拳銃
失恋の痛手は案外早く治るものかもしれない。時間薬と言う言葉がある。時間が心を癒してくれるという。未来の俺が言っていた妻の存在……どんな女性か知らないが、俺を生に繋ぎ止める存在かもしれない。
未来の俺が風呂から上がってきた。今度は俺に入るように言う。着替えは未来の俺のだ。
実家の風呂だ。入るのは何年ぶりか。シャワーが付いていた。自分が使う分だけはリフォームしたらしい。
湯船に身を沈める。前腕の怪我は大したことのない擦り傷だった。それにしても矢部のやつにも困ったものだ。出会った頃はあれほど仲がよかったのに。襲撃に失敗し、諦めて帰ってくれただろうか。気になるところである。
風呂から上がって着替える。サイズは当然ジャストフィットである。改めて今の異常事態の不思議さを思わずにはいられなかった。
風呂から上がると二人はテレビを見ていた。バスタオルで髪の毛を拭きながら冷蔵庫の中を物色する。
俺の好物の黒ビールが入っていた。好物はいつまでたっても変わらないらしい。いろんな事を忘れたくて、俺は一気に一缶あける。空きっ腹に染みる。弁当屋は数百メートル行った所にある。
「弁当屋の位置は変わってないんだろう?」
「ああ、そのままの所にある」
俺は冷蔵庫からもう一缶とりだし、歩いて弁当屋へ向かう。ビールを飲みながら慣れ親しんだ道を行く。酔いも手伝って思わず涙が滲む。菜々子の心はもう俺の方には傾いてくれないようだ。俺は涙をぬぐうと弁当屋へ入っていった。
家に帰るとまだソファーに座り、テレビを見て二人で笑いあっている。テレビはなんインチか分からない程のでかいやつだ。億万長者はやはり違う。俺は横のソファーに腰を下ろし弁当を食べ始める。
未来の俺が話しかけてくる。
「いくらすると思う?」
テレビの値段か? 何を聞かれたのか分からない。
「タイムマシンの事だよ」
「ああ、そのことか。原価は一千万いかなかったからな、五千万円くらいかな」
「安すぎだよ。答えは三億だ」
億という言葉が出て俺は現実感を失う。
「俺はM工科大学へ入り、すぐに会社を起こし量産体制に乗り出した。値段を十億に設定しても、世の中の富豪や政治家どもがこぞって俺のタイムマシンを買い求めた。持っている奴は持っているものさ。十億円をぽんと出せる奴は世界にいくらでもいるらしい。最初は爆発的に売れたが、三ヶ月もすると売れ行きが落ち込み始めた。それで今は価格を落とし、三億円で落ち着いたってわけだ。小村先生にゃ悪いが商才は俺の方が上をいっていたらしい」
「総額でいくら売り上げたんだ?」
「三千億円だ。まだまだ売れているぞ。まあ、会社の営業利益だがな。それでもCEOの俺には一千億円入ってきた。そこから税金を引かれて五百億円が手元に残ったよ」
五百億円! 特許を取っていてよかった。いや、特許を取っていなくても同じ結果が出ていたか。グラビトンを集積する小さなチップ。タイムマシンの核となる技術は俺が導きだした膨大な数理モデルを完全に理解してないと真似出来ないものだからだ。
「今は何を考えているんだ」
「こうなっては、いくら金があっても虚しい。それで菜々子を呼んだ訳だ。最後の未練を断ち切るために」
未来の俺のわがままに振り回されている自分が不甲斐なくなり、俺は押し入れから布団を出し寝た。しかし眠れない。眠れる訳がない。
夜も更けてきた。二人は二階に揃って上がって行った。これから同じベッドで眠るのであろう。俺の嫉妬心が頂点に達する。気をまぎらわせるために冷蔵庫からまたビールを取り出すと、一気飲みをする。酔いが深まるにつれ、怒りが増してくる。
台所へ行き、包丁を握りしめると静かに二階へ向かう。自分の部屋の前まで来た。俺は深呼吸をすると、ドアノブに手をかける。その時。
「そこまでだ」
こめかみに拳銃を突き立てられ、俺は思わず包丁を落とす。忘れていた。どこまでもお見通しだったことを。
「どうだ、命を狙われる感覚は」
すました声で未来の俺が撃鉄を起こす。
しかしそれがいけなかった。俺の怒りは沸点に達し、拳銃を持っている右手に食らいついた。
パンッ!
拳銃は暴発し、壁の一部に穴があいた。
「きゃー!」
菜々子が部屋の中から叫ぶ。それからは銃の取り合いになったが、相手は余命一月の病人である。酔ってはいたが、楽々拳銃をその手から奪いとることに成功した。
俺は拳銃を突き付けて、未来の俺に引導を渡すように声を出す。
「よくもイチャイチャするところを見せつけてなぶってくれたよなあ」
すると、病気がきついのか座り込み、か細い声でうめくように言った。
「早く殺してくれ。このまま、この痛みと苦しみが一月も続くなんて、考えただけで死にたくなる。その拳銃はな、俺が自殺するためにネット通販で買ったものだ。さっき一発やった通り本物の拳銃だ。自分じゃ自殺出来ないだけど他人に殺されるなら……」
未来の俺は拳銃を掴み、撃鉄を起こし、続けた。
「あかの他人に殺されるのはまっぴらごめんだ。しかし、自分に殺されるのなら。そう思ってお前が追ってこれるように、菜々子のベッドにタイムマシンをひとつ置いていたんだ」
俺は怒りが鎮まっていくのを感じる。
「ずいぶんと虫のいい話だなあ、おい。俺はお前の終末ケアのために殺人者の汚名をきせられ一生生きていかなきゃならないのか? ガキの使いじゃねーんだぞ!ハイそうですかと人殺しなんかできるか!この銃は俺が預かっておく。殺すか殺さねーかはこの俺が決める。それよりもさっき撃鉄をどうとか言っていたな。もう一度撃っとかないと危ねーんじゃないか?」
「そうだな、壁に向かって打てばいい」
いうか言わないかの内に
パンッ!
俺が撃つと、また菜々子が「きゃー」と悲鳴をあげる。
「さあ、形勢逆転だ。取り敢えずカードを出せ。俺は一月の間そのカードで遊んでくる。五百億円も持ってりゃ俺が遊ぶ金なんて微々たるもんだろう。菜々子を寝とった罪の重さをしっかり味わうがいいさ」
「分かった。限度額無しのカードをくれてやる」
未来の俺は気前よく財布を渡してきた。俺は中を確認すると、一枚のブラックカードを見つけた。
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