告白

 とりあえず質問がなくなった俺達三人は、重苦しい空気に包まれる。

「お茶飲む?」

 すばやく雰囲気を察知した菜々子が、湯飲みを取りに台所へ向かう。未来の俺は立ち上がり、既に痩せ細った腕を振りながら準備運動のようなものを始める。


「風呂に入ってくるわ」

 そういい残し浴室に消えて行く。


 お茶をお盆で持ってきた菜々子に、俺は改めて聞く。最初はナイフ等で脅されたんじゃないかと。しかし菜々子は首を振った。あくまで自分の意思でここまでやって来たのだと。


 土砂崩れの前日未来の俺が突如訪ねてきて、「あと一月の命だ。看取ってほしい」

 と聞かされたのが衝撃だったらしい。それを聞いて菜々子は涙したという。だれも最後に過ごしてくれる人がいないなんて。


 可哀想をこえた感情とでも言うべき心が刺激され、コンクールのエントリーを取り消し、彼を看取ってあげることにしたと、菜々子は言った。コンクールは来年もあるが、恋人の死は、一度しか無いであろうから。それからは、しばらく時を稼ぐため、土砂崩れの工作をしたのはご存じの通りだ。


 雨が三日間降りしきり二人は土砂崩れが起こるはずの場所へ菜々子の車で向かった。未来の俺の言うとおりの場所へ車を置き、ずぶ濡れになりながら待っていると、こ一時間もした頃であろうか、山鳴りがし土砂崩れがおき、菜々子の車をちょうど半分だけかすめて行ったという。


 そして二号機の完成形をひとつマンションのベッドに置くと、自らもそれを装着し、未来の俺とタイムスリップしてきたという訳だ。


 それから一週間、彼と共に過ごした日々、見た目もほとんど変わらず、しかし、老成した心につつまれて、菜々子は次第に魅せられて行ったという。


 彼女は、思わぬ事を打ち明けた。

「今はもう、あなたじゃなくて未来のあなたを愛しているの」

 菜々子は本気で泣き始めた。

 俺は雷に打たれたような衝撃を食らった。時が止まり、ぼんやりと床の汚れを見つめるしかない俺。


 ―敵は自分……


 先程は発作的に殺意を抱いたが、今度は本格的に殺す算段を巡らし始めた。


「その感情は、本物なのかい?あと一月で死ぬと分かって単に気持ちが揺らいでいるだけじゃあないのかい」


 俺は微かな希望を抱き、菜々子に質問してみた。

「愛してるの、本当に。同情や哀れみではなく。だからこちらの世界にやってきたの。ごめんなさい。今のあなたに愛は感じていない」

「未来の俺が死んだ後はどうするつもりだ。よりを戻せそうなのかい」

「分からない、未来なんて。ただ今はあの人の側にいてやりたいだけ」

 俺は猛烈な嫉妬心を抱いた。寿命で死ぬのではなく、自らの手であの世に送ってやると決心をした。


 しかしあることに気がついた。俺が自身の手であの世に送るということは、俺の時間軸でも同じことが起きるということだ。俺が五十七歳になった時、同じく過去からやってきた俺に殺されてしまうんだろう。


 その事を思うと、自らの手で殺すのをためらい始めた。俺は床を拳でどんと殴り、怒りの矛先を変えようとした。


 改めて菜々子を見つめる。化粧はしていなくても、十分に美しい顔。

「愛してるんだ……」

 そう呟く俺に菜々子はまた涙を流す。

「ごめんなさい」

 菜々子はそう繰り返すだけだった。


 菜々子と一緒にいた、この一年が走馬灯のように、心の中を巡る。長い洗い髪からポタリと落ちたしずくが、俺の頬を濡らす。俺はゆっくりと菜々子の体をしゃぶりつくし、二人は一つになる。菜々子の白い肌が、俺の心の底にある征服欲を呼び覚まし俺は激しくかき乱される。


 もう菜々子とは、そんな甘い時間を過ごせないのか。


「ひとつ聞いてもいいかな」

「なに?」

「もしかして体もゆるしたとか」

 俺は震える声で聞いてみる。なにも無いでくれと深く祈りながら。


 菜々子は黙ったまま答えない。重苦しい時間が過ぎてゆく。


 俺は頭を抱え前のめりになる。

「もう分かった何も言わなくていい!」

 髪の毛をかきむしり心の疼痛に耐える。


 出会ったのは何気ない院生と音大生のコンパでの事であった。たまたま横に座ったのが菜々子だった。俺は小さな頃フルートを習っていた。なので多少は音楽の話はできる。

 その日音楽の話で盛り上がり菜々子が住んでいるマンションと、俺の実家が車で二十分と、近かったこともあり、次の日曜日に、菜々子の防音室でセッションをすることになった。


 実家にしまってあった古いフルートを取り出すと、念入りに手入れをして、菜々子が住んでいるマンションに向かう。マンションの駐車場に車を止め、一階にある部屋のインターフォンを押した。


 子犬のワルツを二重奏することになり、覚えているかどうか確かめる。この曲は結構難しい部類に入り、中学生時代はこればかりやらされていたような気がする。


 緊張しながら菜々子の部屋に通される。子犬のワルツを吹き始めた。指が全く動いてくれない。二人して思い切り笑ってしまった。ごまかしごまかし、ようやく終わった。それでも、普段研究室にとじ込もっている身としては、解放感があり、楽しい思い出となった。


 それらが全て手のひらから滑り落ちていく。未来の俺を愛していると言い、体まで許したと言う。俺はあろうべきことか、この目の前で泣いている女……菜々子にさえ、軽い殺意を抱いてしまった。


 いっそのこと二人とも殺して過去に戻るか。いや、やはり菜々子は殺せないだろう。少しでも復縁できる可能性が残っているのであれば。出会ったころに戻る事ができるのであれば。また俺の下手くそなフルートと菜々子のピアノでセッションできるのであれば。


 じんわりとした焦りと苛立ち。焦りはこの一月に未来の俺を殺害するかどうか決めるという事。苛立ちはその間の二人を見続けなければならないという事。


 揺れる心。俺はまだ頭を抱え、心だけが揺れていた。これほどまでに苦しいのなら、俺の方からこの世からおさらばする事もできる。一番苦しくない死に方は拳銃自殺だと聞く。

 しかしここは日本だ。拳銃など、滅多なことでは手に入らないだろう。


 そこまで考えて、俺ははたと思い出した。ここから過去に戻り、成り行きに任せておけば、俺はアメリカのM工科大学へ客員教授で招かれるはずだ。アメリカでは、身分証さえあれば拳銃が手に入るらしい。億万長者になっている筈だからそこでやりたいことを全てやりつくし、自殺するのはどうだろう。俺の妄想は膨らんでいく。


 希望が沸いてきた。自殺ができるという希望が。

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