つけ狙われる毎日
それからは俺がどこかに行く度に松城が後を追う。
「追いかけるのをやめてくれないか!」
ある日松城を捕まえて大声を出した。
しかし松城は、相方の桑野の方を見、ひねた言い草でこう返した。
「追いかけるのを止めてくれってよ。なにかやましい事があるからそんな事言ってんじゃないの。例えば未来の自分と違う人生を生き始めたとか」
図星だった俺はそれ以上強く出れなかった。
「とにかくこっちは行方不明の杉浦さんを探しているだけでね。あなたの奥さんの旧姓が杉浦さんということに、非常に興味があるんですよ」
松城は蛇のような目をこちらに向け、ニヤニヤ笑っている。
それからも毎日つけ狙われる。
俺は次第に精神的に追い詰められていく。
一瞬過去へ行って、こいつのことを殺してやろうかと思ったりしたが、罪を重ねるのはよくないと思い、踏みとどまった。
久しぶりに未来の俺の所へ出向く。弱々しく「よう」との挨拶。
「最近は以前の放射線治療をやめて重粒子線治療を受けてるよ」
昔は専門施設に行かなければ受けられない治療法が未来では各病院に行き渡り、その治療に切り替えたと言う。
「すい臓ガンには期待出来るのか」
「こればかりはやってみなければ分からないらしい。しかし、健康な組織も破壊するためじわりじわりとやっているようだ」
俺は最近気づいた出来事を話した。五十代の桃恵と、十九歳の桃恵が重なっている状態の可能性についてだ。
「『シュレディンガーの猫』の場合、観測地点によって重なって存在することになる。しかし俺はその蓋を空けてしまい、そこに十八歳の桃恵がいた。重なっている状態は解消し、桃恵の時間軸が発生した。ところがその二人の刑事は、まだ重なっていると思っているようなんだ。探しているのは消えた五十代の桃恵の方らしい。しかしそれがパラドックスと薄々感づいているものの、はっきりと把握してないようなんだよ。だから逮捕できずに、任意同行を求められたんだと思う。この推論に破綻しているところがあるか?」
「一つ言える事は……」
未来の俺は中空を見上げ、意見を述べる。
「その刑事達は過去にある本部からやって来た可能性が高いな。今現在の本部が桃恵のパラドックスに気づく事は出来ないだろうからな」
「やはりか、どうすればいい?」
「どうもこうも。流れに身を任せるしかないだろうな。俺はすい臓ガンにかかって運命論者になった。俺も流れに身を任せるしかない一人さ」
未来の俺は力なく答えた。
「まあ、とことん逃げ回っていることだな。そのうち、パラドックスの詳細が理解できると、五十代の桃恵の存在が消滅した可能性に気づくかも知れない。お前は悪意を持ってパラドックスを引き起こした訳じゃあない事が分かると、捜査の手を緩めるかもしれない。ようは相手の出方次第さ。今は我慢する時のようだな」
菜々子が珍しく席を外さないで、リンゴの皮を剥いている。
「それより…」
話題を変える。
「俺たちは一週間後に結婚する事にした」
突然の告白に俺は仰天する。
「それと同時に遺書を書き始めた。菜々子やジェイやウィリーに俺の遺産を分け与えるためだ。やはり莫大な資産があるとそれなりに気苦労も多くてな。菜々子に最も多い配分が行くようにするためだ」
菜々子がリンゴにフォークを刺し、未来の俺の口元に差し出す。一口だけかじるともぐもぐと食い、また口を開く。
「式だけ挙げて、披露宴はしないつもりだ。体力が持たないだろうからな。お前も式には来るか?」
「おいおい、俺は菜々子の元彼氏だぞ。そんな所へ出向くはずがないじゃないか」
「はは、そうだったそうだった」
未来の俺が快活に笑った。
「汝、健康な時も、病める時も、富む時も、貧しき時も……」
結局、一週間後に俺と桃恵は式に出ていた。座り心地の悪い長椅子に座って。
未来の俺は、やっと立っている状態だった。誓いのキスが終わり、バージンロードを歩いて行く。
前の方にはジェイコブとウィリアム、そしてヘッパーの姿があった。菜々子側には年老いた両親が腰掛けている。あれから菜々子は両親を訪れ、タイムスリップした事情を説明したとの事だった。
披露宴はしないが簡単な立食パーティーが催された。ジェイコブが、近づいて来る。
「これはお父さん、久しぶりですね 」
「やあ、ジェイ。仕事は上手くやってるかい」
「はい。あれから実験段階ではありますが、過去への航行時間は飛躍的に伸び、恐竜が絶滅した六千五百万年前まで行きました。ジュラ期まで伸びるのも時間の問題ですね」
ジェイコブはワインを片手に終始ご機嫌な様子だ。
そして声をひそめて呟く。
「私のお父さんは総資産五百億円のうち、ファミリーに百億円を残して、後の四百億円は会社の資本に組入れるそうです。私は管轄外の仕事ですが、その手続きのチームに名を連ねています。責任重大ですよ」
やはり、自分の創設した会社の行く末が心配なのであろう。苦労も多かったに違いない。
肝心の本人はもう車椅子に座って、友人らと談笑をしている。俺は今日出席した目的のため未来の俺に近づく。
「これを返す時のようだ」
スーツの内ポケットに入れていた長財布を取りだし、本人に返す。勿論あのブラックカードも一緒に。正直寂しい気持ちもあるが、五億円近くはこちらへ残してある。一生かかっても使えない額だ。俺は思いだす。競馬に狂い、キャバクラ通いで散財した日々を。今は飲みに行ったとしてもせいぜいカラオケスナックで延長して一万円ほど。おとなしくなったものだと自分を笑う。
「俺はこの未来で生きていく事を決めたよ。働くのは桃恵になるようだから主夫になるよ。アメリカに行くからな、お気に入りのカラオケスナックともおさらばさ」
俺はシニカルに笑う。もう一生分遊び倒した。これからは産まれてくる子供たちと幸せな一生を送るつもりだ。
「そうか、一生分遊び倒したか。心残りはないんだな」
「ああ、後は趣味のパラグライダーで桃恵と遊んで生きていくよ」
「パラグライダーか、俺も死ぬ前にもう一度空を飛んでみたかったよ」
未来の俺は遠くを見ている。若く、精力的だった頃を思いだしているに違いない。
「心残りはよくないぞ。タンデムでもいいじゃないか。本格的に予約を取ってあげようか?」
少し考えこんでいる。
「いや、やっぱり止めとくよ。思い出は思い出として心の中にしまっておくよ」
笑いながらまた遠くを見た。
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