないのかしら。本人が意識

 出来ない事故に巻き込まれた場合なんかはね」

「なるほど、じゃあ人間は本来時間とはずっと間接的に関わっているだけの存在なのかもしれないな。なにやら哲学的な話になってきたな」

 俺は大あくびをした。

「やっと眠気が訪れたようだ。寝る事にしよう」

「うん、おやすみー」


 時は不思議だ。俺はあてどもない時間軸を行ったり来たり来たりしているのだから。


 それともただの夢を見ているのか?

 この一年間というもの夢の中をさ迷っているような気がするからだった。


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