第三章

時空警察

 未来の俺がベッドに乗せられて運ばれて来た。菜々子が半狂乱になって取りすがって泣いている。愛と執着。そんな言葉が浮かんでくる姿だった。


 まだ麻酔が掛かって眠っている。俺はこれ以上いても進展があるわけじゃなし、その場を去ることにした。


 通っている郊外のパチンコ屋へと向かい車を走らせる。ふとつけられている気がしてバックミラーを見ても怪しい車両はない。


 パチンコ屋の駐車場について俺は驚いた。一人乗りのドローンが二台、空中から降りてくるではないか。この一人乗りドローン自体は俺の時代でも試作機が作られ、話題になっていたので覚えている。静音設計になっているようで、わりあい静かに着地した。


 エンジンが止まると二人の男がこちらに近づいて来る。そして、俺に向かってこう言った。


「こんにちは。我々はUTP、通称、時空警察の松城という者です。訳あって、あなたの行動を追わせてもらっています。一人の五十代の女性が、ある日突然行方不明になった事件を追って行くと、とある若い女性にたどり着きました。杉浦桃恵、この女性に見覚えありますよね。そしてあろうことか結婚し、妊娠までさせている。間違いないですね!」


 立て続けに攻められ俺は動揺してしまった。俺が時空の綻びを作る前の桃恵は現在行方不明、というより消えてしまったのだろう。そして大学生で、時代背景も完璧な今の桃恵が存在してしまった。それからはお互いに愛し合い今に至る。


 俺は冷や汗をかいている。もう完全にお見通しらしい。


「任意同行してもらえませんかね」

「任意には応じられませんね。来るなら逮捕状を持ってくるんですね」


 俺はそう言い捨てると、パチンコ屋に入って行った。


 パチンコを打ち始める。きらびやかな電飾と轟音は変わらない。


 時空警察の刑事らしい男二人は、パチンコ屋の待合室に座ってこちらを見ている。


 俺は無視して、パチンコを打ち始める。頭の中が空っぽになった瞬間に俺はふとおかしな事に気づいた。


 桃恵の消滅と発生。これは有名な「シュレディンガーの猫」の思考実験と極めて酷似している事に気づいたのだ。


「シュレディンガーの猫」とは、まず箱を用意し、この中に猫を一匹入れる。

 箱の中には、猫の他に放射性物質のラジウムを一定量とガイガーカウンターを一台、青酸ガスの発生装置を一台入れておく。もし箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、アルファ粒子が出なければ猫は生き残る。さて猫は生きているのか死んでいるのか。


 俺の思考がフル回転を始める。

 この時、例えば箱に入れたラジウムが一時間以内にアルファ崩壊して、アルファ粒子が放出される確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがってこの猫は生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。


 我々は猫が生きている状態と、死んでいる状態という、二つの状態を認識することは出来るが、このような重なりあった状態を認識する事は出来ない。これが科学的に大きな問題となるのは、たとえ実際に妥当な手法を用いて実験を行ったとしても観測して得られた実験結果は、既に出た結果であり、本当に知りたい事である観測の影響を受ける前の状態ではないため、実験結果そのものには意味がないという事である。


 シュレディンガーは、これを「パラドックス」と呼んだ。


 翻って考えるに桃恵の消滅と発生は、観測地点によって「重なりあっている状態」であり、未来の時間軸に観測地点がある場合、本来認識しえないはずである。桃恵の存在は大学に籍があることをふくめ確実に今現在の時間軸に沿っている。俺がそれを認識しえるのも、未来の俺が触れたふとした疑問からだったからだ。いわば、二人の記憶によって重なりあっている状態を抜け、俺の記憶の中で結果が定着しているのだ。


 時空警察が強制捜査ではなく、任意同行だったのも、このパラドックスを完全には理解出来ていない公算が大きい。それであのようにしてまず自白を得ようと迫ってきたのだろう。


 刑事二人は相変わらず待合室からこちらを見ている。もう夕方だ。俺はたっぷりと出した玉を流し、ガードを持ってカウンターへ行く。未来のパチンコは足元に玉を置かなくていい。玉が出ただけ横に突っ込んでいる、ガードに球数が記録されていく。パチンコ店員の数が少なくなっても問題ない。少しだけ味気がなくなってしまった。


 マンションに帰った。俺はくぐもった声で桃恵に言った。


「ついに時空警察が俺を追い始めた」

「なんですって?接触したの?」

「ああ、刑事二人が来て任意同行を求められたんだ。もうおしまいかもしれない…」

「元気出して。決定的な証拠を持ってないんでしょう?だから任意同行なのよ。大丈夫、しっかりして」


 俺はシュレディンガーの猫の話を思いだし、「大丈夫だ」と自分を鼓舞する。しかしその思考実験には重大な穴があった。観測地点が今現在、正確に言えば過去から見た未来の今では、重なりあった時の認識は出来ないが、時空警察の設立当初、十年前に本部が有るとすると、きっちりと時空の歪みが観測出来るのではないのか……先程の刑事二人が過去からやって来た人間の場合、何か決定的な証拠を握っていてもおかしくはない。


 俺はこの事に気づいて、頭を抱えた。インターフォンが鳴る。俺はどきりとする。しかしただの宅配便だった。


「絵本を買ったのよ」

 桃恵の幸せそうな姿を見てこっちも癒される。その絵本を二人で読んでみる、幸せな一時。


 しかし、頭の中は松城…確かそんな名前だった。この男の食いついたら振りほどいても振りほどききれない、蛇のような目を思い出していた。

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