任意同行

「分かったよ。分かった分かった。任意同行に応じてやるよ」


 俺はついに松城と桑野のしつこい尾行に根負けをした。自分は何も罪を犯したくて犯したんじゃないと潔白を証明したくなったのだ。


「ほう、それはいい心がけで」

 松城がにんまりと笑う。


「それでは私達の本部がある、20XX年、十月一日、朝十時丁度にタイムマシンをセットしてもらえますか」


 やはりそうだ。松城達は未来の今現在の時空警察の者達ではなく、時空警察が創設した時の、十年前の刑事達だったのだ。


 三人でリューズを押し込む。体が銀色に光って姿が消えていく。やがて俺のマンションが立つ以前のさら地に降り立つ。


 松城はそこに一台のパトカーを呼びつけると三人一緒に乗り込んだ。高速に入り一時間ほど走り、東京の本部のビルが見えてきた。車が駐車場に止まり、ガラスで覆われたビルへ入って行く。


 松城は獲物を捕まえたハンターのように得意気な顔をして、笑いながら同僚達に敬礼をしていく。一目散に取り調べ室に向かうと鍵を取りだしドアを開ける。


 室内は机が一つと、会話を書類に残すパソコンが一台。ドラマでよく見る光景だ。


 俺が椅子に座ったのを見て、正面に腰掛ける。

「これをしないと証拠にならないもんでね」

 誰に言うともなくボイスレコーダーのスイッチを入れる。


「よく飽きもせず、俺を尾行してたな」

 俺は皮肉まじりに言う。

「時空の歪みが生じるとうちのレーダーが反応する。皮肉な事にこのレーダーはドモン&ヘッパーズ社の特注品だ。それに従ってどのようなタイムパラドックスか、そしてそれは法に触れてないのかどうかの会議をする。法に触れている可能性が高い場合は、我々が出動して逮捕する。このレーダー網は20XX年、つまり今の時間軸を中心に網をかける事が法律で定められている。つまり毎年更新しているわけで、扱う事例も年毎に多くなっているんだよ。その度に人員を増やさなくちゃならない。なぜそんなことをしなければならないのか、上の方が何を考えているのか理解に苦しむよ」


 俺は思わず声をあげて笑い出しそうになった。やはりそうだ。こいつは観測地点が一定でないとタイムパラドックスは見抜けないという、基本中の基本も知らないのだ。ただ上司に言われた仕事をこなしているだけの犬なのだ。あとは俺の専門分野の量子力学の話からアプローチをして煙にまけばいいだろう。


「くくく…」

 俺は含み笑いをする。

「なんだ、何が可笑しい」

「いやね、あんたそんなことも知らないでよくここで働いているなと思ってさ」

「なんだってー。どういう事だ!」

「いいかい、量子力学の状態はいくつかの異なる状態の重ねあわせで表現される。この事を、どちらの状態であるとも言及出来ないと解釈し、観測すると、観測値に対応する状態に変化する。つまり波束の収縮が起こると解釈する」

「何を言っているのかさっぱり分からない。日本語でしゃべってくれ!」


 俺は続ける。

「なぜなら比較対象として観測前の状態を得る事が原理的に不可能だからなのさ。そこで観測前に波動関数に従った空間的広がりがあった事と、観測時点では一点に収束している事、収束の確率が……」


「もうやめろ!」

 松城が俺の胸ぐらを掴み、わなわなと震えている。学歴コンプレックスを刺激したに違いない。


「暴力を振るうのかい」

 松城は俺を突き放す。


「俺達が知りたいのは杉浦桃恵がどこにいったか、その一点だ。お前が殺して、お前の女房が杉浦桃恵を可能性を探ってるんだよ。しかし決定的な証拠が出て来ない。それは何故か。お前の口から聞き出そうと思ってな」

「だから今説明してただろう。量子力学的なアプローチでは、観測地点がぶれると現象までぼやけてしまう。おそらく俺が未来に来た瞬間に若い桃恵が現出し、パラドックスを避けるため五十代の桃恵は時空の狭間に消えてしまった。もちろん俺は何も知らなかったんだから不可抗力だ。その理屈を辿るのがあんたら時空警察の仕事じゃないのかい? もっと勉強して、自分の頭で考えて行動するんだな!」


 松城は後ろをむき、まだ肩を震わせている。

「あくまでもしらを切るつもりか」

「しらを切るも何も。俺はその五十代の桃恵に会ったこともなければ、ましてや手をかけるなんて想像もつかないよ。タイムパラドックスについて皆とよく協議して、理解した上で逮捕状を取るんだな。取れるならだけどね」


 その言葉に松城が強く反応する。

「逮捕状を取れだと。なかなかそんなもの取れないんだよ!だから任意同行で処理してやっているのに。なんださっきからの態度は。なんだか小難しげな事を言って人を小バカにしやがって。その代償は高くつくぜ」


 何かを決意したような目と、その言い方。学歴コンプレックスを刺激したのは裏目に出たかと、少しだけいたらなさに気が付く。


「まあ、いい。今の女房とはどこで知り合ったんだ」

「俺がデリヘル嬢として呼びつけたんだ。もと風俗嬢だったんだよ。でも俺が一目惚れをしてしまった。それから普通に付き合い始めたのさ」

「W大学に通っているそうだな」

「まあね。でも妊娠を機に、二年間の休学届けを出したんだ。卒業したあかつきには、ドモン&ヘッパーズの社外取締役のポストが用意されている。破格の待遇でね。俺はもう、主夫に専念するつもりだ」

「いいご身分だな。まあ、いい。お前の、つまり専門家としての意見だと、お前が未来に表れた途端に若い桃恵が出現し、五十代の桃恵は消滅したと。そうとらえて構わないんだな」

「おそらくな。だから、あんたらのようにすぐに人を殺したとか短絡的に考えるのは愚の骨頂だって言ってるんだよ。俺が未来に来たときになぜ今の桃恵が出現したのかは、俺も分からない。やはり運命の人という事で納得してるよ」


 松城は黙って聞いていた。そして静かにいう。

「五十代の桃恵は時空の狭間に消えてしまった。観測地点が一定でないとタイムパラドックスは認識しえない。これで間違ってないんだな。その線で捜査をしてみよう。まあ、覚悟だけはしておくんだな」


 俺は本部から解放された。パトカーで帰るのを断ってタクシーで帰る事にした。夕方六時だ。今日も旨い晩ごはんにありつくことを想像しながら家路についた。

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